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「平気?」
「・・・・・・これが平気だと思う?」
「どうかなあ。格好は凄いことになってるけど」
「じゃあ平気じゃないんでしょうよ」
掴まっていた石が取れるなんてまさかの事態が起こったけれど、運良く私は庭木の真上に落っこちることができました。
私が叩いただけで石が落ちたんだから、体重を掛けたときに他の石も落ちる可能性があるってこと、考えておくべきだった。
まあでも、うん、落ちるだけなら大成功。落ちるだけならね。
だけど、その姿勢が問題なんです。
予想外の出来事に、無意識に石を掴んだままだったから重さと勢いが増して、庭木の中程まで体が突っ込んでしまったのよ。
今の私は庭木と一体化している。
庭木から手や足があちらこちらから出ていて、きっと外からこれを見たら、私のことは庭木お化けと思うに違いない。
「ねえ千歳」
「・・・何」
「早く木から出た方がいいと思うんだけど」
「・・・起こしてほしいんですけど」
見て分かりませんか。庭木にあっちもこっちもそっちも引っかかっていて、自分じゃ出ることができないんですよ。
早くここから出してほしいのに、エラルドは手を差し伸べてくれる様子もない。
ああ、ちなみにエラルドは、私が庭木に突っ込んだ後、すぐ隣の庭木に、突っ込むことなく上手に乗っかって着地成功していた。
あまりに私と違う、見事な手際に悔しさを覚えたのは仕方がないことだと思う。
「ちょっと様子見てくるから、その間に遊んでないでそっから出てなよ」
「え?あ、ちょっと・・・!」
「ああ大丈夫大丈夫、置いてきぼりにはしないから。ちゃんと戻ってくるよ」
「いや、それはそうなんだけど・・・ち、違うって・・・」
「じゃ、行ってくるね」
そう言って手をぶんぶん振って向こうへ駆けていくエラルド。
ええ、ちょっと待って、この状態で置いていくの!?ひどくない!?
ちょっと待って!手を伸ばすも、エラルドには届かない。
いやね、確かに誰かいないかとか調べるのは必要だと思うよ、私も。
でもさあ、普通、この状態の私を置いていきますか!?この状態で誰かが来たら、私、イチコロなんですけど!
そうは思っても、どんどん小さくなっていくエラルドにはその思いは届かない。誰かが来たら困るから、大声も出せないし。
仕方がなく、もう一度自力脱出を試みるも、腕や足が枝に絡まっているし、枝が細くて力を入れるところもない。体重をかけられるところがあったら、そこを支えにしてなんとか体をうまく動かせるのかもしれないけれど・・・これじゃあ無理だ。
ばたばた手足を動かしても、前にも横にも進まない。手足が枝に引っかかるだけだ。
むしろ、動こうとすればするほど心なしかさらに下に沈んでいっているような・・・いやいや、ないない。それはない。ないと思いたい。
何もしていなくても、頬も手も足もちくちく痛い。それに、痛いだけじゃなくて、葉っぱが当たってむずむずする。かゆいのに、かくこともできない。ああもう!
上が長袖だからまだ良かった。腕は制服で隠れているからちくちくもむずむずもしない。だけど、下はスカートはだし、春だからタイツじゃなくハイソックスだ。見えないけど、足はきっとひっかき傷だらけに違いない。ひっかき傷って、地味に痛いんだよね。
こんな、水の中でもないのに蹴伸びのような格好。端から見たら間抜け以外の何ものでもない。
どうにも動かない体とこの状況に、力を抜いてため息をつく。はあ。
ため息をつくだけ幸せが逃げる!なんて言うけれど、今ため息をつく以外にできることが何一つない。
「あれ、何休んでるの」
「・・・・・・」
声に顔を上げれば、さっき歩いて行った方とは反対側の方から戻ってきたエラルドの姿。
この塔をぐるりと一周してきたんだろうか。
「休んでるように見える?」
「見える」
「・・・あのねえ、動けないん・・・」
「あ、虫が」
「ひゃっ!?―――ぶっ」
むんずと口をふさがれる。いや、ふさがれると言うよりこれは掴んでいるといった方が正しいかもしれない。
いきなり何するの!?
