6・・魔力を持っているなんて
「テオさんは嫌いな食べ物や苦手な味付けはありますか?」
背中まで伸びている長い髪の毛を、カバンの中に入っていたシュシュで一つに結びながら彩綾はテオに尋ねた。
テオはテーブルの上に買った食材を並べていた手を止めてじっと彩綾を見つめる。
「特にない」
その言葉に安心した彩綾はキッチンをぐるりと見渡した。
鍋や食器などの場所はすぐにわかった。
でも、定番の冷蔵庫が見当たらない。
「テオさん、食材ってどこにありますか?」
彩綾の質問に一瞬目を見開いた後「ああ……」と言ってキッチンへやってきた。
「ここに食材は全て入っている」
テオが片隅に置いてあるトランクボックスを指差す。
「ここに?」
見た目はそんなに大きくない木箱のような箱。
でも、取っ手が見当たらない。
「……あの……ごめんなさい。どうやって開ければいいですか?」
テオが当たり前のように言い返した。
「魔力を使えばいい」
「魔力?え?テオさん、魔力があるんですか?」
「は?あんただってあるだろう……」
「ないですよ」
即答した彩綾にテオが苦笑する。
「は?あんた、昨日シャワー浴びていただろう?魔力がないと水は出ないぞ」
「あれって自動じゃないんですか?」
「ジドウ?」
「???」
お互いに噛み合わっていないことに気がついた彩綾は、会話を一旦仕切り直しする。
「テオさん、すみません。私がいた世界には魔力というものは存在しないんです。一から教えてもらってもいいですか?」
テオが驚いたように瞳を瞬かせながらも説明してくれる。
「この世界の道具は全て魔力が動力になって動く。魔力は皆、生まれつき持っているものだ。もちろん、個人が持つ魔力の量には個人差はあるが、家庭内の道具を使う分にはその個人差はほぼ関係ない」
「魔力があるってことは魔法が使えますか?」
「マホウ?……そういうのはない」
「じゃあ魔力ってどういう時に使うんですか?」
「何かを動かす時。例えば水道の蛇口やガスストーブのスイッチ。魔力量が多い者は……そうだな、例えば俺は戦う時に剣に魔力を纏わせて戦う」
「魔力を剣に纏わせて……」
言葉としてはわかるが、全く想像がつかない。
「テオさんは魔力量が多いのですか?」
「……そうだな」
「私も道具が使えるってことは魔力があるってことですか?」
「ああ、そうだ」
私が魔力を持っている。
自分の手のひらを広げてじっと見た。
夢物語みたいな話にワクワクする。
「ちなみに魔力量って測れるんですか?」
「……具体的な数値で俺も測ったことはない。感覚でわかる物だから。でも……迷い人担当の奴なら何か知っているかもな」
「感覚……。あ!昨日はお湯が出てほしいと思って蛇口を触ったらお湯が出たんです。そういうことですか?」
「ああ」
なるほど、念じればいいってことね。
「じゃあ、あの収納箱も『開け』と思えば開くってことで合っていますか?」
「そうだ」
「開いて欲しい」と念じながら収納箱を触ると、音もなく箱の蓋が持ち上がって開いた。
─嬉しい!
でも、やっぱりセンサーの自動開閉式みたいだ。
収納箱の中には見た目よりもたくさんのものが入っている。
「この箱にどれだけ入るんですか?」
「……多分どれだけでも入るぞ」
「こっちは4次元ポケットみたい」
「は?」
収納箱の中は時も止まっているのか、温かいものでも冷たいものでも入れておけば、痛んだりものが悪くなることはないそうだ。
その代わり冷やすという能力はない。
冷たいものを入れておけば、そのまま。
温かいものを入れておけば、そのまま。
肉も冷蔵庫に入れなくても鮮度そのままで使える。
うん……ある意味画期的。
保冷も保温も効くなんて便利すぎる。
中を見てみると、塊肉やお野菜がたくさん入っている。
「結構、食材がありますね」
「ああ……仕事がら遠征が多いんだ。買ったけど使わなかったというものが結構ある。なんでも使いたいものを使えばいい」
「分かりました!私、残り物でメニューを考えるの得意なんです」
料理をするのは好きだ。
作っている間は他のことは考えずに無になれるから。
嫌なことや悲しいことがあった時、いつも作りすぎてエイミを呼んで食べにきてもらっていたことを思い出した。
そうだ、エイミが好きなメニューにしよう。
必要な食材を収納箱から取り出す。
振り返ると、所在なさげにテオがダイニングテーブルの椅子に座っていた。
「お茶を淹れましょうか?」
「あ、いや、気にしなくていい」
「私のいた世界の料理を作ろうと思うんですが……一緒に作ります?」
気になって背後からこっそりみられるよりも、一緒に並んで見てもらった方がいいような気がして提案してみた。
断られるかと思ったけれど、意外にもテオは頷いた。
興味があったのか、私の料理が不安なのか。
どちらにしても、いきなり押しかけてきた他人が作る不慣れな料理を食べることに不安があって当然だ。
