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水曜日の御簾草

作者: 巌真ニシカ
掲載日:2026/06/14

 木陰駿(こかげしゅん)くんを知ったのは、1年生の5月、入学してから初めての席替えの時だった。座席の移動が落ちつき、クラスメートたちが自然と話し始めるのにならい、私も彼に名乗った。


高道明日(たかみちめいか)です。よろしくお願いします。」

「木陰駿です。」

 さて、何を話そうかと思った矢先、彼は座って体の向きを黒板の方に戻し、さっと両腕を机に置いたかというと、そのまま突っ伏した。


「ぷすぅ」

 えっ、寝た。


 そう、木陰くんは、よく眠る子だった。

 授業中、休み時間に、お昼休み。さすがにペアワークやグループワークの時は起きたけど、いつもその目は細く、眠たげだった。


「眠り姫、部活行くぞ。」

 彼と同じ陸上部のクラスメートには、そう呼ばれて起こされていた。


 そんなマイペースな眠り姫くんだけど、陸上部では期待の新人と言われていたそうだ。中学時代から短距離走の選手で、県の大会でも常に上位にいるらしかった。

 その影響で、夏休み明けに話し合われた体育祭のクラス対抗リレーでも、木陰くんは真っ先にアンカーへと選ばれた。


 それに対して、彼にバトンを渡す走者、男女交互に走っていたので女子最後の走者、の方はなかなか決まらず、結局クラスの女子全員によるじゃんけんで決めることになった。


 そして、最後の一人になるまで続けていったら、私が残ってしまった。


「大丈夫! アンカー、木陰くんだし!」

 走者順に黒板に名前を書きながら、クラスのリーダー格の女子はそう笑いかけた。50m走10秒切ったことないんですけど、なんて怖くて言い返せない。


 何とか抵抗しようとおろおろしているうちに、最後に私と木陰くんの名前が書かれてしまった。


 肩を落として自分の席に戻ると、隣の席のアンカーは、黒板が教壇に遮られて見えないのか、彼は私の方に少し体を傾けていた。


「あ、あの。ごめんなさい。」

「ん……どうしたの?」

 体を傾けたまま、彼が、うつろな目で私をとらえる。視線を合わせるのが怖くて、私は小さく出っ張った喉仏当たりを見つめた。


「私、すごく足が遅くて、本番も上手く走れないだろうから……。」

 木陰くんの焼けた細い腕と、机の上で組まれた綺麗な左手が順に目に入る。


「……別に。知っている人だし。」

「そ、そっか。」

「いつも一生懸命だし、優しいし。」

「そ、え?」

 急に褒められた。思わず顔を上げると、いつもより、ほんの少し近い距離で彼は私を見ていた。


「高道さんが選ばれてよかった。一緒にがんばろうね。」

 にひ、と彼は優しく笑った。


 つられて、私は頷いた。


-それから数日後、朝練の期間が始まった。木陰くんは、全体の練習の後に必ず声をかけてくれて、バトンのタイミングや渡し方を、私に教えてくれた。


 彼は、本当に、走るのが速かった。私がどんなにバトンを渡すのがもつれても、必ず受け取り、タッタッタッ、と綺麗な音で去っていく。そして、いつもより開いた細い目で戻ってきて、いつもよりはっきりとした声で、今のバトンパスがどうだったか教えてくれた。


 私が走るのが遅いとか、走り方がおかしいとか、そんなことを彼は一度も言わなかった。だから、私もただ教えてくれたことに集中して、朝日の差す人の多いグラウンドで走ることができた。


