夜明けの誓い
もう少しだけ誘拐編続きます。お付き合いください。
また、ブックマークや評価等本当にありがとうございます!
続きは明日の予定です。
崩壊は、もはや誰にも止められぬ濁流のように、容赦なく広がっていく。
ズズン……ッ!!
地底の奥深くから響き渡る、内臓を揺らすような重低音。
天井の石材が自重に耐えかねて砕け、無数の火花を散らす魔導管が断末魔のような異音を上げながら引きちぎられる。
かつて無機質な「白」に包まれていた凄惨な実験施設は、今やその傲慢さごと、瓦礫の山へと還ろうとしていた。
「――残党だ! 奥から来るぞ!」
崩れかけた通路の、さらに暗い淵から。
死に物狂いの形相をした黒装束の男たちがなだれ込んできた。
彼らは施設が完全に潰える前に、混乱に乗じて地上への活路を見出そうとしたのだろう。
その瞳には、窮鼠が猫を噛まんとするような、捨て身の狂気が宿っていた。
だが。
「遅い」
低く、ただ一言。
凍てつく氷のように冷徹な声が響いた。
父、ヴィンセントが、その冷徹な双眸を男たちへと向けた。
ドンッ!!
瞬間、空気が物理的な質量を伴って爆ぜた。
見えない魔力の圧力が通路ごと空間を押し潰す。
先頭を駆けていた男の身体が、まるで巨大な金槌で叩かれたかのように床へと叩きつけられ、石畳が円形に陥没した。
後続も逃れる術はなく、一様に地面に縫い付けられ、這いつくばることさえ許されない。
「ぐ、ぁ……ッ! か、体が……っ!」
「動くな。殺すぞ」
慈悲など微塵も感じさせない、純粋なまでの死の宣告。
ただそれだけで、数十人の手練れの残党たちは指一本動かせなくなった。
これが、「化け物」とまで称された公爵の、真なる魔圧の奔流。
それでもなお、絶望の淵で一人が歯を食いしばり、震える腕を無理やり動かした。
「くそがぁッ!! 野蛮な南の貴族どもがぁぁッ!!」
ノルズガルド製の魔導具が不気味に起動し、激しい閃光とともに紅蓮の炎が噴き上がる。
「甘い」
ヴィンセントが指先を僅かに動かす。
次の瞬間――噴き上がった炎は、まるで見えない手に握り潰されたかのように、その熱量ごと、一瞬で圧し潰された。
空間ごと、あるいは事象そのものを握り潰したかのように、火も、光も、音も、すべてが真空に呑み込まれたように消える。
「拘束しろ」
短い命令が下る。
周囲に控えていた公爵家の騎士たちが影のように即座に動き、もはや抵抗する気力さえ奪われた残党たちを次々と、枷で拘束していく。
怒り叫ぶ者、天を仰いで絶望に沈む者。
だが、その場にいる全員が、抗いようのない力の前で理解していた。
自分たちの歪んだ聖戦は、ここで完全に終わったのだと。
私は父の腕の中で、その光景を静かに見つめていた。
情けも容赦もない、文字通りの完全な制圧。
前世の知識を持ってしても、これほどの「力の格差」を目の当たりにすれば、言葉を失うしかない。
「……お父様」
「どうした、リリアーナ」
私を呼ぶ声だけが、先ほどまでの冷徹さを嘘のように削ぎ落としていた。
「……あの、白衣の者は……」
脳裏に焼き付いた、あの爬虫類のような瞳を持つ男の姿。
胸の奥に、棘のようなわずかな引っかかりが残る。
「次は必ず、“その娘だけ”を――」
転移の閃光の中で彼が残した、あの不吉な言葉が、耳の奥にこびりついて離れないのだ。
「逃げた、か」
父の言葉が、吐息のように落ちる。
「……はい。結晶のようなものを使って、消えてしまいました」
小さく頷く私に、一瞬の沈黙が流れる。
父の腕に、僅かな力がこもるのを感じた。
「心配するな」
迷いのない、鋼のような声が返る。
「いずれ、必ず仕留める。地の果てまで追い詰め、二度と転生すら願えぬようにしてやる」
それは誓いなどではない。
ただの冷酷な予定の確認。
だが、その一言で、私の胸を騒がせていた不安は不思議と静まっていった。
この父がそう言うのなら、それは確定した未来なのだ。
「行こうか。こんな泥臭い場所には、もう一刻も置けぬ」
そのまま、私は父の大きな腕に抱えられたまま、崩壊しゆく施設を背にして、地上へと運び出されていった。
そして。
夜気が、頬を撫でた。
「……っ」
思わず、深く息を呑む。
鼻腔を焼く薬品の臭いではなく、冷たく澄んだ空気。
閉ざされた天井ではなく、満天の星が広がる開けた空。
遠くで揺れる、捜索隊の松明の火。
それだけで、張り詰めていた心の糸が、ようやく、ゆっくりとほどけていくのを感じた。
地上ではすでにベリング・フォード侯爵家の騎士団と王都騎士団が重層的な包囲網を敷き、逃走経路は完全に断たれていた。
拘束された残党たちが、芋虫のように繋がれて引き立てられていく。
その混乱の中で――
担架に乗せられ、重装備の魔導師たちに囲まれて運ばれていく一人の少年が目に入った。
「……エル……」
血の気の失せた白い顔。
浅い呼吸に合わせて、細い肩が僅かに上下している。
共に奈落を駆け抜け、私を救うために限界を超えた少年。
動かないその姿に、胸が締め付けられる。
何もできない自分自身の無力さが、もどかしかった。
そのすぐ近くでは、もう一つの家族の再会が繰り広げられていた。
「レオン、アリシア! しっかりしろ!」
フォード侯爵の声が、夜の空気を震わせて響いていた。
