20
呆れた顔に、掴まれた腕。その力は決して強くはないけれど、それを振りほどいて逃げるほど、もう気力も体力も残っていない。
はあ、と溜息をつく。
「大体、お前は牢屋に入っていたはずじゃなかったか」
「・・・・・・そう、だけど」
ああ、もういいや。人間、あきらめが大事っていうしね。
逃げる気が全く起きない。だって、逃げたところで、逃げ切れるはずがない。
腰や足は痛いし、今目の前でこの人がウォーレスを倒した場面を見たばかりで、逃げたら私もウォーレスのようになるって分かりきってるんだもの。
逃げている最中だったことを思い出したばかりで、逃げなきゃってことしか頭になかったから、つい逃げようと立ってしまったけれど。冷静に考えてみれば、逃げ切れるなんて、これっぽっちも思えない。
地面にぺたんと座る。ああ、腰も足も楽だ。お尻が冷たいけど仕方ない。どうせまた座るんだったら、さっき無理して立たなきゃよかった。なんて、結果論だけど。
そうだ、エラルドはどうなったんだろう。助けに向かったはずだけど・・・大丈夫かな。
そういえば、さっき王子がウォーレスの仲間を捕まえたって言っていた気がする。
「エラルド、あの、エラルドっていう人が、何だっけ・・・ええと、イーニア様っていう人を助けに向かったんだけど・・・知って・・・る?」
「・・・・・・」
「あ、質問・・・。ごめんなさい、えと・・・牢屋は・・・」
あ、まずい。また質問されたのに質問で返しちゃった。しかも、考えなしに言っちゃったけど、エラルドも私と一緒に牢屋に閉じ込められていたんだった。一緒に脱獄した、なんて言ったら、エラルドに迷惑がかかっちゃう、よね。
おそるおそる王子の顔を見ると、王子は眉間に皺を寄せて、不機嫌そうな表情をしていた。
・・・機嫌を損ねちゃった?初めて会った時みたいに、また突然怒って剣とか向けてきたらどうしよう、と少し警戒して様子をうかがっていたけれど、眉間の皺はそのままに、予想に反して剣を触る様子はない。その上。
「知っている」
「そう、知って・・・知ってる?」
「知っている。イーニアは、先程救出したと連絡があった。エラルドも、まあ無事だろうな」
「あ、そ、そっか」
それなら良かった、って、あれ、脱獄とかエラルドとか、色々突っ込みどころとかあると思うんだけど、いいのかな。でも、まあ、無事ならいいか。
エラルドは無事、の言葉に、少し安心する。一緒に脱獄した仲だし、悪い人じゃないようだったし、何かあったら嫌だから。
馬に乗って颯爽と走っていったエラルドの背中を思い出す。・・・今更だけど、どうでもいいけど、この世界の人はみんな馬に乗れるんだろうか。王子はもちろん乗れるんだろうけど、エラルドの乗り方だって、なかなかきまっていたような気がする。ただのスリのはずなのに。
それに、王子に話をつけるって言ってくれたけど、王子に話をつけるなんて、ただのスリにできるんだろうか。でも嘘を言っているようには思えなかったんだよね。
エラルドって何者?本当にただのスリ?
