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男の持つ空気ががらりと変わった。
ああ、やっぱり、私の勘違いなんかじゃなかったんだ。
フルール様に向けていた目を、こちらに向ける。
怖い。
心臓の鼓動が、早い。さっきも、こんなに鼓動って早くて大きくなるんだと驚いたけれど、そんなの今のこれに比べたら。
汗が次々と噴き出してくる。体が恐怖で固まりそうだ。
だけど、固まってしまうわけにはいかない。しがみついてくるフルール様の体をぎゅうっと抱きしめる。
「どうせ女は我々の話を聞いていたのだろう」
しらばっくれたって、きっと通じない。
「・・・聞、いてたわよ。ちょっとだけ、だけど。あんたたちが、り、理由は知らないけど、・・・この子をどうしようとしてるのかは、この耳でちゃーんと聞いたんだから」
「それならば女、王女一人で旅立つのは心細く可哀想とは思わないか?王女はえらくお前を気に入っているご様子、供してやれ」
「お断りします!別に気に入られてるわけじゃないし、この子にだってそんなことさせるわけないでしょ!それにそんなこと言って、どうせ私に罪をなすりつける気なんでしょ」
さっきの『都合が良い』という言葉。それと今の言葉をつなぎ合わせれば、どういうことか、考えればすぐに出てくる。
この男や仲間は、この子をきっとどこか人気のないところでどうにかする予定だったのだろうけど、私もここで一緒に始末することで、誰にも見つからずにこの子を連れて移動するなんて、危険な橋を渡らなくて良くなったってこと。
なぜって、私たち二人を斬った後に、『見知らぬ怪しい女が王女を手にかけた、そのため自分が女を始末したのだ』などと大声で嘆いてまわれば、男は疑われることがないからね。そうに違いない。
・・・だけど、そんな思い通りにさせるもんですか!
「・・・ほう、よく分かっているではないか」
「これでも進学校に通ってましたからね、でもこれくらいのこと、誰だって分かるわよ。この格好が色目を使う道具?馬鹿言ってんじゃないわよ、これは学校の制服。進学校にしては結構可愛いって評判だったんだからね。見下すのもいい加減にして」
「・・・何の話だ。誰に向かって話している」
「あんたに決まってるでしょ。じゃあ、あんたは誰に向かってその剣を向けているのよ。この子に敬語で話すくらいだから、この子の家来なんでしょう。なのに、それはいいの?どうせ警備だって厳しくなってるんでしょう?こんなことしている間に、その警備の人が来ちゃうと思うんですけど。さっきフルール様だって大声を上げたし、もしかしたら誰かが気がついたかも。目撃されたらあなたの計画もパアね。ああ、この子に最初に逃げられた時点でパアなのかもしれないけれど」
「口の減らない。だが・・・警備のことは正しい。ではお前の助言に従うとしようか」
あ、まずい。
ウォーレスが、一度下げた剣を、もう一度腰の高さまで持ち上げた。とっさに腰に抱きついていたフルール様を無理矢理引きはがして背に隠し、じりじりと後退する。
ああ、熊と出会ってしまったときはこんな感じなのかもしれない。遠足で山登りするときに、熊には背中を見せちゃいけないよって言われた気がする。あれ、違う?ずっと昔のことだから確かじゃない。日本にもし帰れたら調べてみよう。なんて若干逃避し始めた気持ちをどうにか吹き飛ばす。
目を離さず、背を向けず、隙を作らず。王女はその間も必死で私の前に出ようとするけれど、お願いだから大人しく隠れていて!と私も必死で背中にはり付けさせる。
私一人だったら、どうにか逃げ切れるかもしれない。だけど、この子はどうする。抱えて走って、逃げ切れるのか――――。
あの王子の時もそう思ったけれど、でも今回は緊迫の度合いが違う。今回は意識を失うわけに行かない。この子だっているし、意識を失った瞬間に私の命もこの子の命もアウトだ。
