32
「フルール」
「・・・なあに、お兄様」
王子に声をかけられて、首元から腕が解かれた。
フルール様、目元が赤い。泣いて無事を喜んでくれるなんて、やっぱりきっと、優しい子なんだろう。
「俺たちがここに来たことは、誰に聞いた?」
「・・・え?」
小さな少女に向けるには、王子のそれは少しばかり強い口調。
見上げれば、王子が難しい顔をしてフルール様を見つめていた。
立ったままだから、背の高い王子に言われて、フルール様は威圧感を感じていそう。
それとも、二人が兄妹であってこれが日常なのだとしたら、そんなに気にならないのかな。
「俺は、ここに来ていることを誰にも言っていない。・・・エラルド」
「もちろん、僕も言ってないよ」
「だろうな。・・・俺たちは誰にも言っていないのに、ここに来ていることをお前が知っているのはおかしいと思わないか」
「え、で、でも・・・」
二人にそう言われて、フルールは困ったように眉をハの字にして、落ち着かなく視線を彷徨わせる。
口を開いて何か言おうとしているみたいだけれど、言っていいのか悪いのか迷っている様子に見える。何でもはっきりと物を言いそうなフルール様なのに、言いあぐねるなんてどうしたんだろう。
「あ、あのね・・・」
「僕だよ」
「!?」
突然入ってきた知らない声。
声の出どころは、近くじゃなくて・・・もっと遠くの。
声のした方、扉を急いで振り返れば、いつからいたのか、知らない青年が立っていた。
「だ・・・誰?」
聞いたことのない第三者の声に驚いて、つい隣に立っていたエラルドの服を掴む。
と同時にある一方からの視線が厳しくなったので、慌てて手を離した。
それと共に、くすくす、と笑う声が頭上から聞こえる。エラルドが笑ってる。さっきから本当、笑ってばかりだと思う。
手を離してしまったことで、ちょっと心が落ち着かない。そわそわが止まらなくて不安が大きくなりそうだったから、無意識に何か掴むものを探して、結局自分の胸元を握りしめた。
・・・誰だろう。知らない人だ。
この人は・・・味方なのかそうでないのか。
にこやかな表情をしていて一見柔和な人に見えるけれど、まだいい人と決めつけることはできない。
王子も、青年も、見つめ合ったまま何も言わない。これは何の間ですか。
痺れを切らして、もう自分で聞いてしまえ!と口を開いたその時。
「そんなに警戒しなくてもいいのに」
そう言って、青年がにこりと笑った。
「お前」
「ええ、僕ですよ。・・・そんな怖い顔しないでくださいよ、兄さん」
兄さん。兄さんって・・・、ということは、王子の、弟?じゃあ、フルール様のお兄さん?
王子の兄弟はフルール様だけかと思ったけど・・・そうだよね、王族ってことは、たくさん兄弟がいるイメージがあるし。
ただ、この二人はあんまり・・・似てないように見えるけれど。
王子を見上げる。
私のところからは背中しか見えないけれど、どうやら王子は怖い顔をしているらしい。その、弟さん相手に。
結局この人、どういう人なの?悪い人?
胸元をこれまで以上にぎゅっと強く握った。
「なぜ知っている?」
「それはもちろん、可愛いお嬢さんに引き寄せられて・・・だから兄さん、怖いですってば」
「真面目に答えろ」
王子の声が固い。
青年は肩をすくめて、ふっと息を吐いてみせた。少し、わざとらしい。
「・・・先日、フルールがいなくなって、帰ってきた日。兄さんが大きめの布を抱えて帰ってきましたよね。ちょうど階段のところで見ていたんです」
「・・・・・・」
そう、あの日。
念のため、と、大きい生成りの布を被らされた。体がほぼ全部隠れるくらいの大きな布を。そして・・・足が痛くて動けない布にまかれた私を、王子が抱えて城に入った。この人の言う、大きめの布っていうのは、私のことだ。
見られていたんだ。
・・・でも。
「・・・その時、この部屋までつけてきたのか?」
「いや、追いかけようと思ったけれど、そうしたら絶対兄さん気づくでしょう?その時はやめましたよ」
「・・・」
「数日前、庭を歩いていたら、上方の部屋からカーテンがはためくのが見えたんです。よく見れば、見知らぬ女性がバルコニーに肘をついて外を眺めている」
そこで、王子からじろりと視線が向けられた。
口は動いてないのに、犯人はお前か、と言われている気がする。
ああ、そうですとも。数日前、バルコニーから空を見ていましたとも。
すぐに引っ込んだんだけど・・・その時、かな。短い間だったのに。
「気になってね。でも、その後何度か同じ場所に行ってみたけれど、もう見ることはできない。誰に聞いてもそんな女性は知らないと言う。これはむしろ怪しいでしょ?」
「・・・・・・」
「この前の、布に覆われたものは人なのかもしれない。そのことに思い至って、何か関係があるんじゃないかと考えたんだ」
「・・・今日のことは?」
「今日?」
「なぜ俺たちがここにいると」
「そんなこと。部屋だけは僕も知っているからね。この前女性をこの目で見たんだし。この周りは使われていない部屋ばかり。その方角へ向かって、兄さんとエラルドが連れだって歩いていくとすれば、その女性のもとへと向かうとすぐ結びつくでしょう?」
そこまで言ってから、青年が視線をゆっくりと私に向ける。
茶色がかった金色の髪に、青の目。体格はひょろひょろしていて、優男のような感じだけど、なんだか緊張する。王子だから、偉い人だからかな。
そう思って言うと、は、と息をつく声が聞こえた。
青年としっかりと視線を合わせる前に、ため息の落とし主に、逃げるように視線を移す。
「俺としたことが、迂闊だったな」
「そんなことないですよ。たまたま、僕が見ていただけですから。抱えて入城するところと、バルコニーの女性とね」
「だが、たまたまであろうと、見られたこと、知られたことは事実だろう?」
「まあまあ、知ったのが僕で良かったじゃないですか。・・・ねえ兄さん、そろそろ、紹介してくださってもいいでしょう?」
そう言って、こちらを手のひらで示す。紹介って・・・私の事?