 それがとても、嬉しかった。


「明日さん、良くなったね。渡すときのバトンの向きとか。」

あっという間に日は流れ、体育祭前日になった。最後の朝練は全体練習の時間が長く、私たちはギリギリまで一緒に練習をして、校庭から教室へ向かっていた。


 この頃から、彼は私を下の名前で呼ぶようになった。なお、私は呼ぶ勇気などなかった。


「え、本当? ありがとう、木陰くん。」

「やっぱり、明日さんで良かった。教えたこと覚えてくれるし。」

「いやいや、そうかなぁ。今日だってバトン落としちゃったし……あ、てか、その時ぶつかっちゃったよね。ごめんなさい。」

「大丈夫。落とす回数減ってるし、タイミングは合ってたからさ。」

「そっか。木陰くん優しいなぁ。」

 下駄箱に着き、靴を脱ぐ。俯くと、熱が顔に集中して、赤くなるのを感じた。


 上履きに履き替え、廊下に進む。階段を上り踊り場に着いたところで、突然キン、と冷えるものが首に当たった。


「ぎゃっ!!?」

 大きな声が出た。近くを歩いていた体育着姿の生徒たちが一斉に私を見るが、何でもなかったように話し歩き始めた。


 慌てて振り向くと、隣の木陰くんが水滴のついたペットボトルを差し出していた。首に当たったのは此奴らしい。


「な、何!!?」

「ごめん。優しいって言われたから、へへっ。」

「どういうこと!?」

「はははっ。」

 色んな笑い声が出る人だな。汗でべたついた首筋を撫でながら、上りの階段に歩みを進める。


 どうやら周りにいた生徒は、階下に教室のある他の学年の生徒だったらしく、1年生の教室が並ぶ4階への階段を上るころには、私たち2人だけになっていた。


 つかの間の静けさが気まずくて、私は口を開いた。

「そういえば、木陰くんって人のことよく見てるね。めっちゃ褒めてくれるし。」

「え、はじめて言われた。」

「そうなの?」

 リレーの順序決めの時だって、これまでの練習の時だって、彼が私を否定するような言葉を使った記憶はない。


「気遣いできないから、たぶん。お前正直すぎだって、よく家族とかに言われるよ。」

「ええ。じゃあ、私はそういう素直さに救われたのか。」

「救われた?」

「うん。木陰くんの素直な言葉が、私を何度も嬉しくしてるんだなって思う。」

 あと、笑顔もか。たん、たん、たん、と階段を上り切る。


 ふと思い出し、今日の1限は教室だよね? と聞こうとしたが、隣に木陰くんはいなかった。振り返ると、彼は上から数段目のところで立ち止まり、じ、と私を見ていた。


「木陰くん?」

 駆け寄ると、彼は――

 


 キーン コーン カーン コーン……



 鐘が鳴った。は、と顔を上げて黒板の上の時計を見ると、完全下校の30分前だった。

 美術室に漂っていた沈黙の糸がほぐれ、キャンバスに向き合っていた生徒たちはバラバラと動き出す。私は筆をバケツに入れ、ぐっ、と伸びをした。


「あしたちゃん、お疲れ。」

「んあ、お疲れ、(ゆう)ちゃん。」

 隣で描いていた、制服の上に桃色のエプロンを着た友達が、座っている椅子ごと私に近づいてきた。伸びをしていたせいで変な声が出た私に、友達―萱沼悠ちゃんはクスクス笑う。


 なお、私の名前は「明日」と書いて「めいか」と読むことをここで言っておきたい。


「あしたちゃんの絵、だいぶ進んだわね。クローバーかわいい。」

「ありがとう。悠ちゃんは?」

「んー、私はガマの穂の部分だけ直して、一旦先生に確認してもらおうと思っているわ。」

「そっかぁ。」

 悠ちゃんが頷く。そして、上品な仕草で丸眼鏡を掛け直すと、キラッと目を光らせながら私を見た。


「で? 何を考えていたのかしら?」

「えっ?」

「ふふ。そのにやにやは、その絵以外のことを考えているように見えたわ。」

 にこりと、彼女はイタズラっぽく笑った。私は慌てて両手を振った。


「ち、違うよ!? た、たしかに別のことは考えていたけど、ちゃんと絵は描いていたよ!?」

「ふふ、今日は‘‘幸せの水曜日’’だものね。」

「や、やめて〜!」

 楽しそうに笑いながら、悠ちゃんは椅子を戻し、片づけを始めた。付き合いたての去年のセリフは、そろそろ忘れてほしい。


顔が熱くなったのを感じながら、私も彼女に続いた。


 片付けを終え、悠ちゃんと暗い廊下に出る。

 ぱ、ぱ、と手前から順番に電気がつき、目の前に続く廊下が奥まで照らされた。


 右に続く渡り廊下の方に進みながら、彼女はにこにこ手を振る。私はまた顔が熱くなるのを感じながら、慌てて目の前の廊下に歩みを進めていく。恋人のこかげくんが待つ暗室へ向かう。


 暗室は、写真部の部室である。彼は、陸上部に加えて写真部も兼部しており、陸上部が唯一休みの水曜日に、活動の少ない部室で、私を待ってくれているのだ。


 ふと、左手の窓からひんやりとした風が流れてきた。

 外はもう薄暗い。だんだんと、日が短くなっているのを感じる。 2年目の体育祭は、再来週だ。

 本当に、付き合ってから1年が経とうとしているのだな。


 窓に映ったボブヘアの生徒がにや、と口角を上げる。


 あわてて目を逸らし、奥から2番目の教室まで小走りに向かった。


 ガラララ


 失礼します、と小さく言いながら曇りガラスの引き戸を開けると、軽快なポップスと笑い声が聞こえてきた。

 あ、また見てる。女装したダンス部の男子たちが踊っている、去年の体育祭の動画。

 彼は、自分のデジタルカメラで撮った動画を暗室のパソコンに入れて、よく見ているのだ。でも、たいていは……


「こかげくん、お待たせ。」

「……。」

 前室から声をかけたが、返答がない。室内に入ると、思った通り、机に突っ伏すこかげくんがいた。相変わらず、よくこんな癖の強い動画で眠れるな。


「こかげくん、帰ろう。」

 ブレザーを着た温かい背中を揺するが、びくともしない。


「眠り姫、完全下校すぎちゃうよ。」

 ひょいと、顔を覗き込んだ。


 右腕を枕にして、そよ風のような寝息を立てている。屋外を駆け、焼けた肌。長いまつげと、少し吊り上がった眉。高い鼻と、ぴん、と閉じた唇……。


 かわいい。

 こうしてちゃんと見つめたの、久しぶりだ。


 突然、あっははは、と、机の上のパソコンから笑い声が上がった。見ると、応援部のダンスに歓声を上げる、体育着姿の私がいた。ふと、こちらに気づくと、目を丸くして、慌てて手を伸ばしてくる。しかし、音を立て、視界は上へと動いた。

