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「そう、綺麗な世界だ」

作者: 北峰希

 僕にとって描けないとは死ぬより苦しいものだと知った。

アクリルを重ねる感触も鉛筆が削れていく音も、何よりただの色の塊で自分を表現できることが素晴らしいとさえ思っていたのに。筆の進む道が分からなくて、いつのまにかどうやって描いていたのか迷子になった。


 二年前、通い始めた美術系の大学では成績は中の下だった。それでも僕は自分の描きたいものを描けていたし、技術が足りないからだと悟っていた。勉強は嫌いだけれど絵に関しては別腹、といった感じで貪欲に学びを乞うたから、最近はそれなりに評価されるようになっていた。

 けれど評価されていく度に自分が削れていく感触があった。まるで鉛筆を紙に沿わせるように、少しずつだが消化されていく気がする。今考えればそれは当然だった。なぜなら、それは貪欲の知識と想像で心を弾ませながら描いた世界を客観的に数値や才能という言葉で片付け始められたからだ。想像に至っては自分の愛せる世界を描いているのに、先生や顔も知らない学校の人たちが「あの構図は」「ここの色の重ねは」「この線のひき方は」と分析していく。心の臓で受け止めてほしいものを全て崩して語る彼らが信じられなかった。綺麗は綺麗、それ以外に言葉はいらないはずだったのに不必要な言葉で僕を少しずつ削り減らした。

 やがて心の何かがぽっきりと折れた。綺麗が何かというものを忘れてしまったかのように何も書けなくなってしまったのである。綺麗は僕の芯だ。折れて失くしてしまうはずのないものだったのに、「どうしてあの綺麗な世界が想像できなくなってしまったのか」という謎を放って、気づいた時には休学手続きをしていた。


 コツコツと窓を打つ音で目を覚ました。伸びをしながら起き上がると布団がベッドからずり落ちる。ベッドを戻しながらブルーライトのうるさい板を起こすと九時少し前を知らせた。去年なら一限に遅れると焦っていたが今は遅れる授業自体、僕には存在しない。トースターに薄いパンを入れてケトルのスイッチを入れる。ここ数か月同じことをしてるから作業的に動いていた。昨晩の片し忘れの皿を流しに投げて、コーヒーを淹れる。焼けていくパンの匂いと焦げに近いコーヒーの匂い、窓を未だに打ちつける雫の音に思わず息を大きく吸った。こういう落ち着いた気持ちの時だけ絵が描ける。休学したての時は絵の具を見るだけで酸素が薄くなったような錯覚に陥ったが、一人きりの休息のおかげからか模写だけできるようになった。模写は自分の好きな世界をそのまま写すことは出来ないが、それでも嬉しかった。

 机に置きっぱなしのクロッキー帳を開いてクリーム色のページにマジックをおいた。カップの影をすらすらと写していくこの作業だけでも楽しいと思えるし、けれどまた言葉に崩されることに恐れている。


「あ、ない」


嫌な考えを払拭するように窓の雫や少しだけ焦げたパンを描きとっていると、クロッキー帳の終わりを迎えた。溜息がこぼれる。自分の芯が折れる前に新しく買ったそれはほとんど家にいたとしても数か月という日々には耐えきれないページ数だったようだった。


 休学してからは生活に必要な買い物以外は外に出ないようにしていた。大学から比較的近いところに部屋を借りてしまったということもあるし、何より人に会えばまた不必要な言葉を投げつけられるような気がしていたからだ。けれど休学前まで学内でしていたアルバイトの貯金はあと一か月もすれば底を尽きるのは目に見えているし、退学か復学かを選ばざるおえないところまで来ているような気がしていた。そんな思いを抱えているところにクロッキー帳の終了だ、萎えざるを得ない。

「ひとまず、新しいクロッキー帳を買ってから考えようかな」

心の中でそう呟いてから朝ご飯を流し込む。ビニール傘を杖にするように靴を履いて、ドアに鍵をかけた。

 籠るような熱気とともに嗅いだことのあるような香りがむわっと広がる。梔子(くちなし)が弱弱しくも露で輝いていた。通学出勤が丁度終わるような時間帯のおかげか梅雨を味わっているのは僕だけしか見当たらず、ふらふらとおぼつかない足で画材屋へ向かった。


 画材屋はうちより少し遠く、けれど電車や車を使わなくてもいい距離にあった。あそこは大学に通う前から使っている店で「このご時世、画材だけ売ってて潰れないんすか」と失礼なことをしてしまっているくらい昔から利用している。ちなみに当時は「お子様はそんなこと気にすんな」と頭を撫でられた記憶がある。つまりはそのくらい僕はちびで、そんなちびの頃から絵を描いていたということになる。

 昔はあんなに絵を描くことが楽しくて、クロッキー帳も一か月もしないうちに切らしていたのに。絵具もすぐになくなって、鉛筆もあっという間に丸くなるから削るのが面倒で。だけどその面倒くささすら楽しいと思っていた日々だった。

