春陽の庭園、揺れる花冠
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続きは夜を予定しています。
エルがこのアルヴェルト公爵邸にやってきてから、数日が経った。
あの日、応接室で感動の(?)再会を果たしたのも束の間。
私はお父様によって、すぐさま自室へと強制送還されてしまった。
「リリアーナ! 悪い虫がつかないよう……いや、病み上がりの体には安静が一番だからね!」という、お父様の涙ながらの訴えにより、私は「お部屋から一歩も出ちゃダメ」という徹底的なお姫様監禁ライフを送り、同じ屋根の下にいるエルとは、一度も顔を合わせられずにいた。
けれど、部屋に食事を運んでくる執事のセシルから、「エル様は慣れない勉強や作法に戸惑いながらも、投げ出すことなく懸命に励んでおられますよ」と聞き、私は心の中でエルの奮闘を応援していた。
彼は今、新しい一歩を踏み出そうとしている。
その事実は、私にとってとても嬉しいニュースだった。
そして今朝、侍女メアリが「本日は、お庭まででしたら外出の許可が出ております」と告げたその一言に、私は思わず顔を輝かせた。
「本当!? 外に出てもいいのね!」
「はい。ただし、長時間は不可。必ず日陰で休憩を挟むこと、それと――」
「お父様には内緒……ではないわよね?」
「……はい。既に公爵閣下より、分厚い指示書と共に許可をいただいております」
にこやかに、けれど「逃がしませんよ」と言わんばかりのプロの笑みで返されて、私は少しだけ肩を落とした。
指示書、という単語に、お父様が朝の執務の合間に「リリアーナが庭で転んだらどうするか」などを延々と書き連ねている光景が容易に想像できてしまったからだ。
(やっぱり完全な自由ではないのね……。でも、部屋から出られるだけでも進歩だわ)
そう、それは私にとっては十分すぎる朗報だった。
屋敷の庭に出るのはあの誘拐事件以来、初めてなのだから。
そして、もしかしたら……という期待を胸に、私は外へ出た。
重厚な扉を開け、テラスを抜けて一歩外へ踏み出す。
まず感じたのは、柔らかな風の愛撫だった。
整えられた芝生の確かな感触。
色とりどりの花々が、陽光を一身に浴びて誇らしげに揺れている。
「……きれい」
思わず、ぽつりと独り言が漏れた。
あの地下の冷たく閉ざされた空気とは、まるで違う世界。
胸の奥が、じんわりとほどけていく。
「リリ……リリアーナ様」
後ろから、少しだけ硬い声がした。
振り返ると、そこにいたのはエルだった。
数日ぶりに見る彼は、以前よりもずっと整えられた服装で、背筋も、どこか意識して伸ばされているように見える。
「エル! 来てくれたのね。お勉強、頑張っているって聞いたわ」
「はい。……お誘い、ありがとうございます。リリアーナ様」
――一瞬、私の思考が止まった。
(……あれ? 今の、誰?)
