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※ひどくはないですが、何カ所かほんの少しだけ流血表現があります。苦手な方には読まれるのをおすすめしませんが、読まれる場合はお気をつけてご覧くださいませ。
実際には、懐かしいと思うほど会っていなかったわけではないけれど。
まさか牢屋に着くまでに何日も経っていたり、気絶していたわけではないだろうから、せいぜい一日くらいだろう。それでもそう感じるくらい、私にはこの一日がとてもとても長かった。
変なの。この人が私を牢屋に閉じ込めて、私はこの人に恐怖と怒りを感じていたはずなのに、今はなぜか安心を覚えてる。どこかで、もう大丈夫だとほっとしている自分がいる。
まだ味方と決まったわけではまるでないし、むしろ味方でない可能性の方が高いのに。
今、たった一回庇ってくれただけでそう思ってしまうなんて、私って簡単すぎるのかもしれない。
でも仕方がないと思う。だって、この絶対絶命のピンチに守ってもらったら、誰だって少しはそう思ってしまうはずだ。
ただこの人が何を考えているのかは全く分からないし、今回のことだってただ気が向いただけかもしれない。次の瞬間にも、今度は私の方に刃をむけてくるかもしれないし・・・。
だから、いつでも逃げられるように、心の準備はしておこうと思う。
「・・・殿下!?」
目の前に大きくて広い背中があって、私のところからウォーレスの顔を見ることはできない。それでも、声で、大変狼狽しているらしいことは伝わってくる。
というか、殿下、って。エラルドの言っていたとおり、この人本当に王子だったんだ。
まあ、そうなのかなあとは思っていたけれど、随分と私の中の王子のイメージとかけ離れていて、やっぱり何となく違和感がある。
「も、申し訳ございません!すぐに手当てを・・・!」
「いらん」
「し、しかし・・・!お、おい、娘、離せ!」
「・・・え?」
突然話しかけられて、びくりとする。
離せって、何の事だろう・・・ぼんやり思っていると、腕が引っ張られる感覚があった。
え、と思ってそちらを見れば、ウォーレスがマントを引っ張っている。そのマントを、私は未だむんずと掴んでいた。
慌てて手を離そうとするけれど、意識しても手が思うように開かない。固まって石になってしまったようだ。どうして。
「・・・え、と」
困っていると、ビリッと一瞬のうちに王子がマントを破き、私の腕とマントが自由になる。これは、王子は助けてくれたのかな。
でも、あれ、これってウォーレスのマントだけど、良いのかな・・・。まあ、王子だから良いのか、な?自分が破いたわけではないけれど、ウォーレスの顔は何となく見ることができず、視線をそらした。
軽くなった私の腕は、そこでようやく自分の意思で動かせるようになり、ようやくマントを手から離すことができた。マントの端くれが地面にひらりと落ちる。ああ、良かった。
・・・でも、ちょっと待って。
「ウォーレス、お前は今、何をしていた?」
・・・手当て?手当てって・・・。
そう思ったその時、ぱた、と小さな音が聞こえた。音の先を探っていくと、視線は自然と下の方へ下りる。
「・・・・・・」
ちょうど陰になっていてよく見えないけれど、王子の近くにある樽のところどころに、黒い点々があるのが見えた。
あ、また一つ、増えたような・・・。
何だろう。何かの・・・染み?でも染みって、一瞬で増えるなんてことはないよね・・・。
目を細めて見ても、なかなか正体がつかめない。ああ、また増えた。私がそうやって樽の上を凝視している間にも、ウォーレスと王子の会話は続いていく。
「今何をしていたかと聞いている」
「そ、それは・・・」
「なんだ、言えないのか?何か言えぬ事情でも?」
「と、とんでもない!そこの娘、あ、怪しいと思いませぬか。肌を多く露出した衣装でエラルドの気を引いていたようです。それだけでなく、王女、フルール王女も誑かしておりました。何か王国に対して企んでいるのかもしれませぬ。王女と引きはがしまして、何を企んでいるのかしれぬこの娘については、わ、災いを及ぼす前に即刻処分せねばと・・・」
その言葉に、斑点に釘付けだった視線をぐっと上げる。
エラルドの気を引いていた?フルール王女を誑かしていた?何か企んでる?
・・・よくもまあ、そんなスラスラと嘘が言えるもんだわ。災いをもたらすとか、何か企んでるとか、それはあんたの方でしょうが!
さっきの侮蔑の言葉と言い、このでたらめと言い、本当に頭に来る。そう来るなら、望み通り舌を引っこ抜いてやる!頭に血が上って、その勢いのまま目の前の背中から勇み出ようとし、・・・王子の左腕に止められた。
何よ、あいつを庇うなんて、やっぱり味方じゃなくて敵だったの?だったらあんただって許さないんだから!左腕をどかそうと手をかけ、カーッとして文句を言おうとした次の瞬間、目の前の腕に目が釘付けとなった。
・・・赤い。その左腕に置いていた両手のひらを返して見ると、そこも真っ赤に染まっていた。
「っ」
血、だ。これって、血、だよ、ね?