 水溜まりの反射や空の暗さが朧気に昔を思い出させて、鼻元をおさえる。つんとした感覚を誤魔化すけれどあまり効果がなくて雨が降ってきたみたいに顔を濡らした。

 ふらふら足で着いた店は屋根からぽたぽたと雫を滴らせていた。扉をひくと癖の強い絵具と鉛と紙の匂いがする。


「今回は描き切るのが遅かったみたいだな」

店のおじさんがレジ横で鉛筆を触りながらそう呟く。そうですね、と声を出そうとするも何ヵ月ぶりの発声でからからの声しかでなかった。


「今日はなんだ。絵具か、クロッキーか」

「クロッキーです」

「なんだ。やけに生気がねえな、坊主」

「最近、筆が進まなくて」

「そうか」

おじさんはそういって後ろ棚からがさっとクロッキー帳を二冊放り出した。いつも使っているブランドのものと古い表紙で傷んだもの。

「おじさん、一冊多い」

「んなことねえよ」

「一冊で充分だよ。いつも一冊しか買わないじゃないか」

「何か月も来ねえから坊主のことなんか忘れちまったな」

「坊主って呼ぶのはおじさんしかいないから」

「ちっ、いいから。持ってさっさと帰って描け」

「話の聞かない頑固おっさん」

「それだけ口がきけりゃ絵なんて描けるわ。はよ帰りな」


少しだけ会話をしたかと思えば視線はすぐに鉛筆に戻った。レジの隣には書きかけのデッサンがある。どうやら絵の邪魔をされたことに怒っているみたいだった。出されたクロッキー帳をすべて手に取って二冊分のお金をそっと置く。

「おじさん、ここに置いてくから」

僕はそれだけ残して店を出た。

 画材の匂い、おじさんの対応。何もかも変わらない空間があったことにどこか安心する。外はいつの間にか雨が降っていて、ビニール傘を刺すとぱらぱらとした音が鳴り響いた。

 通り道の梔子は今の雨に打たれてよりいっそうきらきらと輝いているのを見つける。外を歩く人もまばらながら見えて、カッパで走り回る子供と大人の姿が見られたりした。梅雨を楽しんでいるのはきっと僕以外にもいるのか。そう気づいて帰路についた。


 朝と同じパンを焼いてコーヒーを淹れる。焼ききったらバターを塗ってコーヒーにはジャムをひとすくい入れた。すっかりと忘れていたことだった。家で絵を描くときは寝食を忘れがちだから、美味しくてカロリーの高いものを食べる。それだけで頬が緩んで手に力が入るのだった。どうして忘れていたのだろう。

 大切なものを大切のままでいるために必要なことだったのに。大切を守るために、たいせつにしていたことなのに。

 いつも嗅いでいたこのバターの香りがなんとなく懐かしく感じる。パンをかじると「これだ」とかすかすの声で呟いてしまった。もしかすると、心が折れてしまったときに失ったものはこれかもしれないと思った。

 周りを気にするな、というには僕の心はまだ弱くて青い。それに絵を描くのは自分のためかもしれないけれど、絵を見る立場の人からすれば僕なんてどうでもよいのだ。何を感じて何を見てどう解釈するかはそれぞれで、それこそが楽しい。だからこそ僕は僕の好きな「綺麗」を描いて、この世界を見てほしいとばかりにキャンバスを染めるのである。

 パンを咥えながらさっき買ってきた傷んだ表紙の方のクロッキー帳を取り出した。開くとあの画材屋の棚の絵や画材屋によく来る猫の絵、それから色んな人が真剣に画材を選んでいる絵がびっしりと描かれていた。きっとおじさんがいつも接客を疎かにしているのはこれのせいだろう。

 あのおじさんはいつもこうして絵を描いて、絵を描く人を見送る生活をしているのか。

 ページをめくるほどに視界や生活を共有した気分になる。きっとおじさんの「綺麗」と思う、自分の好きな世界はこのクロッキー帳にあって自慢かあてつけかのように渡してきたのだ。

 最後のページを見てつい笑ってしまった。おじさんにとって、僕はまだあのころのちびのままなのか。そんなことを思った。ぶっきらぼうなくせに、とてもお節介で面倒見の良いおじさんだ。

 そこには画材屋で必死に絵を描く老人と、その横でこれまた必死に絵を描く少年の絵が描かれていた。二人とも必死であるのに笑顔で、顔や床に絵具がついているのもまるで気づいていないかのようだった。たぶん、これは僕とおじさんだろう。一番下には小さく文字が書いてあった。


「坊主、お前は何が綺麗に見える」


 たった一行だ。質素で、淡白な言葉。それを彩るのは溢れんばかりの絵だ。

それが今の僕にはぴったりだった。本当は文字なんかいらない。けれどあのお節介のことだからわざわざ僕が気づくように書いておいてくれたのだろう。

 おじさんに感化されたみたいにキャンバスを取り出した。綺麗を綺麗、と言わずに論理にはめ込む人も言葉を並べ始める人も最早どうだっていい。自分の綺麗だと思うものをただ目に焼き付けてもらいたくて、一瞬でも同じ気持ちになってほしかっただけだ。そのために僕も、おじさんも、きっと世の中の人は生きているんだろう。どんなに苦しくても痛くても、命なんか捨ててしまいたくなっても。

 早く描き上げておじさんに突きつけてやろう。幸せそうに絵を描き続ける青年の絵を、床が泥だらけでも外が雨でも、いつもの絵具と古い表紙のクロッキー帳を大切に、描いて生き続ける絵を。


 僕は、当たり前みたいな日常が大好きで、綺麗だ。


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