18
「こっちだ」
「え?」
後ろから複数人の足音が聞こえる。はっとして後ろを見ると、いつの間にか騎士らしき集団がすぐ後ろに立っていた。驚いた、いつの間にこんな近くに来たんだろう。
よく見れば、騎士たちの着ている服に見覚えがある。どこで会ったんだっけ?・・・ううん、考えるまでもないか。この世界に来て間もない私が接点をもった相手なんて限られている。会ったのは、あのお墓のある丘の上だ。
嫌な思い出が蘇ってくる。
私を囲んだ剣先。
頬を刺されたときの痛み。
・・・・・・そうだ、私、切られたんだった。
思わずあの時に切られたはずの左頬に手を当てる。そっと撫でてから、手のひらを見てみる。・・・ああ、よかった、血はついていない。そりゃそうだ、ずっと前なんだから。
触った感じ、傷があったとしても、そんなに深い傷ではなさそうだ。今の今まで忘れていたくらいなんだしね。
それに、エラルドだって、フルール様だって、私を見て何も言わなかったんだから、傷にもなっていないのかもしれない。神経質になるのはよそう。
そこまで考えてから、知らず下げていたらしい顔を上げると、一人の騎士と目が合った。私と同じくらい、十代くらいの・・・ううん、もしかしたらちょっと年下の?男の人。
「・・・・・・あ」
この人だ。私を切ったの。あの時、はっきりと顔を見たわけじゃない。でも、視界の端に映った怒りの相貌と、後ろで束ねた茶色の髪が風に吹かれて靡いていたのを覚えてる。間違いない。
相変わらず、怒っているような目つきでこちらを見ている。な、何よ、また私が気に入らないとか?でも私は、今は別に悪いことしてないんだからね。・・・あの丘の上でだって、何がこの人の気に触ったのかは知らないけど、私は何も悪いことをした覚えはないんだけど。
睨んだり刃物を取りだしたりとかしないで、言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに。なんて。
そんな気持ちが伝わってしまったのか、騎士の眉間の皺が一本増えた。つり目がちな目もさらにつり上がっていく。ひええ。
また切るの!?と思わず後ずさりをしようとした時、ちょうど王子がその人を含む騎士たちに指示を出してくれた。
王子、グッジョブ!グッドタイミング!とつい王子を振り返り、またすぐにその若い騎士に視線を戻すと、その人は未だに私を睨み付けていた。だから何、何が気に入らないの?
その人が一歩踏み出して近づく。何かされる?と一瞬ひやっとしたけれど、すぐに私に背を向けて、指示通り伸びているウォーレスを連れてあっという間に去っていった。
結局、なんだったんだろう。・・・でも王子の指示には本当に助かった。近づいてこようとしたり、あのままじゃ何されるか分からなくて、ずっとびくびくしていたから。
「あーよかった」
ふう、と息を吐き出す。まあ、助かってよかった、よかった。
生きた心地がしなかった。ようやく安心できる。そんな思いで思い切り伸びをしていると、ウォーレスの連れて行かれた先を見ていた王子が、私の方にゆっくりと振り向いた。
「・・・・・・お前」
「え?」
その顔には、呆れてます、としっかり書いてあるのが見える。あれ、何でですか。
「な、何ですか」
何か私、阿呆なことしましたか?エラルドとの約束通り、フルール様を守ろうと頑張ったつもりではあるんですが。
とは頭の中で言ってみるけれど、声に出してなんと言ったらいいのか分からずに、王子を見つめ返す。
黙って見つめていると、王子が私の前に膝をついた。
「っひ、や」
突然近くなった距離に、思わず両手で顔を覆う。自分でもこの行動にびっくりした。だって、これは考えてやったわけじゃない。反射だ。
さっきは王子がいい人に見えたけど、そうだよ、ちゃんと考えてみればこの人、丘の上で私の胸ぐらを掴んで睨んだあげく、勢いよく突き飛ばしたんだった。あんなに男性と近くなったことも、あんな風に扱われたことも初めてだったから、私、とても怖かったんだ。
確かにさっきは助けてくれた。だけど、意図が分からない以上、安心するのは、油断するのは、まだ早い。
手で隠れて、王子の顔は見えない。王子はどんな顔をしている?・・・何を考えてる?