 

 私は、困っているのに、嬉しそうだ。

 

 あの日、リレーが始まる前に「大丈夫」と声をかけてくれたこと。

 どんどん追い越されてしまった私のバトンをしっかり受け止めて、目が覚めるような速さで一人、また一人と追い抜いていったこと。

 一番でゴールテープを切った時の、周りの歓声。

 走り終わったあと、真っ先に私の元へ来て、彼は「にひっ」と音が聞こえるような笑顔を向けてくれた。


「ありがとう、明日さん。」

 


「……私こそ、ありがとう。」

 そう呟き、キスをした。



—しばらくして唇を離す。こかげくんは、目を閉じたままだった。


 こかげくんの寝顔と反対に、私の頬がぼわっと熱くなった。


 う、うわ、どうしよう。どうしよう!? いや、ただ寝てる時に口づけしただけだよ。って、なんか文が気色悪いな!? え、どうしよう。ばれたら距離置かれそう……まずい。


「んぅ……めいか?」

 こかげくんが薄目を開いた。反射的にシュバッと、ドアの方へ私は逃げた。


「あ、お、おはよう!」

「んぅ……どうしたの、そんなに焦って。」

「え、な、なんでもないよ!」

 ぶんぶんぶんと首を振る。こかげくんはこてん、と首をかしげるが、目がどんどんうつろになっていく。


「だ、大丈夫?」

「うん……。」

 こかげくんは、丸めた右手で目を擦りながら、ゆるりと椅子から立ち上がる。そして、そのままドアに背中をつけたまの私を、抱きしめようとした。


 刹那、先ほどのキスが脳裏を駆ける。


「うわーっ!!」

「うわー。」

「か、帰ろうこかげくん!! ほら、行こ!」

「えー。」

 子犬のような声が私の胸を打つ。しかし、私はこかげくんのカバンを机の脇から手に取り、パソコンと電気を消す。うなだれるこかげくんを連れ、暗室を後にした。


—☆☆☆


 週の明けた月曜日。


 今日最後の授業のあった別の教室から、自分の教室に戻ってきた私は、はぁーっ、と長いため息をついた。

 今日から体育祭の朝練だったのに早速寝坊したし、古文の宿題は忘れたし、さっきの英語の授業は分からない問題で名指しされるし……今世紀最悪な1日だった。


—いや、「最悪」は、今日に始まったことではない。木曜日の美術部ではバケツをひっくり返して、金曜日は誤った絵の具を塗って修正に追われたのだった。

 すべては、先週の水曜日のせいだ。


「うぅ……」

 ゴンッ、と自分の机に顔を突っ伏す。地味に痛い。


「どうしたの、明日さん。」

 頭上から声が聞こえた。

 むくりと隣の席に顔を動かすと、かっつー―谷内架月(やないかつき)くんが、つぶらな瞳を私に向けていた。

 これから部活なのか、制服から既にジャージに着替えていた。


「……なんでもないです。」

「ちょ、今の音、明日さんのだったんすか? どうしたの?」

 と、かっつくんの前の席からひょい、とタレ目をさらに下げるようにして社長―白須壮良(しらすそら)くんが顔をのぞかせた。ジャージの上着に袖を通す途中のようで、片腕は白い体操着のままだった。

 2人とも、こかげくんと同じ陸上部で、あだ名も部内でつけられたものなのだ。


「うん。ごめんね、驚かせて。」

「そんな謝ることじゃないっすよ。それに、見た感じ、ケガしていなくてよかったっす。」

「ほんと、良かった。」

 かっつくんと社長くんが胸を撫で下ろした。まるで兄が2人いるみたいだ。そんなに危なかっしいのだろうか、私。


「そうっすね。」

「おい失礼だぞ、社長。」

「いや、かっつーだってそう思ってるだろ。」

「そうだけど……。」

「ほらぁ。」

 しかし……私、このままだと2人にも迷惑をかけてしまうのではないか。


 ふと、不安が頭をよぎる。


 今は、絵を台無しにしたり、宿題忘れたりの、自分だけが損する失敗しかしていないけど、これ以上隠していたら、関係ない人も巻き込んでしまうかもしれない。


「め、明日さん。何か悩みがあるなら、俺も社長も聞くよ。もちろん無理にとは言わないけど。」

「そうっすよ。去年から同じクラスのかっつーも、今年から一緒の俺も、明日さんのクラス見守り係なんすから。」

「だから、変なこと言うな。」

 言う……そうだ、やっぱり、こかげくんに言わないとダメだ。水曜日に、自分がしたことを。


「私、考えてくる。」

「え?」

「突然どうしたの?」

「私のしたこと、こかげくんに告白する方法!」

 私は、机の上の筆箱や教材をバッ、とカバンに放り投げた。


「えっ。あの、何があった……」

「今度話す! 2人とも、部活頑張ってね! それじゃ!」

「ちょ、明日さん、危ない!」

 カバンを背負い踵を返した瞬間、ドンッ、と他のクラスメートにぶつかってしまった。


 慌てて謝り、真後ろの教室のドアを開けて美術室へと向かった。絵を描きながら、作戦会議をしよう。必ず、こかげくんに言うんだ。


ー☆☆


 心は決まった。こういうことは直接伝えよう。


 翌日、クラスの友達とお昼ご飯を済ませた私は、2-6 ―こかげくんの教室を目指していた。多くの生徒が行き交う昼休みの廊下を、おずおずと進んでいく。

 

