4・・誤解だらけです
「他に何か聞きたいことはあるのか?」
朝食を食べ終わった彩綾にテオが尋ねてきた。
「えっと……」
慌てて頭の中のメモ帳を取り出す。
「ここは……アースナル国は平和ですか?」
「は? 平和かって?」
「はい。治安はいいですか?」
これから女性一人で生きていくにあたって、治安の良し悪しは大事だ。
「……悪くはない。ただ、国境では隣国との紛争が起こることもあるから争いが全くないわけではない」
そう言って、ここの世界の地図を持ってきて、見せてくれた。
地図を見て、改めて地球とは違う世界を認識する。
大陸の地形が全然違うのだ。
地図で見ると、アースナル国は他と比べても大きな国だった。
国王が治めているという。
「テオさんはどんなお仕事をしているんですか?今日はお休みですか?」
「俺は騎士をしていて、今日は休みだ」
「騎士……」
馴染みない言葉に思わず繰り返した。
騎士って……兵士ってことよね。
腕を捲った白いシャツから伸びる長い腕は、しなやかな筋肉を纏っている。
「テオさんは争いに行ったりするんですか?」
「ああ、俺は主に辺境の任務にあたる部隊に所属しているからな」
「……騎士ってことは……強いってことですよね?」
「俺か?」
こくんと頷いた。
何故かふっと表情をテオが和らげた。
「結構強いぞ」
「よかった。テオさん、お怪我されないでくださいね」
テオは少し驚いたような顔をする。
「私のいた世界では……戦争はあるのですが……私の国では戦場に行くということがあまり身近ではなくて」
「……そうか、平和なところなんだな」
「はい。……それに、この世界で唯一のお知り合いのテオさんがお怪我されるのは嫌だなって」
「……善処する」
苦笑しているテオにこれからのことを相談しようと話題を変えた。
「あの……テオさんにいつまでもお世話になるわけには行かないので、住む場所と働く場所を見つけたいのですが」
この世界がある程度平和なのならば、自立を考えなくては。
「あいつに聞けば、……迷い人の担当の奴に聞けば、その辺りも世話してくれるだろう。それまで待て」
「わかりました。その方とテオさんはお知り合いなのですか?」
「ああ、友人だ」
口調から気安い関係が見える気がした。
友人か……彩綾はエイミを思い出して、胸がぎゅっとなる。
毎日連絡を取り合っている仲だ。昨夜から連絡が取れなくなって、きっと心配しているに違いない。
「あと……外を歩いてみたいのですが……いいでしょうか」
頭の中の不安がどんどん大きくなる前に、ここがどんな世界か見ておきたい。
「……午後、連れて行ってやる」
暫くの沈黙のあと、テオがため息をつきながら気が進まなそうに返答した。
お昼まで好きにしていいと言われたので、さっき見せてもらったこの世界の地図を借りて部屋へと戻った。
アースナル国の西側は海に面していている大きな国だった。
テオは辺境を担当していると言っていたが、北も東も南も他国と接している。
広い範囲を担当しているのだなということだけがわかった。
お昼にテオが野菜たっぷりのスープを作ってくれた。それと残っていた朝のパンが昼食だ。
「すごく美味しいです、このスープ」
「……ただ野菜を入れて煮込んだだけだぞ」
「それでも美味しいですよ。いつも料理をするのですか?」
「遠征にいくと自分達で食べるものを用意しなきゃいけないからな。それに、勤務時間もバラバラで店が空いてない時間帯に食べることもある。そうすると自分で作った方が楽だったりするからな」
少しは私に慣れてくれたのだろうか。
テオから出てくる言葉が少しずつ増えた気がして、嬉しい。
「……お前、この世界のご飯が食べられるんだな」
「え?迷い人の皆さんは食べられないんですか?」
「そういう人もいると聞いた」
「それは残念ですね。他のお料理を食べていないからわからないですけど、テオさんが作ってくれたスープも用意してくださったパンもとっても美味しいですよ」
「そうか……」
少しだけ声が弾んで聞こえたのは気のせいだろうか。
「ご飯を食べたら街へ行くぞ」
「街へ!ありがとうございます!」
「服もその一枚じゃ足りないだろう。必要なものを揃えればいい」
「……でも、私、お金の持ち合わせがなくて……」
「俺が払うから気にしなくていい」
「そこまでしてもらうわけには……」
「いいんだ」
彩綾の言葉を遮るように強い調子で言うテオに、これ以上何も言えなくなってしまった。
仕事をして稼げるようになったら、お金を返そう。
「それでは、お言葉に甘えて……お金をお借りします」
彩綾はペコリと頭を下げた。
§
テオの家から街の中心まで歩いて15分くらいかかるという。
