5・・お兄ちゃん子はここにもいた
「あの……私、このワンピース以外何もなくて、とりあえず服と下着がいくつか欲しいんです。あと化粧品もあれば……ここで扱っていますか?」
贅沢かもしれないけれど、お手入れの化粧水やクリームも欲しい。
ステラに尋ねると「もちろん」と頷いた。
「女性の必要な物がなんでも揃う店を目指しているの。おすすめを見せるわね」
その後はステラの独壇場だった。
この世界のおしゃれの基準がわからないし、こだわりが特にない彩綾はステラに丸投げしてしまう。
「このワンピース三着と下着のセットを三点ね。それと、化粧品。あと靴はどうする?」
今履いているのは元の世界のハイヒールだ。
「素敵な靴だけど、普段使いの靴もいるんじゃなくて?」
「予算内で歩きやすい靴はありますか?」
「ええ、あるわよ。ちょっと待ってて」
ステラが持ってきてくれたのは、底がフラットな編み上げブーツだった。
試着すると歩きやすくサイズも問題ない。
「これにします」
ハイヒールと購入した品を包んでもらい、ブーツで帰ることにした。
「色々あってテオのこと心配していたのよ。テオが女性を連れてくるなんて初めてだから嬉しかったわ。是非また来てね」
テオは恋人はいないと言っていたけれど、女性と歩くこともないのだろうか。
彩綾を街へ連れ出してくれたことで妙な噂が出るのは申し訳ないので、もう一度ステラへ訂正しておく。
「本当にテオさんとはなんでもないんです。でも、またこちらのお店に寄らせてもらいますね」
ステラとわいわい話しながら品物を選ぶのは楽しかった。
久しぶりに女子トークをした気分ですっきりする。
「サアヤさんの黒髪は艶があって素敵ね。珍しい色で見惚れてしまうわ」
ステラは緑がかったブロンド色だ。
店から外を眺めると、通りを歩いている人達はカラフルな髪の色をしている。
彩綾は背中の真ん中ほどまで伸びた自分の黒髪に触れた。
エイミが彩綾の黒髪を気に入っていて、色を染めるたびにあからさまにがっかりするものだから、ここ数年はずっと黒髪で過ごしていた。
「今日はたくさん買ってくれたから、お礼に髪の毛につけるオイルを入れておくわね。艶が出てもっと綺麗になるわよ。サアヤさんは本当に綺麗だから街を歩く時は気をつけてね。テオが隠したくなる気持ちが同性でもよくわかるわ」
彩綾は顔の造形は悪くはない方だと自分でも思う。
綺麗と褒められることは多かった。でもこの世界の人たちに比べたら、突出してと言うほどではない。彩綾の基準からしたらこっちの世界の人達は美形ばかりだ。
だから隠したくなるほどの……と言われてしまうと違和感しかない。
テオは俳優かモデルかと思うほど端正な顔立ちと体つきを持っている。
ステラは、艶やかな顔立ちでふわふわと流れるような緑の髪の毛。間違いなく目を惹く美人だ。
「是非、またお店に遊びにきてね」
彩綾の買い物は終わったけれど、まだテオが迎えに来る様子はない。
とびっきりの笑顔で見送ってくれたステラに挨拶をして、マントを羽織った彩綾は店の外に出た。この世界の本屋を覗いてみたかった彩綾はテオを迎えに行こうと思った。
通りの左右に、本屋やステラの店以外にも色々な店が立ち並んでいる。
ついキョロキョロと辺りを見渡しながら道を横断していた彩綾は、ドンという衝撃と共に反動で尻餅をついてしまった。
「前を見て歩けよ!」
上から降ってきた突然の野太い罵声に目を白黒させながら顔をあげると、体格の良い中年の男性が彩綾を見下ろすように立っていた。
強面の顔に髭が生えていて、声だけでなく見た目も怖い。
「……ほう……お前……綺麗な顔しているじゃないか」
男の粗野な態度に圧倒されていると、ニヤリと笑った男が彩綾の方へ手を伸ばしてきた。
あ……フードをとられてしまう。
身が竦んでしまい体が動かない。声も出ない。
男の手がフードにかかった時、思わずぎゅっと目を瞑った。
ところがいつまで経ってもフードが取られる様子がない。
そっと目を開けると、男が怯えたように横を凝視している。
彩綾も視線をずらすと、男を睨みつけながら男の手首を掴んでいるテオがいた。
「あ……テオさん……」
「早く去れ」
テオの眼光に萎縮したかのように、男が小さく縮こまって見える。
「はい!すみませんでした!」と叫ぶやいなや、男は慌てて走り去っていった。
男が走り去った方を睨んでいたテオが、彩綾へ視線を戻した。
あ、怒っている。
テオの体から怒気が漏れているように感じた彩綾は思わず身震いをしてしまう。
「ごめんなさい。迷惑をかけました」
「……怪我はなかったか?」
「はい」
「俺が店で待っていればよかったな。すまなかった」
感じた怒気とは裏腹に、気遣うようなテオの声音に彩綾は驚いた。
彩綾が尻餅をついたせいで落としてしまった荷物を拾ったテオが、当たり前のように彩綾に向かって手を伸ばす。
彩綾は伸ばされた手を見てからテオを見上げた。