「・・・平気か」
「へいき・・・は、え?何・・・」
「大丈夫かと聞いている」
「・・・・・・」
大丈夫かって、何が・・・?誰の事?あ、ああ、もしかして周りに誰かいる?フルール様が戻ってきてたり・・・。
そんな思いで、両手は目の前にかざしたまま首を動かして辺りを見回すけれど、誰もいない。
大丈夫かって、誰に対して言ったの?え、何、私?
「わ、私?」
質問に答えず、思わず王子に聞き返してしまった。
だってしょうがないじゃない。初めて会ったときとは、あまりにも対応が違う。
あの時は自分であんなに強く突き飛ばしたくせに。私が剣で囲まれても、頬を傷つけられても、ただ黙って傍観していたくせに。何で今は、し、心配?をしているの。
この変わり様が、むしろ落ち着かない。これなら何かまた突き飛ばされたりした方が、『絶対やると思った』みたいに感じて落ち着くよ。・・・・・・いやいや、撤回。落ち着きはしない。言っておくけど、私はマゾなんかじゃない。そんなんじゃ絶対ないから。絶対違うから。
ただ王子の対応の変化についていけないだけ。
この変わり様が何となくおそろしい。何を考えてるの?心配して声を掛けるだなんて・・・。あの、もしかして頭でも打った?切られたときに何か変な薬が入っちゃったとか、なんかじゃないよね?
「お前以外に誰がいる」
ふっと王子の声のトーンが低くなる。おおっと、何となく言いたいことは伝わったらしい。
どうしよう、も、もしかしたら、さっきまでは機嫌がよかったから、それで私を助けてくれたのかな。それとも、何か違う意図があって、結果的に私を助けることになった?もしそうだとしたら、ここであの時のように王子の機嫌を損ねれば、また私はあの恐怖と痛みを味わうことになる・・・?そ、それは嫌だ。
「だ、大丈夫、です・・・?」
答える際、顔を隠していた手を少しずらしてしまった。そして、見えた顔。
一目見てしまってからはなぜか視線を外せなくなって、中途半端に下げていた手をそろりと下まで落とす。眉間に皺は寄ってはいないものの、明らかに不機嫌そうにこちらを見る男の人の顔があった。
至近距離で目が合ってしまい、落ち着かず、視線をあちらこちらへと動かす。
きょろきょろとしているうちに、王子の左腕が視界に入って、思わず口を閉じた。
服が破れている。黒い服の下からのぞくのは、肌の色なんかじゃない。・・・どろっとした、赤い色。
そうだ、この人、私をかばって、怪我を。
「その、怪我・・・」
「怪我?・・・ああ、これか。こんなもの気にすることはない」
「こ、こんなもの?」
気にすることはないって・・・。まだ血が流れ出ているように見えるんですけど。
王子の左手首を掴んで、近くに引き寄せて傷を見る。傷はそこまで大きくないけれど、深いのか刺された場所が悪かったのか、やっぱり血は完全には止まっていない。
こんな傷、なんかじゃない。こんな大層な傷、の間違いだよ。
これくらい多く血が出た場面に出くわしたことがない。どうしたらいいのか分からないけれど、でもどうにかしなきゃ。何でもいいから、早く血を止めなきゃ。
緊張と、初めて見るこんな出血量の多い傷に対してお腹の底のあたりから恐怖が湧いてきて、王子の手首を掴む手が小さく震え始める。その震えを止めたくて、押さえるように反対の手で押さえるけれど、余計震えが大きくなったような気がする。
・・・もういい。震えは放っておいてもどうなるわけじゃない。早々に諦めて、押さえつけていた手を離した。
ああ、どうしよう。
頭が冷静なようで、全然回ってくれない。落ち着け、落ち着け。恐怖を吹き飛ばそうと、頭を振った。
「おい、落ち着け」
