その6
要森は暗い。
頭上には青々とした空があるはずなのに、鬱蒼とした木々の木の葉に遮られて陽光は届かないのだ。
要森に入った生徒はその闇の深さに驚き、まず、空を見上げる。
そして、見上げてもそこに空がない事に気づいて、以降、見上げることをしない。
要森から早く逃げ出したい。
その一心で森の中を駆け巡り、上を見上げる余裕がないのだ。
要森では決して足元をおろそかにしてはいけない。
常に前も後ろも全ての方向を警戒して逃げなくてはならない。
それは、上も同様だった。
少し上を見上げればすぐにわかる明らかな異形。
赤黒い根を地面に張り、樹齢数百年は立っていそうな太い幹、空を覆うように広がる枝葉にはたくさんの大きな果実がぶら下がっている。
ゆらゆらと揺れる果実、それは重さゆえか気まぐれにふつりと千切れ落ちては、地面にぶつかって潰れた。
潰れた果実は私と目が合うと、げらげらと不愉快な音を立てて嗤う。
「うるさい」
ぐちゃりと踏み潰すと、果物が腐ったような妙に甘い腐臭が当たりに漂う。
「なななななっさん?!そ、それっ!生首……」
ひえー! なんて情けない声を上げながら、凡庸男子は顔を覆った。
「なっちゃん、踏み潰すと靴が汚れちゃうわ」
蠢く木の枝にとらえられた生徒たちは悲鳴を上げつつも、何とか枝の拘束から逃れようともがいている。
「あがががが、ひぎぎゃああぁぁぁ!! 」
皮膚の下で木の幹が蠢いている生徒や、口腔から新芽が芽吹いている生徒は手遅れだが、他は何とかなりそうだったのでとりあえずぶっとい幹を軽く蹴ってみた。
樹木全体が悲鳴を上げるように蠢き、捕らわれていた生徒や果実がぼとぼとと地面に落ちてくる。
月子目指して伸びてくる枝葉を捕えては引きちぎるという作業を繰り返すが、枝は月子には向かってくるのに私から逃げようとするのでまるでウナギのように捕えにくい。
「やっぱ幹から蹴り倒すかな」
よし、蹴り倒そう!
決めた瞬間、凡庸男子が宙を舞った。
蠢く木の幹が足首に巻き付き、逆さに吊るされる。
恐怖にゆがんだ顔に、涙を浮かべつつも必死で金属バッドを振り回し、自分に巻きついている木の枝を殴っていた。
そんな彼をあざ笑うかのように木の葉がざわめく。
放って置けば、足首から侵入した枝が血管や皮膚を這いまわり、やがては木の一部となるのだろう。
凡庸男子の体から芽吹く新芽や、実る果実の表情まで想像して、胸糞が悪くなった私はもう一度蹴るために木の幹へと近づいた。
唐突に、熱気を感じる。
後ろに跳び下がると同時に私の目の前に赤と金の色彩が広がった。
私が近づくのを待っていたかのように、木の根元から真紅の炎が燃え上がったのだ。
炎を避けるように後ろに下がると、私は助走をつけて勢いよく跳躍した。
広がる枝葉を毟りながら火が回る前に何とか凡庸男子の枝までたどり着き、抱きかかえるようにして地面に着地する。
凡庸男子は地面に着地してもまだ、子犬のように震えていたが、私の表情を見て再び青い顔をした。
私が怒っているのは、わんこ相手じゃないというのに失礼な奴だ。
「―――元臣」
「なんだ? 」
名前を呼べば闇の中からふわりと、姿を現す。
ヤツの方がよっぽど亡霊じゃないかという思えるような登場の仕方だ。
「もう少しでわんこが、犬の丸焼きになるところだった」
「はあ? お前は何を言っているんだ。時々言葉が通じなくなるのはわざとなのか」
厭味ったらしい物言いと同時に元臣が吹っ飛んで行った。
なぜかって? もちろん私が殴ったからに決まっている。
「今回ばかりは見鬼さまが悪いかと。なっちゃんのお友達に手をお出しになるから」
