7・・二つの月
翌朝、テオと一緒に朝食を食べた彩綾は仕事にいくテオを玄関で見送った。
騎士服が似合いすぎて、テオを見るとちょっとドキドキしてしまう。
「洗濯や掃除をしてもいいですか?」
必要な道具の使い方は昨夜一通り教えてもらっている。
「……ゆっくりしてていいのに」
「動いていないと……色々考えちゃうので」
「……じゃあ、よろしく頼む。何を使ってもいいから。ただ、俺の部屋には入らないで。それと誰が訪ねてきても外には出ないで」
玄関の扉を出ていこうとしたテオを呼び止めた。
「あ、あの!」
「・・・何?」
怪訝そうに振り返ったテオに彩綾は言葉を続けた。
「夕ご飯を作って待っていてもいいですか?」
「……何時になるかわからない。遅くなるかもしれないから先に寝てて構わない」
「わかりました。勝手に待っていますね」
「……俺の話聞いている?」
「はい、大丈夫です。眠くなったら寝ますので」
笑顔で返事をした彩綾に呆れたような顔をして歩き出したテオの背中に声をかけた。
「行ってらっしゃい」
一瞬、テオの背中がビクッと震えたような気がした。
驚かせてしまったのかしら。
テオの姿が見えなくなるまで見送ると、彩綾は両手をあげて大きく伸びをする。
「う〜ん。いい天気。洗濯日和ね」
彩綾のベットのシーツや使っていたタオル、そして、転移した時に着ていた服を洗う。
スーツが自宅で洗濯できるものでよかった。
洗濯を干し終えた後、借りている部屋、お風呂場やキッチン、ダイニングの掃除を始めた。
男性の一人暮らしなのに、とても清潔に保たれている。
きっと真面目でまめな性格なんだろうな。
無愛想で表情が読めないから何を考えているかわからないけれど、彩綾へは気遣いばかりしている優しさがある。
そういえば、テオさんって幾つくらいなんだろう。
彩綾は24歳。
ここの世界の人たちの24歳ってどんな立ち位置なんだろうか。
もし元の世界に戻ることができなかったら……。
ここで一生過ごすとなったら……。
彩綾は頭を軽く振って不安を頭から追い出す。
考えたってしょうがない。
迷い人の担当者がそろそろ王都に着くから、明日には会えるだろうと今朝テオから言われている。
これからのことは、担当者に会えるまで待つしかない。
一人のお昼は残っていたパンと牛乳で簡単に済ませた。
晩御飯は何を作ろう。
時間があるから、じっくり取り組む料理でもいいな。
収納箱の中にある食材を覗き込みながら考える。
トマトと牛肉の煮込みシチューを。
そして、ほうれん草とベーコンのキッシュ。
それと、デザートは……プリンを作ってみようかな。
ケチャップやマヨネーズはなんとかなるとして、味噌や醤油があればもっと作れるメニューが広がるのになぁ。
大豆からの手作りの仕方、ネット検索もできないからわからないや。作り方を学んでおけばよかった。
もし、戻れなかったら……ここの世界の調味料を教えてもらおう。
ここの世界の料理のレシピも教えてもらおう。
元の世界に戻れないとなった時にショックを受けないよう、ここでやりたいことを無意識にリストアップしている自分に気がついた。
「なるようになる」
わざと声に出して自分に聞こえるように呟いた。
一体今は何時頃だろう。
すっかり窓の外は陽が落ちて真っ暗だ。
夕飯を作り終えた後、ずっと窓辺に座って物思いに耽っていた彩綾は強張った体をほぐすように大きく伸びをする。
「月が二つ?」
何気なく窓の外の上を見上げると、来た時に見た煌々と輝く大きな月とは別の小さな丸い月が見えた。
ここに着いた時は大きな月しかなかったのに。
たくさんの星が瞬いているのも見える。
「綺麗……」
こんなにたくさんの星を見たのはいつぶりだろう。
ぼんやりと眺めていると、ガチャリと玄関の扉が開く音がした。
「あ……お帰りなさい」
慌てて帰って来たのだろうか。
テオの短いグレーブロンドの髪の毛が少し乱れ、額にうっすらと汗をかいているようだった。
「……起きて待っていたのか?」
窓辺に立つ彩綾の姿を認めると、少し驚いたようにアーモンド型の瞳を見開いた。
「星を眺めていました。そうだ!テオさん、この世界の月は二つあるんですか?」
「……あんたのところは違うのか?」
「はい、あの頭上にある月くらいの大きさが一つだけです。初めてここにきた夜、月がすごく大きくて明るくて驚きました。でもその日はあの小さな月は見えなかったんですよね」
「ああ、あの日は二つの月が重なる夜だったからな」
テオが自分で言った言葉に驚いたように口をつぐんだ後「ああ……」と何か納得するように頷いた。
どうしたんだろう?