「て、手当てを、・・・手当てをしないと」
「手当て?そんなもの必要ない」
「必要ないわけない!まだ血だって止まってない」
「・・・これくらい、大したことなどない」
「何言ってるの、大したことあるに決まってるでしょ!」
こんなやりとりをしている間にも、血が流れて地面に落ち続ける。
ああ、どうしたらいい。
「ど、どうしてこんなことしたの・・・?」
「・・・こんなこと?」
「だって、私を守る必要なんかないでしょ。ましてや怪我する理由なんて・・・。わ、私とフルール様を間違えて守ったとか?そんな、まさか」
「お前とフルールを見間違えるはずがないだろう」
「そう、そうだけど!聞きたいのは、そういう、そういうことじゃなくて・・・」
そうじゃない。私が聞きたいのは、そういうことじゃない。
王女様を守るために怪我をするっていうのは、何となく分かる。でも、私は王女でもなんでもない、貴族のお嬢さまとか、そういう、位の高い人でもない。
むしろこの人、確か私を浪民とか墓荒らしだと認識していたはず。もちろん私は浪民でも墓荒らしでもないけど、そう思っているのなら、別に私が切られたって何されたってこの人には関係ないはずだ。放っておいたって何もおかしいとは思わない。それなのに。
恐らく私のことを助けてくれたんだろう。助けてくれたことは感謝してる。もちろん。
だけど、どうしてもそこが引っかかる。気になってしょうがない。
私の質問の意味、本当に伝わっていないのか、しらばくれているのか。・・・なんとなく、後者のような気がする。
ああもう、イライラする。
もうそのことへの言及は終わりにしよう。何を言ったところで、きっと飄々ととぼけ続けるに違いない。
そう、今やらなきゃいけないのは、正しい答えを聞くよりも、この傷の手当てだ。本人は手当てなんかいらないとか言っているけれど、とにかく止血くらいしないと。見ている私の方が貧血にでもなってしまいそうだ。
掴んでいた手を一度離して、白いスカーフを制服から抜き取った。牢屋に運ばれたときについたのか、それとも牢屋から脱出したときについたのか、所々土や葉の色がついたりしているところもある。ここは使えない。ここも、ここも。そうやって汚れている箇所を見つけては、びりびりと破いていく。
汚れたところを所々破いたスカーフは、幅が所々違って不格好だけれど、最終的には白い包帯のようになった。うん、大丈夫、包帯に見えなくもないと思う。
そのスカーフの端をたたんで傷口にあてがい、手のひらでぐっと押した。こんなひどい怪我の止血なんてしたことないけど、注射した後によく『ガーゼの上からしばらく押して止血しましょうね』とかって言われるから、それの大きい版だと思えばこんな感じじゃないかな。
ああ、もっと日本にいるときに保健体育の授業や本とかで勉強しておくべきだった。後悔先に立たずって、こういうときに使うのかもしれない。
そうやって手のひらやスカーフを押し当てている間にも、王子の視線がずっと張り付いているのを感じる。
いつ『手当てなんかするな』って言われたり手を退けられたりするかと思ったけれど、そう言われる気配も手がとんでくる気配もない。手当てをしていいってこと、だよね。
ダメだと言われたって、やめるつもりはこれっぽっちもないけれど。
押しつけている手のひらが熱い。私が緊張して熱をもっているのか、この人の体温なのか、それとも傷口が熱をもっているのか分からないけど。すごく熱い。
そのうち体も熱くなってきて、汗がこめかみのあたりを流れていったけど、そんなこと気にしてられない。
汗がスカーフに落ちないかだけ注意しながら、私はしばらくそのまま押し続けた。