双子は、泥と血にまみれ、衣服もボロボロになりながらも、必死に自分の足で立っていた。
フォード家の誇りが、彼らを支えていたのだろう。
だが、安堵が訪れた次の瞬間
――ぐらり、と。
二人の小さな体は、糸が切れた操り人形のように同時に揺らいだ。
「っ、無理をするな! もういい、よく耐えた!」
猛将と名高い侯爵が、なりふり構わず地面に膝を突き、その巨大な腕で二人を壊れ物を扱うように、まとめて抱きしめた。
「……よく、生きて戻った。後のことは父に任せろ」
低く、押し殺した声。
そこには鉄の規律を重んじる厳格な貴族の顔はなく、ただ、死の淵から戻った我が子を愛おしむ、一人の父の顔があった。
その温かな腕の中で、アリシアが堰を切ったように泣き出し、レオンもまた、唇を強く噛みしめながら、父の胸に顔を埋めて震えていた。
その光景を視界の端に捉えた瞬間、私の胸の奥も、じんと熱くなる。
(……みんな、生きてる。私たちは、帰ってこれたんだ)
その当たり前の事実が、何よりも重く、尊いものに感じられた。
「……リリアーナ!」
静寂を切り裂くような、悲鳴に近い声が響いた。
息を乱し、肩を激しく上下させ、必死の形相で駆けてくるのは王太子エドワードだった。
その後ろから、転びそうになりながらも遅れまいとするカイルの姿も見える。
彼らは王家の護衛や騎士たちの制止など一切耳に入らぬとばかりに、ただ一直線にこちらへと向かってくる。
「殿下、お止まりください! まだ周囲の安全が――!」
騎士たちの制止も、今の彼らには虚空の雑音でしかなかった。
目前まで来たところで、ようやく二人の足が止まる。
エドワードの手が、リリアーナの頬に、肩に伸ばしかけて――。
けれど、血に汚れ、疲れ切った私に触れていいのか分からぬように、その手は宙に浮いたまま、激しく震えていた。
「……リリアーナ……無事、なのか? 本当に……」
「……殿下」
私は父の腕の中で、静かに、けれど丁寧に頭を下げた。
その瞬間、エドワードの表情が、激情に耐えかねたように大きく歪む。
「はい。おかげさまで、この通りでございます。ご心配をおかけいたしました」
はっきりと、いつもの令嬢としての言葉を紡ぐ。
すると、エドワードは深く、深く溜まっていた息を吐き出し、ようやくその肩の力が抜けた。
隣でカイルも、膝を突くようにして安堵の息を漏らしていた。
「……ご無事で、本当に……良かった……」
震えるカイルの声。
私はわずかに微笑みを返し
「二人とも、助けを呼んできてくださったのでしょう? ありがとうございます」
と応じた。
「……違う」
エドワードが、自らを呪うように低く言った。
「僕は、何もできなかった。リリアーナが連れ去られる時も、この場所を探す時も……僕は、ただ見ていただけだ。王太子としての力など、何の意味もなかった……!」
悔しさを滲ませ、拳を血が滲むほど握りしめるその言葉に、私は静かに首を横に振った。
「そのようなことはございません。殿下が、カイル様が諦めずに動いてくださったからこそ、こうしてお父様方が間に合ったのです」
事実だけを、丁寧に言葉にする。
「……結果として、私はこうして無事でおります。私を救ったのは、皆様のお陰ですわ」
その言葉に、エドワードの瞳が、青く澄んだ光を宿して揺れた。
「……ならば」
彼はゆっくりと、しかし峻烈な意志を持って顔を上げた。
「次は、必ず。……二度と、リリアーナをこんな目に遭わせない。必ず、僕が守る」
子供の背負うにはあまりにも重い決意。
だがその瞳は、もはや迷いも甘えもない、一人の「男」のものへと変貌していた。
私はその真摯な誓いに、一礼で応じた。
「……とても嬉しく思いますわ」
そのやり取りを、感情を読み取らせぬ無表情で見つめていた父ヴィンセントが、静かに一歩前へと出た。
「……王太子殿下」
一瞬で空気が引き締まる。
エドワードも即座に背筋を伸ばし、公爵と正対した。
「此度は、我が娘の窮地に際し、ご助力を賜りましたこと――アルヴェルト公爵家として、深く感謝申し上げます」
王国最強の盾たる公爵による、完璧な臣下の礼。
エドワードは一瞬だけ目を見開き、そして王太子としての自覚を取り戻したかのように、静かに頷いた。
「……当然のことだ。アルヴェルト公爵」
「撤収する。……全員、家へ帰るぞ」
父の命令が、夜の野に響き渡る。
その一言を合図に、すべてが動き出した。
救われた命と、捕らえられた大罪人、そして多くの課題を乗せて。
夜は、静かに収束へと向かっていく。
父の腕のぬくもり、松明の揺らぎ、遠くで聞こえるエルの安否を尋ねる声。
それらを意識の端で感じながら、私は静かに目を閉じた。
(……やっと、終わった)
そう思った瞬間、極限まで張り詰めていた意識が、ふっと霧のように緩んでいく。
遠のいていく喧騒。
揺れる身体の心地よさ。
――こうして、王都を揺るがした未曾有の誘拐事件は、一つの幕を下ろした。
だがそれは同時に、北の国ノルズガルドとの、そしてリリアーナ自身の運命を巡る、新たな“戦い”の始まりに過ぎなかった。
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