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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

東方二次創作

藻を呑む【東方二次創作】

作者: 遠野なつめ

妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する。

幻想郷の均衡を守るために、博麗の巫女が定めたのが「スペルカードルール」だった。

美しさを競い、無用に殺し合わず、決闘に意味を持たせる。今でこそ誰もが守る常識だが、不老不死の身にとっては昨日のことに等しい。


これは、まだそのルールがなかった時代の話。

藤原妹紅が、今より少しだけ若く、無鉄砲だった頃の記憶である。


────


その日、妹紅は湖のほとりをぶらついていた。

これと言って用はない。代わり映えしない竹林の景色に飽きてしまい、妖怪の山の麓にある湖に足を向けたのだ。


昼だけ霧に包まれる妙な場所で、視界はしっとりと煙っていた。指先に火を灯してみると、霧の中で火影が揺れる。赤いもんぺの裾に、濡れた草の穂が擦れていた。


焼き魚でも作れないかと湖面を覗いてみたが、魚の姿は見えない。水藻が浮いているだけだった。



霧の中から視線を感じて、妹紅は顔を上げた。

十間ほど先に小舟があり、船頭が一人でこちらを睨んでいる。つばのある白帽に、兵服姿の女だった。


「なんだよ」


妹紅が反応すると、木の小舟はこちらに近づいてきた。風はないし、手で漕いでもいないのに変な舟だ。


「別に。妙な格好だから、気になっただけ。この辺りで赤いものは珍しいの」


妹紅がもんぺの足元に目を落としたとき、女は言葉を重ねた。


「貴方は人間? それにしては人間の匂いがしない。妖怪、でもないわよね」

「お前……」


顔を上げて、船頭を見返す。

妖怪を退治する人間、を自認してきた妹紅には、その言葉は看過できなかった。


「人間を辞めた者かしら」

「……私は人間だ。辞めてなんかいない」

「本当に?」

「お前こそ、なんなんだ。随分と変な舟に乗ってるな」


「ムラサ。数多の人間を沈めてきた舟幽霊よ」


女は自らそう名乗った。

水辺に立った妹紅と、舟に乗った村紗の視線がぶつかる。妹紅は「死に損ない」と吐き捨てた。


「何か言ったかしら」

「死に損なって、人まで殺したのか。……誇れることか、それが? 少しは恥を知れ」


その言葉に、舟幽霊は口の端で嗤った。


「私のことが気に入らないようね。人間だった者同士、同族嫌悪というものもある。背を向けて逃げ帰れば何もしないわ」

「……一緒にするなッ!」


胸の奥で燻っていた炎が爆ぜる。火は背中に回り、不死鳥の翼の形を作った。

船頭もろとも木の舟を消し炭にするつもりだった。後先を考えず、地面を蹴って跳んだ妹紅が目にしたのは──自分を飲み込むような水の壁だった。


湖の底がひっくり返ったのかと錯覚する。炎の翼は水に呑まれて、しゅうしゅうと音を立てて消えた。


水に叩き込まれるのと同時に、重い何かが、手足に絡みつく。

錆びた鎖だ。背丈より大きな錨が、妹紅の身体を湖の底へと引きずっていた。


──そこからは、思い出したくもない。


水面から差す光は遠く、自分の髪が揺れていた。

妹紅は何度も絶命し、火柱を上げることもできず、ぐずぐずと水底に沈んでいた。手足を繋ぐ鎖はびくともしない。念縛の術か何かが込められているようで、いくら暴れても解ける気配がなかった。


蘇生のたびに反射的に息を吸おうとして、藻の交ざった水を肺の奥まで吸った。

やがて、喉の奥に藻の塊が詰まって、息を吐くこともできなくなった。


この世に地獄があるとすれば、罪人を焼く業火の海ではなく、声の届かない湖の底だろう。


日が沈み、霧が晴れる頃。念縛の術が切れて、手足の鎖がほどけ、妹紅はようやく岸に打ち上げられた。


ぬれねずみで岸に横たわった妹紅は、喉に指を突っ込んで背中を丸め、咳き込みながら藻を吐き出した。湖の妖精たちは手を貸すでもなく、遠巻きに眺めて何事かを話している。船頭の姿はどこにもなかった。




あれから幾年が過ぎたのか、よく覚えていない。


湖での一件があっても、生活は表向きには何も変わらない。

道案内の仕事を請け負うようになったが、里から診療所への案内が主で、湖に行くことはなかった。元から何も用はなかったのだ。足が向かなくなっても、困りはしない。


慧音を訪ねていって昼をご馳走になったとき、床の間に湖に浮かんだ小舟の墨絵が掛けてあり、昼飯に水藻の吸い物が出たのには閉口した。お腹がふくれたといって椀に蓋をすると、慧音はそれ以上は尋ねずに煎茶を淹れてくれた。


