第36話 王国の崩壊
ギルドでの一件から三日後、俺は特に変わりなく、魔力学院の一生徒として過ごしていた。
フレイアはあの後、カナデたちの部屋に謝罪に回ったらしく、翌日には以前と変わらぬ様子で登校してきていた。
デイモンとレックスはどうか分からないが、カナデは特に気にした様子もなく笑顔で挨拶していた辺り、これといってわだかまりはないのだろう。
そんなわけで、今日も何事もない一日が始まろうとしていた。
「おはようございます、ミナト様」
「ん?ああ、おはよう。早いな」
教室に入るなり、ミリウスが挨拶してきた。
まだろくに生徒も集まっていない時間帯だ。
「ミナト様こそ、相変わらず朝は早いのですね」
「まあな。朝型の方が頭も冴える」
「実に合理的ですね。私も見習わなくては」
ミリウスは変わらず無愛想だが、最近は微妙な表情の変化も判別できるようになってきた。
王国にいた頃は嫌われているとばかり思っていたが、こちらに来てからの付き合いを考えると、そうではないらしい。
まあ、それでも必要最低限の会話しかしないので、いまだによく分からない存在なのは事実なのだが。
「先日のギルドの件、随分とお手柄だったようですね」
「……何で知ってる?」
「私はミナト様の監視役ですよ?この程度の情報収集くらい朝飯前です」
ミリウスが得意げに言う。
かつてはアルフェンの付き人だった彼女だ。情報収集も仕事の一つだったのだろう。
「セレニテス……彼らも少しは成長したと思っていましたが、まだまだですね。結局はミナト様の手を煩わせてしまいました」
「どこまで把握してるのか知らないが、当初の目的だった大蛇の討伐には成功したんだ。十分に合格点だろ」
そもそも、あの黒龍はあんたでも間違いなく無理だからな……なんてツッコミは喉元で押し留めた。
流石に比較するのが残酷すぎる。
「俺が言うのもなんだが、王族の側近とは思えないほど毒舌だよな。アルフェンにもそうだったのか?」
「元より、あの方は戦闘向きではありませんので」
「おいおい、クロフォード王国の騎士団隊長だぞ?いくらなんでも……」
「ミナト様の兄にして、アルドルフ様の血を受け継いでいるんです。その程度で満足されては、王族としての資質に欠けます」
「…………」
言い切るミリウスに、俺は思わず頭を抱えた。
この女、実力至上主義者なのか……?
それとも、単にアルフェンへの期待値が高いだけか。
「別に戦闘だけが全てってわけじゃない。その分、アルフェンは政治面での才能が光ってる」
「それは所詮、ミナト様と比較されることを恐れた負け犬の言い訳では?」
「あのな……それ、絶対本人の前で言うなよ」
こんな奴が側近で、アルフェンはよく持っているものだ。
俺なら三日と経たずに追い出す自信がある。
「改めて、ミナト様に聞きたいことがあります」
「……何だ?」
「何故、セレニテスなどに参加しようとしたのです?」
ミリウスは真っ直ぐな視線を向けてくる。
これは単なる雑談の延長ではなさそうだ。
「クロフォード王国最強の男を打ち破ったあなたが、わざわざ学園のチームに入る理由が分かりません。カナデ様に誘われたからですか?」
「まあ、それもあるが……」
「──が?」
ミリウスの目が細まる。
追及の手を緩める気はなさそうだ。
「いや、それだけだ」
「……そうですか」
「納得してもらえたか?」
「いいえ」
即答だった。
どうやら、彼女には誤魔化しが通じないらしい。
しかし、これ以上詮索されるのも面倒なので、俺は話題を変えた。
「ミリウスだって、歳は俺たちと大差ないんだろ?せっかくの学生生活なんだし、少しくらい周りと親交を深めたらどうだ?」
「必要ありません。私はあくまでアルフェン様の護衛兼秘書。現在は貴方様の監視任務が優先です」
「……もう好きにしてくれ」
呆れ気味に答える。
この融通の利かなさは厄介極まりないが、悪い奴ではないだろう……多分。
その後も、他愛のない話を繰り返した。
この時間を平和だと思うのも、三日前までの生活が激動だったせいだろうか。
魔獣や黒龍との戦闘を終え、ようやく日常を取り戻したかと思っていた矢先──。
突如として、凄まじい地響きが校舎を襲った。
「っ!?」
衝撃と共に、天井から小さな石片がパラパラと落ちてくる。
やがて、聞こえてくる生徒たちの悲鳴。
これは普通の地震ではない。
魔力的な波動を感じる。
「緊急事態です!皆さん、落ち着いて避難してください!」
教師の叫び声が響く中、窓の外を見る。
空を覆い尽くすほどの黒い影が見えた。
いや、違う。
あれは──巨大な群れだ。
「っ……」
流石に動揺を隠せない。
眼下には、街に溢れ返る無数の魔獣。
狼型、鳥型、蜥蜴型など種類は様々だが、共通して全てが通常よりも肥大化している。
建物が崩壊し、火の手が上がる。
悲鳴と咆哮が入り混じる光景に、思わず目を疑った。
