第17話 15年と181日ぶりの再会です♪
信じられなかった。信じたくはなかった。
頭の中は完全に混乱していた。目の前で起きている事実を受け入れられずにいる。
受け入れたく、ない。
受け入れては、いけない。
「あ……あ……ぁ……」
言葉にならない呻き声が漏れる。
必死に否定の言葉を探すが上手くいかない。
そんな俺の狼狽を楽しむように、目の前の少女は微笑んだ。
「ふふ、感動のあまり声も出ませんか?兄さん、ずっと探してたんですよ?」
アリスの言葉は甘美な毒のように思考を麻痺させていく。
目の前の現実を受け入れることが出来ない。
「な、なんで……お前がこの世界にいるんだ……!」
「何故って……兄さんと同じ理由です♪」
「お、おま……お前は……」
「どうしました?そんな顔をして?」
心底楽しそうに笑うアリス──優奈。
俺は頭を抱えて蹲るしかなかった。
「う、嘘、だ……」
未だに信じられない。こんな非現実的なことが起こり得るはずがない。
「嘘?」
優奈の表情が一変する。
先程までの笑みは消え失せ、代わりに冷徹な光が宿った。
「わたしが嘘をつくと思いますか?」
何も言えない。言い返せない。
こいつは、自分が正しいと思ったことについては嘘をつかない。
いや──違う。
こいつにとっては、それが最初から「真実」なのだ。
それが分かってしまっているからこそ、否定できない。
「ぁ……あっ……あぁ……っ!」
「ふふっ……そんなに震えて……可愛い♪」
言葉が出てこない。頭が働かない。感情が追いついてこない。涙も出ない。
ただただ、恐怖を感じることしか出来ない。
「15年と181日ぶりの再会です♪」
「っ!?」
優奈は俺の首筋に腕を回し抱きつくように密着してきた。全身が硬直し動けなくなる。
体温と鼓動が直に伝わってくる。甘い吐息が耳にかかり、脳が蕩けてしまいそうな感覚に囚われる。
「アハッ♪そんなに怯えないでください?わたしと兄さんの仲じゃないですかぁ♡」
舌なめずりをしながら囁かれる言葉。
その一つ一つが毒となり、俺の精神を蝕んでいく。
「……もう、我慢できない」
優奈の顔が近づく。紅潮した頬と潤んだ瞳に射抜かれてしまいそうになる。
唇と唇が触れ合いそうな距離まで近づいたところで、その動きが止まった。
「ねぇ、兄さん?」
吐息混じりの声で囁かれる。その蠱惑的な音色は忘れもしない。
「わたしのこと……好きだよね?」
狂気に満ちた声色で紡がれる言葉。背筋が震える。
しかし同時に、俺の中に湧き上がるのは──前世でこの女から受けて来た数々の仕打ちへの怒りだった。
「……せ」
「はい?」
「離せっ!!」
咄嗟に魔力シールドを展開し、彼女の身体は容赦なく弾き飛ばされる。
室内にあったソファーや家具が激しい音を立てて散乱した。
「……もぅ、久しぶりの再会なのに相変わらず冷たいんですね」
「黙れ……黙れよ。それ以上近づくなら……」
警告の意味を込めて手に魔力を集約させる。
先ほどとは比べ物にならない規模の魔力密度。
……それでも、優奈は怯むことなく艶やかに微笑み続けていた。
その瞳に宿る狂気の光に背筋が凍る。
「ふふ……もう兄さんはわたしのモノなんですよ。前世では出来なかった分も沢山愛してあげますから♪」
「ふざけるな……俺は──俺はっ、もうお前の所有物じゃない!!」
言い終わるより早く強烈な魔力球を叩き込む。
それは優奈の足元で炸裂し、轟音と共に床材を粉砕した。舞い上がる埃と煙で彼女の姿が隠れる。
「次は殺すぞ……」
今の俺とこいつの実力差は明白。本気を出すまでもない。10分の1の魔力を解放すれば消し炭に出来るだろう。
