30
「も、もうだめ・・・!ぷ、はは、あっはっはっは!」
エラルドの笑い転げる声が部屋に響き渡る。
頭突きを食らわしておいて何だけど、予想外の攻撃によろけた馬鹿王子。踏ん張ろうとはしていたみたいだけれど。
そこに、勢いが止まらなくて痛みのない左足一本に体重をかけたけれど持ちこたえられずバランスを崩した私が結果的に体当たりし・・・押し倒しました。
通常なら、「きゃっ、王子さまを押し倒しちゃったわ!」「これはこれは大胆なお姫さまだ」なーんてドキドキシチュエーションなのかもしれないけれど、そんな甘い空気は私たちの間にはもちろん流れなかった。
倒れてしまって、男なら女の子一人の体重くらい支えてよ、なんて思ってしまったんだけど、私の怪我に響かないようになのか、恐らく庇いながら尻餅をついてくれたので何も言わなかった。いや、むしろお礼を言うところなんだろうけど。
・・・でも失礼なことを言われて・・・、まあ、だからと言って頭突きをして良いかと言われればそうじゃないけれど、でも素直に自分から謝りたくないのが正直なところ。
それに、向こうも、謝るような様子もないし。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
そのせいで、至近距離でずっとにらみ合いが続いています。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・謝れ」
「あんたがまず謝れ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
自分で女だとぎゃんぎゃんわめく割に、叩いて喚いて頭突きまで。自分から女から遠ざかるようなことをしてばかりじゃないか、とかなんとかぶつぶつ呟いている。
おーい、聞こえてますよ。こんなに近いんだから聞こえない方がおかしいでしょうが。
・・・ん?ということは聞こえるようにわざと言ってる?うわ、性格悪い。もう一発くれてやろうか。そう思ったとき。
「・・・それなら、18の女らしい振る舞いをしたらどうだ」
ぼそりと聞こえた。
・・・けんかを売ってるの。睨み付けようとパッと顔を上げると、眉根を寄せてため息をついている王子の顔があった。
「・・・・・・確かに、少しは言い方が悪かった、かもしれない」
「・・・・・・」
「顔立ちが少し違う。どうしても幼く見えるのは仕方がないだろう」
「・・・それはまあ、そうかもしれないけど、でも」
「女は好かんが、女に見えてほしいのなら、それなりの振る舞いを考えろよ。そうしたら、そう見てやらんこともない」
なんでそんな言われ方されなきゃいけないんだ、とか、十分18歳の女の子の振る舞いをしているでしょうよ、とか、言いたいことはたくさんあったけれど。
まあ、悪かった、と認めてくれたことだし。・・・顔立ちのこととかは、一理、あるのかもしれないし。
「・・・分かったわよ」
にらみ合いが始まってかなりの時間が経っていて、さすがの私も、これ以上にらみ合いを続けるのは時間の無駄遣いも甚だしいと思っていたところだったから。
この話はもう終わりにした方がいいだろう。そう思って、頷いた。
「・・・私も、その、頭突きして、悪かったわよ」
「そうだな。反省して、もうしないでくれ」
「・・・・・・じゃあ、そうさせるようなこと言わないでください」
私のその言葉には、片眉をあげて答えた王子。分かってるのか分かってないのか。
言いたいことはあったけど、私ももうそれ以上は何も言わず。
私が何も話さないのを認めて、ようやく王子は話の続きを口にし始めた。
「以前、この国では、黒は高貴な色の一つとされていると言っただろう?」
「・・・・・・」
「ウォーレスに襲われた後だ。覚えていないか」
「・・・確か、王族・・・からしか生まれない、とか」
不思議な話だ、と驚いた記憶がある。
黒髪は日本で当たり前だったから、そんなに変わっているのか、って。
「そうだ。その時、王位継承権にさほど関わるわけではない、と言ったことは?」
「お、覚えてる」
「それは間違いじゃない。だが、黒は高貴な色とされている。だからこそ、黒い髪を持つお前と婚約すると言ったところで、表だって反対されることはないはずだ」
「・・・・・・」
「フルールのように、神に祝福された娘が舞い降りた、とでも言われるかもしれないな」
「・・・・・・」
「・・・千歳?」
「あ、うん、え、と、ちょっと待って」
ごめん、話を聞いてすぐに整理できていない。
え、なに?私が『神様に祝福された娘』?ただ黒髪なだけで?
・・・だめだ、なんだか実感を伴って聞くことができない。
それに・・・歴史の勉強の中で、王族にとっての結婚は、政略と同義と聞いたことがある。
王族は力のある国や貴族と婚姻関係を結ぶことで、国の力をさらに膨大にしていく。それを、嫌だという個人的な感情でどうこうできるのだろうか。
私は、異世界からやって来た。私は力なんて持ってない。この王子が私と婚姻を結ぶ、なんて言っても、いくら黒髪だとはいえ権力をこれっぽっちも持っていない私なんて相手にされない気がするんだけど。
そんなに黒髪ってすごいことなの?権力よりも?