今の言い方。
語尾の上げ方、そして完璧な角度の会釈。
以前のエルなら、「呼ばれたから来た」とか、もっとぶっきらぼうな振る舞いをするはずなのに。
「ふふ、エル。そんなにかしこまらなくていいのよ?」
私がクスクスと笑いながら言うと、エルはほんの少しだけ困ったように眉を寄せた。
「……いえ、その……現在、言葉遣いと所作を『矯正中』でして。意識をしなければならないのです。」
「矯正中?」
「はい。公爵閣下より『アルヴェルトの名を汚さぬよう、最低限の礼儀を身につけろ』と。……特に、リリアーナ様の前での振る舞いについては、一文字間違えるごとに教育係の目が光るのです」
エルは少しだけ遠い目をしていた。
その視線の先には、きっとお父様が差し向けた恐ろしく厳しい家庭教師の姿があるのだろう。
容易に想像がついた。
「家庭教師もついているの?」
「……ついています。かなり厳しい方です」
短く答えるその声に、わずかな疲労が滲んでいた。
けれど同時に、以前の彼にはなかった「言葉を選ぼうとする慎重さ」がある。
それが少しだけ――。
(……なんだか、くすぐったいわね。あのエルが、頑張ってお貴族様ごっこをしているなんて)
「でも、無理に変えなくてもいいのに。私は、前のエルの話し方も嫌いじゃなかったわよ?」
ぽつりとそう言うと、エルはきょとんとした顔をして私を見た。
「……どうしてですか」
「だって、エルはエルでしょう? そのままでも、地下では私を助けてくれたし、ちゃんと優しかったもの」
まっすぐに見つめてそう言うと、彼は一瞬だけ言葉を失ったように硬直した。
それから、彼はふいっと視線を逸らした。
「……そのままでは、駄目らしいです」
小さく呟かれたその声は、どこか寂しげな響きを含んでいた。
私はそれ以上深くは聞かなかった。
代わりに、ふっと芝生の上にしゃがみこんで、足元に咲く小さなシロツメクサに手を伸ばした。
「エル、見て。このお花、編めるのよ」
細い茎を丁寧に、絡めるように編んでいく。
一輪、また一輪と繋げていくと、やがて白と淡い桃色が混ざり合った、小さな輪が形になっていく。
「……それは、何を作っているのですか?」
「花冠よ。こうやって――ほら、できたわ」
くるりと手首を返して形を整える。
手のひらの上に完成した、小さな冠。
「リリアーナ様が……今、お作りになったのですか」
「ええ。簡単なのよ?」
私が顔を上げて笑うと、エルは少しだけ目を見開いて呟いた。
「……その、綺麗です」
「本当? ありがとう、エル」
素直な感想に、少しだけ頬が熱くなる。
「エルもやってみる?」
私が誘うと、彼はゆっくりと隣にしゃがみこんだ。
「……やり方を、教えていただけますか」
あまりにも丁寧すぎる言い方に、私はついに耐えきれず吹き出した。
「あはは! もう、“いただけますか”なんて言わなくていいのに!」
「……練習中なので」
「ふふ、そうだったわね。じゃあ、まずはこの茎をこうして……」
二人で並んで、花を編む。
エルの手は大きくて、不器用に茎を折りかけては、彼は「……っ」と小さく舌打ちしかけて――すぐにはっとして、慌てて口を閉じる。
その一連の動きが、おかしくて。
「今の、出てたわよ?」
「……すみません」
「謝らなくていいのに」
思わず本音で笑うと、エルも少しだけ、困ったように笑った。
穏やかな風が通り過ぎる。
花の香りと、柔らかな陽射し。
「……こういうの、初めてです。庭で、何かを作るのも。……誰かと、こうして過ごすのも」
「そうなの?」
「はい。……悪くない、です」
必死に教わったばかりの丁寧な言葉を探しながら、それでも彼は、確かにそう言った。
その声は、陽だまりのように柔らかくて。
(……よかった)
心から、そう思った。
地下で見た彼は、いつも張り詰めていたから。
今、こうして花を一輪折るたびに「あ、しまった」なんて顔をしている彼の方が、ずっと「年相応の男の子」に見える。
「ねえ、エル。今度はもっと大きいのを作りましょう? みんなで。アリシア様たちも呼んで」
私が未来の約束を口にすると、エルは少しだけ考え込むような素振りを見せた後、「……それも、いいですね」と、小さく頷いた。
そのときだった。
「……っ」
ほんの一瞬。
エルの動かしていた指先が止まった。
「エル?」
「……いえ。なんでもありません」
すぐに彼は動き出した。
けれど、その指先はわずかに強張っていて――。
手に持っていたシロツメクサの茎が、ぱきりと折れた。
「……すみません。折ってしまいました」
「大丈夫よ、エル。また繋げればいいもの。ほら、この花を使って」
私は何も気に留めず、新しい花を彼に手渡した。
エルはそれを受け取って、静かに作業を続ける。
何事もなかったかのように。
ほんの一瞬だけ浮かんだ、あの違和感。
けれど、温かな春の陽だまりは、甘い花の香りと共に、それを優しく覆い隠していた。
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