表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
過労死した社畜は公爵令嬢に転生しました 〜努力が報われる世界なので今度は幸せになります〜  作者: みじんこ醤油


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/34

無機質な目覚め

続きは明日の予定です。


――暗い。


どれほどの時間が経過したのか、知る術はない。

耳を打つ音もなく、網膜を焼く光もない。

ただ、どこまでも深い泥のような静寂の中に、自分という存在が溶け出していくような感覚だけがあった。


(…………)


意識が、微かな浮力を得てゆっくりと海面へと浮かび上がる。


重い。

まるで鉛の鎧を着せられたかのように、身体が自分のものではないような違和感を伴って動かない。


(……ここは、どこだ)


思考の歯車が、錆びついたように遅い。

一つの疑問を言葉の形に成すまでに、妙に時間がかかる。


まずは生存を確認するように、指先に意識を集中させた。


ぴくり、と。

わずかな痙攣。

遠くの方から鈍い神経の感覚が返ってくる。


(……動く。まだ、死んでないみたいだ)


次に、肺の動きを意識する。

呼吸は浅く、吸い込む空気は冷たい。

心臓の鼓動は止まってはいなかった。


――生きている。


その事実だけが、今のエルにとって唯一の鮮明な情報だった。


粘つくような重さを撥ね退け、ゆっくりと、まぶたを押し上げる。


白。

視界いっぱいに広がったのは、一切の汚れを許さぬような、無機質な白だった。


天井だ。


(……地下じゃない)


あの、湿った土と古い石に囲まれた、窒息しそうな圧迫感はない。


だが。


(……静かすぎる。不自然なほどに)


生活の音が、ない。


廊下を歩く誰かの足音も、風が窓を叩く音も、人の気配さえも。

すべてが何重もの防壁に遮られているかのように、遠い。


(……どこだ、ここは)


眼球だけを動かし、周囲を検分する。


部屋は決して広くはないが、隅々まで整えられていた。

清潔で、機能的。


――整いすぎている。


それは安らぎのための寝室というよりは、何か得体の知れない劇物を「閉じ込める」ために設えられた、実験室か檻のようだった。


(…………)


上半身を起こそうと、腕に力を込める。


「……っ」


力が入らない。

脳が命じた指令が、末端に届くまでに霧散していくような感覚。

腕を支えにするどころか、持ち上げることすら叶わない。


遅れて、その理由を理解する。


(……重い。魔力が、身体を縛ってる?)


筋肉が動かないわけではない。

動く。


だが、思った通りの速度、思った通りの強度で、肉体が反応してくれない。

まるで、水深数百メートルの水圧の中で動かされているような、奇妙なズレ。


「…………」


熱を帯びた吐息をこぼす。


焦りはない。

ただ冷淡に、現状を確認し続ける。


(手首の拘束は……ない。足も自由だ)


手首を見ても、目に見える枷はない。

だが、これを自由と呼ぶには、あまりにも不自由だった。

自分の身体でありながら、どこか別の生命体と噛み合っていないような、気味の悪い違和感。


――その時だった。


「……目が覚めたか」


背後から、低く抑えられた声が投げかけられた。


視線を向ければ、部屋の隅、影に溶け込むようにして一人の男が立っていた。

鎧を纏ってはいない。

だが、背筋の伸び方、纏っている空気だけで、普通の人間ではないことが分かる。


(……見張り、か)


男は感情を読み取らせない無機質な眼差しで、エルを見つめている。


そこにあるのは明確な警戒でも、あるいは敵意でもない。

ただ、檻の中の猛獣が目覚めたかどうかを確認するような、純粋な「観察」だった。


「…………」


エルは何も答えない。


数秒。

あるいは数分。


張り詰めた沈黙が、重い空気の中に溶け込んでいく。


「……聞こえているな。意識が混濁しているわけではなさそうだな」


男が再び口を開いた。


「……うん」


声を出す。

自分のものとは思えぬほど掠れ、ひび割れた声だった。

だが、出る。

意思を疎通させる機能は死んでいない。それで十分だ。


「ここは王城内の特別医療区画だ。お前は、地下施設からアルヴェルト公爵閣下の手によって保護された」


(……保護、か)


