蠢動
甘い生活を送る翡翠とゆすら。
しかし、予期せぬ悲劇が二人を裂いた!
やはり、人と妖怪は相容れないのか!?
人に恋をした妖怪は、制裁を受けるのか!?
蒿里の麓。
青い釉薬の瓦が美しいそれは、傲然とそびえていた。
蒿里とは、中国が霊山・泰山の西側に位置する、同系列の霊山だ。
蒿里の麓にそびえる、館の一室。
そこだけ光が入らぬように、部屋全体に、闇色の布が張ってある。
一人の男が、掌に握った水晶球を覗いていた。
水晶球に映るのは、人間の娘と口づけあう息子・翡翠の姿。
「あいつめ、あくまで戻らぬつもりか!」
ビクリ、と男が身じろぐと、琥珀色の絹糸が流れて、外套の様に背中をおおった。
ぱりん、と握りしめた水晶球が、光を撒いて砕ける。
「目障りな。人間など…っ」
「お館さま…あたくしに、お任せくださいな」
憤然と吐き捨てた彼の背に、鈴を転がしたような、甘い声が言った。
「朱明か…」
お館さま‐――――‐‐翡翠の父・瑞慶は、ニヤリと笑った。
「して、どうする…あいつを連れ戻すとでも申すか」
「いいえ、逆でございます。少し、座興を思いつきまして」
ほっそりとした、柳腰の美女・朱明は、くすりと含み笑った。
「ほう…座興とな、おもしろい、申してみよ」
「はい」
「っしゅん!」
夜明け頃、なぜか目が覚めてしまったゆすらは、悪寒を感じて、きつく自身を抱き締めた。
「こんなに不安なのは、どうして?」
翡翠との関係が深くなる度、心にざわめくモノが生まれるのだ。
すぐ隣で、寝息を立てている彼を起こさないように。
ゆすらは、そっとベッドを抜けて身支度を整えた。
なにかが‐‐――――‐‐動きだした。
これは勘だ。
自分には分かるのだ。
始末人としての、本能がそう言っている。
ゆすらは夜明けの薄闇に溶ける、黒い外套を纏い、刀を佩いた。
「お嬢様…先刻から、屋敷の周りをうろつく輩がおります。獣の気配のようですが…いかがなさいますか?」
玄関に立つ彼女の、足元の影が膨れあがると、青い双眸を持つ黒い顔が、ゆらりと起きあがった。
ゆすらの影の中から現れた、彼の種属を闇鬼という。
彼は、一牙を始め、古来より、神崎一族に忠実に仕える妖怪だ。
普段は、床下に潜んでいる。
「行く…隼人、お前もきてくれ」
「用心のためです…仰せのままに」
にこり、と穏和に微笑むと、隼人は影に溶けた。
ゆすらの顔つきが、一瞬にして変わる。
闇鬼である、隼人が憑依したせいもあるが、彼女の鋭い眼差しは、始末人として元々のものだ。
「こうなった上は、定めを果たさねばならぬ…」
言ったゆすらの声は堅い。
それだけの意志を、秘めているからだ。
「やれやれ…こんな極東の島国まで来るほど、あたしはヒマじゃないのにねぇ」
大門の屋根に、小鳥のように留まっていた朱明は、剣呑にゆすらを見下した。
「貴様、何者だ」
一触即発な気配に、ゆすらは刀の鍔口を浮かせて、低く構えた。
「おやおや、強気なこと…あたしは朱明。ふぅん…お前が翡翠君の女か」
フン、と鼻で笑われ、カッとなったゆすらは、朱明の足元を払った。
しかし朱明は、ふうわりと身軽に斬撃を除けて、飛びのいた。
彼女は、決して親しみを込めて翡翠を呼んだのではない。
君、とは身分の高い者への敬称なのだ。
「なにが目的か!話によっては、容赦はしないぞっ」
「おや、まあ…それじゃあ話が早いね」
瞬間、乾いた音と共に、ゆすらの刀が弾き飛んだ。
「は、早いっ!」
目に留まらぬ早さで、いきなり朱明は、ゆすらとの間合いを詰めた。
「刀を使うなら、もっと手際よくなくちゃ…」
朱明の手が、ゆすらの首を掴み上げる。
女の細腕なのに、万力のようにぎりぎりと、ゆすらの喉を締めあげた。
「ゆすらっ、ゆすらを放せ!」
「翡翠!!」
玄関から、飛び出してくる翡翠の様子が、ゆすらにはスローモーションの様に見えた。
「朱明っ!?ゆすらを放せっ」
駆けつけた翡翠は、遠巻きにしか近づけないことに歯がみをしながら、必死に叫んだ。
「やっとお出ましかえ?翡翠君、アンタに直接恨みはないけれど…これも、お館さまのため!」
朱明の左手に雷が集まり、それは急激に膨張しながら、ゆすらへと放たれた。
翡翠の、目の前が白く染まる。
彼の中で、警鐘が鳴った。
逃げろ、逃げてくれ!