「どんな料理を作るんだ?」
「向こうの言葉で言うと、スパニッシュオムレツとコーンスープ、あとサラダとチキンソテーを作ります!」
「……スパニッシュ?」
「向こうの世界にある国の名前ですよ」
手を洗い、材料を洗って包丁で具材を切り始める。
エイミはスパニッシュオムレツが大好きだったのよね。
特にベーコンとチーズをたっぷり入れたものが。
テオの家はオーブンもあって、料理する人にとっては理想的な台所だった。
オムレツをオーブンに入れたあと、トマトソースを作りながらチキンを焼き、残り野菜を使ったスープとサラダを手早く作った。
テオも手際よく手伝ってくれる。
自炊しているってのは本当だったんだな、とわかる迷いのない動きだった。
オーブンからいい香りが漂ってきた。
覗いてみるとちょうど焼き上がりの頃だ。
取り出して、横に並ぶテオを見上げると「美味そうだな」と一言呟いた。
「お口に合えば嬉しいです」
ダイニングテーブルにできた料理を運び、二人とも席に着く。
「いただきます」
癖で手を合わせた彩綾を不思議そうにテオが見つめた。
「それはなんの合図だ?」
「ああ、これは私の国でご飯を食べる前の挨拶です。食材や生産者、料理を作った人に感謝するという意味から始まった言葉だと聞いています。ここでは食べる前の挨拶はありますか?」
「ああ……神に祈る人はいるな」
「なるほど、神への祈りを食前に捧げる国は向こうの世界にもあります。テオさんは祈らないのですか?」
「ああ、俺は神を信じていないから」
さらっと言ったテオの言葉が気になった。
神を信じていない……何か思うところがあるのだろうか。
「食わないのか?」
テオの言葉で、慌ててスプーンをとる。
「いかがですか?」
テオが口に料理を入れたのをみてから、恐る恐る尋ねてみた。
「うまい」
その一言が聞けて安心した彩綾もスープを一口飲んだ。
─美味しい。
ちゃんとした料理をするのは向こうの世界にいた時から考えても久しぶりだ。忙しくて、ずっとコンビニの惣菜や手軽なものばかりだった。
二人分にしては結構な量だったはずなのに、テオはあっという間に平らげてしまう。
さすが騎士。
見ていて気持ちが良い食べっぷりに作った者としては嬉しくなる。
「お好みの味はありました?」
綺麗になったお皿を嬉しく思いながら尋ねてみた。
「全部美味しかった。特にこのオムレツはいいな」
「本当ですか?よかったです!」
スパニッシュオムレツが大好きなエイミを思い出す。
エイミは高校生の時に知り合って以来の親友だ。出会ったのは、地元のお祭りの会場だった。
声をかけてくれたのはエイミからだった。
女友達とお祭りにきていた彩綾が、友達と逸れて探し歩いていた時、数名の男性達から声をかけられて逃げ場を失っていた。
その時、たまたま通りすがったエイミが颯爽と現れてその場から連れ出してくれたのだった。
その後、まるでボディガードのように一緒に行動してくれて、友達を見つけることができた。
そこからエイミとの交流が始まった。
その時のことをエイミと話す度に、『出会うべくして出会った必然の運命ってやつだね』ってキラキラした瞳で嬉しそうに笑うものだから、だんだん彩綾もそうなんだと思い込んでしまったほどだ。
エイミはパッと目を惹く可愛らい顔立ちをしている。
中身は勝ち気でしっかり者。行動的で楽天家。
明るいエイミといると、彩綾は心の中の憂いや澱がなくなるように感じることが多かった。辛いことも嫌なことも、全部笑い吹き飛ばしてくれる不思議な魅力があった。
孤児院で暮らしていたエイミは孤児院に入るまでの暮らしについて、話したがらなかったから、彩綾も聞くのをなんとなく避けていた。
それでも、事情があって一緒に住めないし、会うこともできないと言うお兄ちゃんのことはエイミがよく話してくれた。
相当なお兄ちゃんっ子で、何かにつけてお兄ちゃんの話題が出るから、彩綾も聞く話だけですっかり身近な存在に感じてしまうほどだった。
それぞれの高校を卒業した後、エイミは地元の企業に就職して働き始め、地元の大学に進んだ彩綾も地元で就職した。
二人を取り巻く環境が違っても、ずっと親友だった。
彩綾にとって、辛いことも悲しいことも嬉しいことも最初に伝える相手。
そのエイミが結婚すると決まった時は嬉しくて一緒に泣いた。エイミの妊娠も嬉しくて、生まれてくる日を楽しみにしていた。
エイミの子供を甘やかす!って宣言したのはついこの前だったのに……。
エイミに会えないのは寂しいな。
彩綾が少し沈んだ顔になってしまったのがわかったのだろう。
「どうした?」
「テオさんと一緒で、このオムレツを好きって言ってくれる人を思い出していました」
「……大切な人?」
「はい、大切で大好きな人です」
気まずそうな顔をしたテオに、沈んだ心を吹き飛ばすつもりでにっこりと彩綾は微笑んだ。