悪魔の子、月詠アンリ
しばらく怒涛の質問攻めをうけていると、教室の前の扉が開く音がした。
僕の周りに集まっていたクラスメイトは今教室に入ってきた人物を見るなり、それぞれが僕の机から遠ざかるように、散っていった。
なんだなんだ?僕が不思議そうな顔をしていると、後ろの席の健康的な顔の女の子、唯香が小さく僕に言う。
「あの子には関わらない方がいいよ……」
どういうことだ?謎が何一つ解決しないまま、教室に入ってきた人物は僕の隣の席へと着席する。
彼女だった。
登校中に出会った彼女、今まで見たことがないような可愛い彼女、ちょっと中二な彼女。
まぎれもない、あの彼女だった。
ただ、朝出会った時と少し違う点がある。
彼女、傷だらけだ
僕が疑問に思う事は二つあった。
一つは、なぜ彼女は傷だらけなのか。
この傷は、ただ転んだとか、そんなレベルの傷じゃない。なにか、僕が知らないような未知の生物にやられたような。見ていられないほどの生々しい傷だ。
もう一つ、こちらが僕の頭をさらに混乱させる。こんなにも傷ついている女の子がいるのに誰も、本当に誰も彼女の事を心配してる様子がない。
心配どころか関心すらしていないのだ。まるで彼女が透明人間のように、誰も、誰もが彼女の存在を無視している。
僕に最初に話しかけてくれた人、唯香も例外ではなく、俯き加減で、彼女から目を逸らすように暗い表情をしていた。
「あの子には関わらない方がいいよ……」
唯香の言葉を思い出す。
あの子に関わらない方がいい理由がきっとあるのだろう。
そしてこのクラス全員はその理由を知っている。だから関わらない。だから存在を無視出来る。だから放っておける。
だけれど、この状態の女の子を放っておける理由ってなんだ?僕の頭の中では、どんな理由を並べられたって、あの子を”放っておく”なんて選択肢は存在しない。
僕は一人、傷だらけの彼女に声をかけた。
「その傷どうしたの?早く病院に……」
僕が話し終わる前に彼女の口が開いた。
「大丈夫。この程度なら。魔力を少し使っただけだから。……?って、あなたは朝会った……」
大丈夫らしい。現実世界で使う事はないであろう単語が聞こえた気がするが、うん、大丈夫らしい。
「というか、なんであなたここにいるの?」
当たり前の疑問だった。学校に来て教室に入ったら、登校中初めて見た男が隣に座っているのだ。なんで?となるだろう。
僕は答える。
「僕今日からここに通うことになった転校生なんだよね、あ、名前は霧谷天麻っていいます」
なぜか途中から敬語になってしまう。女の子と話すと敬語になってしまうのは僕の癖だ。
そうなんだ、とそっけない返事が返ってきたが僕は続けて言う。
「もしよかったら名前教えてくれませんか……?」
「アンリ、月詠アンリ。」
「アンリ……ちゃん」
「なに?天麻くん」
僕は今まさに恋に落ちている。
落ちて落ちて……一生着地する事がないような恋に落ちている。
なんだろうこの感じ。目を見て名前を呼ばれただけなのになんだこの衝撃。相変わらず左目が長い前髪で隠れているが、はっきりと大きな右目が僕を見つめている。
このまま時間が止まればいいのに。そんな気分にさせられた。
……が、僕は今更思い出す。彼女、月詠アンリは傷だらけなのだ。大丈夫と言っていたが、その言葉を真に受け、ああそうですか、と受け流すことなど出来はしない。僕は再び彼女に問う。
「あのさアンリちゃん、さっきは大丈夫って言ってたけどその傷やばいって……。ねっ、病院行こう?」
すると、月詠アンリとは違う声が返ってきた。
「天麻、その子はいいんだよ……、いつものことだから……。」
唯香の声だった。僕は後ろを振り返り、いつもってどういう事なの?と聞くが唯香は黙ったままだ。
「そういう事だから。心配しなくていいよ。あと、私には関わらない方がいいかもよ。」
関わらない方がいい、なんて僕には無理だ。それは彼女自身から言われたって変わらない。
「でも、心配してくれてありがとね。天麻くん。」
月詠アンリは笑顔で僕に言った。笑顔、まるで天使のようだ。その天使のような笑顔を僕が守りたい。その時本気でそう思った。
しかし、この天使を守るには一筋縄じゃいかない事をその時の僕は知る由もなかった。
結局、放課後になるまで彼女は傷だらけの姿で僕の隣にいた。
なんというか、あれだ。いくらなんでも授業の時間になったら教師が何か言うかと思ったが、そんなことは全くなく、普通に、ごくごく普通の授業が過ぎていくだけだった。教師ですら彼女の、月詠アンリの異常な姿を無視していたのだ。
ここまで徹底されていると、妙な安心感を感じてしまう。彼女にとってはあの傷、かすり傷程度でしかない、という安心感。だが、すぐそれは偽りの安心という事に気付く。
当たり前だ、いくら周りが、そして彼女自身が平気だと言っていても、あの姿を医者が見れば即入院レベルなのだ。これはもうここの学校の奴ら全員がおかしいとしか言いようがない。
気になる……、なんで彼女は平気なのか。どうして周りがこんな状態なのか。そしてなにより月詠アンリ自身について知りたかった。
今にも帰りそうな彼女に向かって僕は足りない勇気を振り絞り言う。
「待って!ねえ、アンリちゃん、僕と一緒に帰らない?」
女の子と一緒に帰る。もちろんそんな夢みたいな行為は今まで味わった事などない。そういう事をする奴は自分とは別次元の人間だ、なんて思ってたところだ。