 が、5組の教室を過ぎると、非常事態が発生した。


「まじかよ! ぎゃははっ」

「そーなんだよ!まじやばいよなー!」

 右手の6組のドアのすぐそばを、男子2人組が占拠している。この脇をすり抜けなければならないのか……。


 決して、この人たちに何かされたわけではない。でも、怖い。

 

 こんな時は……一時撤退!


 ぐるんと方向転換をした。しかし、またもや振り向きざまにボスッ、と人にぶつかった。


「うわっ! ごめんなさい!!」

「あ、ごめんなさい。」

「めいかじゃん。」

「へ!?」

 慌てて顔を上げると、ぶつかってしまった男子生徒の隣に、こかげくんが立っていた。


「怪我してない?」

 す、とこかげくんが左手を伸ばす。


 彼の細い指先が頬に触れそうで、慌ててぱ、と右手を挙げた。


「げ、元気だよ! あ、本当にごめんなさい!!」

 慌てて体を折って生徒の脇を抜け、3組の教室へ駆け戻った。


—☆☆


 直接言えなかったけど、まだ策はある。

 チャットで伝えよう。


 というわけで、放課後の美術室で絵を睨みながら、送る文章を考えていた。が、悠ちゃんに変な目で見られたので、一旦渡り廊下に出てきた。


 渡り廊下は、この高校にある2つの棟を繋いでいる。一方は1階の職員室を除いて、2階から4階まで教室があるから「教室棟」、今いる棟は、美術室、暗室、音楽室などがあるから「文化棟」という双方安易な名がついている。


 窓から西陽が差し込んで眩しいので、日の当たらない文化棟と渡り廊下の付け根に立つ。


 スマホのロックを解除し、チャットアプリを開く。そして、デジタルカメラで撮影した、とこかげくんが言っていた、小さな四葉のクローバーのアイコンをタップし、彼とのチャット画面を開く。

 目を閉じ、ふぅ、と息をつく。そして、ずっと考えていた文章を送った。


『突然ごめんね。謝りたいことがあります。

 この間の水曜日、こかげくんが寝ている間に、こかげくんに鱚をしました。

 変なことをしてごめんなさい。』


「……ん?何この漢字。」

 あ、()()か。魚の。

 

 送信を取り消し、もう一度文を書こうとした。

 が、さっきまでの落ち着きを取り戻すことはできなかった。


 よくよく考えたら、チャットの文は永久に残るものだ。この先ずっと、こかげくんが私とやりとりする空間に残り続けるとしたら……。


 ヴーッ


 顔が熱くなるよりも先に、こかげくんから『どうしたの?』というメッセージが表示された。今、部活中であるはずなのに早くないか? 部活中なのは私もだけど。


『なんでもないよ』

 慌てて打ってしまった。


『なんでもあるでしょ』

 誤魔化せなかった。


 うーーん、と体を反らし次の言葉を考える。しかし、一度ごまかしてからの告白って、嫌だなぁ。


と、己の過ちを責めているうちに、ポン、と新しいメッセージが表示された。


『じゃあ、明日暗室で言って』

 そうか。明日は、もう水曜日か。


『わかりました。』

 そう送り、会話は終わった。


 明日……話せるだろうか。

 

