王太子のプライド、石畳に散る
続きは昼の予定です。
馬車を降りた瞬間、私の視界を埋め尽くしたのは、爆発的な熱量を持って押し寄せてくる色彩と音の奔流だった。
焼きたてのパンが放つ香ばしい匂い、威勢のいい商人たちの掛け声、石畳をリズミカルに叩く荷車の音――。
それらすべてが渾然一体となり、街は荒削りな生命力に満ちあふれていた。
「すごい……本当にお祭りみたいですわ!」
私は思わず、幼女らしい高い声を上げていた。
前世の、あの無機質で灰色に塗りつぶされたオフィス街とは対極にある、血の通った色鮮やかな世界。
だが、そんな私の感動に冷や水を浴びせるように、隣で殿下がこれ見よがしに鼻を鳴らした。
「ふん、今のうちにはしゃいでおくがいい、リリア……リリ!!」
殿下は仰々しく腕を組み、わざとらしく街を見回す。
その黄金の瞳には、明らかに「何かを企んでいる子供」特有の邪悪な光が宿っていた。
「街というのはな、お前のような温室育ちには耐えられぬほど、恐ろしく不潔で、野蛮な場所なのだからな!」
そして、教科書に載せたいほど見事な「悪役令息」の笑みを浮かべ、私の顔を覗き込んできた。
「どうだ、怖いか? 嫌だろう! 逃げ出したくなったか!」
殿下は勝ち誇ったように言い放つ。
その背後には、まるで「僕の計画通りだ」というテロップが見えるかのようだ。
「だから僕はわざわざ、この視察にお前を連れてきてやったのだ。王宮のふかふかな絨毯の上しか知らないお嬢様が、この埃だらけの街を歩いたらどうなるか……。
ふふん、泣いて『もうお家に帰りたいですわ!』と僕に縋り付くに決まっているからな!」
……やっぱり。
そんなことだろうと思った。
私を喜ばせるために連れてきてくれたわけではなく、この街歩きそのものを私への「嫌がらせイベント」として用意したらしい。
社畜時代、無茶な要求を押し付けて部下の困り顔を楽しんでいた上司を思い出す。
「泣いて僕に縋り付くなら、今なら許してやらなくもないぞ? さあ、どうする?」
そんな殿下の暴走に、横で生きた心地がしていないのはカイル様だ。
「エ、エド……! その、街の方々に聞こえてしまいます……! 滅多なことを仰らないでください!」
「カイ、黙っていろ。これはリリへの最高の嫌がらせなのだ」
「し、しかし……っ!」
カイル様は周囲の通行人の反応を伺い、真っ青になって震えている。
「もし正体が知られれば大問題になります……! エドもまだ街を楽しみたいでしょう!」
どうやらカイル様は、しっかりと視察を楽しみに来ていたらしい。
「エド、残念ながらとってもワクワクしていますわ!」
「なっ……!?」
期待していた「涙の懇願」の代わりに返ってきたのは、満面の笑み。
予想外の反応に、殿下は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で絶句した。
「埃も、騒音も、全部が新鮮で素敵ですわ。エド、素敵な場所に誘ってくださってありがとうございます!」
「……っ、そ、そうか……。なら、もっと奥まで行けば、泣き言の一つも出るだろう!」
殿下は悔しそうに顔を赤くし、早足で進み始めた。
ぎこちない足取りで、まるで見えない敵を蹴散らすかのように石畳を踏みしめる。
しかし、事件は歩き出して数分もしないうちに起きた。
曲がり角で、重そうな洗濯籠を抱えて急いでいた女性と、殿下が正面から衝突したのだ。
「おい、そこの女! ぶつかるな!」
殿下が、王宮での習慣そのままに怒鳴り声を上げる。
「汚いだろう、僕の服に触れるな! 礼儀を知らないのか!」
(……あ、終わった)
私の脳内で、赤い警告灯が激しく点滅した。
女性が足を止め、怪訝そうに振り返る。
その瞬間、周囲の通行人たちも一斉に足を止め、不穏な視線が一点に集中した。
「なんだ、このガキ……」
「金持ちの坊っちゃんか何か知らないが、言い草ってもんがあるだろう」
一気に空気が険しく、冷え冷えとしたものに変わる。
そこへ、近くで酒樽の荷降ろしをしていた大柄な男が、威圧的な地響きを立ててドスドスと一歩踏み出した。
「おい坊主、随分とえらそうだな?」
男の低い声に、カイル様の顔色が今度こそ土気色に変わった。
「エ、エド……! 落ち着いてください……! すみません、おじさん、この子は……!」
「だ、誰に口をきいている! 僕を誰だと――」
「エド!!」
正体が、そして致命的な「王命違反」が口にされる寸前。
私は殿下の袖を、小さな体からは想像もつかない力でグイと引いた。
「ごめんなさい、おじさま!」
私は大柄な男の前に立ちはだかった。
そして、前世の営業時代に身に付けた「どんな理不尽な客も骨抜きにする謝罪の極意」を、幼女のガワを借りて再現する。
潤んだ瞳で、すがるように男を見上げる。
「この子、人見知りでびっくりしてしまっただけなの。どうか、大きな心で許してくださる……?」
「……ちっ」
男は、私の迫真の演技に毒気を抜かれたのか、乱暴に頭をかくと吐き捨てるように言った。
「……そんなにビビりで汚れるのが嫌なら、家に引きこもってママのミルクでも飲んでな、お坊ちゃん」
男や街の人たちは不機嫌そうに去っていき、なんとか最悪の事態は免れた。
「よ、よかった……死ぬかと思った……」
カイル様がその場でガクガクと膝を震わせ、へたり込む。
「もし殿……エドが今、正体を口にしていたら……もっと危ない目にあっていたかもしれません……」
「カイ、うるさい! 僕は何も間違っていない!」
殿下は顔を真っ赤にして怒鳴ったが、その声には先ほどの勢いはない。
屈辱に震えながら、自身の常識が通用しなかったことに戸惑い、唇を強く噛みしめている。
私はそんな殿下を見つめ、静かに、けれど毅然と言い放った。
「エド。ここは貴方の庭ではありません」
黄金の瞳が、驚きに揺れる。
「ここでは、貴方が何者かではなく。貴方がどう振る舞うかが、全てなのですわ」
殿下は言葉を失った。
何か言い返そうと口を開き、けれど言葉が出てこない。
やがて視線を逸らし、黙り込んでしまった。
王宮の外。
そこは彼にとって初めて触れる世界――
自分を特別扱いしない、容赦のない現実だった。
カイル様は、私と殿下の顔を交互に見比べながら、ようやく少し血色の戻った顔で小さく息を吐いた。
「……外って、思っていたより危ないんですね……」
ぽつりと呟く。
「なんだか……お腹が痛くなってきました……」
私は小さく拳を握った。
(影に護衛は付いているとはいえ……少し、はしゃぎすぎていたかもしれないわね)
前世の感覚が抜けきらず、つい油断してしまった。
(大人として、もっと気を付けないと)
この視察が――
単なる子供の遠足などではなく。
とんでもない事件へと繋がる、長い物語のプロローグになることを。
このときの私たちは、まだ誰も知らなかった。
読んでいただき、本当にありがとうございます!
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