黙って口を開けていれば、飴がもらえるとでも?――王太子の尻拭いをやめた公爵令嬢
「イザドランデ・オルディネ公爵令嬢。私は本日をもって、君との婚約を解消する!」
王宮の大広間に、セブランス王太子の声が響いた。
その隣には、白い衣を纏った聖女ネリネが立っている。
セブランスは彼女の肩を抱き、広間の中央に一人で立つイザドランデを睨みつけていた。
「君がネリネへ行った数々の嫌がらせは、もはや看過できない。公爵令嬢という身分を利用し、聖女を虐げた罪を、この場で明らかにする!」
「まあ」
イザドランデは、口元を覆っていた扇を閉じた。
「ようやく殿下の方から、婚約を解消してくださいますのね」
「なに?」
「喜んでお受けいたしますわ」
あまりにあっさりとした返答に、セブランスの方が戸惑った。
広間へ集められた貴族たちも、顔を見合わせている。
「ただし」
イザドランデは右手の手袋を外した。
「虚偽の罪状を挙げられるたび、わたくしも腹が立つと思いますので、その点だけはご了承くださいませ」
「何を言っている」
「どうぞ、お続けになって」
セブランスは眉を寄せながら、最初の書面を掲げた。
「第1の罪! 君は、ネリネを歓迎するための祝宴を一方的に中止した!」
イザドランデはセブランスの前まで歩いた。
ぱんっ。
乾いた音が、大広間へ響き渡った。
「イザドランデ!」
「隣国の大使へ、招待状を発送されましたか?」
赤くなった頬を押さえるセブランスへ、イザドランデは尋ねた。
「何の話だ」
「祝宴の招待状です。殿下がお預かりになったまま、執務机の引き出しへ入れておられました」
イザドランデは、1通の封書を取り出した。
王太子の印章が押されているが、封はされたままだ。
「招待客の3割へ、招待状が届いておりませんでした。隣国大使に至っては、祝宴が開かれることすらご存じなかった」
「そんなもの、後から知らせればいい!」
「祝宴の当日に?」
イザドランデは眉を上げた。
「隣国大使を招かず、国内の貴族だけで聖女様を祝えば、王家が隣国を軽視したと受け取られます」
「ならば延期すればよかっただろう!」
「延期と発表すれば、招待状を発送していなかった理由を問われます」
イザドランデは扇でセブランスを指した。
「ですから会場設備に不備が見つかったことにして、祝宴そのものを中止しました」
広間の端に立っていた王宮儀典官が、重々しく頷いた。
「中止理由の調整と各家への謝罪は、すべてイザドランデ様が行われました」
「わたくしが祝宴を中止したのではございません」
イザドランデは言った。
「殿下が開催できない状態にした宴を、醜聞にならない形で終わらせたのです」
「だが、ネリネは悲しんだ!」
「殿下の失態を公表し、国中で笑いものにする方がよろしかったのですか?」
セブランスは答えず、次の書面を掴んだ。
「第2の罪だ! 君は、私がネリネへ贈った首飾りを取り上げた!」
ぱんっ。
「だから叩くな!」
「また腹が立ちましたので」
イザドランデは悪びれもせず答えた。
「その首飾りは、隣国王妃から国王陛下へ預けられた宝石です」
「美しい宝石を、美しい女性へ贈って何が悪い!」
「窃盗ですわね」
大広間が静まり返った。
「隣国王家に代々伝わる《青月の雫》。来月返還する予定だった品を、殿下は宝物庫から無断で持ち出されました」
「私は王太子だ!」
「王太子であって、宝物庫の中身を好きに配る権利をお持ちではありません」
「いずれ私の物になる!」
「隣国王家の宝石が?」
セブランスは口を閉じた。
イザドランデはネリネの胸元へ視線を向ける。
そこには、淡い青色の石を連ねた首飾りがあった。
「では、この首飾りは……」
ネリネが震える声で尋ねた。
「わたくしが用意したものです」
「あなたが?」
「聖女様へ贈った品を取り上げたと知られれば、殿下のお立場がございませんもの。似た意匠の首飾りを、わたくしの私費で作らせました」
ネリネの指が、首飾りから離れた。
「わたくしは本物を宝物庫へ戻し、保管記録を修正し、返還時に不審を抱かれぬよう隣国王妃へ確認の書簡まで送りました」
イザドランデはセブランスを見る。