 西陽の差す、窓の外を眺める。

 画面が暗くなっても、まだスマホを握りしめていた。


—☆☆


 翌日、1限終わりの教室で、私は今日の放課後のことをイメージしていた。


 どうやって伝えようか。正直、なんと返されるのか分からない。

 かと言って、こかげくんの前では誤魔化すことなどできないだろうし……。


「……さーん。」

「反応しないな。」

「あ、呼びました?」

 隣の席に顔を向けると、かっつくんと、彼の机に頬杖をついた社長くんがこくん、と頷いた。社長くんは、しょんぼりと眉までたれそうな顔をしていた。


「ごめんね、ぼうっとしていて。」

「うーうん。朝練大変ですもんね、チョコ食べます?」

「え、いいの?」

「もちろんっす。」

 目だけがたれたまま、彼はす、と私にチョコレートが載った白いケースを私に差し出した。


「じゃあ、いただきます。ありがとう。」

 長方形のチョコレートをつまみ、ぱくと食べる。


 口の中が甘く満たされる。思わず笑みが溢れた。


「ふ。明日さん、体育祭は何出るんだっけ?」

 なぜか微笑みながら、かっつくんが聞いた。


「んぐ。綱引きと、クラス対抗リレーだよ。2人は?」

「僕は棒引きとクラスのリレーと、あと部活対抗リレー。」

「俺も同じく。はぁ。」

 社長くんが大きくため息をついた。さっき私が無視をしたことを、まだ気にされているのだろうか。


「あの、ごめんね。」

「え? いやいや。明日さんは何も悪くないっすよ。悪いのはあいつっす。6組のリレーのアンカー。」

 どうやら全く違う話で落ち込んでいたようだ。


「なんの話だよ。」

「明日さんのプリンセスの話だよ。」

「いや、誰だよ。」

「眠り姫だよ!」

「えっ。」

 声が出た。社長くんは特に気に留めず、ぐわっ、とかっつくんの机に身を乗り出して私に泣きついた。


「聞いてくださいよ! 俺、絶っ対にアンカーはこかげにすんなって、6組の奴に頼んだんすよ!? 去年のリレーでビリから追いこされたの超トラウマだし、何より! 部の短距離選手で1番速い奴に、勝てるわけねーじゃん!!」

 彼はチョコの乗ったケースを机にぱんっと置いて、寝癖のついたマッシュヘアを抱えた。私は、こかげくんの名前が出たことに内心ドキドキしていた。


「まぁ社長……いや、陸上部部長のお前だって速いだろ。」

「俺は長距離の選手だからぁ!」

「たしかに。あ、ところで、明日さん、聞きたいことがあるのだけど、いい?」

「え? うん。」

 嘆く社長くんをあしらいながら、かっつくんは私を見た。

 

「もしかして、一昨日言ってた"告白"、上手くいかなかったの?」

「えっ。」

 びくっ、と体が震えた。

 かっつくんは、色白の頬をかいた。


「社長が今『眠り姫』って言ったら、戸惑ったように見えたから。あと、さっき考え事していたし、もしかしたらと思って。」

 違ったらごめん、とかっつくんは小さく頭を下げた。私は慌てて首を横に振った。


「ううん、合ってるよ。……そうなの、上手くいかなくて。」

「何、告白って。」

 両手をおろしながら、社長くんがかっつくんと私を交互に見た。かっつくんははぁ、と呆れ声を出した。


「一昨日の放課後に言ってただろ? こかげに告白するって。」

「言われたっけ。」

「ほら、告白が何か聞こうとしたら、明日さんが教室飛び出していったことあったじゃん。」

 私はこく、と頷いた。が、内容聞かれたっけ、と心の中で呟いた。社長くんはそっかぁ、とチョコレートを一粒つまんだ。


「じゃあ、俺らで練習する? 告白。」

「え!?」

「いや、何でそうなるんだよ。」

「だって、練習なしで上手くいくわけなくない? 告白したこともされたこともねぇけど、俺らは明日さんの教室見守り係である前に友達なんだから。絶対秘密は守るし、悩みがあるなら話して欲しいよ。」

 社長くんは、またチョコレートをつまみながら、にこと笑った。私は、心が温かくなった。


「社長くん……。」

「お前良いこと言うじゃん……。まぁ、2限始まるまで時間はあるけど、無理して全部話そうとしなくていいからね。」

「かっつくんも……ありがとう。」

 社長くんはどこか誇らしげに頷いた。一方で、かっつくんはゆっくりと体を私に向けた。


 私は、左手を頬に当て、考える。これまでの出来事から、言葉を紡いで、伝えられるような文章を考える。


 流石にストレートに言うわけにはいかないし、でも嘘をつくわけにもいかないし。うーん。


「……う、後ろめたいことをしたの。」

「こかげに?」

 こく、と私は頷いた。すると、社長くんの左手からこん、とチョコレートがケースに落ちた。


「え、浮気……?」

「するわけないだろ。」

「じゃあ、何したの?」

「えっと……って、うわ!?」

 突然、背後から声がした。


 慌ててバッと振り向くと、すぐ後ろの教室のドアから、ひょこ、と眠そうな顔がのぞいていた。こかげくん。


「お、おはようこかげ……。」

「お前、いつからそこに。」

「1限で寝てたら夢にめいか出てきたから、会いにきた。」

「リア充……。」

「途中からしか話聞いてなかったけど。で?」

 彼はずい、と私に顔を向けた。


「俺に何したの、めいか。」

 さぁっ、と血の気が引く。急に、教室や廊下から聞こえる声たちが大きく鳴って、思考を邪魔する。


 2人もいるし、ここで全てを話したら、3人とも私から離れてしまうかもしれない。ど、どうしよう……。


「えっ、と……。」

 目を合わせられない。私は彼の喉仏あたりを見つめ、何とか話せる言葉を探した。


 キーン コーン カーン コーン……


「そんな言えないことか。」



 景色の奥で、人が通り過ぎてゆく。気づいたら、こかげくんもいなくなっていた。


—☆☆


「きりーつ。」

 

 気だるげな声が教室に響く。

 真っ白なノートに目を落としていた私は、はっと顔を上げて立ち上がり、慌てて号令に合わせて礼をした。


「明日ちゃん、ご飯食べよう!」

 顔を向けると、クラスの友達が、お弁当の袋を持ちながら近くにいた。いつの間にか、教室は人の声が行き交い、ざわざわと騒がしかった。


「明日ちゃん?」

 心の中に、ぐっ、と重い何かができていくのを感じた。今、自分がこの空間にいることに、なぜか違和感を覚えた。


「ご、ごめん! 今日、用事があって、そこでお弁当食べるんだ。」

「あっ、そうなの? 」

「う、うん……。」

 友達は、また今度食べよー、と手を振りながら自分の席の方へ戻って行った。


 嘘をついてしまった。


  “そんな言えないことか。”


