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ええ、どうして?どうしてエラルドがここに?しかも、着ている服も小綺麗になってるし。
それに・・・なんでそんなに爆笑してるの?
王子を見上げれば、王子はエラルドから視線を外して、今度はしっかりとこちらを向いていた。
もう見慣れた、呆れた表情付きで。
・・・あれ、私、なんかした?
「・・・おまえ、さっきから何してるんだ」
「え、え?」
「今何しようとした?」
「え?あ、ええと、耳が赤いからやっぱり熱があるのかなあと」
「・・・・・・おまえは今、何か危険な雰囲気だと察したから、警戒して俺の後ろに隠れたんじゃないのか」
「う、うん、そうだけど」
「・・・・・・阿呆」
「あほ、え、何で!?」
「そんな緊迫した空気の中どうして俺の耳を触るっていう行動に移れるんだ。どうせ気づいたら手が伸びていた、とかそういう理由だろう」
「え?ええっと・・・う、うん」
「もしあいつが敵で、俺がおまえが触った耳に注意を向けた一瞬の隙に切り込まれたらどうするんだ。少しは考えろ!」
突然怒鳴られて、ひえっと思わず目をつぶる。びっくりしすぎて、ちょびっとだけ涙がにじむ。
恐る恐る、片目だけそっと開けてみれば、目の前には予想通り目をつり上げた王子の顔が。
「そ、・・・そうだけど、そん、そんなに怒ることないじゃない!」
「下手すれば命がかかることだ。間抜けもたいがいにしろ!」
「だ、・・・・・・だって」
・・・だって気になったんだもん。
でも、王子の言うことは、間違いじゃない。そうだよね、ウォーレスとか、そういう人がいるってことは、この世界は日本のように安全ではないってことだ。
確かに、今のは私が悪かった。ここは日本じゃなくて、そんなことも起こるらしい危険な国。気を引き締めないといけないのは、十分分かった。
言うとおりにするのは何だとなくしゃくだけど・・・今回ばかりはしっかりと反省します。
これからは、気をつける。
「・・・ごめんなさい」
「以後気をつけろ」
「が、頑張ります」
断言はできないけど、頑張ります。
へらりと笑ってそう答えれば、王子はまた軽くため息をつき、こめかみを指で押さえる。
それがおかしかったのか、またエラルドは声を出して笑った。
「ってことは何?エラルドは私の見張り役で・・・牢屋に入ってたのは、罪を犯してたからじゃなく?」
リリーティアが新しくもってきてくれた紅茶とスコーンが乗ったテーブルを、私と、王子と、エラルドが囲んで座っている。
二人に言いたいこと、聞きたいことは山のようにあった。
山のようにたくさんありすぎて、何から聞けばいいのか分からないくらい。
でも、とりあえずは。
「どうしてエラルド、ここにいるの」
これからでしょ。
さあ、答えてもらいましょう!しかも、どうして脱獄犯と王子が普通に並んで座ってられるのかを!
痛みのないほうの膝をばしんと叩き、さあ、さあ!と上半身を倒して詰め寄る真似をすれば、王子がひょいと片眉を上げた。
そして、ちらりとエラルドを見やる。
「エラルド」
「何?」
「話してなかったのか」
「だって、話すタイミングなかったし」
「まあ・・・それもそうか」
エラルドの言葉に頷いて、私へと向き直る。
「エラルドは俺の側近だ」
「そっきん・・・・・・側近?」
「そう、側近。千歳、一応・・・側近って言うのはね、王子とか、そういう・・・何て言えばいいかな。高い立場にいる人の補佐を務める人のことだよ。従者、とも言うかな。それが、側近。分かる?」
「う、うん」
それなら良かった、とエラルドが笑う。
その顔を見ながら、ああ、やっぱりなんだか安心するなあと思う。
「・・・お前の世界には側近はいないのか」
「・・・・・・会社とか偉い人の近くにはいるんだろうな、とは思うけど。とりあえず、私の今までの人生の中ではそんな言葉、一回も使ったことないわ」
「かいしゃ?」
「会社、ええと、・・・説明しづらいなあ」
自分にとっては当たり前にあって、でもその世界に当たり前にはないものを、一から説明するのは難しい。
そのことをひしひしと感じながら、相手も分かるだろう言葉を使って、どうにかこうにか伝えようとする。
これから、この世界にとどまるうちは、こうやって説明することが何度もあるんだろう。