道中でお金の単位をテオから教えて貰う。
聞き慣れない通貨単位をブツブツと口の中で繰り返して覚える。
「5千ジリング渡しておく」
袋に入ったお金を渡された。
「ありがとうございます。借りたお金は働いてお返しします」
最初は「返さなくていい」と言っていたテオだったけれど、頑なな彩綾の態度に最後は折れたようだ。
「わかった」と言うように頷いた。
街の中心へ向かうに連れ、馬車や馬に乗った人達と行き交う頻度が増えていく。
彩綾はテオに被るように言われたマントのフードの中から街並みを観察していた。
石畳の道、商店らしいお店の看板。物珍しいものばかりだ。
反対に、ネオンや信号なんて見慣れたものは一つもない。
キョロキョロしながら歩く彩綾に、テオが歩調を合わせてくれている。
やっぱり優しいな。
そう思っていると、道行く女性達がテオをうっとりとしたように見つめていることに気がついた。
頬を染めてテオを見つめる女性達の多いこと。
彩綾も隣を歩くテオの横顔を、マントのフードに隠れてこっそりと覗き見る。
高い鼻梁、薄い唇、そして力強さを感じるアーモンド型の瞳。
すらりと背が高く手足が長い。鍛えているのがわかるしっかりとした体つき。
女性達の視線が集中するのはよくわかる。
視線を集めているのに気づいていないのか、これが当たり前なのか……テオは女性からの流し目をまったく意に介さずに歩いていた。
「ここが街の中心地の広場だ」
テオの家の周りを含めて、この街はヨーロッパのどこかの片田舎の街のつくりみたいだ。
円形状に広がる広場の中央には大きな噴水があり、広場を取り囲むかのように、色々な店が立ち並び賑わっている。
食べ物を売っている屋台も多くあるようで、至る所からいい香りが漂ってきている。
「まずはどこに行きたい?」
「はい……服を買いたいです」
こちらにきた時に来ていたスーツは、ここでは異質で着れないことが街に来てよくわかった。
着ている一着だけでは心許ない。
「……わかった。こっちだ」
テオに連れられて入ったお店は、広場から少し離れていた。
インテリアが落ち着いた色に統一されていて、品のいいお店だ。
カランコロンと鳴ったドアベルの音を聞きつけたのか、にこやかに微笑みながら艶やかな女性が「いらっしゃいませ」と出迎えた。
「彼女の服をいくつか見繕って欲しい」
テオの言葉に、お店の女性がにんまりと笑った。
「あら、テオじゃない。……この方は?……ふふふ。ステラと申します。ようこそいらっしゃいました。こちらへどうぞ」
テオの圧のある鋭い視線に臆することもなく、ステラは彩綾ににこやかな笑みを向ける。
「ステラは俺の友人だ。口は堅い奴だが迷い人とは言うなよ」
ステラに聞こえないように、彩綾より頭ひとつ以上も背の高いテオが少し屈んで彩綾の耳元で囁いた。
近い距離に一瞬ドキッとする。
「この店の前にある本屋にいるから、急がなくていい。適当な時間に迎えにくる」
ステラに片手をあげるとテオはさっさと出て行った。
「あらあら、テオったら照れちゃってね。さ、どうぞこちらへ。テオとは学生の頃からの腐れ縁なのよ」
ステラは目鼻立ちのキリッとした綺麗な顔をしていた。そんな美人が人懐っこそうに微笑むと破壊力がある。
「彩綾といいます」
店の奥へと案内された彩綾は、マントのフードをおろしてステラに挨拶をした。
「まぁ……どうせテオがマントのフードを被れって言ったんじゃない?ふふふ、気持ちはわかるわ。こんな綺麗な人は隠しておきたいわよね」
「え?」
「テオも隅におけないわね。いつの間にかこんな綺麗な人がいたなんて。今朝もワンピースを至急用意しろって連絡が来て驚いたけれど、サアヤさんの為だったのね。サイズも色味もピッタリだわ」
テオが用意してくれたこのワンピースにそんな話があったとは思わず驚いて言葉が出ない。
てっきり、家族か恋人の服を貸してくれたとばかり思っていた。
「ステラさんが用意してくださったのですね。ありがとうございます」
「テオにいい人ができたと思って嬉しかったのよ」
誤解だらけだ。
どこから訂正しようかと戸惑っているうちに、ステラがどんどんと誤解を展開させていく。
「さ、今日は何がご入用かしら?テオをさらにメロメロにさせるドレスでも選んじゃう?サアヤさん、お綺麗だからなんでも似合いそうよね」
ウキウキと楽しそうなステラの言葉を慌てて遮る。
「テオさんは人助けしてくださっているだけで、私とはなんともないんです!」
「ええ?あのテオが人助け?」
必死で彩綾が頷くと、ステラは意味ありげに含み笑いをした。
「ふふふ、そう言うことにしておいてあげる」
どうしよう……誤解を解きたいのに手強そうだ。