彩綾が首を傾げると、テオが一つ息を大きく吐いた。
「昔から……二つの月が重なる日は異世界とつながると言われているんだ。あんたがこっちの世界に来たのは、その夜だったかもしれないな」
「……そんな夜があるんですね」
もう一度、窓の外の月を見上げる。
昔から月には不思議な力が宿っていると言われていたけれど……異世界に通じるなんて。
そういえば、かぐや姫も月が絡んでいるお話よね。
「……ということはまた月が重なったら、元の世界に帰れる?……なんてことはありませんかね?」
テオを向くと、見たことがないくらい強張った表情をしている。
「テオさん?」
「……そういえば……夕飯は食べたか?」
「あ、すみません。お腹減っていらっしゃいますよね。すぐ用意します」
慌てて立ち上がった彩綾はキッチンに向かった。
出来上がった料理を収納箱に入れてあるから、温めずにすぐにテーブルに出せるのは楽ちんだ。
さっき見たテオの沈んだような表情が気になった。
だからと言って、尋ねることができるほどの関係性はない。
そのことを頭から追いやり、テオが着替えに行っている間に料理を並べてしまおうと皿を並べ始めた。
今夜のメニューもテオは美味しいと言って食べてくれた。
見ているだけでこっちがお腹いっぱいなるほどの食べっぷりだ。
「テオさんっておいくつなんですか?」
食後にテオが淹れてくれた紅茶と彩綾が作ったデザートのプリンを食べながら、何と無しに話を振った。
「26才だ……あんたは?」
「24です。ここの世界で24歳の女性ってどんな立ち位置なんですか?」
「立ち位置?」
「う〜ん……例えば、女性が結婚する年齢っていくつくらいなんですか?」
テオが眉根を寄せて考え始めた。
「……多分だけど、貴族は早い。18才くらいで結婚していると思う。平民は18〜26くらいかな。あんたがいた世界は?」
「そうですね、一昔前はここと同じでした。今は仕事をする女性が増えてきたので……30才で独身も珍しくないですよ」
「……あんたは……結婚は?」
「私はしていないですよ。特に決まった相手もいませんし」
「……昨夜大事な人がいるって言ってなかったか?」
「大事な人……ああ、親友です。学生の時からの。女の子ですよ」
「……そうなんだ」
なんとなくテオの纏う雰囲気が柔らかくなった気がした。
きっと真面目だから、女性を泊めていることに色々思うことがあったのだろう。
「ああ、あと、明日一緒に王宮に行くから予定しておいてくれ」
「王宮……ですか?」
「ああ、迷い人の担当者に会う」
聞くと、迷い人は滅多に現れないこともあって、担当の人は一人しかいないらしい。ちょうど王都から離れていて、戻るのに時間がかかったようだ。
「テオさん、本当にお世話になりました」
「急にどうした?」
「明日できっとお別れですよね。ちゃんとお礼を伝えておこうと思って」
「……」
「夜中に訪ねてきた不審者を泊めてくださって……お金まで貸してくださって……本当に感謝しています」
ペコリと頭を下げた。
夜中に見慣れない服装の女性が、訳のわからないことを言ってきたら間違いなく通報する案件だし、家になんて絶対に怖くてあげたくない。
「この世界で最初に会えた人がテオさんでよかった」
これは本心だ。
テオがあの夜家にいなかったら、ドアを開けてくれなかったらと思うとゾッとする。
テオが微かに瞬いた後、そっと視線を外した。