今日の私たちはエド、カイ、そしてリリ
少しずつ1話ごとのボリュームを持たせていきます。
続きは明日の予定です。
視察当日の朝。
アルヴェルト公爵邸の食堂は、いつも通り優雅な静寂に包まれている――はずだった。
「リリアーナ。……やはり、もう一度だけ考え直してはくれないか」
父ヴィンセントは、朝食のスープに一口も手をつけることなく、切実な眼差しで私を見つめていた。
先ほどまで「王宮に殴り込んで王を説得してくる」と息巻いていたエネルギーは、母エレインの冷ややかな一瞥によって鎮圧され、今は重苦しい哀愁へと姿を変えている。
「パパは心配なのだ。外の世界には、リリアーナの輝きを妬む不届き者や、マナーの欠片もない粗野な輩が溢れている。そんな場所に、私たちの宝物を放り出すなど……」
王国最強の魔導騎士としての威厳はどこへやら。
今の父はただ、娘の外出を阻止したい過保護な父親でしかなかった。
「お父様」
私は父の大きな手の上に、そっと自分の小さな手を重ねた。
そして、前世の社畜時代に培った「相手の戦意を喪失させ、こちらの要求を通す」ための最強の交渉術を発動する。
――そう、純真無垢な微笑みである。
「お父様がお守りしてくださるこの国を、私もこの目で見てみたいのですわ」
父の瞳が、目に見えて揺れる。
私はさらに追い打ちをかけた。
「お留守番を頑張ってくださったお父様には、街で一番美味しい焼き菓子を買ってまいりますわね」
そして、首をこてんと傾げる。
「……だめ?」
「……っ!!」
最強の魔道騎士は、胸を押さえて絶句した。
「リリアーナが……パパのために……お土産を……! この国の平和は、リリアーナに街の菓子を買わせるためにあったのか……!」
そして
――ズルズル。
父は椅子から滑り落ち、そのまま床に膝をついて嗚咽し始めた。
よし、完璧だわ。
三十一歳の精神年齢からすれば、この程度の誘導はお手の物である。
「さあお母様、お父様が感極まっている間に出発しましょう」
「ええ、そうしましょう」
母エレインが優雅に立ち上がり、パシン、と扇子で父の肩を叩いた。
「あなた。いつまで泣いているのです。リリアーナに見苦しい姿を見せないでくださいな」
「リリアーナァァ!! パパはここで百億年でも待っているぞぉぉ!!」
父は叫びながら、母に襟首を掴まれ、ズルズルと食堂から退場していった。
最強の魔導騎士も、母の物理攻撃には勝てないらしい。
馬車に揺られること数十分。
私たちは王宮裏門近くの質素な待機所で、エドワード殿下、カイル様、そしてリチャード国王と合流した。
「遅いぞ、リリアーナ! 僕をどれだけ待たせるつもりだ!」
開口一番、殿下が吼えた。
五歳にして完成された彫刻のような美貌。
しかし中身は相変わらずの傲慢王子である。
「殿下、お声が大きいですわ」
「……む」
「これから“お約束”のお話があるのでしょう?」
私が窘めると、殿下はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
その時、国王リチャード様がゆっくりとしゃがみ込み、私たちの目線に合わせた。その瞳はいつになく真剣だった。
「いいか、お前たち。これより一歩外に出れば、お前たちはただの子供だ。街では決して正体を明かしてはならない」
国王様は指を一本立て、厳しい口調で続けた。
「エドワードは――エド。カイルは――カイ。そしてリリアーナは――リリだ。いいな? 名前を間違えた瞬間、視察は中止。即刻連れ戻す」
「リリか」
殿下が腕を組み、私をじっと見る。
「悪くない。短くて僕が呼びやすい。これからはそう呼んでやる」
許可を求める気などさらさらない、実に王族らしい物言いである。
その横で一人、顔を真っ白にして震えている少年がいた。カイル様だ。
「こ、国王陛下! 私が殿下と公爵令嬢を呼び捨てになど、とても……!」
「カイル、これは王命だ。街で『殿下』などと呼べば、その瞬間に誘拐犯が群がってくるぞ」
「カイル」
そこへエド様が追い打ちをかける。
「僕が許可してやる。僕を呼び捨てにできる機会なんて一生ないんだからな。光栄に思え」
「……っ」
王子の言葉に、カイル様は絶望に打ちひしがれている。
「カイル様、練習ですわ」
私は首を少し傾けて微笑む。
「呼んでみて?」
カイル様は滝のような汗を流しながら、消え入りそうな声で口を開いた。
「……エ、エド。……リ、リリ」
言い終えた瞬間、カイル様は魂が抜けたような顔でふらついた。
七歳にして人生最大の禁忌を犯した衝撃は、よほど大きかったらしい。
その様子を、壁際からじっと見つめる影があった。
黒装束に身を包んだ、完全に不審な男。
「……リリアーナ……パパの心は千々に乱れて……」
父だった。
忍びの格好をしてまで付いてこようとするその執念、ある意味では尊敬に値する。
が、背後から音もなく母が現れた。
パシン。
扇子が父の脳天に炸裂する。
「あべしっ!」
「陛下、失礼いたしました」
母は優雅に微笑み、失神した父を引きずって再び去っていった。
「……公爵、最後まで目が怖かったな」
殿下が本気で引き気味に呟いた。
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