予期せぬ再会
「いやーすんませんねぇー。ほんと助かりますわ」
後部座席に座った大きな男は松岡と名乗った。
松岡は大きな図体でいかにも体育会系といったガッシリとした風体だった。身長は普段街で見かけたらつい振り向いてしまいそうなくらいに高かった。動物でいったら熊に似ているかな。図鑑でしか見たことはないが…。
俺は後部座席にどっしりと構えている松岡から妙な威圧感を感じていた。しかし、人は見た目によらないもので、彼の話し方は低姿勢でマイペースだった。
見た目は怖いけど、案外中身は優しい人なのかもしれない。彼は荷物に大きめのリュックと手持ちのライト…そして、銀色の弓と矢を持っていた。旅行客にしては物騒な装備である。野生動物でも捕まえる気だろうか。持ち物からは彼がどんな人物か推し量ることは難しそうだった。
「困ったときはお互い様ですから、お気になさらず」
助手席の涼子が松岡さんに明るく返事をしていた。
「それより、松岡さんはどちらから来られたんですか?」
「えーと、隣村です。この先のホテルのオーナーとは昔からの知り合いなんですよ。私の方の仕事が忙しくて、中々会いに来る機会がなかったんで」
「まぁ、そうでしたの! ちなみに松岡さんはおいくつですの?」
「こう見えて38歳なんです。いつも老けてみられるんですよ」
「えー、全然見えない!まだまだお若いですよー」
運転に集中している俺を他所に、2人の会話は盛り上がっていた。
俺だけ1人ポツンと取り残されたような気分で、いい気がしなかった。
涼子は普段もっと人見知りする感じなんだけどなぁ。
彼氏が隣にいる状況で他の男と楽しげに話すなんて...何とも納得がいかない。
俺が嫉妬の感情を極力顔に出さないように運転していると、遠くにホテルの灯りが見えた。
「目的地が見えてきましたよ」
俺の声に2人は前方を向きなおし、会話を続けた。
「大きなホテルですねー。私、普段からあんまり外泊をしたことないんですよ...」
「そうなんですかぁー。私は何度か来たことがありまして。外観はちょっとアレですけど、ホテルの中も広くて綺麗なので、きっと気にいると思いますよ」
「へー、それはすごく楽しみっ」
おいおい、涼子の彼氏は俺だぞ。
俺は楽しげに会話をする2人を横目で見ながら、ホテルの手前にある駐車場に車を停めた。
2人よりも先に車を降りた俺はホテルの前に立ちつくした。
近くで見るとその建物はホテルというより古びた洋館と呼ぶ方がふさわしいような、何とも言い難い不気味さがあった。
空気が重く、外観はホテルとは思えないような光量の少なさで、建てられてから長い年月経っていると思われる。
そして、ホテルの周囲を囲む木々のざわめきはそのホテルの不気味さに拍車をかけていた。
こんなところに泊まって本当に大丈夫なのだろうか。そんな疑問すら浮かんでしまった。
「健二君、元気がないけど…どうかしたの?」
背後から涼子の声がした。
「いや、特に何でもないんだ。それより素敵なホテルだね」
「ふふっ、健二君って意外と趣味悪いんだねー。覚えておかなきゃっと」
俺が振り返ると、彼女は小悪魔のような微笑みを浮かべていた。
――まぁ、このホテルを見て素敵だというやつはいないよな…。
「あのね、健二君…。車の中ではごめんなさい。本当は健二君と話したかったんだけど、そうすると松岡さんに気を遣わせちゃいそうで。結果的に健二君に気を遣わせることになっちゃった」
彼女からの突然の謝罪に、俺は心の内を見透かされているかのような不思議な感覚に陥った。
「もしかして、顔に出てた?」
「顔に出てなくても健二君のことなら分かっちゃうんだよ」
そう言った彼女は頬を赤く染めながら、俺から視線を逸らした。彼女の耳は真っ赤だった。
そんな彼女の視線を追うように俺も彼女から視線を外した。
どこか甘くてちょっぴり気まずい沈黙が二人の間を流れる……。
「わ、私、荷物取ってくるね。健二君は先にホテルの手続きお願いっ!」