「盗んだ品を返した者が悪役で、盗んで贈った方が愛情深いのですか?」
「ネリネを喜ばせたかっただけだ!」
「他人の物で?」
広間のどこかから、堪えきれない笑い声が漏れた。
セブランスは顔を赤くし、3枚目の書面を開いた。
「まだある! 君は、外交晩餐会の途中でネリネを追い出した!」
ぱんっ。
先ほどよりも大きな音がした。
「殿下がネリネ様を、隣国王女より上座へ座らせたからです」
「ネリネは聖女だぞ!」
「隣国王女は、次代の女王です」
「聖女の方が尊い!」
「それを隣国王女の前で仰っていれば、国交が終わっておりましたわね」
イザドランデはネリネへ視線を移した。
「わたくしはネリネ様が体調を崩されたことにして、晩餐会から退席させました」
「でも」
ネリネが、唇を尖らせた。
「もっと優しく説明してくだされば、わたしだって納得しました」
「殿下の命令が、外交儀礼を無視したものだと?」
「それは……」
「あなたの愛する方が、席次すら理解していないと説明すればよろしかったのですか?」
ネリネは黙った。
「わたくしは、あなたに恥をかかせず、殿下の無知も公にせず、隣国王女の機嫌も損ねない方法を選びました」
イザドランデは首を傾ける。
「それでも、言葉が優しくなかったことの方が問題ですの?」
ネリネの目に涙が浮かんだ。
セブランスが、彼女を庇うように前へ出る。
「ネリネを泣かせるな!」
「泣けば、殿下の無知が消えるのですか?」
「君という女は!」
「次の罪状をどうぞ」
イザドランデが促すと、セブランスは最後の書面を握り締めた。
「第4の罪! 君は、ネリネが勤める治癒院への支援金を止めた!」
ぱぁんっ。
その日、最も大きな音だった。
セブランスの顔が横を向く。
「同じ金貨4000枚を、3か所へ配ると約束したからですわ」
「何を言っている」
「治癒院の薬品購入に金貨4000枚。聖女様の新しい礼装に金貨4000枚。歓迎祝宴の追加費用に金貨4000枚」
イザドランデは、3枚の決裁書を並べた。
「殿下は、同じ予算を3回使おうとなさいました」
「必要な支出だった!」
「必要なら、金貨が勝手に3倍へ増えるのですか?」
「王家の金だぞ!」
「王家の金庫にも、入っている以上の金貨はございません」
財務官が、恐る恐る一歩前へ出た。
「イザドランデ様の仰るとおりです。王太子殿下からは、同じ予算番号で3件の支出命令が出されました」
「なぜ私に報告しなかった!」
「報告書は、毎回お送りしております」
「届いていない!」
「殿下が未開封のまま、暖炉の横へ積まれていた書類です」
セブランスの口が閉じた。
「治癒院の薬品が必要でしたので、わたくしの持参金から不足分を立て替えました」
イザドランデは続けた。
「礼装は来年度へ延期。祝宴は、先ほど申し上げたとおり中止。財務官と治癒院へ頭を下げ、帳簿を組み直したのもわたくしです」
「それは、君が勝手に!」
「存在しない金貨を使えなかった罪まで、わたくしが負うのですか?」
セブランスは周囲を見回した。
誰も彼を庇わない。
彼が罪状を挙げるたび、明らかになるのはイザドランデの悪行ではなかった。
セブランス自身の失態だった。
「こんなものは、すべて言い訳だ!」
セブランスが叫ぶ。
「君は昔から冷たかった! 私が何をしても、褒めもせず、微笑みもしない!」
「褒めるべきことをなさいましたか?」
「私は王太子だ!」
「ご身分の確認ができて何よりですわ」
イザドランデは、ネリネへ向き直った。
「わたくしには、本当に理解できませんの」
「何がですか」
「こんなポンコツの、いったいどこがよろしいのです?」
ネリネの目が見開かれた。
「地位? 名誉? それとも、お金?」
「違います! わたしは、セブランス様のお優しい心を――」
「それでしたら、この方をいつでも差し上げましたのに」
イザドランデは心底不思議そうに、セブランスを見た。
「そんな俗物的なもの、わたくしには不要ですので」
「私を物のように言うな!」
「物の方が、まだ役に立ちますわ」
広間のあちこちから、今度こそ笑いが起こった。
セブランスの顔が、平手とは別の理由で赤くなる。
「そこまで私のために後始末をしてきたのなら、私への愛情があったのだろう!」