突然自分を話に出されて、心臓が一つ跳ねた。
結局、何?大丈夫?大丈夫なんだよね?この人、悪い人じゃないんだよね?
そんな思いを込めて、すがるように王子の背中をじっと見つめていると、王子がふと振り返った。
目が合って、王子がゆっくりと頷く。・・・顔は、どうしてか笑ってないけど。
「千歳」
「は、はい!」
「・・・口調が変わったな」
「い、いや・・・何となく、だけど・・・」
そういえば、今更だけど、私、王子と普通に話していた。王子なんだから、敬語を遣わなきゃいけないんだよね。
でも、誰にも、もちろん当人の王子にもそれについて咎められてないし、このままで良いんだろうか・・・。
「フルールが先日城下に行った時の話は聞いているだろう。・・・千歳はその際に、ウォーレスからフルールを身を挺して守っていた。だが怪我をしてしまってな。フルールの恩人でもある。だから怪我が治るまで客人として過ごしてもらうことにした」
なあ、と同意を求められる。
あれ、怪我って襲われたときに負ったわけじゃないんだけど・・・。でも、そうか、そうしたほうが色々と都合がいいのか。嘘も方便というしね。
私は王子の言葉に力強く頷く。
「それで、こっちが」
「兄さん、僕のことは自分で自己紹介しますよ」
王子が青年の事を紹介しようとする言葉を遮って、青年が改めて私のほうに向きなおる。
王子の弟みたいだし、顔は笑ってるけど、・・・やっぱりまだ信用できない。
良い人、悪い人、どちらか見極めたくて、じ、と青年を見つめる。
「・・・そんなに見つめられると照れますね」
「・・・・・・」
「僕は、兄さんの弟・・・っていうのは変ですね。この国の第二王子、ルークセディル。ルークスで良いよ。遠くで見た時にも可愛らしいと思ったけれど、近くで見たほうがやっぱりこんなに素敵だった」
「・・・ええと・・・」
弟、さん。
ちらりと王子を見るけれど表情に変化はない。きっと青年・・・ルークス、の言っていること、第二王子というのは嘘じゃないんだろう。・・・最後の葉に浮くようなセリフはスルーだ。
王子が止めようとする素振りもないし、それなら警戒しなくても大丈夫かな。
胸元を強く握りしめていた手を、そっと解く。
「お嬢さんの名前を聞かせていただける?」
「え?でも、さっき王子が・・・」
「君の口から聞きたいんだ」
「・・・ち、千歳、です」
「千歳。この辺りではあまり聞かない名だね」
「あ、あの、生まれはこの国じゃないから・・・」
「そう。千歳、ね。可愛い名前」
「・・・・・・」
可愛いとか。さっきから何なんだろう。こんな言葉を面と向かって言われたことなんてないから、反応に困って視線が泳いでしまう。
そうして、はっと気がつくと、いつの間にか目の前に迫ったルークスが、先程胸元を離したばかりの私の手を取っていた。
「それじゃあ、お近づきの印に」
青年の、顔の、唇が、手の甲に触れそうになる。
驚いて引っ込めようとした手を引かれ、今度は頬に息がかかる――――――。
「ひ、」
「あ」
前者は息を吸い込んだ私の声。後者は王子の呆けた声。
その直後。
悲鳴と共に、バチィン、と気持ちが良いほどの派手な音が部屋に響き渡った。