「静かに。見つかるでしょ」
はい、すみません。
じゃなくて!
「ちょ、む、虫、とって・・・!」
「だから早く起きてってば」
「起きられないんだってば!」
「本当に?」
「何回もそう言ってるでしょ!なんだと思ってたのよ!」
「いやあ、起こしてーって甘えてるんだと思って。だから虫がって言ったら自分で起きるかなあって」
「そんなわけないでしょ!え、じゃ、じゃあ、いないの、いないの!?嘘!?」
「静かにってば。いないいない、本当」
「ほ、本当!?本当の本当!?」
「だから静かにってば」
そこまできて、ようやく私に手を伸ばしてくれた。手首を引っ張ってくれたけれど、庭木に絡まってやっぱり抜けられず、結局脇の下に手を入れて上に引き上げてくれた。
私をちょっとでも持ち上げるなんて、意外と腕力があるらしい。
引き出される際にもまたあちらこちら枝木でひっかいたけれど、これは仕方がないよね。逃げるために必要な痛みだと思って我慢する。
庭木お化けにしたまま置いていったりとか虫がいるなんてふざけたりとか、エラルドに色々言いたいことはあるけれど。
でも、助けてくれたのは事実だから、一応ありがとうと言っておいた。
「それで、誰かいたの?あ、でも一周できたって事は」
「うん、誰もいなかった」
「誰も?」
「誰も」
辺りをゆっくりと見渡す。私もエラルドを倣って、周りに視線をやった。
確かに、上から見たときも見えなかったけれど、実際にここに降りても、見張りの気配がない。とても静かだ。
待てよ、誰もいないってことは、さっき別に私の口を塞がなくても良かったんじゃないの。そう言うと、念のため、それに遠くにいる人が聞きつけて来たら困るでしょ、と正論が返ってきた。まあ・・・確かにそうなんだけど。
静かにさせるにしてもあれ以外の方法がなかったのかと思う。
「誰もいないなら、ラッキーじゃない」
「牢屋の周りは、必ず誰かがついているものなんだ。今牢屋に俺と千歳しかいないと言ったって、誰一人としていないなんて事は・・・」
そう言いながら、腕を組んだまま黙ってしまった。
私も少しは、誰もいないなんてそんなことがあるのかと思うけれど、でも今はそれを疑問に思うよりもすることがあるはず。
「じゃあ、今のうちに逃げた方がいいってことだよね。逃げよう、エラルド!」
声を掛けても、ううん、とまだなにか考え込んでいるエラルド。
だけど、こんなところでぐずぐずしていて誰かが来たらとっても困るから。
行くよ!と動きそうもないエラルドの裾をむんずと掴んで、牢の中で言われたとおり、右へと向かった。
「う、わあ・・・!」
まだ夜が明けたばかりだというのに、この賑わいはなんだろう。
行き交う行商人、野菜の入ったかごを背負った女の人たち、滑車のついた大きな箱を運ぶ男の人たち。
通りでは、歩くところの方が狭いくらいあっちにもこっちにもびっしりとシートを広げて、出店の準備をしていた。
「・・・市場?」
「・・・ああ、そうだよ。市は初めて?――ああ、そっか、千歳は二ホンってとこから来たから初めてなのか。二ホンにはこういうのないんだ?」
「あ、ううん、あるんだけど私は行ったことなくて・・・。ここはいつもこんな感じなの?」
「毎朝、この辺りでみんな店を出すんだ。ここら辺は商人も多いし、食堂も多いから特にいつも賑わってる。料理人が買いに来たり、もちろん普通の人も来たりするし」
「ふうん」
あ、動物もいる。豚とか牛とかそんな感じだけど、ちょっと違う。なんていう動物だろう。あの子たちもこれから取引されたりするのかな。