そう言って彼女は若干ぎこちない動きで車へ小走りで向かっていった。
俺も何だか照れ臭かった。それよりもいつもと違う涼子の雰囲気にドキドキしていた。
「よくお越しになりました。あなた方で最後のお客様となりますよ。」
声の主を探すと洋館...いやホテルの扉が開いており、白いひげを生やしたいかにも優しそうな男性がこちらへ顔を出していた。
「はじめまして。俺の名前は...」
俺はホテルの入口へと足を進めた。
「存じ上げております。八神様、志村様、松岡君の3名ですね?ようこそ、当ホテルへお越しくださいました。
私はここのオーナーをしております佐藤と申します。以後お見知りおきを。」
「はぁ...どうもよろしくお願いします」
「どうしました? あんまり元気がないように見えますが。若者は元気でなくちゃなぁ! これ、部屋の鍵ね。先に渡しておくよ。それで、荷物はどちらにありますか? 私が運びましょう。」
「ありがとうございま...」
「そうそう、他のお客様もロビーにおりますゆえ、少々お話しされたりするのはいかがでしょう? 如何せん、当ホテルにお客様が来られることなんて滅多にないものですから。チェックインに時間がかかってしまうと思います」
佐藤さんは俺の肩をポンと叩いて笑いながら、俺らの荷物が積まれた車へと向かった。
このホテルの雰囲気とは打って変わって、明るそうな男性だった。
さっきまでの陰気なイメージが少し和らいだ。
ホテルに入り、ロビーに目を向けると、2人の男女がそれぞれ向かい合う形でソファーに腰を掛けていた。どうやら2人は一緒に来た宿泊客というわけではないようだ。主に女性ばかり話していて、会話としてあまり成り立ってはいないようだが…。
男性の方はイケメンというよりも、どちらかというと女性に近いような中性的な顔立ちをしていた。美しい男性とはこういう人のことを言うんだろう。スラリと伸びた彼の手足は品の良さを感じさせるほどだ。きっと性格もさわやかで女性からモテるんだろうなぁ。誰からもちやほやされて…。何の苦も無く幸せな人生を歩んで。
俺は勝手に男性を評価して嫉妬心を抱いていた。よくあることだった。些細なことですぐ嫉妬してしまう。こんな自分の性格が俺は大嫌いだった。
一方で、女性の方はやや気の強そうな感じだ。彼女の服装が派手なわけではないのだが、釣り目であるせいかややきつい印象を受けた。スタイルはめちゃめちゃ良さそうなのだが、俺の好みではないといったところか。俺は頭の中で涼子とその女性を比較して、無意識に薄ら笑みを浮かべていた。近くに涼子がいなくて良かった…。
依然としてその女性は、向かい側のソファーに座っている美男子に執拗に話しかけている。美男子は嫌がる素振りを見せてはいなかったが、顔は笑っていなかった。この人たちに深く関わるのはやめておこう…。
大きく息を吐き、俺は目線を部屋がある通路の方へと移した。通路の奥は薄暗くてよく見えなかった。
視線を移してから少しすると、奥の通路からこちらへ向かって誰か歩いてくるのが見えた。どうやらこの2人以外にも宿泊客がいるようだ。
顔はまだ見えないが、シルエットから察するにもう一人は女性のようだ。
徐々に俺の中でその人物の顔が認識されていく……。
それが誰か認識できた瞬間、俺は今日の旅行のことなんて忘れてしまうほどの衝撃を受けた。
――過去を遡り、様々な思い出や感情を掘り返すほどの強い衝撃。
俺は視覚以外の感覚が全て失われたかのように、こちらへ向かってくる女性から目が離すことができなかった。
――その女性は俺にとって慣れ親しんだ愛しい存在だった。
「美波...」
反射的に俺はつぶやいていた。
懐かしい...。俺は泣きだしそうになるのをグッとこらえて、美波を見つめて立ちつくしていた。
向こうもこちらの視線に気づいたらしく、ハッとしたような表情を浮かべていた。
「……健二…なの? どうしてここに…」
小さな声でそう言って、黒く長い髪をかき上げながら彼女はこちらに近づいてきた。