苦笑する月子とふんぞり返る私、地面で悶える元臣を見て凡庸男子は真っ青な顔でかたかた震えていた。
「ったた……形無し、お前、肋骨にひびが入ってたらどうしてくれる」
恨みがましい目でこちらを見ながら、ゆったりと立ち上がった元臣は凡庸男子を見下ろして扇を向ける。
「それで、これは? 」
「これとかいうな、バカ臣。そんなやつには紹介してやらん」
ふん、とそっぽを向いて凡庸男子の手を引けば、元臣もわんこもぎょっとした表情で固まった。
なにその珍獣を見るような目、失礼すぎる。
「形無しは相変わらず甘い。俺は式巫元臣。お前は? 」
「僕は……故依 只人です」
「どうみても、名前通りちょっと憑かれやすい只の人間だな」
凡庸男子をじろじろと値踏みするような元臣の視線ははっきり言って不快だ。
「元臣」
名前を呼び、けん制すると元臣はやれやれと扇を一閃してぱちりと閉じた。
「妬けるね」
言葉とは裏腹に、元臣は独特の人をくった笑みを浮かべたまま月子へと歩み寄る。
「無事で何より」
狐狸のような読めない笑顔に、ほんの少し暖かな感情がこもっていた。
本当は真っ先に月子の下へ行きたいだろうに、凡庸男子を警戒したのも月子のためであるというのに、何ともひねくれていて可愛くない。
可愛くなさ過ぎて逆に可愛いというのは月子の評価だが、本当に物好きだと思う。
「ありがとうございます。見鬼さま」
はにかむ様にほおを緩めて月子は元臣に頭を下げた。
見鬼さまと呼ばれ不満げではあるが、それでも月子が無事であることが嬉しくて仕方がないというように緩む口元を扇で隠し、元臣は月子の手を優しく引く。
「月子に群がるもの共は俺が燃やし尽くすから安心していい」
紳士的な態度と胡散臭い笑顔で、物騒なことを言う男。
こいつのどこが可愛いのか私にはまったくわからん。
言葉通り、元臣は月子に群がる異形を高笑いしながら燃やし尽くした。
妹を守るという本願を遂げている最中だからか、テンションが高すぎて逃げ惑う異形と追い立てる元臣を見ているとどちらが悪鬼だかわからない。
「見鬼さまってばとても楽しそう」
「式巫さん、マジやばい。すげぇ怖い。掌から火炎放射とかなんだよあれ。汚物は消毒ー!ってか」
うっとりと呟く月子とドン引きしている凡庸男子。
月子の笑顔に元臣は益々エキサイトして、火炎というより、掌からビーム出してるように見える。
あー、これ、私もう必要なくね?
「月子を危険にさらす異形が巣食う森などいっそ燃やし尽くしてしまうのもアリだな」
「止めろ、バカ臣! 」
くつくつと喉を鳴らす元臣の頭をぺしりと叩く。
一時のテンションで世界を敵に回しかねない元臣の手綱を握るなど絶対ごめんだが、元臣が馬鹿になるのは妹がかかわるときのみなので仕方ないと言えば仕方ない。
私が元臣のストッパーとは甚だ不本意ではあるが、月子という可愛い妹を持ちながら表立って接触することのできない身だ。
多少は目をつぶってやるか。
掌からビームを出す人間兵器がエキサイトする度にやり過ぎないように頭を叩いて諌めると言うのは、要森から生きている人間が居なくなるまで続いた。
あれだけ、火炎を放射しまくっていたら元臣が原因で死んだ生徒が一人や二人いてもおかしくないだろう。
まぁ元臣は歴代最高の見鬼と言われているので助かる見込みのある人間が混じっていれば、見分けるだろうが。
こんな時、無差別な私と違って見分けることのできる元臣の目を羨ましく思う。
人間としては好かないが、才を磨き使いこなす能力だけは尊敬できる。
知られるのはシャクだから、死んでも伝える気はないけれども。