 へなへなと椅子に座った。冷たい声が、不意に蘇る。


 心に現れた重い感情が、私の視界を暗くしていく。机の右側にかかった黄色い弁当袋を手に取り、のろのろと立ち上がった。


「め、明日さん。ごめん、さっきは俺のせいで……。」

「……ううん、大丈夫。」

「明日さ……」

「ちょっと、教室出るね。」

 すぐに踵を返した。呼び止める声が聞こえた気がしたけど、廊下に出る人たちの流れに乗り、当てもなく進んでいく。


 ひたすら歩みを進め、やがて、人の多い教室棟から、陽の差し込む渡り廊下に抜けて、ゆっくりと立ち止まった。


 後ろから、喧騒と、誰かの笑い声が挙がった。


 私は、いつもそうだ。怖くなると、すぐに逃げて、本音が言えない。言おうと決めても、結局飲み込んでしまう。そして、飲み込んだものが、心を暗くする。


「どうして、素直に言えないのだろう。」


 はははっ—……


 また、笑い声が、教室棟の方から上がった。

 心臓がぎゅ、と苦しくなる。

 私はとぼとぼと、曇りガラスのドアが続く文化棟へ歩みを進めていった。


 ふと、顔を上げると、廊下の突き当りまで来ていた。

 左手のドアに目を向ける。曇りガラスのすぐ下には、黒いペンで書かれた可愛らしいキャラクターたちの絵に囲まれた、青く太い文字の「美術室」と書かれたホワイトボードがかけられている。私は、無意識に手を伸ばし、がらがら、とドアを開けた。

 

 漂い続けている絵具のにおいがす、と鼻に入る。電気のついていない、でも、外の光で明るい室内。黒板の手前の長机に、座っている人がいた。

 編み込んだ髪を、後ろで丁寧に結えた彼女は振り向いた。


「あら、あしたちゃん。」

「……悠ちゃん。」


 ふと、瞳が潤おうのを感じた。

 慌てて彼女から目を逸らした。


 長机には水色のナプキンが敷かれ、その上に水筒とお弁当箱が置かれている。

 私の視線に気がついたのか、彼女はそっと、左手に持っていた箸を置いた。

 

「いつもここで食べているの。教室棟の喧騒から逃れるために、ね。あしたちゃんは忘れ物?」

「あ、えーと……私も、逃れてきた。」

今度は嘘をついていない。


 悠ちゃんはまぁそうなの、とゆったりと両手を胸の前で合わせた。


「じゃあ、一緒にランチどう?」

「ランチ。」

 高校生のお弁当の時間をそう呼ぶのは、彼女くらいではないだろうか。


 私は言い訳も思いつかず、頷きながらドアを閉め、彼女の隣に座った。


 黒板横の窓辺だけカーテンが閉められていて、椅子に座ると若干ひんやりとしているのを感じた。

 ドクドク、とやけに早い鼓動を感じつつも、私は乱れた袋の結び目を解き、お弁当を取り出した。ぱかと蓋を開けると、悠ちゃんがあら、と呟いた。


「そぼろ弁当、美味しそうね。」

「……お母さんがよく作ってくれるんだ。楽みたいで。」

「そうなの。」

 私が頷くより早く、くぅ、とお腹が鳴った。悠ちゃんはあらやだ、と眉を下げた。こんな時もお腹が鳴るとは、恥ずかしい。


「あ、そうだ。ミートボール、よかったら味見してくれないかしら。実は初めて自分で作ったから、感想が欲しくて。」

「えっ、手作り? すごい。」

 彼女は照れたように丸メガネをかけなおし、す、と箸を手に取った。私が自分の弁当箱を差し出すと、ころん、と少しいびつな丸をしたミートボールが、3色の世界に乗っかった。社長くんのチョコレートと言い、今日は色んな人から食べ物をいただいている。


「ありがとう。いただきます。」

「はい、召し上がれ。」

 私はぱく、と茶色い丸を口に入れた。ほろ、と崩れる。噛むほどに、甘いタレが口の中にじゅわぁと広がる。自然と口角が上がる。


「ふふ、それなら良かった。」

「んぐ……まだ何も言ってないよ。」

「言わなくても分かるわよ。あなたは顔で語るから。」

「顔で語る。」

 なんだそれ。


 悠ちゃんはまたふふ、と笑った。


「あしたちゃんは素直ですもの。とても信頼できる食レポをくれるし。」

 そう言って、悠ちゃんは桃色の花びらが描かれた水筒を手に取った。


 私は、その様子をまじまじと見た。

 ついさっきまで「自分に足りない」と思っていたことを、彼女は「足りている」と言ったように感じたのだ。


 かちん、と彼女が水筒を閉めるまで待って、口を開けた。


「私って、素直なの?」

「ええ。」

「そうなんだ。」

 私は、素直なのか。じゃあ、どうして自分のしたことを、素直に話せないのだろう。


 素直なのに、素直になれないなんてこと、あるのだろうか。


 ミートボールのたれが残った、手の付けられていないそぼろたちを見つめた。また、ぎゅ、と心が苦しくなる。しかし、きゅぅ、とお腹も鳴った。


 再び悠ちゃんがあらまぁとか呟くので、少し声を張って「いただきます」と言い、スプーンを手に取った。


 卵のそぼろを白米と一緒に掬い、口に運ぶ。そして、もくもくと、2人で各々のお弁当をいただいていく。

 

