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夕暮れの告白

作者: 幡中なるみ
掲載日:2025/07/02

忘れられないあの夏の日。

そして、もうひとりの私に出会った、一年後。

ふたりだけの静かな空間での告白。

きっとあなただったから、私の本当の思いを打ち明けられた。


その日私は、向かい側のバス停にわたしを見つけた。

夏の夕方、職場から帰宅の途中だった。

一瞬目を疑い、呼吸が止まった。

何回瞬きをしても、自分にしか見えなかった。

そして、その隣にはもう会えないはずのあの人がいた。

わたしと手を繋いで、ベンチに座っていた。

唖然としていたら、すぐにバスが来て、ふたりは乗っていってしまった。

赤いカバンだけがポツンと置き去りにされていた。


私は無意識のうちに向かいのバス停に走っていった。

置き去りにされたカバンを手に取り、ベンチに座った。

ふたりが引き返してカバンを取りに来るかもしれない。

もし来たら、どうすれば良いのだろう。

自分は一体何をしているのだろう?

そう思いながらも動けなかった。

30分ほど、そこに座っていたと思う。

やがて、カバンの中のスマートフォンが光った。

画面に“あの人“の名前が表示されていた。

ーー“Q“

心臓が飛び出そうだった。

「もしもし。」

恐る恐る電話に出た。

「カバンの持ち主です。拾ってくれた方ですか?」

電話から聞こえたのは、自分の声だった。

取りにくるという。私はここに座って、もう少し待つことにした。


私は1年前の夏、ひとりの男に出会い、恋をした。

それがQだった。

ずっと苦しめられていた家族と縁を切る、と決めた日。

私はひとりでいたくなかった。

マッチングアプリでその日に会える男を見つけ、夕食の約束をした。

何の新鮮さも無くなったアプリでの出会いに私は全く期待していなかった。

しかし、その日約束の場所に現れた彼は、想像以上だった。

澄んだ色の瞳で、私をまっすぐに見つめた。

私の冗談に顔をくしゃっとさせ、はにかみながら少年のように笑った。

話してみると、かなり聡明なことに気づいた。

時に人生を長く生きてきた老人のような言葉を口にする、不思議な魅力があった。

バックパックで世界各国を旅行している、と言った彼のTシャツはところどころ擦り切れて、汚れていたが、なぜか全体的に清潔感があった。

加えて、一切気取らず、紳士的に私をエスコートした。とても自然だった。

その夜、私はQと家に帰った。もう会わないと分かっているからか、一晩中お互いのことを話しこんだ。

彼が私の境遇を理解し、共感していることに感動を覚えた。

今まで誰かと話していて、こんなに満たされたことなんてなかった。

程よく引き締まった逞しい体に、完璧な褐色の肌。私はこんなに美しい人間が、現実に存在するのかと思った。


なぜか私はずっと前から彼を知っていたような気がした。

沈黙も怖くなかった。気がついたら、私は自分の家族の話をしていた。

私の両親は離婚している。原因は父の不倫。

母は父と別居してから、不安定になり、私にしつこく連絡してくるようになった。

自己中心的な要求や自分の話ばかり。

私のことには無関心。

私は母のことを次第に無視するようになった。

兄のことも、昔から苦手だった。

冴えない見た目に、要領の悪さ。

学校では兄妹だと気づかれないように距離をとった。

そんな兄は数年前、自殺未遂の騒ぎを起こした。

両親は突然過保護になり、兄と仲の悪い私を責めるようになった。

父のコネで職を得た兄は、年下の女性を妊娠させて結婚した。

父の金でマンションと車を手に入れた兄は、私を見下すような目で言った。

「お前も、父さんを安心させてやれよ。早く安定しろ。」

兄に子供ができたとき、私は素直に祝う気になれなかった。

責任感も経済力もない兄夫婦が、まともに子供を育てられるなんて思えなかった。

そして何より、何かあったとき私が尻拭いさせられる未来も目に浮かんだ。

初孫に浮かれる父には、冷たい目を向けられた。

「そんな娘に育てた覚えはない。なぜお兄ちゃんのようになれない?」

私は家族の誰からも愛されていない気がした。


誰かにこんな話をしたのは、初めてだった。

話すつもりなんてなかった。なのに言葉は止まらなかった。

彼は私の話を黙って、じっと聞いていた。

「もう私には家族なんていないのかも。」

私がそういった途端、彼の表情が動いた気がした。

そしてただそっと私を抱きしめてくれた。

そのどっしりと重く、幸福な温もり。

時間がとまったかのように思えたふたりだけの時間。

しばらくして、彼もまた、自分の複雑な家庭についても話してくれた。

私たちはお互いの苦悩や愛情への渇望を言葉なく理解し合えた。


その翌日、彼は次の目的地に発った。

それ以来会っていない。

私はずっと待ち望んでいた恋が一晩で終わってしまったことを嘆いて何週間も泣いた。

この夢のようなひとときのことを思いだして、一生恋焦がれるであろう自分を憐れんだ。

どんな男も彼に敵うはずがなかった。


このバス停に彼も来るのだろうか。

もし来たら、何と言おう。

私のことを覚えていないかもしれない。

そんなことが頭を駆け巡った時に、またスマートフォンの画面が光った。

なんでもない通信会社の営業SMSの通知だったが、待受画面の写真が目に入った。

ーーー実家で数年前まで飼っていた犬のジローの写真だった。

まさか。

