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裂け目の先で

 亮太と別れたのは、いつもの角だった。


「じゃあな。あんま考えすぎんなよ」

「……ああ」


 手を軽く振って、亮太は住宅街の奥へ消えていく。

 その背中が見えなくなっても、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。


 胸の奥が、落ち着かない。


 さっき見たもの――

 あれが幻覚だとは、どうしても思えなかった。


 見間違いなら、もっと曖昧なはずだ。

 あんなにも、はっきりと“そこにあった”感覚が残るはずがない。


「……一回だけだ」


 誰に言うでもなく、呟く。

 確かめるだけ。

 それで何もなければ、今日は忘れる。


 自分に言い聞かせるように、俺は踵を返した。


 夕焼けは、さっきよりも色を失い始めていた。

 街灯が一つ、また一つと灯り、日常が夜へと移行していく。


 路地に近づくにつれ、空気が変わる。


 音が、少ない。


 車の走る音も、犬の鳴き声も、妙に遠い。

 まるで、世界が一枚、膜を被ったみたいだった。


「……ここだ」


 電柱とブロック塀の間。

 さっき、確かに亀裂があった場所。


 そこには――何もない。


 ただの、薄暗い路地。

 雑草が伸び、ゴミ袋が置かれている、どこにでもある風景。


「やっぱり……」


 ほっとしたような、残念なような。

 俺は息を吐き、踵を返そうとした。


 そのとき。


 ぞくり、と背中を冷たいものが走った。


 ――見られている。


 はっきりとした根拠はない。

 だが、確信に近い感覚だった。


 俺は、ゆっくりと振り返る。


 路地の奥――

 空間が、歪んでいた。


 一話で見たものとは、違う。

 亀裂ではない。

 “縫い目”のような、複雑な歪み。


 そこを中心に、周囲の景色が微妙に引き延ばされている。


「……なんだ、これ」


 声が、震えた。


 次の瞬間、歪みの向こう側で“何か”が動いた。


 人影だ。


 黒い外套のようなものを纏い、フードで顔を隠している。

 その足元で、空間そのものが割れていた。


 音は、ない。


 だが、俺の耳には確かに聞こえた。

 紙を裂くような、乾いた感触。


 別の人影が現れる。

 二人、三人。


 彼らは、歪みの中心を囲むように立っていた。


 その中央に――

 “何か”がいた。


 人の形をしている。

 だが、人ではない。


 感情だけを無理やり押し固めたような、黒い塊。

 怒りと悲しみが、形を持って蠢いている。


 喉が、ひくりと鳴った。


 逃げなければならない。

 頭では、分かっている。


 それなのに、目が離せなかった。


「……始めるぞ」


 低い声が、路地に落ちた。


 フードの一人が、左肩に手をやる。

 次の瞬間、布越しに赤い線が走った。


 血だ。


 それを合図にするように、空間が裂ける。


 歪んだ裂け目から、武器が引きずり出される。

 刃の形は様々だが、共通しているのは――


 この世界のものじゃない、という違和感。


 俺は、息を呑んだ。


 ――修復者。


 言葉が、どこからともなく頭に浮かぶ。

 誰かに教えられたわけじゃない。

 なのに、そうとしか思えなかった。


 彼らは、戦っていた。


 歪みを、

 世界の“傷”を、

 元に戻すために。


 その様子を見た瞬間、胸の奥が、強く痛んだ。


 懐かしさにも似た、嫌な感覚。


 ――ああ。


 俺は、理解してしまった。


 ここは、見てはいけない場所だ。


 その瞬間、誰かの視線がこちらを向いた。


 フードの奥。

 はっきりとは見えないが、確実に目が合った。


 時間が、止まったように感じた。


「――チッ」


 小さな舌打ち。


 次の瞬間、空気が弾けた。


「見られたぞ!」


 誰かが叫ぶ。


 修復者たちが、一斉にこちらを振り返る。

 ようやく、体が動く。


「……っ!」


 逃げろ。


 そう思った瞬間、足がもつれる。


 地面に手をついた、そのとき――

 歪みの向こうから、何かが伸びてきた。


 黒い腕。


 感情の塊が、俺を掴もうとしている。


「うわっ……!」


 声にならない悲鳴。


 その瞬間、誰かが俺の前に割り込んだ。


 歪んだ空間を踏み越え、剣を振るう影。


 黒い腕が、切り裂かれる。


「……逃げろ!」


 短く、荒い声。


 フードの人物が、俺を一瞥する。


 その目は、

 冷たくも、焦ってもいなかった。


 ただ――

 同じものを知っている目だった。


 俺は、その場から逃げ出した。


 背後で、再び空間が軋む音がする。


 心臓が、壊れそうなほど鳴っていた。


 走りながら、俺は思う。


 見つけてしまった。

 戻ってきてしまった。


 そして――

 もう、知らなかった頃には戻れない。


 その夜、俺は眠れなかった。


 閉じるたび、瞼の裏に浮かぶのは、

 歪んだ空間と、剣を振るう背中。


 そして、あの一瞬だけ交わった視線。


 世界は、確かに壊れている。

 それを直そうとする者たちがいる。


 ――なら。


 俺は、何なんだ。


 問いだけが、胸の奥に沈み続けていた。

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