エラルド、無事なら、今頃どこで何をやっているんだろう。もう一人で逃げちゃったんだろうか。約束通り、助けに来てくれたりとかしないかな。
ううん、でもただの口約束だし。何となく、エラルドは約束を守る人のような気はするけど、その助けが必要な今、ここにいないし。
・・・後で駆けつけてくれたとしても、エラルドが弁解するときには時既に遅し、ってこともあり得る。うん、かなりあり得るわ。
どうしようもない状況なのに、もうここまで来ると開き直って、むしろ気持ちは落ち着くらしい。自分でも驚くほど、のんきに構えていると思う。
この状況で、絶対良い方向に向かうはずはないと分かっているのだけど、今はそれに対して怖い気持ちは湧いてこない。もうどうにでもなれ、という感じ。きっと、どうあがいたって、なるようにしかならないんだから。どうやっても逃げられない今、そのいつか来るかもしれないチャンスを待って、いざその時に逃さないように準備しておくだけだ。
「もう一度聞くが、お前、牢屋からどうやって脱出した?鍵も閉まっていたし、逃げ場所はなかったはずだ」
その言葉を聞いて、既視感を覚える。『もう一度聞く』って言葉・・・そうだ、あの丘の上だ。それを思い出した瞬間、あの時に胸ぐらを掴まれていたことも思い出して、反射的に身を竦めるけれど、あの時のように手は飛んでこなかった。顔をあげれば、さっきまであった眉間の皺がとれ、真面目そうな、面倒くさそうな、何とも表現しづらい顔でこちらを見ている王子の顔がそこにあった。
何ですか、その顔。
「ま、窓から・・・」
「窓?」
「窓の格子の周りの石が、とれて。べ、別に私、怪力とかじゃないんだけど!ちょっと叩いたら、・・・落ちて。だから、そこから、その」
「・・・飛び降りたのか」
「・・・まあ」
「あんなに高いところから飛び降りて・・・よくこの程度の怪我で」
そう言いながら、王子は私の足の怪我に視線を移した。ちょっと、女の子の足をまじまじと見ないでください。なんだか恥ずかしくなって膝をスカートの中に隠していると、すぐ側でため息が聞こえた。何、と王子を見れば、呆れた顔をしている。分かってますって。変な意味で見たんじゃないのは分かってます、分かってますけど!
「それで、脱獄して?」
「え?」
「牢屋から出て、それからどうなったんだ」
「城壁から外に出て・・・・・・市場を抜けて、そこの裏路地を歩いていたら、フルール様が暴れ馬に乗って来たの。それを、エラルドが助けて。エラルドは、その、イーニア様たちを助けに行くから、私はフルール様と一緒にいてほしいって言われて、それで・・・私はフルール様と一緒に大通りに向かってたの。その途中で」
「ウォーレスに襲われたわけか」
「・・・そう」
「一応聞いておくが、お前、フルールをどうにかしようとしていたのではないのか?」
「どうにか?どうにかって?」
「フルールを人質に、王家に対して何か要求を突きつける、とかは考えなかったのか」
「人質?人質って・・・」
耳慣れない言葉に、どきっとする。
「それじゃ犯罪者じゃない」
「・・・・・・」
「王家に対して、その、人質?とか・・・そんな馬鹿なことするはずないでしょ。第一、フルール様が王女様っていうのは、ウォーレスの言葉を聞いて知ったんだし。それまでは、身なりはきれいだから、貴族のお嬢さんとかかなあなんて思ってたの。何が起こってるのかも分からないし、だからとにかくエラルドに言われたとおり大通りに行かなくちゃって思って」
「・・・だが、お前、脱獄したばかりだろう。王兵に捕まったときのこと考えなかったのか」
「そ、それは・・・」
だって、仕方ないじゃない。そんなのもちろん考えたけど、でも。
「だってフルール様、強がってたけど、手がすごく震えてたし。誰も一緒にいてあげられないみたいだったから、私が断れば、フルール様は一人になっちゃうもの。一人になんてしておけないし、まさかあんな小さい子、エラルドと一緒に危ないところに連れていくわけにいかないし・・・」
「だが、お前だって捕まれば、王家の墓への侵入罪に加えて脱獄の罪も追加される。それくらいは分かっているはずだ。下手すれば命にだって関わるかもしれないとは」
「考えた!考えたけど、だって、だって・・・」
私も、正直どうしてそこまでしてフルール様と一緒にいることを選んだのかは、自分でもよく分からない。震えていたから一緒にいなきゃと思ったのも本当、それに何かあったらと日本に戻ってから後悔して過ごさなきゃいけない、それが嫌だと思ったのも本当、でもそれは、今考えれば、命をかけるほどの理由じゃないように思う。
