その3
キーンコーンカーンコーン。
なんの変哲もないよくあるチャイムの音。
その音に教室がざわめいた。
チャイムが鳴り終われば、生徒たちはとある選択を強いられる。
要森に入るか、入らないか。
1ーAの教室は体操着―――逢坂高校指定の黒いジャージ―――を着ている人で溢れかえっていた。
私的にはジャージが黒いお蔭で、どれだけ暴れても比較的汚れが目立たなくてありがたい。
要森に入るか入らないか、直前までもめていた生徒たちもチャイムが鳴り終わる頃には皆一様に黙り込む。
「さて、行くならさっさと行こうか」
ふあふ、とあくびを一つしてぐっと伸びをすると月子は鈴を鳴らすようにころころと笑った。
「なっちゃん、りすみたいで可愛い」
「いや、二人とも緊張感なさすぎ……じゃないでしょうか」
くっついてくる凡庸男子を振り返るとヤツはなぜか敬語になった。
「あの、月子さん」
「どうしたの、只人君? 」
「……なんで、なっちゃんなんですか? 」
「だって、形無しじゃあ可愛くないでしょう?私にはなっちゃんの名前を呼ぶことができないから、少しでも可愛い名前で呼びたくて」
「形無し……? 」
「うふふ。分からないわよね、ごめんなさい。形無しは御三家でのなっちゃんのあだ名よ。なっちゃんにはね、形代も使役する妖も必要ないの」
あっさり人の内情を凡庸男子に話す月子。ストップかけとかないとまた面倒なあだ名が広まってしまう。
「月子」
「うん、ごめんなさい。なっちゃん」
月子はあっさりと引き下がる。
「あ。あのー! ……なっさん! 」
なっさん!?
想定外の呼び名に私の思考はしばし凍結した。
振り返って凡庸男子を観察する。黒髪に黒い瞳、一般的な日本人といった感じ。
運動をしていたのか体つきはしっかりしていて逃げ足は速そうだ。
「ふうん。なるほど。凡庸男子。あんた逃げ足は速そうだね。要森に入ったら、ひたすら出口目指して逃げた方がいい」
「でも、なっちゃん。いくら足が速くても、足をもいで食べられちゃったら走れないんじゃないんかしら」
せっかくのアドバイスが台無しである。
まぁ体の一部をダイレクトいただきます! されるのはよくあるパターンだけども。
「その金属バットは何のつもりかわからないけど、異形に立ち向かおうなんて考えず、悪寒がしたら逃げることに専念することだね」
凡庸男子の手に握られた金属バットを一瞥していうと、月子が子供っぽく頬を膨らませた。
「もう、なっちゃんってば。あまり意地悪いわないの」
「……これでも真面目にアドバイスしてるんだけど」
折角のアドバイスも凡庸男子の耳には入っていないようで、彼は呼び止めても私が応じるとは思っていなかったのか、呆けた顔で突っ立っていた。
で? 要件は ? とじろりと視線で促すとあわてて口を開く。
「暴、いや、なっさんが御三家の人間って……」
なんだ、結局こいつもゴジップ好きな有象無象と変わらないのか。
つまらない質問に私は心底がっかりした。
好奇心にきらきら輝く、子犬のようにつぶらな黒瞳を見ているとがっかりを通り越してイラつきさえした。
「もうお前、あれだ。殴られたくなければ黙ってろ」
「でっ……もうなぐってんじゃないすか」
「安心しろ。手加減している」
「わぁありがとうございます」
凡庸男子もとい只人はうつろな瞳で礼を言った。
質問はつまらなかったが、反応は意外と面白いやつである。
そんな私たちのやりとりを見て、月子も嬉しそうにくすりと笑った。
うん。なんだ。これはこれで悪くないかもしれない。
今回短いです。箸休めにちょっとほのぼのしてみました。