68話 吾妻静は舞い方を知らない
† † †
城ヶ崎菜摘の趣味は、“観察”である。
ただ、見る。触れることなく。聴くことはなく。味わうことなく。嗅ぐことなく。ただ五感の中で視覚のみを用い、それで受け取った情報を自身の中で再構成。想像するのだ。彼女にとっての世界など、それで充分だった。
「あまりいい趣味ではない。それだけは憶えておくといい」
敬愛する叔父は菜摘の趣味にそう釘を刺してきたが、少なくともそれがまだ好意的な反応に入ることは理解できた。菜摘は自身の趣味が、周囲の世界を自分から排斥するための手段であることを理解していたから。
例えるなら菜摘にとっての世界とは自身だけが観客席に座る映画館で、四六時中スクリーンに垂れ流した映画のようなものだった。ま、世の中には妙に観客席に訴えかけてくる登場人物がいてうざい、と思うことがあるのだが――あのゲーム部の元先輩が、その類だった。
『ま、肩の力を抜いてサクっと遊んできたまえ』
そして、菜摘にもほんと時折、少しだけ肩入れしたくなる登場人物が映画に現れたりする。私がここに手を加えたら、どんな反応をするだろう――などという、傍観者にあるまじき興味を抱かせる者。
『……対戦直前に言わないでもらえます?』
年下の同級生は、その数少ない例外の好例だ。だから、無粋な介入をしてしまった。もしも私の事情を知ったら、どんな反応をするかなどと――。
『これでもう付きまとわないでくれるね?』
結果は、圧倒的だった。干渉してくる登場人物への切り捨て。これで静かな傍観者に戻れる――素人目から見ても見事な完敗だ、最後の負け惜しみくらいは聞いてあげてもいいかな、などと思っていたのだが。
『あ、んな――』
『――止めとけよ』
だが、その元登場人物の言葉を遮ったのは、他でもない。自分が干渉してしまった年下の同級生だった。
『そっから先は、感情じゃなくて執着だぞ。それでいいのかよ』
『お、前……なにもんだ!?』
元登場人物の問いかけに、年下の同級生は迷うことなく真っ直ぐに答えた。
『この人の友人だよ』
……ああ、なるほど。これからはもう少しだけ、物語のヒロインの気持ちが深く理解できそうだ、と菜摘は他人事のように思ったものだった。
† † †
吾妻静はセント・アンジェリーナの教会前に数時間前からいた。石段の手すりに腰掛けて、人の流れをぼんやりと眺めていたのだ。人間観察、時折暇潰しに現実でもやっているのだが――。
(叔父さん……なにを考えてるのさ)
静の中で、菜摘がそう唸る。これは、リアルなんてレベルではない。
PCとNPC、その違いが少なくとも静には判別がつかなかったのだ。いや、正確には違う。ちぐはぐなのがPCで、違和感なく馴染んでいるのがNPCだ……普通は、逆だと言うのに。
(NPCの方が、あまりにも自然すぎる。設定ではなく、本当にその人生を経験しているような……リアルな人間と違わない色だ。怖いぐらいだよ……)
ひとりのCGデザイナーとして、正直嫉妬さえ覚える。ここまで馴染むCGをただのNPCに配置するなど……もしかしてデザイナーは天才か神かなにかだろうか?
