閑話 魔王と獣王と
† † †
バーラムの森を巨狼が疾走する。レイドバトルやシナリオが進行していない現状、駆けるフローズヴィトニルを阻むようなエネミーは存在しなかった。もちろん、エネミーが近づこうともしないのはそれだけではなかったが。
「レっさん、ほんとうにあのまちいくの?」
「黙って走れ」
フローズヴィトニルの舌っ足らずの問いかけに、“五柱の魔王”の一柱序列第五位魔王“血塗れの頭巾”はその背に乗りながら切り捨てた。今のフローズヴィトニルは以前のように思考入力のクリスタルを必要としていない――自分の声で話せるようになっているのだ。
だとすれば、なにが起きるか?
「えー、だってレっさんがちかづくなっていったんじゃん? いまはえいゆうがいっぱいでるっていうし、みつかったらおいかけまわされない? おっかないんだけど? あ、やっほー! やせいのガルさんだーおっきくそだてよーかぜきもちー!」
「思考を垂れ流しにするなっ、やかましい」
「じゃあ、はなしあいてになってよぉ、せっかくはなせるようになったのにぃ」
本当に口が回るな、こいつとレッドフードは舌打ちしようとするのを堪える。どうにもフローズヴィトニルはレッドフードの真似をしたがる癖がある。舌打ちを見せるのは、この幼い巨狼の情操教育に悪い……知らず知らず、保護者視点でレッドフードは言葉を選んで言った。
「今、セント・アンジェリーナに序列第二位の魔王が出現している。それが馬鹿をやるようなら、止めないといけなくてな」
「ん? レっさんもまおーでしょ? おなかまじゃないの?」
「……手を組む相手ぐらい、こっちも選ぶ」
感情という情動を捨てたはずの尸解仙、世界における三分の一の全生命を殺戮する運命にある序列第一位に匹敵する悪徳の魔王――蚩尤とは、その双方の特性を混ぜ合わせることなく成り立たせた稀有な存在だ。
「いきなり朝起きて、『太陽が黄色いから皆殺しにしよう』と思い立って、それを止めようと思う感情のない馬鹿だぞ? そんな風見鶏より落ち着きのないヤツと手が組めるか」
「え? なにいってるの? レっさん。あたまだいじょうぶ?」
「それを序列二位に言ってやれ。丁寧に殺してくれるぞ、多分」
フローズヴィトニルでさえ頭の心配をする相手、それが蚩尤なのだ。唯一尸解仙になっても捨てられなかった執着、戦術技巧に対するこだわりを失えば――もはや、蚩尤はただの概念や現象と化すだろう。そうなってしまえば最後、約条など根本からご破産である。
それだけの危険性と凶悪さを秘めているのが、序列第二位の魔王なのだ。
「――止まれ、フローズヴィトニル」
「きゅうぶれーきぃ!」
ズサササ! と土煙を上げながら、フローズヴィトニルが止まる。そして、フローズヴィトニルは目を丸くした。
「……なに、あれ?」
フローズヴィトニルは、ようやく目の前の空間が歪んでいることに気づいたのだ。その歪みの先に潜む存在へ、レッドフードは吐き捨てた。
「……こんなところでなにを油を売っている? 百獣王」
『それはこちらの台詞だ、第五位魔王』
音もなく空間に波紋を広げ現れたのは、その背から鎧の両腕を生やした巨大な黄金の獅子だ。百獣王ライオンハート――その影が姿を現した。
† † †
(……ふむ)
がるるるる、とこちらを威嚇してくるフローズヴィトニルを見てから、百獣王はレッドフードに視線を向ける。レッドフードがフローズヴィトニルの首を撫でて落ち着かせると、そのまま巨狼の背から降りた。
『この先にあるのはセント・アンジェリーナだ。なんの目的で向かう? 第五位魔王』
「決まっている、第二位魔王の“影”を討つ」
『――――』
真っ直ぐにそう答えるレッドフードに、百獣王は沈黙する。その沈黙に構わず、レッドフードは続けた。
「本来、中央大陸のこの周囲は俺……元は、“彼女”の領地だ。そこを約条無視で我が物顔で踏み荒らされて、見逃してやる謂われがない」
『……なるほど。筋は通っているか』
