学校の終わり、卒業式の日に。
お昼を楽しみに生徒がどこか浮ついた気配が広がり始める時間、普段だったら静かな校舎にワイワイと声が響いている。
「♪~」
そんなBGMをしり目に、一人教室に残った僕は上機嫌に鼻歌を歌っていた。
少し古い、そして知る人も少ないバラード。同級生は誰も知らず、登下校の電車で聞くだけだった音。
それを1人カラオケのように口ずさみながら、今日ついに渡された紙切れを鞄から取り出す。
その紙きれは3年間の終わりを示す綺麗な縁取りがされており、自分の名が書かれた意味はとても単純。
「♪~」
誰も居ない事を良い事に音は止まらず、価値もないその紙きれを折り紙のように折っていく。頑丈でいて軽いその紙は、単純な紙飛行機にしてもよく飛ぶだろう。少しづつ形を変えて価値を与えられるそれは、綺麗な模様が隙間から覗くとても豪華な紙飛行機となる。
「あ~……」
そのまま空いた窓から風に乗せて飛ばそうとするが、いつも気にかけてくる厄介な同級生の顔が頭に浮かんだ。
困ったようにその手を止めると、クルリと教室の中に向ける。
何かが詰まっていた空っぽの教室は誰も居らず、これまで詰めてきた3年間はもうこの教室には存在しない。
けれどその存在しない何かに乗せる様に紙飛行機を飛ばすと、ゆっくりと飛んでいく。
落ちながら飛んでいくと教室の扉にぶつかり墜落する。頑丈なおかげで歪む事もなく転がる。
無意味だったその紙は、人の力が加われば再び空を飛べるだろう。
ぼんやりと落ちた紙飛行機を見ていると、テクテクと足音が教室に近づいてきていた。特に何かを考える事もなくその足音を追って視線を向けると、この3年間ずっと気にかけて来た厄介な同級生が窓ガラス越しに見えた。
「やっぱり居た。何やってるの、記念撮影終わったよ」
ガラガラと扉を開けると、その厄介な少女は呆れたように眉を顰めた。
「いいよめんどくせぇ」
「そんな事言わないで、え、やだなにこれ、紙飛行機?」
少女が教室に入ろうとすると、足元にあった紙飛行機に気付かず踏み潰してしまう。困惑しながら紙飛行機を開くと、そこに書かれていた文字に唖然とする。
「卒業、証書?」
「何で卒業証書踏み潰してるの?」
「……そもそも何でこんなところに紙飛行機になった卒業証書があるの?」
「そりゃあ、俺が投げたから」
「投げるな」
もはや慣れた様子も滲みだしながら、踏んだ卒業証書を持ち上げて伸ばそうとする。しっかりと付いた折り目と足跡は消えることなく残るが、それでも紙の意味は何も変わらない。
「いんちょ、何してるの?」
「え、元に戻してるんだけど」
「元に戻すなら紙飛行機にでしょ」
「それは絶対違う」
もう元には戻らない卒業証書を綺麗に伸ばしたら理不尽な催促が飛んできて、少女が嫌そうに睨む。
「簡単だから、ほら。元に戻してこっち投げて」
「……」
絶対にダメな事はしない、そういう嫌な信頼があるからこそ仕方なく指示に従う。卒業証書を折ると言う常識外な事にびくびくしながら、けれどすでについている折り目に従って、まるでその形が当然かのように卒業証書は価値を与えられる。
「そうそう、こっちこっち、へいパス」
「へいパスじゃない」
文句を言いながらも投げ返す。踏んで歪んだせいか、力が入り過ぎたせいか、先ほどよりも少し早く落ちながら飛んでくる。けれど床に落ちる事はなく、手で受け止めた。
「それで、どうすんの?」
「何が?」
「記念写真!もう終わったけど」
そもそもそのために来たのだ。いつも話を持って行かれるが、それでも人の話は一応ちゃんと聞くので覚えている。誤魔化しただけだ。
「めんどくさいし帰る」
受け取った紙飛行機を鞄に仕舞うと、そのまま帰ろうとする。空っぽの教室には何も残っておらず、そう遠くないうちに次年度の学生を受け入れるはずだ。
「じゃあ、はい」
「あ、え、ちょっと待て」
少女は話を無視して近寄ると、ちょっと背伸びをしながら肩に抱きつくように組んできた。文句を言うが気にせず、空いた手でスマホを構える。
「おい、何でだよ。しないって言っただろ」
「いつもそう言ってやりたいようにされてきたから、今日だけは私の好きにする。はい、チーズ」
「おい!」
カシャリと音が鳴ると、今が切り取られた。見せられた画面に映るのは自分自身のはずだが、どこか自分自身には見えない。不思議な画像だ。
少女は撮った写真を嬉しそうに保存すると、悪い事をしているわけでもないのに隠す様に慌てて仕舞う。
「よし、帰ろっか」
「……いんちょ、やけに積極的なんだけど」
「いいじゃない、卒業式の日くらい」
「どうせ高校でも一緒じゃねぇか」
「ホントにね。なんで同じ一高なの?普段不真面目なあんたと一緒って悔しいんだけど」
「悔しがるレベルでもないだろ。テストは難しくもないんだし」
「それがむかつくし悔しいの!」
歩き出した少女を追いかけるように進む。文句を言いながらもどこか嬉しそうなその仕草にどこか負けた気分になった。
「ねぇ」
「何?」
ふと頭に浮かんだ行動を実行する。ポケットに入れたスマホを取り出すと、少女に後ろから抱きしめる様に寄りかかる。
「なっ!?」
「はい、チーズ」
操作に慣れてないせいか、声を出してから少し間があった。けれど気にせず撮られた写真は、構図も角度も悪く人見せられた物ではない。
「あれ、もっとうまく撮れると思ったのに」
「な、な、な、な、な」
少女は壊れたラジカセのように言葉を繰り返し、真っ赤になって睨む。
「しょうがねぇ、はい、チーズ」
再び、今度は先ほどと同じで肩を組むように少女を引き寄せると再びシャッターを押す。先ほどと違い今度は変な間もなく、すぐに写真が撮られた。
「よし、帰るか」
「ちょ、ちょっと何よ!」
「せっかくだし僕も撮ろうかと」
「貸して!」
少女は奪い取るような勢いでスマホを奪い取る。写真を確認するとより顔を赤くして、大慌てでスマホを操作する。
「消すなよ」
「消す!ダメ!」
僕の言葉を無視してスマホの操作を始める。がすぐに動かす指を止めると自身のスマホを取り出した。
「何してるの?」
「何でもない!」
さっさと慣れた様に動かすと1枚目のデータを消して押し返した。スマホにデータが残ってない事を確認すると、何故か悲しく感じる。
「ホントに消しやがった」
「当たり前でしょ!あんな恥ずかしい写真」
少し熱くなった顔を冷やそうと風を送りながら誰も居ない廊下を進む。僕は残った2枚目の、自分に見えない穏やかな笑顔を浮かべる僕と少女が写った初めての人物写真を保存すると、ポケットにしまった。
消された1枚目のデータは少女のスマホにコピーされて残っていた。
イタズラをしようとちょっと悪い、けれどとても楽しそうな笑顔を浮かべた少年と
抱きつかれた事に驚いて、普段見せないような緩み切った笑顔で真っ赤になる少女。
写真を撮るタイミングが合わず、その2人が画面端に寄ってしまったへたくそな1枚目の秘密。
気分転換と落書きを春チャレンジに添えて。