絶体絶命、大ピンチ。
男の持つ剣が太陽の光を反射して、ぎらりと光る。まぶしくて見ていられない。
包丁よりも少し大きいくらいの、剣と言うには結構小さめの剣だけど、刺されたらやっぱり、大変なことになっちゃうのかな。・・・なっちゃうよね。
――――こうなったら、腹をくくるしかない。
「フルール様、逃げて」
「に、逃げないわ!」
「逃げるの!それで、誰か人を連れてきてちょうだい、できるだけ、早く」
それが一番、二人で生き残れる可能性が高いから、と。それでもフルール様は迷っているようだった。
迷うのは嬉しい。だって、私を心配してくれているってことだから。こんな状況でも、そうやって出会ったばかりの私を気に掛けてくれている、思ってくれる、その気持ちが嬉しい。でも。
早く逃げて。早く早く、できるだけ遠くへ。
睨み合いのこの状態がいつまで続くか分からない。もしかしたら次の瞬間に終わりが来るかもしれない。
だから、その前に。
「私を助けたいと思うなら、お願いだから言うことを聞いて。・・・ね?」
優しく、懇願するように言うと、王女はぎゅうっと私の背中に顔を埋めた。
「フルール様?」
「・・・少しだったら、エラルドを貸してあげてもいいわ。私の前だったらね」
ぼそっとつぶやかれたその言葉に、なんだか笑いたくなった。だって、この状況で言う言葉がそれなんだ、って。
最後まで意地っ張りは変わらない。可愛いなあ、と、こんな時なのにのんきにそう思った。
「別にエラルドはいらないけど、そうだね、じゃあそのうち」
「約束よ」
「うん、約束」
「それは困りますね」
・・・もう!ようやく仲良く話をしていたのに、入ってこないでほしい。
「私だって今の状況は困ってるんですけど」
「ああ、困らせるほどの時間を与えてしまった私が不親切でしたね。
・・・それでは、そろそろ終わりにしましょうか。私も暇ではない」
そう言って、ウォーレスが剣を握り直す。
ほらね。終わりが来る。
探り合いのにらめっこも、・・・裏路地の散歩も。
気がつけば、建物の陰になって今まで見えなかった太陽が、いつのまにか私たちの真上に移動していた。
鐘が鳴った。エラルドの言っていた、昼の鐘。
それが合図となった。
「――――――走って!」
「させるか!」
私の言葉と腕に押され、走り出したフルール様。ウォーレスは私より先にフルール様を優先させようと判断し、追いかける体勢に入って一歩踏み出す。私から視線が逸れた。
ウォーレスのマントをつかむ。
振り返ったその男の、顔。ああなんて醜い。人は罪を犯すとき、こんな顔をしているのか。
「余計な事を」
頭上で白く光る、これは。
・・・やられる―――――――。
今日はなんて厄日なんだろう。
思い浮かぶのは、日本の友だちのこと。もっといっぱい楽しいこと一緒にしたかったな。突然いなくなってごめんね。
続いて、フルール様に言われて助けに向かったエラルドの背中に、あの王子の怒った顔まで浮かんできた。
エラルドは無事かな。
あの王子は・・・何であそこまで怒っていたんだろう。
フルール様、あの子は、どこまで行けたかな。そろそろ大通りに着いたかな。
フルール様、どうか、後ろを振り向かずに走り続けて。どうか、この男の仲間に見つかりませんように。
この短時間で次々と思い浮かぶ、これが走馬燈?
剣に反射する光がまぶしくて、目を開けていられない。一度瞼の中に瞳を隠し、再び開いた私の目に飛び込んできたのは――――この時間帯には少し暑そうな黒い外套と、赤茶色の髪。ああ、太陽の光を受けて茶色の髪が白く光っている。
そして、ざぷ、という嫌な音。
「――馬鹿じゃないのか」
その面白くなさそうな、テノールボイス。
・・・懐かしい、と。ただ、そう思った。