 かちゃん、


 すた、すた、


 カッ、カッ、


 水筒の蓋が締まる音、誰かが美術室の前を通り過ぎる音、黒板の上の時計の針の音。


 食べ進めていくと、重い鼓動や心の中の声の隙間で、外の世界の音がだんだん聞こえて来た。ここに来る前よりも、少しだけ落ち着いたようだ。


 やがて、昼休み終了15分前を告げるチャイムが鳴った。空になった弁当箱を黄色い弁当袋の中に包み、私は静かに手を合わせた。


「ね。素直といえば、今回のコンクールの為に私が描いてるものが何か、覚えてる?」

 カーテンの下の水道で手を洗い終えた悠ちゃんが、真っ白なハンカチを手に椅子へ戻りながら聞いてきた。


 今回のコンクール、というのは、毎年秋になると開催される芸術祭のことだ。私たちは現在、この芸術祭に出品するための作品を製作している。ちなみに、今年のテーマは「植物」だ。


「うん。ガマだよね。茶色くて、潰すと綿が出てくる植物。」

「そうそう。実は、ガマの花言葉が"素直"なの。」

「そうなの?」

 そういえば、出品テーマが発表されるや否や、彼女が図書室から花言葉ハンドブックなるものを借りてきたことを思い出した。あの見た目でも「花」言葉がつけられているんだって、驚いた記憶がある。


「あしたちゃんの言う通り、ガマって茶色いシンプルな見た目をしているけど、中には綿が沢山詰められている。だから、素直さって、見た目はシンプルでも中身が複雑なものにも当てはまるのではないかしら、と私は思ったの。」

「ほう。」

「つまり何が言いたいかというと、素直な人にも、たくさんの悩み事があるし、それでいい、ということ。」

 悠ちゃんはそう言って、私を丸メガネの向こうで真っすぐ見つめた。


 私は、は、と思い出す。

 