「ミナトくん、いる!?」
教室に慌ただしくフレイアが飛び込んできた。
額には汗を浮かべ、呼吸が乱れている。
それだけで、只事ではないと判断できる。
「おい、これ……」
「分からないわ。突然、魔獣の群れが押し寄せてきたの。規模が大きすぎて手が回らない」
フレイアも相当混乱しているらしい。
俺自身、いまだに状況を把握できない中、ミリウスが冷静に質問を投げかける。
「現在の被害状況は?原因の特定はできていますか?」
流石はクロフォード王国のエージェントというべきか。
感情的にならず、淡々と状況把握に努めている。
「詳しくは調べられていないけど……多分、ギルドから出てきた魔獣だと思うわ。でも、何故あそこから魔獣が出てくるのか理由が分からない」
「なら、まずは対応が優先だな。フレイア先輩は戦える奴を集めて、街の防衛に向かってくれ。こういう時のセレニテスだろ?」
「ええ。分かってるわ。すでにカナデちゃんたちに招集をかけてる。すぐに集まるはずよ」
流石に手際がいい。
やはり、生徒たちのまとめ役としての能力は高いようだ。
「俺は原因を探ってくる。ミリウスは外にいる魔獣の排除をしてくれるか?できる範囲でいい」
「了解しました」
何気ない顔で頷き、ミリウスは教室の窓から飛び出した。
一瞬遅れて、外から轟音と共に魔獣の断末魔が聞こえてくる。
容赦ないな、アイツ。
「ミナトくんは原因の特定……できるの?」
「まともに空を飛べる奴は俺くらいだろ。あの規模じゃ、通常の魔獣が自然発生したとも考えにくい」
「……頼んだわ」
フレイアが俺を見つめる。
その瞳には、不安と期待が入り混じっていた。
俺は窓枠に足をかける。
「生きろよ」
「あなたもね」
短いやり取りの後、俺は全力で跳躍した。
背中に魔力の翼を形成すると同時に、急加速して上昇する。
空から見下ろした光景は、まさに地獄絵図だった。
建物は次々と倒壊し、炎が上がる。
逃げ惑う人々の悲鳴と、魔獣の咆哮が入り混じる。
「流石に笑えないな……」
このままでは、数時間後にはエアハート王国が焦土と化すかもしれない。
最大限に魔力障壁を展開すれば、魔獣共を一掃できるだろう。
だが、それでは建物や民間人まで巻き添えを食らう可能性がある。
かといって、今の俺のレベルでは、あれだけの数を相手に細かな手加減をし続けるのは難しい。
やはり、手遅れにならないうちに根源を断つしかない。
そう判断し、俺はギルドのゲートへ急行することにした。
*
室内に最後の一人が駆け込んだのは、災害発生から十分も経たない頃だった。
「よし……全員集まったわね」
フレイアの声には、珍しく緊張感が漂っている。
集まったのは、カナデ、デイモン、レックスのセレニテスメンバー三名。
全員が、混乱と恐怖の入り混じった表情を浮かべていた。
外からは魔獣の雄叫びと、建物の崩れる音が絶え間なく響いてくる。
「一体何が起きているんだ。急にこんな……」
「落ち着いてください、レックス。まずは状況を把握しましょう」
レックスが震える声で問いかけると、デイモンが冷静さを保とうと努める。
「現在、街中に無数の魔獣が発生しているわ。目視で確認した限りだと、ほとんどがDランク、Cランクの魔獣だけど、数が多すぎる。騎士団も動くとは思うけど、これだけの数を相手にするのは難しいでしょうね。何より、一般市民の安全確保が最優先よ」
フレイアは簡潔に状況を説明していく。
「ならば、至急救援が必要ですね。でも、何故今になって……」
「分からないわ。ギルドの調査は三日前に終わったはずなのに」
「……本当に分からないのですか?」
レックスが疑問を口にする。
先日の一件で事情があったにせよ、意図的に自分たちを危険な任務へ巻き込んだフレイア。
また彼女が何かを隠しているのではないかと勘繰るのも、無理はなかった。
対するフレイアは唇を噛み、俯く。
その場に、重い沈黙が訪れる。
だが、それを打ち破ったのはカナデだった。
「先輩たち、今は言い争うより、やることがあるんじゃないかな。わたしたちにも、できることがあると思う」
いつも通りの明るい口調。
だが、その瞳は真剣だった。
カナデは周囲を見渡しながら続ける。
「ここで話していても被害は広がるだけだよ?わたし、ミナトにばっかり苦労かけたくない」
「……賛成です。今は市民の命が優先です」
「あ、ああ……すまない。カナデさんに同感だ」
デイモンとレックスが賛同する。
仲間同士で責め合うより前に、やるべきことがある。
それを一番理解しているのは、カナデだった。
そんな彼女の姿を見て、フレイアは我に返ったように大きく息を吸い込む。
「ありがとう、カナデちゃん。……そうね。今は、あたしたちにできることをしましょう。ギルドのゲートに関してはミナトくんが調査に向かっている。それに、ミリウスさんも先陣を切って魔獣の駆除を始めているから」
