水の化身『ネロ』
Ενσάρκωση του Nero νερού
ーEnsárko̱si̱ tou Nero neroúー
世界には、4つの杖が存在した。
『火』、『風』、『水』、『土』。
この4つを守護する為に造られた、4つの杖。
その4つの杖を守護する『巫女』がいた。
自然界を護る杖を守護する者。
そのもの達を、皆一様に、『神子』と呼んだ。
そよ風が頬を撫で、海特有の塩臭さを運ぶ。
優姫は海を見ながら、ただ、某然としていた。
そろそろ、あの時間だ……。
頭ではわかっていても、体が動かない。
まるで体全体が風と同化してしまったみたいだ。
しかし、時間に遅れるわけにもいかず、やむおえず、重たい腰を上げた。
「ユウキっ!いつまで海見てんのよ!そろそろ時間じゃないの?」
後ろから大声が響き渡り、振り返ると、そこには幼なじみの遥が立っていた。
遥は長い髪を風になびかせながら、ジッとこちらを見据えている。
「……今、行くよ」
コンクリートで作られた塀から飛び降りて、『俺』は遥の前に立った。
「今日は成完式なんでしょ?早く行って準備しなきゃ間に合わないでしょ?」
「…間に合うよ」
「ユウキはなんでもそう言うじゃない!さ、早く行くよ!」
遥に腕を掴まれ、俺は夕陽が落ちかけている海を一瞥した後、ズルズルと引きずられるかのごとく、歩き始めた。
俺の母は『巫女』だった。
偉大なる『水』を統べる巫女だった。
でも、俺は誇りになんて思ってない。
母は、巫女業を真っ当して、死んだから。
俺にとって巫女とは、他の皆が思うほどじゃない。
『人』の命すら簡単に失われる、世界で一番嫌いな職業だ。
でも、代々『水の巫女』として生きてきた俺の家のしきたりで、俺は巫女にならなければならない。
『巫女』と書くくらいだから、女がならなきゃいけないと思っていたが、そうでもないらしい。
ばっさり言えば女顔だったら誰にだってできる職業。
まぁ、体内に宿している『力』の量にも、関係するはするんだけどね。
13歳を迎える夏______。
【俺は巫女になる。】
「___よって、汝は己の宿命を受け入れ、まっとうせしことを誓い、今、ここに新たなる巫女の誕生を祝福させて頂きます」
分家の長が長ったらしい文章を読んだ後、こちらに深く礼をしてから、前を退いた。
長が退いたことによって、俺の目の前に、大きな箱が姿を現す。
近くにいた人間が、箱の蓋を慎重に開け、長が中の物を丁寧に取り出した。
「こちらが、代々ユウキ様のご先祖様が護り、力を振るった、『水無の杖』でございます」
金色に輝く杖を受け取る。
これが、俺の家の名字の元となった、『水無の杖』…。
俺が杖を持ち、軽く床を叩くと、突然、杖が眩く輝き始めた。
真ん中に埋め込まれた、サファイアだろうか?
その宝石が一層眩く輝き、そこから一つの影が現れた。
それは、全体が淡い水色で形成された美しい女性だった。
水でできているのか、ブクブクと音がして、辺りに水が散る。
『新たなる我が主となられるのは、貴女様ですか?』
「……君は?」
『こちらが質問しております。新たなる我が主となられるのは、貴女様ですか?』
女性はきっぱりとそう言ったのち、ジッとこちらを見据えた。
「……そうだよ。君は?」
『私の名前は『ネロ』。ネロと申します。我が主』
ネロ……確かギリシャ語で水だったか……。
となると、もしかしてこの女性が。
「君が、母が言っていた、杖の化身?」
『母……雄飛様のことでございますか?』
「雄飛は俺の祖母だ。俺の母の名は『沙百合』だ」
『沙百合……あぁ』
心当たりがあったのか、ネロはニコリと笑った後に、フワリと俺に近づいた。
『沙百合様のご子息でございましたか。…失礼ですが、お名前は?』
「優姫だ。優しい姫で優姫」
女性は納得したのか、クルリと一回転してから、跪いた。
『我が主、優姫様。あなた様を護る為、私はこの身を削りましょう。……あなた様が、『罪』を忘れない限り……』
「罪?護る?おい、どういう____」
俺が言い終わる前に、光が包み込み、気がつけば成完式は終了していた。
暫く呆然としていたが、着飾った衣装を脱ぎ捨て、髪をまとめていた簪を抜き、動きやすくなったところで、本殿ヘと向かった。
杖は毎度、巫女が持っていたい時は本殿の最深部で保管される。
そして、杖の力を悪用されないよう、厳重に見張られるのだ。
「み、巫女様っ!どうしてこちらに?」
「話している暇はない。いいからそこをどいてくれ」
『なりません。主』
門番を蹴散らさんばかりに歩いていた俺の目の前に、ネロは静かに降り立った。
『私は休眠を欲します。___明日の朝まで、起こさないでください』
「杖の化身も人間と同じサイクルで生活しているのか?」
『いいえ』
ネロはスッと瞳を閉じてから、また開いた。
『あなた様がまだ、『罪』を知りない限り、私にはあなた様を護る資格はございません』
「だから!その罪ってなんなんだよ!」
声を荒げる俺に、ネロはただ悲しそうな表情を浮かべながら、呟いた。
『……私の口からは申し上げれません。……知りたいのならば、泉へお行きになられてはいかがでしょう?』
「泉?」
ネロは頷き、東を見る。
本殿から東には、大きな湖があるが、それは泉とは言えない。
『東に、湖があります。さらにその水の中を進むと、大きなでっぱりがでた岩に突き当たります。……水中を進めば、『泉』へ、辿り着くでしょう』
「……は?」
『では、おやすみなさいませ。我が主』
俺が何か言う前に、彼女はクルリとバク転をしてから、本殿の最深部へと真っ逆さまに落ちて行った。