 足が遅い。不器用。臆病。

 でも、それでいい。そんな私でも、今できることをすればいい。

 どんな時も必ず、そばにいてくれる人がいる。


「一緒にがんばろうね。」


 私はがた、と立ち上がり、お弁当袋を手に取った。


「悠ちゃん、ありがとう。私、いってくる!」

「あら。あと少しでお昼休み終わるから、気をつけてね。」

「うん!」

 私は美術室のドアをガラッッと開けた。が、くる、と体の向きを戻した。


「ミートボールありがとう! 今度めっちゃ美味しいもの持ってくるね!」

「まぁ。楽しみにしてるわ。」

 再び美術室に背を向け、人が通らないか確認し、廊下に飛び出していった。


「幸せな水曜日になりますように。」

 扉の閉まる音の隙間から、そう聞こえた気がした。


 明るい渡り廊下をなんとか走り抜け、私は騒がしい教室棟に戻った。そして果敢に、でも、人とぶつからないように、ずんずんとこかげくんの6組の教室を目指していく。

「あっ、明日さーん!」

 ふと、すり抜けようとした男子2人組の一人に呼び止められた。振り向くと、生徒の陰からひょこっと顔がのぞいた。


「社長くん!」

「こかげ探してる? 」

「え、うん!」

「さっき文化棟行くの見たって、こいつが言ってた!」

 と、自分の前にいる生徒を指さした。振り向いた彼を見ると、昨日のお昼休みにぶつかった、こかげくんの隣にいた人だった。


「あっ、昨日はごめんなさい!!」

「いや、全然。てか、こかげの彼女だったんだ。」

「はい! 高道明日です。あの、ありがとうございます。社長くんも!」

「うん! いってらっしゃーい!」

 ぶんぶん手を振る社長くんと、その人に見送られ、私はそのまま教室棟を抜けた。角を左に曲がり、文化棟につながるもう一方の渡り廊下を抜けていく。


 そばにいてくれる人たちのおかげで、私は素直に生きられている。だから、隠すことなんて、至極勿体無いのだろう。


「そんな言えないことか。」


 違う。言ったらあなたがどう思うか不安で、一人で悩んでしまうだけなんだ。


 キキッ、と上履きが音を立てる。暗室の前で立ち止まり、私ははぁ、はぁ、と上がる息を何とかおさえる。す、と息を吸った。コンコン、とドアを叩く。


「こかげくん、いますか?」

「……。」

 反応がない。でも、前室の電気はついていた。私はガララ、と引き戸を開け、中に入る。歓声と軽快なポップスが、いつものように聞こえてくる。


「こかげくん。」

 そして、いつものように彼は、パソコンの前で突っ伏していた。抑えられずに、私は温い彼の背中に手を置いた。


「ごめんなさい。私、先週の水曜日、ここで私は、その、木陰くんにキスをしました。不快に思われたら、ごめんなさい。」

 小さな声が、パソコンから流れる音に溶けていった。


 反応はない。


 私はもう一度声に出そうと、息を吸った。

「こか」

「知ってた。」

「げっ」

 タイミングの悪いところで声が重なった。ぱ、とパソコンの方を見たが、動画はいつの間にか止まっていた。


 ゆっくり視線を下ろすと、寝ていたはずのこかげくんが私を見上げていた。その目は、いつもの夢うつつな瞳ではなかった。


「おっ、おっ、起きてたの?」

「うん。さっきめいかの声したから、驚かせようと思って。」

「えぇ。じゃ、じゃあ、先週の水曜日は?」

「ああ、あれはまじでうとうとしていた。」

 むくりと起き上がりながら、こかげくんは穏やかな言った。


「んー、夢から覚めかけのタイミングだったかな。あ、なんかキスされてるなーって思って、目が覚めたら、そっちのドアの前に真っ赤なめいかがいたからさ。すげー、かわいーって。」

「え、えぇ~……。」

 体の力が抜けていく。じゃあ、この一週間の授業中の失敗も、美術部でのやらかしも、ここ数日の告白大作戦も、特に意味はなかったということなのか……。


「無駄な時間過ごした……。」

 へなへなとその場に座り込んだ。パソコンの置いてある机に手をかけ、足元に目を落とす。カー、と、熱が顔に集中して、熱くなるのを感じた。


 そうしていると、ひんやりとしたものが、私の首筋に当たった。冷えたペットボトルじゃない、ほのかなに温かいこかげくんの手。その手は私の頭へと上り、ぽんぽん、と叩く。


「へへ、恥ずかしいねぇ。俺が知らないと思って空回りしてたんでしょう、どうせ。」

「し、知っていたのなら、早く言ってよ!」

「一生懸命だったから、つい。」

「ついじゃないよ……」

「でも、」

 そこで、こかげくんは言葉を切った。顔を上げると、彼は至極真面目な顔をしていた。


「朝のは、本気で不安に思った。」

「……うん。ごめんなさい。」

「めいかが一生懸命に生きているの、俺は好きだから。でも、自分の失敗を隠すことに一生懸命にならないで。」

 彼は、今度は優しく手を頭の上に乗せた。


「失敗するめいかも、めいかじゃん。だから、抱える前に、ちゃんと話して。俺に言いにくいんじゃ、かっつーでも社長でも、他の友達でも家族でもいいからさ。」

「……うん。ありがとう。」

 私は、頷いた。一週間分の悩みの綿毛が、外へとはなされていくのを感じた。


 彼はいつものようににひ、と笑い、頭に触れていない方の手で、自分の唇を指した。


 私はそのしぐさにドキッ、としながら、ゆっくりと立ち上がる。

 頭に乗せられていた彼の手が、背中の方に移動する。私は閉じられた平行な唇に向かい、そっと顔を近づけた。


 瞬間。


 ガララララッ、バンッ!!


「こかげと明日さーん!! 授業始まっちゃ……きゃーっ!」

「勝手に入るなしゃちょ、うわあああこかげ!!!!」

 突然、暗室のドアが開けられたと思ったら、社長くんとかっつくんが入ってきた。


 と、冷静に分析しているものの、目を瞑り座っている男子とその人に抱き寄せられるようにして顔を近づけている女子の図を見せびらかしてしまい、顔を2人に向けたまま、私は硬直していた。


 すると、鬼の形相のかっつくんが、ギーッと音が鳴る勢いでこかげくんの座るパイプ椅子を後方に下げた。


「何やってんだよこかげ!!!! ここ学校だぞ!!!!」

「うるさ……今仲直りしてたのに。」

「知らねぇよ、変態!!!! 明日さん、大丈夫? 無事?」

「こ、こかげ、お前大胆だな。」

「いや、大胆なのはめい」

「ぎゃーっ!! すみませんすみません!! 」

 今のすみませんは、うちのこかげくんがすみませんという意味と、全て私の責任ですすみませんという二重の意味があるので連呼した。口には出さないけど。


「次、こかげのクラス体育だろ!? お前着替えてもないじゃん!!」

「あ、やべ。じゃ、仲直り終わってから行くわ。」

「今すぐ行け!!」

 べりっっ、とこかげくんをパイプ椅子からはがすと、かっつくんは社長くんの襟元をつかみ、私たち2人に行くよ!!! と特大の声で言った。


「……い、行こうか。」

「……はぁい。」

 また子犬のような声を出すこかげくん。その姿を思わず抱きしめたくなる衝動を抑え、私は暗室の電気を消し、こかげくんと外に出た。


 渡り廊下を目指して駆け出すかっつくん(とつかまれている社長くん)につられ、私たちも走り出した。


 隣でふてくされながらも、私にペースを合わせるこかげくんを見て、私は笑みがこぼれた。


 今日は水曜日。

 授業のあとに部活、そして、あなたと帰ることのできる、”幸せの水曜日”。

 

 私は今日も、放課後にそう思うだろう。



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