・・・ああ分からない。
エラルドを見るけれど、エラルドは苦笑したままこちらを見ているだけ。口を挟むつもりはないらしい。
「・・・た、例えばもし、よ。あんたの兄弟がすごく力を持った人の娘さんと結婚したら、そっちに権力が集まっちゃって、あんたがこの国を継げなくなっちゃったりしないの?」
そう、さっき王子は『何事も起きなければ、次の王位の座は俺が即く』と言っていた。
でも兄弟のほうが総合的に見て、権力がもっているとなれば、話は変わってくるんじゃないの?
この王子と力のある兄弟とに派閥が分かれて、何か事が起きることだって考えられるよね。それは、心配じゃないの。
「願ったり叶ったりだな」
「・・・え?」
「いや・・・そんなのはどうにでもなる。・・・他に聞きたいことは」
「え?ええと・・・」
なんかはぐらかされたような・・・気もするけど。
「・・・さっき、私が日本に帰れるように協力するって言ったよね。どういうこと?私、帰っちゃって良いの?」
まあ、良いなら良いんだけど。むしろだめって言われても帰るけど。でも・・・だって、なんか・・・。
「なんか、私の利点の方が大きすぎない?」
だってそうでしょ。私がこの王子の、まあ、婚約者、になったとしよう。もちろん仮よ、仮。
・・・私は日本に帰れる方法を王子に見つけてもらって、見つかり次第帰って良いらしい。
王子は確かに一時的にお見合い話が少なくなるかもしれない、だけどメリットはそれだけだ。私が帰る方法を手間をかけて探さなきゃいけない、帰る方法が見つかれば私はその時点で帰ってしまうから、そうすればまたお見合い話は増えるだろう。・・・ううん、もしかしたら、婚約者に逃げられたと良くない噂が立つかもしれない。そうすれば王位を継ぐのに悪影響が出るんじゃないのかな。
さっきははぐらかされたけど、兄弟が本当にそれなりの権力を持つ人と結婚して勢いをつければ。
王子はどうにでもなると言っていたけど、たとえ私が帰らなくたって王位を継ぐのに何かしらの影響が出るはず。
黒を重要視するらしいこの国だって、その『色』がどの程度の位置に座しているかは分からないけれど、権力を全く抜きにして物事を判断するなんてことはしないはずだ・・・と思うんだけど。
ああ、この国の仕組みが分からないことがもどかしい。
でも、それにしたって、私のメリット、王子のデメリットが大きすぎるような気がするのよ。
何か、他にも理由があるんじゃないの?何か隠してない?
「ねえ、何考えてるの」
じっと王子を見つめる。王子はしばらく黙って見つめ返していたけれど、一つため息をついた後、ようやく口を開いた。
「頭が良いのか悪いのか・・・」
「・・・・・・」
「・・・まあ、確かに他にも理由はあるさ。だが、ここでは言わん。言いふらさないとは思うが、出会ったばかりのおまえに対して全てを打ち明けるほど、俺は楽天家じゃない」
「・・・それは・・・そうかもしれないけど」
「おまえは事を簡単に考えているから、自分の利点の方が大きいと感じるんだろう。俺の婚約者になるということはおまえが考えるよりも遥かに大変だと思うぞ。色々な制約が出てくる。自由なんてまるでない。国にいずれ帰るとしても、当然この国について勉強もしなければいけないし、周囲にそれを悟らせないためにも、どの人間にも気を許すことなどできない」
「・・・・・・」
「・・・それに、いくら厳重警備を強いていようと、ここは完全に安全な場所だとは言い切ることはできない。どこで盗聴されているか、どこに刺客や暗殺者が潜んでいるか分からない」
「し、刺客?暗殺者って・・・そんな」
「ここはそういう場所だ。命をかけてもらうことになる」
「・・・・・・」
「だからこそ、国へ帰る道筋を見つけたら俺に構わず即帰って良い。俺もまあ、他にも理由はあるが、見合い話のない一時の平安を謳歌できればとりあえずはそれでいいと思っている。だから、おまえが帰った後の俺の心配をすることはない。・・・どうだ?危険も伴うが、おまえにとっても悪いばかりの話ではないと思うが」
どうだと言われても・・・。何となくは分かったけど、でも。
日本に帰れるかもしれない、けど、よく物語とかで、王子の婚約者がいじめられたり殺されそうになったりするけど、もしかしたらそれが実際に我が身に降りかかったりするかも、ってことだよね。
「・・・今すぐに決めたほうがいいんだよね?」
「早いに越したことはないが。だが悩む必要があるか?おまえは国へ帰りたいんだろう?」
「帰りたい、けど!でも、命がかかってる、なんて聞いたら少しは考えるでしょうよ」
帰る方法が分かっても自分の命をなくしたら帰る以前の問題でしょう。
私の言葉に、ふむ、と考え込んだ王子。そうしてすぐに顔を上げた。
「おまえは今、俺の客人として迎え入れている。フルールを助けようとしてくれた礼だ。まあ、話を聞こうとしなかったことの詫びもあるが」
「・・・・・・」
「怪我のこともある。体の打撲に、足首。足首は、捻挫か骨折か。医者は骨折の線が強いような話をしていた。もし本当に骨に異常があるとすれば、完治するまでかなりの期間を要するだろうな。その場合、最低でも一月はみておいたほうが良いだろう」
「・・・え、そんなに・・・?」
鳥肌が立った。怪我って、そ、そんなにひどいの?