今まで、特に深く考えたこともなかった言葉ばかり。改めて考えると、今まで意味やそのもののことをよく分からずに使っていた言葉が結構あることに気がつく。
毎日毎日受験勉強をして、知識を身に付けていたつもりになっていたけれど。
もちろん、それも自分のためにはなっていたけれど、もっと深い部分では、日々の生活をただ流していただけなのかもしれないと思う。
「もったいなかったかも、なあ・・・」
はあ、と思わず息を落としてしまう。
ふと、名前を呼ばれたような気がして、いつの間にか俯いていた顔を上げれば、エラルドと王子二人、私の方を見ていた。
「どうかした?」
「今、もったいなかったって言ったでしょ。何が?」
「・・・あれ、声に出てた?」
ああ、やっぱり私、口と頭の中は素直につながっているらしい。
思ったことが知らず口からぽんぽん出るなんて。確かに王子の言うとおりだ。気をつけなきゃ。
視界の隅で、思った通り呆れた表情で何か言いたそうな王子の顔が見えたけれど、見なかったことにする。
「いや、何て言うか・・・。私、日本で過ごしてたのに、言葉一つ一つ、ちゃんと分かって生活できてなかったんだなあって」
「・・・ああ、だから、もっとちゃんと考えて生活してれば良かったのに、って?」
「うん・・・まあ、そんな感じ、かなあ・・・」
気持ちが複雑で、上手くは言えないけれど・・・。
そうは思いたくない、でも、そうなのかもしれない。自分で今までの日々を否定しそうになって、思わず唇をゆがめた。
「でも、無駄に過ごしてきたわけではないんだろう?」
「・・・え?」
「これまでいたずらに時を過ごしてきたのなら、それほど自分の国に、・・・二ホン、と言ったか?その国に、愛着をもつことはないだろう?」
「・・・・・・」
「これまでの日々があるからこそ帰りたいと泣きわめいて叫んでいたんじゃないのか?」
「・・・・・・」
真顔で見つめてくる王子を、ぽかんと見つめる。
「当たり前にある言葉の意味を一つ一つ考えていたら、思考も会話も停止してしまいやすい。もちろん自分に必要な言葉は理解しておく必要はあるが、先程の会社、という言葉の意味を聞くばかりではこれまでお前にとっては必要性は薄いものだったんだろう?他の言葉もそうだ。なら、大体の意味を把握していればいいんじゃないか」
「・・・・・・そ、そうかな」
「これまで無駄ではなかった。だが、まあ、言葉を知ることで生活をより豊かにすることができるかもしれない。色々な生き方がある。そう考える生き方もある、ということだ。それで、いいんじゃないか」
馬鹿とか失礼な言葉ばかりを並べる王子からそんな言葉を聞くとは思わず、驚いてしまった。
相変わらず何を考えているのか分からない、無表情の王子。でも、これは、・・・慰めてくれてるのかな。
そう、そうだよね。これまで、何も考えずに過ごしてきたわけじゃない。
今までだって、精一杯生きてきたんだ。
「・・・帰りたい・・・」
今帰ったら、今までとは違う生き方ができるような気がする。
これまでの思いとは別の理由で、帰りたい、と思う。帰ったら、きっともっと日本とか、あの世界のことを知って、好きになることができると思うんだ。
「帰りたいか」
「そ、そりゃあもちろん!」
「・・・どうしても?どんなことをしても、か?」
「帰りたい。だって・・・だって、私の国だもの!」
今更だよ。これまで何度も何度もそう言ってきたじゃない。
それに今、王子に言われた言葉で、帰りたいっていう思いはいっそう強くなったのだし。
どんなことをしたって、誰に止められたって、絶対に帰ってみせるんだから。そう思いながら王子を強く見返す。
「・・・そうか」
私の言葉に、何かを考えていた様子の王子が少し時間を置いた後小さく頷いて、エラルドを見た。エラルドはというと、部屋をぐるりと見回してから、王子に頷きを一つ返す。
え、何?その、リアクション。何を二人で通じ合っちゃってるの?
首をかしげてその様子を見ていると、王子が私にゆるりと視線を戻した。
その強い視線に、思わずぶるりとして、姿勢を正す。
なんだか、変な感じがする。何かまずい予感・・・というような。冷や汗が、つ、と流れる。
そんな私の目の前で、王子がにやりと笑った。王子様もそんな笑い方するんですねなんてどこか冷静に考える中、王子は爆弾発言を落とした。
「俺と結婚するか」
「・・・はっ?」
帰りたいか聞かれて、たった今帰りたいって言ったんだけど。
・・・私の話、聞いてた?




