孤児院
都市に入って10分ほど歩いた所にその孤児院はあった。一見するとただの高層ビルで、エントランスには「楼和ビル」とだけ書かれていた。
16階ほどの高さのそのビルの中で、孤児院は4、5階に位置する。高さこそあるものの、パッとしない印象のそのビルには看板の類が一切なく、道行く人は誰もここに孤児院があるなどとは知ることはないだろう。ちなみに5階には「板垣探偵事務所」という、何だか時代錯誤な雰囲気を醸し出している事務所があり、7階には「鏑木整形」というこれまた怪しげな非合法の整形外科があったりする。
「こんにちはー…」
恐る恐る、といった様子で三人は5階のほうの「さくら組」と書かれている部屋を訪ねた。さくら組は、幼児が集まる組で、フウカさんという、30過ぎの女性が受け持っている。確かユキは主に4階の「山崎組」の担当だったろう、と思っての行動だった。ちなみに山崎組は10歳前後の児童を受け持つクラスで、組の名前は下の階で見たものを適当につけたらしい。…下の階には金貸しと何だか良く分からない事務所があるらしい。
三人が扉を開けると、
「…おや、懐かしい顔ですね。三人とも、制約のことは何度も言って聞かせたはずですが……戸籍を残して三年間もいなくなるなんて、正気の沙汰ですか?」
子供たちに読み聞かせていた絵本を置いて、苦々しげに言い放った20代後半ほどの女性、ユキがいた。
「何となくこうなるだろうな、とは思ったよ…」と、少年はユキに聞こえないようにこっそりと呟いた。他の二人が苦笑しているところを見ると、どうやら三人とも思っていることは同じのようだった。
そんなことは知る由もないユキは
「三年間分の予言が溜まっています。失礼と思い、中は拝見していませんが、きっと全て届いた時点で読んでおけば、間違いなく貴方達の人生に実りを与えてくれるものだったでしょう。」と言った。が、しかし別にユキは三人のことを案じていたわけではない。
「それ以上に、神様がわざわざ時間を割いて作り出してくださった予言を読まずに放置なんて…神様の時間を奪ったと同義ですよ!?人間ごときがしていいことの範疇を大幅に超えています!!この大罪をどう償うつもりですか!?」
と、怒気の孕んだ声で「正論」を述べた。この国での「正論」。
「あぁ、信じられない…よくもまぁ平然と立っていられますね……そんなことをしてしまったら、死を持って償…いや、神様の時間を奪ってしまったと知った途端、ショックで生きることも困難になることが普通だと思いますが…。」
三人は気まずそうに顔を見合わせる。この人の場合、これが誇張や冗談でないから尚更たちが悪い。弁解する言葉もなく、ただ押し黙っていると
「…まぁ、だからといって私が貴方達を罰するというのもお門違いというものでしょう。まずはそこの引き出しに保管してある予言を一言一句噛み締めて読みなさい。一番上がヒロ、二番目がアヤ、一番下がユウキのです。」と、ユキが端においてある机を指差した。
「あぁ、それともう少し時間が経ったら2日ほどここを空けますので。」
三人の頭にクエスチョンマークが並ぶ。さっき自分が何で怒ったか覚えているか?とでも言いたげな視線を青年……ヒロが送ると、ユキは冷静に
「予言が二時間ほど前に届きました。何年振りでしょうか…本部からです。」
「私宛のものには『16時発の13区行きの電車に乗り、13区のホテルに20日まで滞在。21日以降に帰宅すべし。』と書かれてありました。神務機関がホテルの滞在費から滞在中に届いた予言などの転送まで全てやってくださるそうです。」
本部レベルの予言が来た、というアヤの予想は見事に当たっていた。来た事は間違っていなかった、とアヤが思ったその時、いつの間にか引き出しの中の予言を見に行っていたユウキが声を上げた。
「ユキ、俺たちには本部からの予言は届いてないの?」
本部からの予言は赤い封筒になっているが、ユウキの手に持つ封筒の束にはそれらしいものは確かに見あたらなかった。
「えぇ。貴方達だけでなく、他の子供達にも届きませんでした。一定の年齢以上の国民にだけ届いているのだと思います。」
ユキは慌ただしく準備しつつもユウキの質問に答えた。
「フウカさんは一番早い便に乗って既に行ってしまいました。後のことは一番年長者の子達に任せてありますが、丁度良かった。この子達のことを少しの間だけ頼みます。」
と、有無を言わさぬよう部屋の扉に手をかけながら告げる。
出て行く直前、再びユキは冷たい声色で
「もちろん、さっき話した事の身の処し方については、自分で考えておきなさい。」と、言った。
ガチャン、と扉の閉まる音がする。取り残された三人と、絵本を中断されて少し不満そうな子供達が後に残った。
「…相変わらずだな、ユキは。」
一番最初に口を開いたのは、溜まった予言をそのまま開けずにゴミ箱に捨てたユウキだった。
そんなことしたらユキが卒倒しちゃうよ?とアヤは冗談にもならないような冗談を言いつつ、同意した。
「ちょっと懐かしいね。でも、ユキなりに心配してくれてたのかな?少なくとも、今の話を他の人が聞いたらたぶん私達、その場で殺されてたね。」
エヘヘ、という感じで笑うアヤに、ユウキが「だから笑えねーっつの…」とつっこむ。ヒロはというと、さっきの絵本の続きを子供達に読み聞かせていた。基本的に誰かの世話をするのが好きなヒロは、この状況にとくに不満を感じてはいないようだった。
「けれど、これから何が起こるのかな…。」
アヤの疑問はもっともだった。神の予言、それも本部クラスのものとなるときっと多くの人の生死に関わることが大半だ。まさか大人達だけ逃がして子供達を殺してしまう、なんてことはないだろうが、逆に言うと何も起こらないなんてことも有り得ない。
「でも俺らに予言が来てないってことは、きっと関係ないんじゃないかな。…結局子守を押し付けられただけかぁ…。」
他の二人と比べて年下の世話に慣れていないユウキは、これからの二日のことを考えると憂鬱になった。アヤはそんな楽観的なユウキに何か言おうとしたが、やめた。考えすぎは確かに良くないと思ったのだろう。微かに頭に浮かんだネガティブな考えを振り払うと、良いことを思いついた、というふうに声を上げた。
「ちょっと山崎組の子達に会ってこようかな!いきなり消えたからみんな心配してるよね!」
と、言うが早いかユウキの「おぉ、いってらっしゃい。」という言葉を背にユキは足早に部屋を出た。
ユキは何故だか、何かしていないと不安に駆られておかしくなりそうだった。
日がもうすぐ落ちようとしている。