思わず足に視線をやるも、ドレスに隠れて見えない。
「完治するまで待ってやる」
「・・・え?」
「医者が完治した、と判断したその日に俺に答えを寄越せ」
たった今、最低でも一月くらいかかるって言ってなかった? 急いでいたんじゃないの? 王子はすぐに見合い話がなくならなくても良いの? いや、いやいやいや、早く答えを言いたいとかそういうんじゃないんだけど。
「早いに越したことはないが・・・完治する前に婚約すれば、もし刺客が送り込まれた場合、怪我を負っているおまえは逃げられないだろう。簡単に命を落としかねん」
「・・・・・・うわ、確かにそうですね。引き受けた場合の話だけどね。言いたいことは分かったわ。一応私のことを案じてくれてるってことでしょ?優しいところもある・・・」
「せっかく手間を掛けて帰す方法を探してやるんだ。それなりには役に立ってもらわないと困る」
「・・・・・・」
「だから早く治せよ」
「・・・・・・」
心配してくれたわけじゃないんですか。
ちょっとだけ、ちょびーっとだけ見直した私が馬鹿でしたよ。
「ちなみに・・・否、の返事を出したときにはどうなるの?」
「さあな」
「さあなって・・・」
「ここまで俺がさらけ出してやったんだ、その秘密を抱えたままこの世界で安穏な生活ができるとは思わない方が良いだろうな」
「・・・・・・」
「なあ、王族に対して口も態度もなかなか達者なお嬢さん?」
18才だもんな、意味が分からないほど子どもじゃないよなあ、と憎ったらしく嫌みも混ぜて口にする。
・・・暗に、不敬罪だと罪に問うことだってできるんだってこと言ってるんでしょ。それくらい分かるわよ、馬鹿にしないで。
・・・脅すなんて、なんて嫌な奴。この王子は選択肢を与えているようで与えていない。もとから否という選択肢なんてなかったのね。取引なんて言った口はどの口だ。
にやりと笑ったその顔が憎たらしい。今すぐ刻んだ大量の玉葱をぶっかけて表情を崩してやりたい。私の人生、他人のあんたがそんな簡単に左右できると思うな。
とは言っても、日本に帰る方法を一人でなんて、きっと探せない。
好きでもない男と結婚して命の危険にさらされながら、日本に帰ることができる可能性が少しでもあるほうにかけるか。だけど、この場合、帰る方法が見つからなかったら最悪、仮であってもこの男と生涯を共にしなきゃいけないということだよね。それは・・・嫌だ。
でもそうでないのなら、日本は諦めて、この国で生きていく覚悟を決めなければいけないということ。
「・・・・・・」
私・・・後悔は、したくないんだよ。
この王子との結婚は嫌だ。でも、後で、諦めなければよかったって、思うことなんてしたくない。絶対。
取引に応じて、結果どうなるかはなってみなくちゃわからない。でも、諦めたくない、その気持ちだけははっきりしてる。
それなのに、でもやっぱり「結婚」なんて・・・と、どうしても踏ん切りがつかない。
「まだ時間はあるんだ。自分がどうしたいか、どうしたほうが自分のためか、よく考えるんだな」
「・・・・・・」
ちら、と王子の顔を見る。
「・・・・・・」
この顔は、絶対引き受けるだろうって思ってる顔だ。
・・・・・・なんか、悔しい。このまま取引に応じるのが、すごく悔しい。きっと、引き受けることになるだろうことが自分で分かっているからこそ、ものすごく悔しい。
何か言い返したい、そう思って口を開いたその時。
「ところで」
今まで傍観を決め込んでいたエラルドが突然会話に入ってきた。
「何?」
「何だ?」
図らずも王子と問いがは重なった。顔を見合わせる。
お互いにきっと思ってることは一緒。『なんで言葉を重ねてくるんだ』って。
「仲が良いのか悪いのか分からないけど」
「は?」
「何を」
何が言いたいの。
「今人が来たら、千歳が取引に了承してようがしてまいが、そういう意味合いで受け取るんじゃないかなあ」
「はっ?」
もう一度顔を見合わせる。そして、ああ、と気づく。
「千歳がロイに迫ってるのか、ロイが千歳を抱きとめてるのか」
「・・・・・・」
「この場面見られたら、さすがの僕もごまかしてあげられないと思うよ」
距離が近いってこと?
だってしょうがないじゃない。私、足が痛くて起き上がれないんだもん。
それにどうせ、誰もこの部屋に来ないでしょ。
なんて、突っ込もうとしたとき。
「お兄さま―――――――!!!」
「ほらね」
扉から聞こえた大絶叫。
ほらね、なんて笑ってる場合じゃないから!!!