イザドランデの表情から、笑みが消えた。
「ご自分は愛情を示さずして、要求だけはなさるのですね」
「私は君を王太子妃にしてやるつもりだった!」
「それは、わたくしと出会う前に両家が決めた婚約です」
「王妃の地位を与える!」
「仕事を与えることを、愛情と呼びますの?」
「王家の名誉も、財産も!」
「先ほどから、不要だと申し上げております」
イザドランデは、セブランスの前へ立った。
「わたくしは殿下の失敗を隠し、代わりに謝罪し、金を工面し、関係者へ頭を下げてまいりました」
「それが婚約者の役目だ!」
「では、殿下は婚約者であるわたくしに、何をしてくださいましたの?」
セブランスは答えない。
「わたくしが差し出すことを愛情と呼び、ご自分が受け取ることだけを当然と思っておられた」
イザドランデは、外していた右手の手袋を床へ落とした。
「黙って口を開けていれば、飴がもらえるとでも?」
「な――」
右足を踏み込む。
腰を回し、肩を入れる。
イザドランデの右拳が、セブランスの顔面へ真っすぐ突き刺さった。
鈍い音が響く。
セブランスの身体が後ろへ飛び、床へ尻もちをついた。
広間が静まり返る。
イザドランデは右手を軽く振った。
「失礼。最後は平手では足りないほど、腹が立ちましたの」
「き、君は……王太子を殴ったのだぞ!」
「はい」
イザドランデは平然と答えた。
「それが何か?」
「罪になる!」
「では、どうぞ告発なさいませ」
イザドランデは、床へ座り込んだセブランスを見下ろした。
「今度こそ、ご自分で最後まで処理してくださいまし」
懐から、署名済みの婚約解消受諾書を取り出す。
「わたくしがしてきたことは、愛情ではございません」
それをセブランスの前へ落とした。
「婚約者としての義務と、王家への忠誠ですわ」
「待て!」
「どちらも、本日をもって終わりました」
背を向けたイザドランデへ、セブランスが叫ぶ。
「これから起きる問題はどうする! 祝宴の後始末も、隣国への説明も、治癒院の予算も残っている!」
「ご自分でなさればよろしいでしょう?」
「私には王太子の仕事がある!」
「今まで、その王太子の仕事までわたくしが片づけていたのです」
大広間の扉が開く。
外では、公爵家の侍女と護衛がイザドランデを待っていた。
「わたくしの仕事を、誰が引き継ぐのかと心配しているのではございません」
「では、何を心配している!」
イザドランデは振り返った。
「殿下の失敗を、今後は誰が隠してくださるのかと思いまして」
セブランスの顔が固まる。
「もっとも」
イザドランデは美しく微笑んだ。
「それを考えるのは、もうわたくしではございませんわね」
その日から、セブランス王太子の失敗は、誰かの気遣いによって消えることはなくなった。
招待状を出し忘れれば、招待客は来ない。
使えない金貨を約束すれば、支払いは滞る。
外交儀礼を間違えれば、隣国から抗議が届く。
そして問題が起きるたび、セブランスは同じ言葉を叫んだ。
「イザドランデを呼べ!」
だが、その命令に従う者は、もう誰もいなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、
「細けえことはいいんだよ。殴らせろ」
という精神で書きました。
罪状を1つ挙げるたびに平手打ち。
正論で叩き返し、最後は平手ではなく右ストレート。
制度も、手続きも、王太子を殴って許されるのかという問題も、今回は考えておりません。
考え始めると、イザドランデが殴れなくなりますので。
普段は、断罪したあと誰が仕事をするのか、責任はどこへ行くのか、その後どう国を回すのかまで考えてしまうのですが、たまには何も背負わせず、ただ痛快に終わる話もよいのではないかと思いました。
――と言いつつ、罪状が招待状、外交儀礼、予算の重複、後始末と、しっかり私らしくなっているあたりは、ご愛嬌ということで。
なお、イザドランデはツンデレですが、セブランス殿下へデレる部分は、最初から最後までございません。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。




