08
窓から顔を出して、下を見下ろしてみる。
まあ、牢屋って言うから、脱獄できないようにそれなりに高い場所ではあるんだろうなと思っていたけれど。
「・・・・・・やっぱり高いー・・・」
まだ夜が明けていないから、くっきりと見えるわけではないけれど、ここが高いことがよく分かった。
多分、二階か・・・三階くらいの高さ。
もう少し乗り出して、辺りを見渡すけれど、見張り番は見えない。いないのか、私から見えないだけなのか・・・。でも、ここから見えないということは、ここから飛び降りて即捕まる可能性は低い。逃げ出すチャンスだ。
だけど、飛び降りて逃げよう、と決意した気持ちは間違いないけど、高さを実際にこうして感じてしまうと恐怖心がどうしても芽生えてしまう。
ここから飛び降りて、怪我をしないという保障はない。
怪我をして、思い切り走ることが難しくなれば、もし見つかったときに逃げ切れないかもしれない。
そうなれば捕まってここに戻されるんだろう。その上、脱獄したことで余計刑が重くなったりするかもしれない。
それはちょっと困る。ううん、ちょっとどころじゃない。ものすごく困る。
だけど。
ここで飛び降りなかったら、それこそもう逃げられない。
二択だ。
捕まるかもしれない可能性があるけど、逃げる努力をするか、それとも逃げるのを諦めて、刑を受ける覚悟を決めるか。
・・・そんなの考えるまでもない。最初から決まってる。
「じゃあ、私行くね」
「・・・本当に行くの?」
「当たり前じゃない。逃げるって言ったでしょ」
「逃げられないよ。ここから出たところで、また捕まって戻されるだけだ」
私が思っていたことをずばりと指摘するエラルド。
その目は真剣だ。脱獄なんて無謀だと思っているのか、もしかしたら心配してくれているのかもしれない。
確かにエラルドの言うとおりだけど、だけどね。
「・・・そうかもしれない。でも、捕まらないかもしれない。やらない後悔より、やった後悔の方がましだわ」
逃げようとしないで、ここにいたままだったら、きっと後で、逃げておけば良かったと後悔する。絶対、後悔する。
逃げたら、捕まらないで、日本に帰れていたかも・・・って。
ここで逃げて、たとえ捕まってしまったとして、捕まったことを残念に思うかもしれない。逃げて捕まったことで、刑が重くなって、逃げたことを後悔するかもしれない。
でもきっと、日本に帰ろうと努力したこと自体は後悔しないと思う。
もう一度窓から下を見下ろして、着地点を見定める。
よくよく見れば、暗闇の中に、綺麗に刈り取られた庭木があるのが見える。
日本でいう、イヌツゲのような感じの木。
あれなら、上にうまく落ちることができれば、たとえ怪我をしたとしてもそれほど大きな怪我にはならないだろう。
よし。
「ねえ、ちょっと手伝ってくれないかな」
「何を?」
「そっち側に行きたいんだけど、この窓の大きさだと方向転換できなくて、頭から向こうに落ちることになっちゃうから・・・。足から向こうに出たいの。それで、肩を貸してほしいんだけど・・・」
エラルドは黙って私を見たまま。何か考えているみたい。
やっぱり、ダメかな。
逃げたいとは言ってはいたけど、あまり気乗りしないみたいだったし。
墓荒らしよりはスリの方が確かに刑は軽そうだし、下手に脱獄して刑を重くするよりはこのままスリ罪(というのか分からないけど)の刑を受けた方がエラルドにとってはいいのかもしれない。
そんなときに、私の逃亡の手助けをしたことで、さらに刑が重くなったりしたら、エラルドにとっては迷惑・・・だよね。
もしかしたら、実際に手助けをしなくても、同じ牢屋から私が逃げたことで、私を引き留めなかったって刑が重くなったり・・・しないかな。
そうだったら、本当に迷惑だ。
「私、逃げたら・・・迷惑が掛かるよね」
「ん?」
「だって、一緒の牢屋の私が逃げちゃったら、手伝ってなくても、引き留めなかったからって刑が・・・」
