パワハラ現場は見過ごせません
そして五歳。
ラグランジュ王国の貴族の子女にとって、社交界という巨大な舞台に初めて立つ特別な日。
アルヴェルト公爵家の娘として、私も王宮で開催される親睦茶会へ出席することになった。
「ああ……リリアーナ、なんて愛らしいんだ! まるで女神が地上に舞い降りたかのようだ。いや、女神ですら霞んでしまうだろう!」
出発の直前、父であるアルヴェルト公爵は、私の姿を見るなり大粒の涙を流して悶絶していた。
「お父様、あまり動くとドレスの裾がシワになってしまいますわ」
「うっ、すまない! だが、こんなにも無垢で可憐なリリアーナを一人で送り出すなんて……。やはり私も付いていく! 影から見守るから!」
「あなた、いい加減になさって」
鼻息荒く立ち上がった父を制したのは、冷静な母の扇だった。
「今回の茶会は、自立心と社交の基礎を養うための、五歳児たちだけによる親睦会ですわ。親が同伴するなど、アルヴェルト家の恥を晒すようなものです」
「しかし、もし意地悪な輩に絡まれたら……!」
「リリアーナなら大丈夫ですよ。ねえ?」
母の視線を受け、私は淑女の微笑みを浮かべて深く頷いた。
(……うん、本当に美しい見た目ね。前世ではスーツで分刻みの会議を回していたのに、今はお人形みたいにお茶会。中身はアラサーなんだから、子供同士の交流くらい何とかなるわ。お父様、心配しすぎよ)
過保護な父をなんとか宥めすかし、私はお人形さんのような完璧な装いで、一人王宮へと向かう馬車に乗り込んだ。
しかし、王宮の空中庭園に一歩足を踏み入れた瞬間、その平穏な思いは一瞬で打ち砕かれた。
「ぬるい! こんな不味いものを、僕に飲ませるつもりか!」
ガチャン! と鋭い音が響き、白磁のカップが石床で粉々に砕け散った。
黄金の髪を陽光に輝かせ、五歳にして完成された彫刻のような美貌を持つエドワード王太子殿下。
彼は、震えながら平伏する給仕の侍女を、冷たく睨みつけていた。
「次にこんなものを持ってきたら、今すぐクビだ。……いや、お前の家族ごと国から叩き出してやろうか?」
周囲の子供たちは、あまりの剣幕に顔を青くして震えていた。
その殿下のすぐ傍らで、黒髪の端正な顔立ちをした少年が、恐怖の入り混じった表情で声を絞り出した。
私は、その少年を一目見て、お母様から事前に叩き込まれていた情報を脳内リストから引き出した。
(……確か、カイル・フォン・ヘイワード侯爵令息。私より二つ年上の七歳。ヘイワード家は王家に次ぐ高位貴族で、彼はその次期当主にして王太子の筆頭側近候補……。名門の跡取りが、あんなにオロオロしちゃって。苦労してるわね)
「で、殿下……あの、皆が見ておりますし、そのくらいで……。彼女もわざとでは……」
「黙れカイル! お前まで僕に逆らうのか!」
(……ため息が出るわね。あんなに綺麗な顔をして。前世でも、余裕がなくて周りに当たってしまう人はいたけれど……そんなの、本人が一番虚しくなるだけなのに)
私は、手に持っていたマドレーヌをそっとお皿に戻すと、小さく息を吸い込み、とてとてと殿下の前へ歩き出した。
「――殿下。失礼ですが、そんなに怖いお顔をされては、美味しい紅茶も味がしなくなってしまいますわ」
驚いて私を見る殿下に、私は背筋をピンと伸ばし、お母様に教わった完璧な所作で一礼してから、その瞳を真っ直ぐに見据えた。
「リリアーナ・フォン・アルヴェルトです。殿下、怒鳴り散らして周りを怖がらせても、美味しい紅茶は出てきませんわ。むしろ、怯えた侍女の手が震えて、次は殿下の服に熱い紅茶がかかってしまうかもしれません」
「なんだと……っ! お前、僕に説教するつもりか!」
立ち上がった殿下は私を威圧しようとしたが、私は一歩も引かなかった。
むしろ、幼い彼が背負っている「王太子としてのオーラがなければならない」という強迫観念のようなものが透けて見えて、胸が痛んだ。
「それから、カイル様も。殿下が間違った方向に走ってしまわれそうな時は、しっかりと隣で支えて、止めてあげるのが本当の側近ではありませんか?」
「えっ……ぼ、僕にまで……?」
カイル・フォン・ヘイワード侯爵令息は、まさか自分にまで言葉の矛先が向くとは思わなかったようで、驚きに目を見開いた。
私は、いたずらを見つけた母親のような、でも心からの慈しみを込めた眼差しで、そっと指を一本立てた。
「殿下、本気で皆に慕われる王様になりたいのなら――だーめ、ですよ。そんなわがまま。」
「っ……!!」
殿下は絶句した。
生まれて初めて正面から否定され、けれどそこに悪意がないことに混乱しているようだった。
「っ…お、王太子の僕に…!!生意気なんだよ、 無礼者!!お前なんて大嫌いだ! もういい、今日のお茶会はおしまいだ! みんな帰れ!」
殿下はお顔を真っ赤にして、逃げるように走り去ってしまった。
周囲が呆然とする中、私は残されたカイル様に小さく会釈した。
「カイル様も、お疲れ様です。……お優しい心をお持ちで…あまり無理をなさいませんように……それにときにはビシッと言ってやってもいいんですよ!」
「……リリアーナ、様……」
カイル様は、信じられないものを見たという顔で私を凝視していた。
侯爵家の跡取りとして、常に王家に忠実であることを求められてきた彼にとって、王太子に毅然と立ち向かい、かつ自分の心まで見透かしたような五歳の少女は、まさに衝撃だったのだろう。
そして――胸の奥が、じくりと痛んだ。
(……僕は、何をしていたんだ)
殿下が怒鳴るたび、場を収めようとするばかりで、本当に言うべきことは何一つ言えていなかった。
王太子の側に立つ者として、それで良いはずがないのに。
(殿下の隣に立つっていうのは……ただ従うことじゃない)
少女の言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
――殿下が間違った方向に走ってしまわれそうな時は、止めてあげるのが本当の側近ではありませんか?
カイルはぎゅっと拳を握った。
まだ小さな手だったが、その指先には確かな力がこもっていた。
(……次は、ちゃんと言う)
たとえ殿下に怒鳴られても、嫌われても。
それでも隣に立ち続けるのが、自分の役目なのだから。
カイル・フォン・ヘイワードは静かに顔を上げた。
さっきまでの戸惑いは消え、その瞳には、侯爵家の跡取りらしい静かな決意が宿っていた。
カイルはぎゅっと拳を握った。
まだ小さな手だったが、その指先には確かな力がこもっていた。
(……次は、ちゃんと言う)
たとえ殿下に怒鳴られても、嫌われても。
それでも隣に立ち続けるのが、自分の役目なのだから。
カイル・フォン・ヘイワードは静かに顔を上げた。
さっきまでの戸惑いは消え、その瞳には、侯爵家の跡取りらしい静かな決意が宿っていた。
そして彼は、くるりと踵を返した。
「……失礼します、リリアーナ様」
ぺこりと小さく頭を下げると、カイルは王太子が走り去った方へ駆け出した。
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