元より、レッドフード――彼の前身であるゴブリン・ヒーローが前序列第五位魔王“真祖”クドラクを倒す以前から、序列第五位魔王は別格として扱われていた。魔王の序列を決定する隠しパラメーター悪行値が、第五位は過剰に低かったのだ。むしろクドラクの配下や人類側の王族に第五位以上の悪行値を持つ者がざらにいたぐらいである。
(その悪行値を受け継いでいる、というのなら……そうであろうな)
実際、魔王の代替わりなど五〇〇年前の序列第三位魔王天魔波旬以来のイレギュラーだ。それが引き金で、ホツマの終わらない三つ巴戦国時代が幕を開けたのだから。
だからこそ序列第五位が代替わりして二〇年、レッドフードの経過観察は慎重に行われていた。事実、双獣王の眷属であるフローズヴィトニルを配下にする、というイレギュラーが起きているのだ、その懸念も当然だった。
『我らが手を出すのは、最後の手段だ。それは理解しているか?』
「なにが言いたい?、百獣王」
回りくどい、と言下に切り捨てるレッドフードに、百獣王は喉を鳴らし笑って見せた。
『まだ、英雄たちがあそこで第二位魔王と拮抗した戦いを続けている、ということだ』
その百獣王の言葉に、レッドフードがフードの下で息を飲む気配がする。突然の襲来、ましてや戦闘技巧に優れた序列第二位魔王の襲撃だ。既に、セント・アンジェリーナの機能がマヒしているものだとばかり、レッドフードは思っていたのだ。
「……第二位魔王が、まだ傍観を続けているとでも?」
『然り。否、今は手一杯と言ったところだ。ふふふ……見事なり、騎士。まだあれほどの騎士がいたとは……人という存在に驚きが隠せんな』
百獣王が楽しげに、笑みをこぼす。その気配に、レッドフードは忌々しげに顔をしかめた。
「この騎士道マニアが。第二位とお前、両方を満足させる英雄がいるとでも?」
『その通りだ。ゆえに、しばし待て――』
ガシャリ、と百獣王の背の腕が、一本の巨大な剣を手にする。それは飾り気のない、百獣王サイズの一本の長剣だ。特徴的なのは鍔であるガード部分に本来の柄とは違う握りがあること。右手でトンファーのようにガード部分の握りを構え、柄頭に左手を添えるという独特の構えだ。
『問題があれば、ここからでも届く』
「……わかった、いいだろう」
百獣王の言葉に、レッドフードは大人しく引き下がる。そのまま腕を組んで動かなくなったレッドフードに、百獣王は視線を外そうとした――その時だ。
「なに、これ? ねえねえ、それ使いにくくないの? へんじゃない?」
百獣王の剣に興味を抱いたのか、フローズヴィトニルが無防備に近づいて剣を覗き込む。あまりにも無邪気で害意がなかったので、百獣王も接近をつい許してしまったのだ。
『これが、こういう形状なの……おい、噛むでない!』
「おいひくひゃいよ、これ」
ガチガチ、と百獣王の長剣を噛むフローズヴィトニル。それは幼子がなんでも物を口に入れるような仕草だった。それに百獣王が顔をしかめる。
『食べ物ではないのだから当然だろう!? おい、第五位魔王! 止めさせろ!』
「ふひゃふひゃ」
『ええい、しゃべるな! 口の中が怪我するであろうが! おい、聞いておるのか、第五位魔王! 自らの配下を御さぬか!』
聞こえている、だが敢えて無視した。はるか遠く、一キロメートルを超える距離。それに対応できる手段を持つのは百獣王だけではない。
魔王とて、本来であれば約定に縛られる。本当に面倒な立場になったものだな……周囲の雑音を意識してシャットアウトしたレッドフードは、フードの下でため息をこぼした。
† † †
ぶっちゃけ、クドラクもレッドフードも魔王と呼ばれてはいるけれど人間換算すると善人、と言った方が正しい存在です。
不老不死、死からもっとも遠い吸血鬼の真祖クドラクが序列第五位に甘んじていたのも戦闘能力ではなく、これが理由でした。
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