指が勝手に自分の暗証番号「0101」と打っていた。

スマートフォンのホーム画面が開いた。

カメラロールを開くと、大半の写真に写っている彼女の姿は、紛れもなく自分だった。

そして、私の現実ではあり得ない、家族仲睦まじい写真が並んでいた。

両親は離婚しておらず、愛し合っているように見えた。

兄も私の世界の兄より、健康で頼もしく見えた。笑顔のツーショットも見つけた。

もうひとりのわたしはQと色んな場所に旅行に行ったこともわかった。

ちょうど1年前、彼が次の目的地と言っていたバリ島、香港、そして彼の出身地である海辺の街。

写真の中のわたしたちは輝いて、幸せそうだった。

彼女は、彼に選ばれ、家族にも恵まれ、大切にされている。

あの子は私がなれなかった“幸せな自分“だった。


急いで駆けつけた彼女は、

「カバン、すみません。本当に助かりました。ありがとうございます。」

と言いながら、お辞儀をして私の間正面に立った。

そして不思議そうに私のことを見つめた。

近くで見ると、ますます自分に似ていた。背丈も体型も、髪型も同じ。

ただ、彼女は私がまず選ばないであろうフェミニンな服装で、少し幼い印象を受けた。

決定的に違ったのは、雰囲気だった。

私を見つめる瞳には、安定した家庭で育った人特有のまっすぐさ、純粋さを感じた。

それは、私が何度も失ってきたものだった。

「あの、もしかして…Qの恋人ですか?」

訊いてしまった。

彼女は少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに微笑み、

「うん。」と頷いた。

「恋人だった…が正しいかな。ちょうど今日お別れしてきました。」

そういった途端、彼女の顔が歪み、瞳から涙が溢れた。


『ごめんなさい、泣いてしまって。

なんだかあなたには初めて会った気がしないからかも。」

罰が悪そうにそう言った彼女に、私は、

「もしよかったら、私に話してみてくれる?」

とといかけた。


それを聞いた彼女は、当たり前のように笑顔を作って頷いた。

そして、ぽつりぽつりと自分の話を始めた。


「私はずっと、将来は両親が望むような結婚をして、安定した家庭を作らないと、って思ってた。

そのために、Qの仕事に合わせて引っ越して、仕事を諦めた。

彼の夢を応援できることが、私の幸せだって、自分に言い聞かせてた。

これが、”大人になること”で”正解”だと信じてたんだと思う。

でもね、いつもどこか不安だったし、自分に自信がなかった。

彼といても、友達といても、いつも気を遣って相手の気持ちや価値観を最優先にして、合わせていた。

迷惑をかけたくなかったし、重いと思われたくなかったから。

ある日、寝る前に彼にふと聞いてみたの。

「私のどこが好きなの?」って。

そうしたら、スマホをみながら彼は、めんどくさそうに言った。

「優しいところかな。文句を言わないし。」

その後は一晩中涙が止まらなくて。でも彼は気づいてくれなかった。

彼は、そして私の周りにいた人は、きっと私という人間を見ていなかったと思う。

そして、そうさせてきたのは小さい時から周りの理想に合わせすぎてきた自分。

誰かの期待に応えて、いい子、いい人でいないと、愛されない。選ばれない。

そう思って生きてきた。

誰かの理想が自分の理想になっていた。

役割を果たさないと、自分の存在を確かめられなかった。

いつからか、

「私なんかが自分のことを優先したら、バチが当たる」

「自分が幸せにしてもらった分、人に尽くさないと」

って人の役に立たないと、不安になってた。

自分の存在を肯定しようと、頑張ってた。

理想にしがみついて、自分を見失ってた。

そんな自分が痛々しくて。

何が正解か、まだ全然わからない。

でも、このままじゃだめだ、と思って。Qとの別れを選んだ。

すごく怖いけど、自分で、決めたの。』

ーー彼女の涙を見て、気づけば私も泣いていた。


視線の先、道路の向こうで、夕陽が空に落ちていき、景色全体がオレンジ色に明るく照らされていった。

私たちは、ふたり一緒にその景色を静かに眺めた。

わたしたちは、違う道を歩んでいたけれど、最終的に選んだものは一緒だった。

ーー誰かの隣に居なくても、自分のことを愛して生きていくこと。


自信がない日も、孤独を感じる夜もあるだろう。

そんなときは、世界のどこかで自分と同じようにひとりでもがいている“あなた“のことを思い出す。

私たちはお互いの痛みをちゃんと知っている。

知らないふりをしないで、そっと隣で寄り添うこともできる。

それだけで、今夜を越える理由になる。

大切な友達が話してくれた過去をベースに、彼女が住んでいるベトナム、ハノイの川沿いの綺麗な夕日を思い出しながら物語を書きました。

時々彼女の話を聞いていると、自分のことのように思えて仕方がないことがあります。

離れていても、誰よりも分かり合える。

そんな存在や自分自身との対話を重ねることで、辛い時期を乗り越えられる、そんな願いを込めて。

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― 新着の感想 ―
若い時のヒリヒリとした感情を思い返しました。 本当の自分と、他人に見せたい自分と、理想としてのなりたい自分が乖離していた頃。大人になった今もそういった感情は変わらないのかもしれない。
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