腕に急いで視線を戻すと、腕の内側に切ったような傷があって、そこから血が流れ続けていた。
ぽたっていう音や、あの樽の黒い染みは、これだったんだ。
王子はウォーレスの方を見ていて、こちらからは顔が見えない。でも、何となく、平然としてるように思う。
今こうやって話をしている最中だって、私はこれを見るまで全然怪我に気がつかなかった。痛みをこちらに少しも感じさせない。だけど絶対に痛いはずだ。だって、見ている私がこんなに痛い。
腕に刺激がいかないように注意しながら、背中の服を握って揺さぶるけれど、何も反応してくれない。・・・ねえ、大丈夫なの、これ。どうしよう、どうしたらいいの?
「フルールはどうした?」
「フルール王女は、その・・・その娘が暴れたものですから、とにかく遠ざけねばと、大通りへ向かうようにお話いたしました。危険を承知でお一人で走らせてしまいました。申し訳ありません」
「ほう、暴れて、な。お前が大通りへ向かうように言ったのか?」
「は、はい、あの」
「そうなのか?娘」
「え?ち、違う!暴れてなんかない!っていうか、さっきから適当なことばっかりじゃない!フルール様を狙っていたのはあんたでしょ!」
「う、うるさい!娘、黙っていろ!・・・殿下、このままでは、あの、お目汚し、お耳汚しになってしまいます。お手を煩わせたくもございませんので、この場は是非私にお任せを」
本当にどうしてくれよう、この男。
自分の悪事がばれてしまうことが怖くてこんなデタラメを言っているんだろう。でも、私だって命が掛かってるんだ。そんなの、許せるはずがない。
だけど、私とウォーレス、この王子と付き合いが長いのは勿論、ウォーレスだ。王子が、私よりウォーレスを信じてしまう可能性の方が高い。ああ、どうしたらいい?
「そうだな」
そうだな。そうだなって言った。
え、やっぱりここは逃げた方がいい?で、でも、この王子の怪我は放っといていいのかな。
どうしよう・・・。
と、とりあえずいざという時のために、逃げる準備をしておこうと思って、服を握りしめていた手を緩めようとした。のに、緊張してしまってさらに思い切りむんずと掴んでしまった。さっきとまるで同じだ。服にしわができる。ああ、緊張すると手も思い通りに動かせないらしい。
「で、では、ここは私に・・・」
「俺はてっきり、自らの企みが露見し、口封じのためにフルールと女を始末するのかと、先程の話や行いより見当をつけて見ていたのだが・・・俺の思い違いだったようだな?」
「・・・はっ?」
思わず、王子の顔を見上げる。顔は相変わらず見えないけれど、見ずにはいられない。
だって。・・・今、見ていたって言ったよね?あれ?
「で、殿下・・・?」
「ああ、そういえば、向こうで6人、怪しい男たちを捕まえたんだが。どうやらイーニアたちを襲った奴らの仲間らしい」
「は・・・・・・」
さっきまでこれでもかというほどデタラメを並べていた声が、聞こえなくなった。
王子の背中の横からひょいと顔を出してウォーレスを見ると、サーっと音が聞こえてきそうな勢いでウォーレスの顔が白くなっていく。血の気が引くって、こういうのを言うんだ。
実際に見たのは初めてだ。
「何か悪事を働くのなら、あまり大勢で動くのは勧めないな。しかも、全身黒づくめでは、怪しい者です、どうぞ見てくださいと言っているようなものだろう。しかも六人も一緒にいれば、特にな」
「・・・・・・」
「ああ、それに、仲間は選んだ方がいい。半端な関係では、すぐに情報は漏洩させてしまうぞ」
「・・・ま、まさか」
「こちらが何も言わずとも、聞きたいこと以上のことを話してくれたぞ?お前の会話も聞いていた。フルールに刃を向けているところも、追いかけて剣を振りかぶったところも、全部この目で見た。言い逃れは、できないと思うがな」
「・・・っ!」
それまでも既に青白かったウォーレスの顔が、白を通り越していよいよ透け始める勢いで青ざめていく。そのウォーレスが、剣を握りしめる、のが見えた。
「―――覚悟!」
あ、と思った時には、既に大きく振りかぶっていた。さっきと違うのは、太陽が雲に隠れて、剣先をはっきりと見ることができること。
剣がゆっくりと降りてくる。本当のところは、ものすごいスピードで剣が向かっているのかもしれないけれど、そんな風には全然感じない。
こんなにスローに見えるんだから、簡単に避けられそうだと思うのに、体は動かない。
ああ、まずいかも。
反射的に目をつぶる。
「―――っ」
お尻の痛みにはっとすると、私はいつの間にか地面に尻餅をついていた。王子の腕にはじき飛ばされたらしい。
ウォーレスはどうなったのかと急いで顔を上げる。と。
「結果など見えているだろうに。諦めの悪いことだ」
そう、王子が面倒くさそうに言い放った。
王子が持つ、すらりとした長い剣の向こう側に、ウォーレスが仰向けで倒れていた。
え、これってもしかして・・・やっちゃったの?やっつけちゃったの?
慌てて王子を振り仰ぐと、私が言いたいことが分かったようで、いや、と首を振った。
「剣で受け止めて蹴飛ばしただけだ。頭でも打ったんじゃないか」
つまらん、と呆れた様子でぶつぶつとつぶやいている。
ああ、切ったのでなくて良かった。男がしようとしていた行為を、この人がしたのでなくて良かった。
・・・何が良かったのかは、自分でもよく分からないけれど、だけど、なんだか安心して。
ようやく私は、ほっと息をついた。