そんな僕にはおよそ関係ないだろう行為を実行すべく、言ってしまった。それもあんなに可愛い子に。
数秒時が流れて、彼女は答えた。が、その数秒、僕にとってはまるで時間が停止したような感覚だった。
「ついてこないほうがいい。私と一緒にいるときっと天麻くんは不幸になるよ?」
また数秒時が流れる。彼女は続けてこう言った。
「……でも、それでもいいならいいよ、一緒に帰ろ。」
不幸?彼女と一緒にいて、どうやったら不幸になる事ができるんだ。彼女と一緒の時を過ごせるなら、それはこれ以上ない幸せだ。
二つ返事で僕は答えた。
「帰ろ、僕と一緒に!」
我ながら気持ちの悪い、にやけ顔になっていたと思う。
僕がそんな顔をしていると、彼女は僕のそれとは真逆の寂しそうな顔でこう呟いた。
「誰かと帰るの久しぶりだなぁ……。」
「いつも誰かと帰らないの?」
言ってしまった。彼女にしてみれば嫌な質問だったに違いない。
彼女は表情を変えず、息を吐くようにこう答えた。
「昔は何人かいたんだけどね。ただ、それは私の事をよく知らない人たちなんだよ。今の天麻くんみたいに。」
ふぅ、と一呼吸おいて彼女は続ける。
「けれどね、天麻くん。みんな私の事を知れば知るほど離れていったんだ。まぁ当たり前なんだけどね。」
やはり彼女には、なにか秘密があるらしい。知ってしまったら関わりたくないと思うぐらいの秘密。
知りたいと思う反面、知る怖さもある。もしもそれを知ったら僕は彼女を拒絶するのか。クラスのみんなと同じように傷だらけの彼女を見ても無視するようになってしまうのか。そんな恐怖が少なからずあった。
けれど、知りたい。
このまま上辺だけの付き合いで終わってしまうなんて絶対嫌だ。彼女の事をもっと知りたい。
だから、聞いた。
「アンリちゃん、なんでみんなアンリちゃんと関わろうとしないの?その理由、教えてよ。」
何も飾らず、何も包まず、ありのままの疑問を言葉にして言った。
僕はただ純粋に知りたかったのだ。
彼女は歩き出す。僕も隣につき歩き出す。
無言だ。
無言で昇降口まで来てしまった。そうか、そうだよな。あんな質問本人に言うべきではないよな。今更後悔をしている僕をよそに、彼女は上履きから靴に履き替えている。
彼女は答えない。痺れを切らした僕は恐れながら口を開く。
「あ、あのさぁ、変な事聞いてごめん!ごめんね、さっきの質問は忘れてください!」
彼女は僕の顔を見る。
あ、可愛い。こんな時だってのに僕はまた月詠アンリに惚れた。嫌な奴だな、僕は。
「こっちこそ、黙っちゃってごめんね。……その質問の答えを言っちゃうと、天麻くん、離れていっちゃうんだろうなぁって思っちゃって。それはちょっと嫌だなぁって、そんな事思っちゃった。」
僕が離れるのが嫌?さっきは関わらない方がいいなんて言っていたのに?ああ、彼女はきっとみんなと仲良くしたいんだ。けれど、彼女の秘密を知ったら人は離れていく。それならいっそ仲良くなる前に友人関係を持たなければ、悲しさも半減する。
そう考えて、最初僕を拒絶したんだ。悲しい強がり、いや、優しさだ。
「大丈夫だよ、僕はアンリちゃんから離れはしない。」
カッコつけて、イケメンにしか許されないであろう台詞を吐いた。一歩間違えたらストーカーだ。
が、彼女は笑った。直視出来ないほどの可愛い笑顔。守りたい笑顔。”離れはしない”なんて言ったが、違う。”離れられない”が正しい。そう思った。
「嬉しい事言ってくれるね。……でも天麻くん、その言葉に責任感じなくてもいいからね?」
僕が離れていくと思っているのか。そこまでの理由。けど、僕は離れない。決めたんだ。
「私の秘密はね……」
固唾を呑むとはこの事だろう。僕は黙って次の言葉を待っていた。
「私、人間の子じゃないの。」
そうきたか。
うん、彼女の頭がちょっと楽しい事になっているのは知っていたが、そうか、このパターンで来たか。
どうしよう、これはノってあげたほうがいいのかな。
「そ、そうだったんだ。じゃあ誰の子なの?」
「悪魔……」
ぐっ、この子思った以上に重症だ。左腕の包帯も、怪我してるわけではなくただ見た目がカッコいいから巻いてるだけなんじゃないのか?
……って、あれ?
重症。彼女の頭の中は重症だ。今そう思った。が、彼女の身体はもっと重症だった”はず”だ。
”はず”というのはつまり、癒えているのだ。
傷が癒えた。あれだけ傷だらけだった身体には傷ひとつ残してはいなかったのだ。
「な、なんで……」
思わず口にでてしまった。あまりに不可解な事が起こっている現実に僕は唖然とした。
”人間”にはこんな治癒力はない。悪魔の子。もしかして彼女は本当に……。
「やっぱり嫌だよね?悪魔の子なんて。私から離れていいよ、天麻くんは普通の人と普通に友達になって普通に遊んだ方がいいよ、普通の人間なんだからさ。私の事は気にしないで、別に傷ついたりしないからっ。」
「いや、というか、身体の傷は……」
「あぁ、私はさ、普通の人間より傷とか治るの早いんだよ。それもめちゃくちゃな早さでさ。この能力がなかったら私何度死んでるかわからないよ。はは」
笑ってそんな事を言ってるがとんでもない事を言っている。何度死んでるかわからない?そうだ、そもそもあの傷はどうやってついたんだ。未知の生物にやられたような、そんな傷。まさか……