「立てそうか?」
ああ、立ち上がれるように手を貸してくれたんだ。
「助けてくださってありがとうございます」
「あんたはすごく目を惹くんだ。気をつけろ」
口ごもりながらボソボソっと言ったテオは、彩綾のフードをさらに目深になるよう引っ張った。
─目を惹くとはどういうことだろう。
「あ!あの、このワンピースを用意してくださったと聞きました。ありがとうございます」
大事なことを思い出した彩綾は改めてお礼を言う。
「……ああ」
少し素っ気ない声で返答したテオは、彩綾の荷物を持ったまま歩き出した。
「行くぞ」
前を向いたまま、声をかけてきたテオの広い背中を慌てて彩綾は追いかけた。
テオの首のあたりが少し赤くなっているのを見て、彩綾は頬が緩んでしまうのを止められなかった。
§
「お世話になっているので、今晩の夕食は私に作らせてもらえませんか?私の世界の味付けが、テオさんのお口に合うかは分かりませんが」
テオの家に戻る途中、彩綾はテオに提案した。
「ただの居候だと気が落ち着かなくて。せめて家事を手伝わせてください」
「料理を作れるのか?」
「はい、長いこと自炊していますから」
驚いているように目を見張るテオに微笑む。
帰り道にある市場に寄って食材を買い込むことになった。
市場で売っている食材が全く想像がつかないようなものばかりだったらどうしようかと不安だったけれど、実際は名前が違うだけで野菜の見た目は同じような形や香りに安心する。
─何を作ろうかな。
明日はテオは朝から仕事だということで、彩綾は家に引きこもりになる。
そんな訳で、明日の分の食料も買い込んだせいで荷物が多くなってしまった。
「テオさん。私も荷物を持ちますよ」
「いや、このくらい大丈夫だ」
「買った物の中に私が食べる分もありますし、私の買い物の分まで持たせるのは申し訳ない気がして落ち着かないです」
手を差し出したが、スルーされてしまった。
これが騎士道なんだろうか。
手持ちぶたさが、くすぐったいような落ち着かないような感覚になる。
「家へは真っ直ぐに行くんだけなんだが、少し寄り道をしていいか?」
彩綾が頷くと、テオは広い通りから細い路地に入り少し傾斜のある上り坂を進んだ。
「何があるんですか?」
「せっかくだから、この街を見せようと思って」
しばらく歩くと、開けた場所へでた。
「ここだ」
高台から街を見下ろせる場所だった。柵があって展望ができるようになっている。
夕日が差し込んで、立ち並ぶ家の屋根が赤く輝いているのが綺麗だ。
「うわぁ」
思わず声が出るほど美しい街並みだった。
さっきまでいた広場の噴水が見える。
そのずっと奥の方に大きな建物が立ち並んでいる場所がある。
「あそこはなんですか?」
「王宮だ」
「テオさんはあそこで働いているんですか?」
「そうだ」
「結構遠くないですか?」
「慣れてしまえばさほどでもないが……普通の人の足では時間がかかるだろうな」
「大きな街ですね」
彩綾が目の前に広がる景色を堪能していると、横に立つテオが景色に目を向けたまま口を開いた。
「あんたに家族は?」
「います。母は早くに亡くなったんですが、父と姉が」
「……心配しているだろうな」
「そうですね……」
父は姉の家族と一緒に暮らしている。
この土日は会社も休みだから、一人暮らしの私の無断欠勤の問い合わせは早くても週明けに家族にいくんだろうな。
エイミの連絡先をお姉ちゃんが知っているから、エイミにも連絡が行くんだろうな。心配させてお腹の子に障りがないといいけど……。
「テオさんは……テオさんの家族は?」
踏み込んでいいかわからなかったけれど、テオが振ってきた話題だったから、彩綾も尋ねてみた。
「……両親は亡くなっていて妹が一人いる」
少し歯切れ悪いのは気のせいだろうか。
「妹さんがいるんですね。お兄ちゃん子だったりします?」
「お兄ちゃん子?」
「私の親友はお兄ちゃんが大好きなんです。事情があってお兄ちゃんとは離れて暮らしているんですけど、いつも、寂しい、会いたいって言っているんですよ。テオさんの妹さんはどんな方なんですか?」
「……頑固で負けず嫌いだったよ。それに、いつも俺にくっついていたな」
「ふふふ、妹さんはテオさんが大好きなんですね」
テオの表情が柔らかくなった。
妹のことが大好きなんだろうな。
「妹さんは近くで暮らしているんですか?」
一瞬テオの顔が強張ったように見えた。
「……遠くにいるんだ」
「そっか……会えなくて寂しいですね」
「……ああ寂しいな」
「ね、妹さんの話をもっと聞かせてください」
柔らかな表情を浮かべるテオがもっと見たいと彩綾は思ってしまった。
思い出すかのように少し考えた後、ポツリポツリとテオが話をしてくれる。
頑固でお転婆で、情に厚くて可愛くて仕方がない妹の話を。
話せば話すほどテオの表情が豊かになるようで、彩綾はテオから目が離せなかった。