……それなのに……俺の身体は子羊のように小刻みに震えていた。怒りでも恐怖でもないもっと根源的な部分からの畏怖。
「痛いですよ、兄さん。でも嬉しいです」
「……っ!」
「やっぱりわたしのこと、覚えてくれていたんですね♪」
煙が晴れる。
その向こうにいた優奈の姿を見た瞬間、息を呑んだ。
「……お前……」
先ほどの魔力弾をまともに受けた右脚が、膝下から失われている。
吹き飛ばされた脚は数メートル先の床に転がり、切断面から流れ出した鮮血が、白い床を赤く染めていた。
普通なら、立っていることすらできるはずがない。
それなのに。
「ふふ……」
優奈は片脚だけで身体を支えながら、笑っていた。
痛みに顔を歪めるでもなく。
悲鳴を上げるでもなく。
ただ、俺を見つめながら、恍惚とした笑みを浮かべている。
「ずっと……ずっと探していました。あの世界で兄さんが亡くなった日から……わたし、たくさん頑張ったんですよ?」
「……やめろ」
「でも、ようやく報われました。こうして生まれ変わって、また兄さんに出会えたんですから」
赤い雫が、優奈の足元へ落ちる。
一滴。
また一滴。
どう考えても重傷だ。
だが、本人には自分の身体などどうでもいいらしい。
目に映っているのは、俺だけだった。
「わたし、兄さんのためなら何でもします。どんなことだってしてみせます。だから、だからぁ……」
「やめろって言ってるだろっ!!」
叫ぶ。
これ以上聞きたくない。
こいつと話せば話すほど、自分の意思とは無関係に身体の震えが激しくなる。
心臓が張り裂けそうなほど脈打ち、息をするだけで喉が締め付けられる。
「もう遅いんですよ?兄さん♪」
「……っ」
優奈が、失われた脚へちらりと視線を向けた──次の瞬間だった。
切断面から、黒い靄のようなものが滲み出す。
「……なんだ、それ」
魔力──なのか?
今まで見たどんな魔力とも違う。
黒い靄は生き物のように蠢き、傷口を覆っていく。
だが、新しい脚が生えてくるわけではない。
肉は戻らない。
骨も形成されない。
ただ、出血だけが不自然なほど急速に止まっていく。
「応急処置ですよ」
優奈は何でもないことのように言った。
「流石に、なくなったものを一から作るのは大変なんです。ですから……」
床に落ちている自分の脚を見つめ、にこりと笑う。
「あとでちゃんと戻せばいいだけです♪」
「化け物が……」
「可愛い妹の間違いですよー?」
優奈は笑う。
未だ混乱する頭の中で、それでも一つだけ覚悟が固まった。
もう、あの頃の俺ではない。
こいつの実力は試合で把握している。
魔力も。
速度も。
攻撃能力も。
今なら勝てる。
いや──殺せる。
「アハッ♪兄さんがわたしを見てる!わたしだけを!やっと、わたしの存在に気づいてくれたんですね!」
「……っ」
頭が痛い。
気持ち悪い。
吐き気がする。
「あぁ、幸せ……最高です♪これ以上の幸福はありません♪だから──救ってあげるね!今度こそ、今度こそっ!!」
「……救う?」
今、こいつは何と言った?
救う?
誰が?
誰を?
お前が?
俺を?
「はは……」
前世で、俺の人生を滅茶苦茶にした張本人が?
俺の身体を鎖で拘束し、尊厳を奪い去った怪物が?
あの日──夕日の残る部屋で、俺のすべてだった彼女を、何度も何度も刺した、この女が?
──澪の顔が、脳裏に蘇る。
鎖に繋がれたまま。
血を流しながら。
最後まで俺を見ていた瞳。
助けて、と訴えていた。
なのに俺は何もできなかった。
指一本、動かせなかった。
「ふざけるなよ……?」
ふざけるな。
ふざけるな。
ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな──!