「あの、どうされましたか……?」
「――ん?」
不意に話しかけられ、静はそちらに視線を向ける。しっとりと伸びた銀色の髪、神秘的な翠色の瞳、魔女のローブを改造したような服の上からでもわかる体のライン――その登場人物の名前に、静は憶えがあった。
「……ディアナ・フォーチュン?」
「あ、はい。そうです」
自分が言い当てられたことに、どこか照れくさそうにディアナは笑ってみせた。
† † †
「――と言う訳で、趣味の人間観察中だった訳だ」
「そうだったんですね。お邪魔してすみません」
どうやら、右も左もわからない初心者だと思われていたらしい。いや、初心者なのは否定はしないのだけれど。
「公式配信者は大変だね。そういって、一プレイヤーが困っているのにも手を貸すのかい?」
「え?」
静の言葉に、ディアナは虚を突かれたように目を見張る。その反応に嘘はない、本当に考えていないところに言われた、そんな反応だ。
「……すまない。今のは忘れてくれていい」
どうやら、困っている初心者に語りかけてくれたのは立場からではなく、彼女が彼女だからだったようだ。読み違えた、あるいは穿ちすぎたことを静は傍観者として恥じた。
(なるほど、これは紛うことなきヒロインだ)
公式配信者のバーチャルアイドルグループは、もちろん静もチェックしている。その中で、ヒロインとしての属性を持っているのは三人――あの壬生黒百合以外だ。
その中ではもっともヒロインをしているのが、彼女だろう。どこまでも相手のために尽くす姿、それは後方支援というプレイスタイルによく出ている。どこまでも普通の性格で、だからこそ誰かに愛される……そういう属性。
(あの金色の子と白い狼耳の子は、壬生黒百合と接するときだけヒロイン属性になるのが面白かったけど――)
特に自分に近いのは、壬生白百合の距離感だと思っていたのだが――。
「誰か、待っているんですか?」
ここに来て、このディアナという徹頭徹尾ヒロイン属性一本の彼女に、ガツンと静――菜摘は殴られた気分だった。
† † †
「…………」
あれ? とディアナは思う。違っていたのだろうか? そう自分の読みが外れたのかと考え込んだ。
白い直垂の水干に立烏帽子、真っ直ぐな癖一つない長い黒髪、凛とした顔の造形――白拍子、そう呼ばれる存在がコンセプトなのだろう。自身の姿もプロのCGデザイナーの手によるものだが、彼女もそうなのではないかとそう思った。
「…………」
そんな彼女が、口元に手を当てて黙り込み考え込んでいる。深く深く、思索していた。それがわかるから、ディアナは声をかけられない。だから、ただ彼女の反応を待った。
「――あ、すまない。大丈夫、考えはまとまったよ」
「は、はぁ……」
白拍子の彼女が顔を上げた。そこには、何かの気づきがあったのだろう笑みはある。
「待ち合わせはしなくてね。もしかしたら――うん、そんな淡い希望は持っていたかもしれないね」
彼女の物言いは、どこか他人事だ。自分さえ客観的に見ているような、そんな声色で。だが、次の瞬間だけ違った。
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな。吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき――」
ゾクリ、とディアナの背筋に走るものがあった。それは歌だ。確か、源平合戦の後、源義経が兄の源頼朝に追われていた頃――鶴岡八幡宮、その社前で白拍子の舞を頼朝から命じられた静御前が唄った歌だ。
(……すごい)
素直にディアナがそう思えるほど情念のこもった歌声だった。小さく、かすれた声で、ただボソリとこぼす――それだけでも想いを込めれば、それは人の感情を動かす歌になるのだ。
「――なんてね。この姿は九郎判官の対に考えた静御前だったんだよ。その九郎には振られたがね」
そこまで合わせなくてもいいのにねぇ、とクツクツと笑い、静御前の彼女が立ち上がる。そして、白拍子は右手を差し出した。
「時間潰しに突き合わせてしまってすまないね。応援しているよ、ディアナさん」
「ありがとうございます……あ、えーと」
握手に応じ、そこでディアナは彼女の名を知らなかったことを思い出す。そのことをすぐに察して、彼女は名乗った。
「吾妻静、このPCはそう名乗っている」
舞い方も知らない静御前だがね、と斜に構えた笑みで言う彼女に、ディアナは小さく微笑んだ。
「誰だって、そんなものですよ。きっと」
† † †
……おかしい、彼の周り、湿度高すぎません?(他人事)
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