ゆすら、逃げろ!
お願いだからっ。
ただ、それだけを。
くり返し、くり返し叫び続ける。
雷を帯びた彼女は、まるで、枯れ葉の様に宙を舞った。
翡翠の頬に、鮮血が散った。
「ゆすら‐‐―――‐‐っ、ゆすら!?」
「触るなっ!」
崩れ落ちた、ゆすらに走り寄った翡翠に、朱明は牙を剥いた。
「この娘の命が惜しくば、追ってくるがいい!できればの話だがな。この娘…あたしが貰ったっ」
朱明は、小山ほどの赤兎に変化すると、ゆすらを銜えて消えた。
「ゆすら!?朱明、貴様‐‐―――――‐‐!」
(何をするつもりだ、朱明…くそ、俺がついていながらっ)
地面にへたり込んだ翡翠は、襟首を引っ張り上げられて、やっとその気配に気がついた。
「ゆすらの気配が消えた!この血の匂いはどういう事だ!?聞こえてんのか、このクソ兎!その耳、引きちぎるぞっ…説明しろっ」
「一牙…ゆすらが、ゆすらが、連れてかれちまった…」
弱々しく言った翡翠に、カッとなった一牙は、翡翠を思いきり殴り飛ばした。
「てめえの仲間か!?お前と同じ匂いがしやがるっ、てめえさえこなけりゃ…出逢わなけりゃあ」
「ゆすら、俺のせいで…あんな事になるなら、出会わない方がよかったのか?」
血まみれの彼女を思い出し、再び瞳に涙が溢れる。
蹲った翡翠は、まるで、迷子になった子供の様に声を上げて泣いた。
止めどない、自責にかられて、翡翠の喉は嗚咽を漏らす。
「チッ…これだからガキは。ゆすらは必ず連れ戻す!例え、この命消えようともさ」
「へ?」
鼻を啜って振りむいた翡翠に、一牙は額を抑える。
「分かんねぇヤツだな…だからもう、ぴーぴー泣くんじゃねえ!協力してやるって言ってるんだよ」
ぶっきらぼうに言って一牙は、ばしんっ、と翡翠の背中を叩いた。
「って…一牙」
「協力っても、ちっとだけだぞ!てめぇら黄兎の領域に、俺は行けねぇからな」
「すまねえ…俺、絶対ゆすらを助けるよ」
ぷいっ、と背を向ける一牙に、翡翠は目尻を下げた。
「当たり前だ、もたもたすんなよ?ガキんちょ、こうなったら急がば回れ、行くぞ!」
一牙は、地面に左手を置くと、目を閉じて気を集め始めた。
時空路を開いているのだ。
時空路は、ごく稀に使用することができる人間がいるのみで、その主は、妖怪が使う術なのだ。
またの別名を『鬼門遁甲』という。
「一牙」
「あん?」
「借りができたな」
背を向けたまま言った翡翠に、一牙は怪訝な返事を返した。
「ばかやろうが…倍にして返しやがれ」
深闇の中に、道がある。
彼らには、本能で判るのだ。
それが、時空路。
一牙は、開けた入り口が閉じるのを感じて、後ろを振り返った。
ども、維月です。
読者さま方、ここまで、ごくろうさまです。
翡翠とゆすらの恋模様…。
一筋縄ではいきませんね。(笑)
自分で言うのもなんですが。
それでは読者さま方、次回、どうなるのかご想像ください?
展開に、乞うご期待!
それでは、失礼致します。