「重くなるんじゃないかって?ああ、別にそれは大丈夫。気にしなくていいんだけど・・・うん、そうじゃなくて・・・」
そう言ったきり、また黙ってしまった。
エラルドは何を考えてるんだろう。
気にしなくていいとは言ってくれたけれど、でもなんだかこれ以上巻き込むのは申し訳ないと思えてきた。
そうだ、逃げたいのは私。逃げない、という選択肢はもはや私には無いけど、エラルドに、できるだけ迷惑は掛けたくない。ただでさえ、逃げることで迷惑掛けるかもしれないのに、これ以上の迷惑を掛けるのは心苦しい。
肩は借りない。ここからは私一人で頑張らなくちゃ。
「じゃあ・・・逃げることで迷惑掛けちゃうかもしれないけど・・・その時はごめんなさい。それじゃあ私、行くね」
「・・・・・・」
「あの、短い間だったけど、色々教えてくれてありがとう。牢の中で言うのも変だけど、元気でね!」
そうして、再びくるりとエラルドに背を向けた。
仕方がない。ここは、向こう側に落ちる前に、どうにか一人で方向転換をしよう。
そう思って、顔や上半身を窓から出す。腹筋に力を入れて、足も出そうと浮かせた瞬間、ぐいと左足を引っ張られた。
「っわ・・・!」
予想外のことに、力を入れて踏ん張ることもできず、そのまま牢の中に引き戻される。
「何する・・・!」
「危ないから。そのまま頭から落ちるよ」
「知ってるけど、そんなこと言ったって!」
「手伝うよ。肩くらいなら貸すし。一緒に逃げよう」
「・・・・・・え?」
「まあ、一人でここにいても意味ないし。行ってもいいよ」
「え?」
そう言って伸びをして、腕を回し始めるエラルド。
なぜ突然心変わりしたのか分からないけど。
「迷惑じゃない?」
「じゃないじゃない」
味方ができたみたいで、なんだか嬉しくて、ありがとう、と頭を下げた。
ふと窓の外を見ると、黒ばかりだった暗闇に、白い色が混ざってきた。
夜が明けてきたんだ。
まずい、明るくなれば逃げるのが難しくなる。
「い、急がなきゃ」
「ちょっと待ちなってば」
そう言って、立って歩き出そうとした私の首根っこを掴んでまた引き戻す。勢いが良すぎて、思わず尻餅をついてしまった。
ちょっと、猫じゃないんですけど!
むっとして振り返ってみれば、明かりがさしてぼんやりと見渡せるようになった牢屋の中、初めて黒以外の色を見つけた。
金だ。白っぽい金。ううん、金が混ざった白?それが、エラルドの髪。
視線を下ろしていくと、エラルドの顔が初めてはっきりと見えた。
「・・・イケメンだ」
「は?」
「あ、いやいやいやこっちの話。ねえ、早く行かないと」
「分かってるよ。でも、ここから落ちて、どこへ行けばいいか分かる?」
「そ、それは・・・・・・」
「ほらね」
「分からないけど、だけど、ここからとにかく離れていけばいいんじゃないかと思って」
「まあ、確かにそうだね。悪くない。とりあえず、着地したら右に向かうよ。しばらく行けば、城壁に隠し穴がある。そこから、うまくいけば外に出られると思う」
言いながら、エラルドもそこで初めて窓の外を確認し始めた。辺りを見回してから、頭を窓から引き抜く。
城壁、そうか、ここはまだお城の敷地内なんだ。
城壁の出口を見つけないことには、逃げる事なんてできないんだ。
「そうなんだ・・・。で、でもよく知ってるね」
「まあ、ちょっとね。じゃあ、行こう。途中までの道案内は俺がするよ」
「あ、ありがとう」
そこまで話すと、ふと、エラルドの顔が真面目になった。
「・・・途中で何があっても、俺がもし離れたときも、自分が生き延びることだけを考えること。約束できるね?」
「わ、分かった」
そうだ、私、すごく危ないことをしようとしているんだよね。
一人じゃないし、エラルドがいるからってあまり安心しないで、気を引き締めなきゃいけない。
私が頷くのを確認すると、腕を引っ張って起こしてくれた。
私はもう一度窓に向かう。
さあ、脱出だ。