「交代しようか? 」
「何? 」
「相当消耗してるでしょう? 」
にんまりと、普段の元臣の真似をして笑うと、苦々しい表情で顔を逸らされた。
「可愛い月子の前だからって張り切り過ぎ。森の真ん中でそれだけ消耗してたら、いくらバカ臣でも喰われるよ」
「……わかってる。すまないが、後は頼んでもいいか? 」
本人もはしゃぎ過ぎたことを自覚しているのが、伏し目がちに顔を扇でかくして頭を下げる。
プライドエベレストな元臣にしては良く出来ましたってところか。
「いいよ気にしなくて。気持ちわかるし。何より、しおらしい元臣は気持ち悪い」
「気持ち悪いって、お前な……」
ひらりと手を振って私が前に出ると元臣は後ろに下がり、月子に寄り添った。
凡庸男子は二人と私の間に挟まれる形で所在なさげに歩いている。
「わんこの事もちゃんと見ててね」
振り返って元臣に言うと、元臣は呆れたような目線を一つよこして頷いた。
これで私は後ろを気にすることなく、襲ってくる異形を倒しまくれるというものだ。
元臣の案内で出口へ向かう道すがら、襲いかかってくる異形を後ろを振り返ることなく殴りまくる私の後ろでちょっと前に聞いたことのある会話が交わされていた。
「なっさん、マジやばい。すげぇ怖い。あんなデカいやつに踏まれて潰れるどころか、足の甲と突き破るとかどんなだよ! 体は鉄でできているってか」
「戦うなっちゃん可愛い。子リスが跳ね回っているみたい」
「いくら月子の言うことでも、俺はあんな暴虐的な生き物を子リスだなんて認めないけどな」
外野がうるさすぎて殴る拳に必要以上に力がこもる。
一匹ずつ殴るのが面倒くさくて、木を一本蹴り倒して振り回せば面白いまでに鬼や蛇や蜘蛛やらが潰れ、吹っ飛んで行った。
「駄犬がぎゃんぎゃん吠えるから、形無しが益々野生化したじゃないか」
「ワイルドななっちゃんも素敵」
「ちょ、駄犬て俺の事すか?! 全部僕のせいみたいに言わないでくださいよ。なっさんが人間ブルドーザーになったのは僕のせいじゃないっすよ」
誰が人間ブルドーザーか!
異形をまとめて2、3度殴ると木は粉々に砕け散った。
要森の樹木でも2~3回が限度か。
普通の鉄パイプ何かだと一度殴っただけで使い物にならなくなる。
やっぱり面倒だけど自分の手で殴るのが一番確実かなー。
異形をなぎ倒す感触を確認しているうちにあっという間に出口へとたどり着いた。
要森を出るとまだ空は明るかったが、後数十分ほどで夕暮れを迎えそうな時間帯だった。
外に出ると私は深呼吸をして、ぐっと伸びをする。
「あー。やっぱアレだ。護衛とか性に合わんわー。私には荷が重いッつーか、もうちっと上手くできるようになりたいな」
腕をぶんぶん回していると、不意に頭をぽんぽん撫でられた。
「それ以上強くなってどうする。今自分で言ってた通り、お前は並ぶもののないくらい強いが、護衛には向かない」
「その私に護衛を頼んだのはアンタでしょーが」
「当然だ。お前は不得手を補って余りあるほどの力を持っているからな」
「利用されてやるのは、月子のため限定だけどね」
「ああ、それでいい」
ふ、と口元を緩める元臣は気障ったらしいがそれが彼らしく様になっている。
「えーと、あの、つかぬ事をお伺いしますが、なっさんと式巫さんって……」
「いろいろ関係性はあるのだけれど、只人君に一番わかりやすいのは、なっちゃんと見鬼さまは婚約者だということでしょうか」
「こうやくしゃ? って、婚約者?! 」
「ええ」
僅かに紅みの差し始めた空に凡庸男子の叫び声がこだまする。
異形と遭遇した時よりも、デカいだなんてどういう了見だ、コラ。