動物たちは、私たちが今やって来た方へと連れられて行く。動物たちを視線で追って、そのまま後ろを振り返れば、動物たちの上に大きな城壁とそれよりももっと大きな城が目に入ってきた。
離れることに必死で、お城を見上げたり振り返ったりはしなかったから、ちゃんと目に入れるのはこれが初めて。思ったよりかなり大きい。
結構お城から離れたと思ったのだけど、それでもこれくらい迫力があるんだから、相当大きいんだろう。
あれくらい大きくて立派なお城のある国、そしてその城下町なんだから、これくらいの活気は当たり前なのかもしれない。
でも、だからこそ、お城の敷地内で本当に誰にも会わなかったことが不思議だ。
庭木を脱出した後。
私たちは城壁に沿って歩いた。そしてそれほど歩かないうちに、エラルドの言っていた城壁の向こう側へ通じる隠し穴へとたどり着いた。
まだ敷地内にいるときにも変だな、とぼんやりと思ったけれど、この賑やかな市場を見た今、城の敷地が人気がなくひっそりとしていたことが確かにおかしかったのだと思える。
こんなに活気のある街。それと対照的に誰一人見あたらなかったお城。
詳しいことは分からないけれど・・・お城に活気があればこそ、城下町も栄えるんじゃないかな。あくまで想像だけど。
まあ、逃げる立場の私にしてみれば、ラッキーといえばラッキーだったのかもしれないけれど、でもお城に詳しくない私でも、何か妙だと感じる。
エラルドも同じように、―――ううん、エラルドは私よりもなんだかお城のことをよく知っているようだから、私のようにぼんやりとでなく、具体的なおかしさに気がついているはず。だからだと思う。城の敷地内を逃げている途中からだんだんと無口になってきて、城壁を出てからはほとんど口を開かなくなった。
やっぱり、何かおかしいことが起こっているんだと思う。
・・・とはいっても、私には関係がないから。
不思議なこと、異常だと思うこと、それはきっと間違いじゃないけど、私が今すべきはそれを指摘することじゃなくて逃げること。日本に帰ることだから。
気になることは吹き飛ばしてしまおうと頭を振った、その時。
地面がわずかに揺れ、馬の鳴き声とけたたましい蹄の音が聞こえてきた。
思わず振り返る。と。
「――――っひ・・・――――――――!」
本当にびっくりしたときには悲鳴は出ないらしい。息を吸い込んで終わり、だった。
あっという間の出来事だった。
目の前に蹄が迫って、地面に打ち付けられて。馬に轢かれた?ううん、違う、エラルドに突き飛ばされたんだ。
衝撃的すぎてしばらくぼけっとしていたんだけど、ハッと気がついて起き上がろうとする、けど。
う、尻餅をついたときに腰かどこかを打ったみたいで痛い。
だけど、我慢我慢。とりあえずは今起こったことを確認しないと。いったい何事!?
腰を押さえながら周りを見渡すと、もう蹄の持ち主である馬は見えなかった。その代わり、すぐ側に、座っているエラルドとそのエラルドに抱きつく一人の女の子の姿が。
この子は一体どこから?・・・もしかして馬に乗っていた人物?
まだ小学生くらいの小さな女の子。こんな小さな子がさっきの暴れ馬を?
痛みをこらえて何とか立ち上がり、急いで二人に駆け寄って、エラルド、と声を掛けようとしたその時、女の子が突然顔を上げた。
「あ、だ、大丈・・・」
「・・・けて」
「え?」
私の腕を、ギリ、と女の子が掴む。
痛い。こんな力、小さな体の一体どこから。
「イーニアを助けて!」
大きく見開いた碧い目から、涙が一粒、こぼれ落ちた。