湖に行かなくても、苦手な食べ物が一つあっても、困りはしない。


──その頃。


鴉天狗の新聞が、夏の号外として、命蓮寺の特集号を出した。聖白蓮が住職を務める、人里の外れにある寺。かつて素行が悪く荒ぶっていた妖怪たちが、仏の教えに従って更生した、という筋書きだった。


特集号には「更生した元ワル妖怪への直撃取材」として、舟幽霊のムラサの取材記事が載っていた。


「私も昔は結構悪かったんです。そうですね……火を吹く女に錨をつけて湖に沈めたこともあった。今ですか? 今はそんなことしませんよ。頭から柄杓で水を掛けるぐらいです」


記事は里で広く読まれ、娯楽に飢えた兎を通して、月の姫が知ることとなった。名前は書かれていなくても、火を吹く女には心当たりがある。ちょうど涼味がほしい時季だ。冷たい茶を淹れてみよう、と輝夜は思い立った。


次の日。

妹紅は道案内の仕事のため、竹林を歩いて永遠亭に向かった。案内の依頼者は、里は暑くてたまらないが、竹林に入ればいくらか涼しいといって喜んでいた。


依頼者を診療所に送っていって、庭に面した廊下に出ると、月の姫に呼び止められた。手が隠れる長さの袖に、足首まで覆う三重のスカートを纏っている。


「お疲れ様。暑かったでしょう」

「別に。お前の服装のほうがよほど暑苦しい」

「夏用の布地だから平気よ。労いの言葉ぐらい、素直に聞いたらどうかしら」


輝夜は縁側に腰をおろして、薄手の器をこちらに手渡した。波紋が手描きされた白磁の茶器。


「水藻の冷茶を淹れておいたわ」

「藻」


器の中で、淡い緑の液体が揺れる。器の底には一筋の藻が沈んでいた。藻の細かな房がやけにはっきりと見えて、視線が吸い寄せられた。


特に珍しいものではない。水藻の茶は薬膳の一種として、健康志向の人々に好まれていたが。かつて水底に縛られたときの感触、ぬめる藻の匂い、喉に指を突っ込んだとき、指に藻が絡んだ記憶が蘇る。


素知らぬ顔で、輝夜は「良い香りでしょう」と口にした。


早く片付けてしまおう、と器を傾けて茶を煽る。


「……っ!」


青い匂いが口の中を満たし、飲み込んだ茶が逆流する。

何か考える前に、口を押さえて庭に走っていた。



庭に下りてえずいていると、背後から足音が近づいてきた。涙が頬を伝っているのに気づいて、手の甲で拭って隠す。あいつにだけは見られたくなかった。


「……悪戯が過ぎたわね。悪かったわ」


珍しく殊勝に謝ってくるのも、余計に煩わしい。悪戯という言葉が引っかかって、足元に目をやったまま聞き返した。


「お前が淹れたのか」

「ええ。新聞に載っていたことを確かめたくなってね。冗談半分で……ごめんなさい」

「新聞?」


妹紅に乞われるように、輝夜は室内から天狗の新聞を取って差し出した。


白帽に兵服の女が、カメラのほうを向いて写っている。

更生した元ワル。舟幽霊のムラサ。火を吹く女に錨をつけて湖に沈めた。


「……私のことか」


他にいるとも思えない。

火を吹く女、とは妙に間が抜けている。里の祭りには火吹き芸があるらしいが──。


「道化じゃないんだ」


苛立ち紛れにそう呟くと、新聞を雑に畳んで突き返した。


「次は飲んでやるよ。一滴残さず」


何か言いたげな輝夜を置いて、妹紅は一人で屋敷を後にした。




次に屋敷を訪ねたとき、気温はさらに上がっていた。

妹紅は兎に届け物を済ませて、庭に面した廊下で輝夜と行きあった。片手に扇を持って、長いスカートを擦るように歩いている。


今度はこちらから姫を呼び止めた。


「喉がかわいた。お茶を貰う」


相手はしばらく動きを止めてから、口元に笑みを浮かべた。


「まったく。姫にお茶を淹れさせるなんて」


縁側に座って足を揺らしながら、姫が戻ってくるのを待った。兎たちは仕事中らしく、屋敷のどこかから足音が聞こえてくる。


戻ってきた姫は、こちらに白磁の茶器を差し出した。淡い緑の茶、底に沈んだ一筋の藻。前と変わらない水藻の冷茶だった。


妹紅は静かに器を取って、ひんやりした器に口をつけた。

涼味といえば聞こえは良いが、青臭さと微かなぬめりが舌に残る。好きではないにせよ、もう吐き気を催すことはなく、冷茶は喉を流れていった。


霧の湖の風景も、水場で舟幽霊と交戦した記憶も、冷茶と一緒に呑み干した。冷茶を空にして顔を上げると、輝夜が様子を伺うようにこちらを眺めている。


器の底に残った藻を指でつまんで口に入れると、輝夜は「行儀が悪い」と呟いた。


「今度は煎茶が良い」


器を返しながら呟くと、輝夜はふっと笑って「自分の家で飲みなさいよ」と答えた。



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