不完全な終止符
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ズゥゥゥゥン……ッ!!
白衣の男の手が、止まった。
ほんの寸前まで、確実に私へと届くはずだった銀色のメスの刃が、見えない鎖で縫い止められたかのように空中で静止している。
男の細い指先が、小刻みに震え始めた。
「……っ」
男の喉が、引きつった音を漏らす。
その視線の先――粉砕され、瓦礫の雨を降らせる天井の最奥。
逆巻く土煙を割って響いたのは、慈悲を削ぎ落とした「死神」の宣告だった。
「……私のリリアーナに、その汚い手で触れようとしたか?」
低く、地響きのように重い声。
その一言が空間に溶け出した瞬間、肺が押し潰されるような魔圧が部屋を満たした。煤煙の向こうから、絶望を具現化したような“何か”が、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくるのが見える。
一歩。
そのたった一歩で、施設の床に刻まれた不気味な魔法陣が悲鳴を上げて砕け散った。
呼吸ができない。
ただそこに存在しているだけで、周囲の酸素をすべて焼き尽くし、因果さえも書き換えてしまうような圧倒的な“個”の暴力。
「……な……なんだ……それは……。何だというのだ、貴様は……!」
白衣の男が、無様に後退った。
先ほどまでの冷徹な余裕も、狂気じみた陶酔も、その顔から跡形もなく消え失せている。
足がもつれ、床に手をつき、まるで後ずさるようにして距離を取ろうとする。
あの男が明確に“恐怖”を滲ませ、震えている。
「……来るな……来るなッ!」
掠れた悲鳴。
だが、その願いが聞き入れられることはない。
カーテンのように立ち込めていた土煙が、左右に割れた。
そこに立っていたのは、漆黒の外套を沈黙の如く翻す男。
「……お父、様……」
声が震え、力が抜ける。
今まで無理やり立たせていた意地が、安堵という名の濁流に呑み込まれていく。
崩れ落ちかけた私の身体を、鋼のような強さと真綿のような優しさを秘めた腕が、強く抱きとめた。
「……遅くなった。すまない」
短い言葉。
それだけで、もう大丈夫なのだと魂が理解してしまった。
視界が急速に歪み、熱い涙が頬を伝う。
「……怖かったな。もう、案ずることはない」
私を安心させるように背中を叩く大きな掌。
その温もりに包まれた瞬間、ヴィンセントの背後で空気が一変した。
私たちを縛っていた機械仕掛けの重圧が、公爵の放つ魔力によって跡形もなく霧散したのだ。
ヴィンセントは私を左腕に抱いたまま、ゆっくりと冷徹な視線を男へと上げた。
「……貴様……アルヴェルト、公爵……か……」
床に這いつくばったまま、白衣の男が震えながら問いかける。
だが、ヴィンセントは答えない。
答える価値さえ認めていない。
ドンッ!!
物理的な衝突音が響き、空間が爆ぜた。
見えない巨大な質量に叩きつけられたかのように、男の身体が石床へと沈み込む。
床面がクモの巣状に陥没し、男の骨が軋む音が遅れて響いた。
「ぐ、ぁ……ッ! あ……あがっ……」
呼吸ができない。
声すら出せない。
公爵の視線、その一点に込められた意志だけで、男は存在そのものを否定され、圧殺されようとしていた。
「……黙れ。塵が言葉を紡ぐな」
「……っ、は……はは……」
それでも男は、自らの吐血に溺れながら笑った。
折れた指を震わせ、その狂気に染まった視線が、執拗に公爵の腕の中にいる私へ向く。
「……なるほど…やはり君か…この……歩く災厄のような男の娘だというのなら、その異常な魔力回路にも納得がいくというものだ。人工では決して届かぬ、神の領域の産物……!」
ぞくり、とした。
男の目は、私を人間としてではなく、ただ一つの物として見つめている。
「君さえいれば……我らノルズガルドは、魔法を持たぬ惨めな歴史から解き放たれる。君という『核』さえ手に入れば……!」
しかし、男の言葉が最後まで紡がれることはなかった。
公爵の周囲の空気が爆ぜ、見えない力が男を壁へと叩きつけた。
装置が砕け散り、男の体は瓦礫に埋まる。
「……二度と、その汚い口で娘を語るな。二度と、その視界に娘を入れるな」
地獄の底から響くような、ヴィンセントの声。
それが、この場での幕引きだった。
男は瓦礫の中から震える手で懐へと伸びし、小さな結晶を取り出した。
「……く、くく……あははは! 次は必ず……“その娘だけ”でも我が祖国へ――」
結晶が砕けると同時に、強烈な閃光が走る。
緊急転移の術式。
男の姿が掻き消えた直後、天井の穴から、そして背後の扉から、騎士たちが雪崩れ込んできた。
「レオン! アリシア!」
その最前線。
公爵に負けぬ威圧感を放ちながら飛び込んできたのは、フォード侯爵だった。
彼は残党など眼中にないという様子で、傷だらけで身を寄せ合っていたレオンとアリシアの元へ、地響きを立てて駆け寄った。
「父上……っ!」
「お、お父様…っ!!」
「……馬鹿者が。勝手にいなくなるなと言っただろう」
侯爵は、膝を突き、震える二人をその巨大な剛腕でまとめて抱きしめた。
普段の厳格な騎士としての顔はどこへやら、その太い腕は、我が子の無事を確認した安堵で微かに震えているように見えた。
騎士たちが次々と他の子供たちを保護していく。
レオンが侯爵の腕の中から、顔を上げてこちらを呼んだ。
「リリ!」
その後ろでアリシアも泣きじゃくりながら頷いている。
二人の姿を見た瞬間、私はもう一つの大切な存在に気づいた。
エルは――。
壁に手をつき、かろうじて立っていた。
だが、その顔色は死人のように青白く、呼吸は浅い。
「……無事、か……リリ……」
掠れた声。私の無事を確認した直後、彼の膝が折れた。
「エル!」
近くにいた騎士が間一髪でその身体を支える。
だが、エルはすでに限界を超えていた。
そのまま深い泥に沈むように、意識を手放していく。
私は、その光景を見て――ぎゅっと、ヴィンセントの外套を強く掴んだ。
「……お父様、みんな……みんなも、助けて……」
震える声で訴える私に、ヴィンセントはわずかに視線を落とした。
その紅く燃えていた瞳に、一瞬だけ親としての柔らかな色が戻る。
「……案ずるな。全員、生かして帰す」
迷いなく言い切った。
その言葉で、ようやく理解した。
すべてが、終わったのだと。
「退路を確保せよ。この施設は、この世から消去する。……掃除だ」
ヴィンセントの命令が飛ぶ。
騎士たちが即座に子供たちを連れて移動を開始し、地下施設は激しい衝撃と共に崩壊を始めた。
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