その言葉を、頭の中で反芻する。


状況からすれば救出なのだろう。

だが、この部屋に漂う断絶した空気は、決して「歓迎」を意味しているようには思えない。


男はわずかに間を置き、淡々と付け加える。


「……もっとも、“保護対象”として扱われているかどうかは、別の話だがな」


「……みんなは?」


短く問う。

一番確認すべきこと。


「共にいた子供たちは全員無事だ。アルヴェルト公爵令嬢も、フォード侯爵家の双子も。今はそれぞれの場所で治療を受けている」


男の即答に、エルは僅かに視線を落とした。


「……そっか」


それ以上は聞かない。

聞く必要もなかった。

あの時の結果がこの一言に集約されていたからだ。


「……お前の名前は」


男が続ける。

偽りがないか確認でもするような、事務的な響き。


「……エル」


短く答える。


それ以上でも、それ以下でもない。

今の自分に残っているのは、その一音だけだ。


男は小さく頷いた。


「……そうか。エル。……それ以外の身元については、追って調査されることになる。今は寝ていろ」


男はそれ以上の追及をせず、再び観察者の沈黙へと戻っていった。


エルはゆっくりと、自分の手元へと視線を戻す。

白磁のような肌の上で、指先がわずかに震えている。


(……遅い)


動きが。

思考の回転が。

世界を認識する解像度が、ほんの少しだけ以前とは異なっていた。


(……何をしたんだ、あの男たちは)


記憶を辿る。


崩落する地下施設の天井。

公爵から放たれた、天を焦がすような威圧感。

リリを抱きとめる、あの巨大な魔力。


そして――


あの「白衣の男」が口にした、意味の分からない“あの一言”に呼応して、底無し沼のように何かが溢れ出した瞬間。


「…………」


核心に触れようとした瞬間、脳裏に鋭い火花が散った。


「――やめておけ」


男の声が、遮るように落とされた。


エルが顔を上げると、見張りの騎士は冷徹な眼差しのまま言った。


「無理に思い出そうとするな。お前の身体は、今、極めて不安定な状態にある。魔力の奔流を脳が処理しきれていない。これ以上の負荷は、自壊を招くぞ」


「……わかった」


素直に引き下がり、思考を霧の中に逃がす。

ここで無理をしても、自分の現状が悪化するだけだ。

エルには、無謀な意地を張るだけの気力もなかった。


(……今は、これでいい)


視線を再び天井へと戻す。


白。

何もない、空虚な色。


(……終わったのかな。全部)


そう自問する。

みんなは救われ、あの地獄は物理的に消滅した。

 

だが。


「…………」


胸の奥に、澱のようにわずかに残る黒い違和感。


言葉にすれば霧散してしまいそうな、けれどそこに居座り続けている「何か」


それは恐怖でもなければ、安堵でもなかった。

自分の中に、自分ではない何かが「根を張ってしまった」ような、ぞっとするような感覚。


それを掴むには、今のエルにはあまりにも力が足りず視界は白濁としすぎていた。


「……休め」


男の声が、遠くから聞こえる。


「今は、眠ることだけが許されている」


「……ん、そうする」


短く答えて、再び目を閉じる。

意識は、再び心地よい暗闇へと沈み込んでいく。


静寂。

王国という巨大な防壁に守られているはずの、白亜の病棟。


それでも。

その深奥に刻まれた違和感だけが、彼を本当の安らぎへとは逃がしてくれなかった。


――それは、外から持ち込まれたものではない。

もともと、自分の内側にあったものだと、まだ知らないまま。



読んでいただき、本当にありがとうございます!

もし「続きが気になるな〜」と思っていただけたら、ぜひ応援(ブックマークや評価)をお願いします!

めちゃくちゃ執筆の励みになります……!


まだまだ慣れないので、誤字脱字などあれば「ここ違うよー!」とコメントで教えていただけると助かります!

よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