「お前がっ……!お前があああぁっ!!」
湧き上がる魔力が、堰を切ったように溢れ出す。
視界が赤く染まる。
理性の制御が利かない。
「お前が……!全部壊したんだろうがああぁぁっ!!」
魔力の奔流が室内を満たし、空間そのものが軋む。
圧縮された魔力密度に耐えられず、調度品が次々と弾け飛んだ。
「あははははははははッッ!!凄い!物凄い魔力!その力、ずっと!ずっとわたしを想って育ててくれたんですよね!? 嬉しい♪」
体内の魔力が暴れ狂う。
全身の血管が浮き上がり、殺意が一点へ向かっていく。
「ふふっ……まだまだ兄さんとお話ししていたいのですが、今日のところはここまでにしましょうか」
「っ!」
予想外の言葉に、一瞬だけ思考が止まる。
だが、すぐさま魔力を練り直した。
「残念ですが、今の私では兄さんの足元にも及びません。それに──」
優奈は、自分の右脚があった場所へ視線を落とす。
黒い靄が傷口を塞いでいるとはいえ、失われた脚そのものが戻ったわけではない。
片脚のままでは戦闘継続など不可能だ。
「帝国の皆さんに、この姿を見られるのも色々と都合が悪いですから」
「逃がすとでも思ってんのか!?」
「おや。よろしいのですか?」
優奈の目が細くなる。
「兄さんの大事なお友達に、今の姿を見られてしまいますよ?」
「っ……」
そこで気づいた。
廊下から、複数の足音が近づいている。
魔力の気配からして、ニアとカナデだ。
「覚えていてくださいね、兄さん。必ずまた迎えに行きますから」
「……二度と俺の前に現れるな」
「それはできません♪」
優奈の笑顔が深くなる。
「だって私──兄さんを愛していますから♪」
そう言うと、優奈は片脚のまま床を蹴った。
そして数メートル先に落ちていた、自分自身の右脚を拾い上げる。
「……何を」
俺が言い終えるより早く、優奈は切断された脚を自分の膝下へ押し当てた。
ぶつり……と、肉同士が触れる、生々しい音。
次の瞬間──。
黒い瘴気が爆発するように溢れ出した。
「っ!?」
靄は脚全体を包み込み、切断面へ蛇のように絡みついていく。
骨と骨を繋ぎ──
裂けた筋肉を寄せ──
血管を結び──
そして、最後に皮膚同士を縫い合わせる。
ほんの数秒……先ほどまで完全に分断されていたはずの脚が、最初から傷などなかったかのように元へ戻っていた。
床に残っていた血液さえ、黒い靄へ吸い寄せられるように消えていく。
「…………」
再生ではない。
これは──修復。
肉体を、あるべき状態へ戻している。
「バイバイ──“優也”兄さん♪」
「──っ!」
瞬間、黒い瘴気が優奈の身体を包み込む。
直後。
ドアが蹴破られるように開いた。
「おい! なんだよさっきの……」
ニアとカナデが駆け込んでくる。
だが。
そこに優奈の姿はなかった。
床に広がっていた大量の血もない。
俺が吹き飛ばした家具も、壁も、床も──。
「……は?」
何事もなかったかのように、元通りになっている。
いや、さっきの脚と同じだ。
壊れたものを新しく作ったわけじゃない。
壊れる前の状態へ、修復した。
そんな馬鹿げたことが、魔力で可能なのか?
「………」
「お、おい。どうした?」
「ミナト? 大丈夫?」
ニアとカナデが心配そうに俺を見る。
だが俺は、何も答えられなかった。
頭の中ではただ一つ。
あの黒い魔力だけが、いつまでも焼き付いていた。
(……どういうことだ)
魔力にこんな使い方があるなんて聞いたことがない。
これではまるで超能力、もしくは幻術だった。いや、魔術か。
「おーい?」
とりあえず、今はこいつらの説得が先だろう。
「何だよ、兄妹そろって。どうかしたのか?」
「あ、いや……さっき、やたらでかい爆発音が……」
「……爆発音?俺は聞こえなかったぞ」
自分でも驚くほど冷静だった。
何事もない部屋に困惑するニアに適当な説明をする。
当然納得しそうになかったが最終的には押し切った。どう考えても正直に話せることではない。
「ま、いっか。つか、アリス様は?もう帰ったのか?」
「ああ、元々さっきの試合の反省点を少し話し合ってただけだしな」
「お前、妙なこと言ってねえだろうな。責任はオレが持つんだからな!」
「そうか。その時は頼む」
「おまっ、こんの脳筋王子!」
ニアとやり取りをしている最中も脳裏からあの異様な光景が離れてくれない。
どうして?
なぜ?
何故、あいつが──優奈がこの世界に存在している?
「ったく、この野郎……戻るぞ。アルフェン様に報告しないと」
「……ああ」
ニアと共に部屋を出ようとする。
ドアノブに手をかけたところで、左手が何かに包まれるような感触を感じた。
「っ!?」
思わず魔力障壁を展開しようとした瞬間──。
「手、震えてるよね?」
振り向くと、いつの間にか背後に立っていたカナデが両手で俺の左手を握りしめていた。
「何があったの?」
真剣な眼差しで問いかけてくる。
包まれた感触から伝わって来るのは確かな温もり。俺の鼓動を落ち着かせてくれる不思議な感覚。
……俺はその視線に耐え切れず、目を逸らした。
「別に。気のせいだろ」
無理やりその手を振り払い、そのまま部屋を後にした。