捕まったって大丈夫って安易に考えていた?そんなことない。そんなことはないんだけど・・・。どうしてかな、自分でもよく分からない。
「なんだか・・・一緒にいなきゃいけないような気がして・・・放っとけなかったんだもの。それ以外は、よく、分からない」
「・・・・・・」
「そ、そうだ。その、フルール様は?さっき、見ていたって言ったよね。じゃあ、大通りに向かって走っていったことは知ってるんでしょ?」
「フルールなら今頃部下が護衛をしているはずだ。城へ戻るよう言ってあるから、きっと向かっている頃だろう。心配はいらない」
「・・・そっか、それなら、よかった」
あの状況で、怖かっただろうに、それでも私を守ろうとしてくれた小さな王女様。意地っ張りで最初はどうなることかと思ったけど、でも、頑張ってかばってくれた。
無事で本当によかったと、胸をなで下ろした。
「お前、本当に・・・」
「何?」
「お人好しなのか、馬鹿なのか・・・いや、馬鹿なのか」
「・・・ちょっと、ああもう、黙っていようと思ったけど我慢できない。あの、馬鹿って何。さっきから本当に失礼なんですけど」
「失礼?事実を言っているだけだろう。この状況でよくフルールの心配ができるな。次の瞬間に、俺がお前を脱獄罪で切り捨てる可能性だってあるというのに」
「っ!そ、それは・・・困る、けど」
「困るどころじゃないだろう。余裕があるのか何なのか知らないが・・・。さっきだってそうだ。逃走した方が自分のためだろうに、逃げようともせず俺の怪我を手当てをするなど。まあ、逃走に関しては、すっかり頭から抜け落ちていたようだったが。だが命がかかってるんだ、忘れていいようなことでもないだろう」
淡々と話す王子。そうだよ、確かにそうかもしれない。
でも、私は逃走しないで怪我の手当てを優先したこと、後悔なんてしていない。もちろん、フルール様と一緒にいたことだって。
「余裕なんかないけど、で、でも、だって目の前の怪我した人がいたら手当てをしなきゃと思うでしょ」
「・・・殺されるかもしれないのに?馬鹿だろう」
「もう!だから馬鹿って言わないでよ!・・・だって、擦り傷どころじゃなかったじゃない!それなのにあんた、手当てをしなくていいって言うし、心配するでしょ」
「心配?」
「そうよ。何より、私を庇ってできた傷じゃない。置いて逃げられるわけがないでしょうが」
怪我をしている人がいたら手当てしようとする、そんな簡単なことどうして分からないの。そんな気持ちで王子を見つめる。
王子は、本当に怪訝そうに私の方を見ている。でも、私は間違ったことはしてないし言ってないから、そう負けじとその目を見つめ返した。それに対して、王子は何か言いかけて、でも結局何も言わないまま、口を閉じてしまった。
私から視線をそらして、顎に指を当てて何か考えているみたい。
何を考えてるんだろう。この状況で考えることと言えば・・・少しは私の言葉の意味、分かろうとしてくれているのかな。それとも・・・も、もしかして私の処分について?うわ、やめてよ、処分だなんて。でも王子が考えることはよく分からないから、そうじゃないとも言い切れない。
ちょっと口答えしたくらいで怒るような人じゃないよね、ねえ王子。丘の上で会ったときにはちょっと気が短すぎませんかなんて思ったけど、でもこの場所でさっきから話している限りは、それほど短気すぎるようには思えないもの。ああでも脱獄もしちゃってるからなあ、私。でも、脱獄だって、勝手に牢屋から出たのは謝るけど、何よりそっちが話も聞かずに牢屋に閉じ込めたのが悪いんでしょう。
処分・・・処分って、何されるんだろう。牢屋にまた閉じ込められるだけならまだ良い方だと思う。もしくは、国外追放とか。国外追放ならむしろこの世界追放で日本に帰してほしいんだけど、そんなうまい話は転がってくるはずがない。棒で叩かれるとかそういう、痛いのは本当にやめてほしい。私、何も悪さしませんから。口答えしちゃったことも、全然悪いとは思わないけど、一応謝りますから。もう口答えなんて多分しませんから。もう私のことなんて放っておいてください。
そこまで考えても、まだ王子は黙ったまま。ねえ、私、どうなるんですか。ねえ王子。ああ、ああもうだめ!
沈黙に耐えきれなくなって、ええい自分から聞いてしまえと口を開いたその時。
「お前、本当に墓荒らしか?」
王子がようやく口を開いた。
あれ、ここで振り出しに戻っちゃうの?だから違うんだってば!