不安が全くないわけではない。
それでも、自分たちとは比較にならない実力者たちがすでに動いていると知り、三人の表情に僅かな安堵が戻る。
「我々も直ちに救助活動に向かうわ。魔獣の討伐と、怪我人の救護を並行して進めましょう」
「了解!一人でも多くの命を救わなきゃ……ですよね」
カナデが元気よく答える。
彼女の天真爛漫さが、絶望的な状況下でも皆の緊張を僅かに和らげていた。
「デイモンとレックスは、まず中央広場に向かって。怪我人の救護を優先して」
「はっ!」
「任せてください!」
フレイアが即座に指示を出す。
まだ学生である自分たちに何ができるのか。
それを必死に見極め、的確に命令を下していく。
そこには、これまで彼らを導いてきた指導者としての風格が滲み出ていた。
「カナデちゃんは、ミリウスさんと同じく魔獣の殲滅をお願い。できれば北方面に移動してくれるとありがたいわ。くれぐれも無茶はしないように」
「はい!それじゃあ、行ってきます!」
三人はそれぞれの担当区域へ向かうため、急いで教室を飛び出していった。
室内に残されたのは、フレイア一人となる。
「さて……問題は、お父様なのよね」
ギルド調査のために大量の騎士を動かし、警備体制も万全にしていたはずだった。
なのに、この異常事態で何故一切連絡がないのか。
下手をすれば、黒龍以上の脅威が突然出現しているというのに。
「まさか、何かトラブルでも……」
嫌な予感が拭えない。
国王であるエルドリックなら、この規模の異変を把握していないはずがない。
ましてや三日前の黒龍出現を受け、ギルド周辺の警戒は以前より遥かに強化されていた。
それにもかかわらず、魔獣がこれほど大量に王都へ流れ込んでいる。
騎士団からの連絡もない。
王宮からの指示もない。
「……お父様」
胸騒ぎがする。
三日前、ギルドから連れ戻された後、エルドリックから厳しい叱責を受けた。
勝手な行動を取ったこと。
他国の王族であるミナトを危険に晒したこと。
そして、機密事項であった黒龍の存在を利用しようとしたこと。
どれも反論できない正論だった。
それでも最後には、エルドリック自身が今回の件を収めると言っていた。
だからこそ、フレイアも今日まで余計な詮索をしなかったのだ。
なのに──。
「どうして、何の連絡も……」
フレイアは唇を噛む。
先ほどレックスに向けられた疑念が、胸の奥に刺さっていた。
──本当に分からないのですか?
「……分からないわよ」
誰に聞かせるでもなく呟く。
本当に知らない。
今回の襲撃については、何も聞かされていない。
ギルドの異常についても。
魔獣が王都へ雪崩れ込んできた理由についても。
父が今どこにいるのかさえ。
「……馬鹿ね、あたし」
自嘲するように呟く。
自分だって、カナデたちに同じことをしたばかりではないか。
目的のためなら多少の危険も仕方ない。
結果さえ出せば理解してもらえる。
そう思って、仲間に真実を隠した。
その自分が今、父から何も教えられていないことに不安を感じている。
「……よし」
フレイアは頬を軽く叩いた。
今は悩み、迷っている暇はない。
王都では今も人が襲われ、カナデたちも戦っている。
ミナトはたった一人で、この異常事態の原因を探しに向かった。
ならば、自分だけがここで立ち止まっているわけにはいかない。
「あたしが、立て直す」
フレイアは拳を握った。
魔力が身体を巡り、白銀の髪が微かに揺れる。
あの日から、剣を学んだ。
魔力を学んだ。
政治も、経済も、外交も。
全ては、あの人の役に立つために。
たとえ血が繋がっていなくても、本当の娘として見てもらえていなくても、自分が必要な存在だと認めてもらうために。
「この国を守ってみせる」
フレイアは窓際へ歩み寄った。
眼下には、混沌と化した王都が広がっている。
黒煙が幾筋も立ち上り、遠くでは建物が崩れ落ちる。
鳥型の魔獣が上空を旋回し、地上を走る獣型の群れが人々を追い立てていた。
それでも、逃げ惑う人々の間を騎士たちが走っている。
住民を庇う者。
魔獣へ立ち向かう者。
負傷者を運ぶ者。
この国は、まだ終わっていない。
「……あたしは、お父様の」
一瞬だけ、言葉が止まる。
昨夜、ミナトに話した言葉が蘇った。
──あたしは、あの人の“優秀な道具”になりたいから。
それを聞いた彼は、笑わなかった。
否定もしなかった。
ただ、自分の事情を聞いた上で、これ以上謝る必要はないと言ってくれた。
「…………」
胸の奥に、小さな温もりが生まれる。
だが、フレイアはすぐに頭を振った。
今は、それを考えている場合ではない。
「……優秀な道具なんだから」
自分自身へ言い聞かせるように呟く。
今まで何度も繰り返してきた言葉。
父の役に立ち、認めてもらう。
そのためなら、どれだけ努力しても構わない。
それが、自分の生きる理由なのだから──。




