閑話 たまにはアイドルらしいことを(後)
† † †
「ぜー、ぜー……」
大の字に砂浜に倒れ、モナルダが荒い息を上げていた。もはやTシャツは海水に濡れて意味がない――壬生黒百合は、哀れみの視線で見下ろしていた。
「……エレインと張り合うから」
「ど、どぉんな、勝負だろうと……ぶは……ま、負けは許されないのよぉ……」
海を見れば、まだエレイン・ロセッティは綺麗なフォームで泳ぎ続けている。手を振ってくるエレインに小さく手を振り返して、黒百合は振り返らずに言った。
「勝ててないけどね……」
「ぐはぁ……な、なんで勝てないのぉ……」
抵抗力の差かなぁ、と思ったが、そこは避けておいた。代わりに遠回しに、指摘しておいた。
「戦場の環境に適した武装がある……」
「ぐ、勝負に勝って、試合に負けるとわぁ……」
「勝負の方もどうかなぁ」
そもそも、泳ぎ勝負は黒百合の七勝、エレインの三勝なのでモナルダの圧倒的敗北である。加えて、胸囲で勝負した記憶がない――だが、モナルダは荒い呼吸で胸を揺らしながら、唸った。
「まだ、よぉ……負けは、認めないと負けじゃないしぃ……」
負け惜しみもここまで来ると、もうひとつの芸である。しかし、意外にも真面目な返答が返ってきた。
「うん、そう思う」
「……え?」
「ゲームにあるのは勝敗じゃない。勝つまでやることが許されてる」
倒れたまま視線を向けると、上下逆の黒百合の姿が見える。はしゃぎながら泳ぎ続けるエレインを優しい瞳で見ている黒百合はモナルダを見ずに言った。
「ゲームは殺し合いじゃない。負けは終わりじゃないから。ゲームの中の本当の負けは、諦めた時だけ。だから、あなたの考えはとても正しい」
負け惜しみをここまで肯定されたのは、さすがのモナルダも初めての経験だった。
(こ、こいつ……!)
プロゲーマーの男女比はVR全盛の昨今、半々となっている。全米NO1VR格闘ゲームプレイヤーも女性だし、男女別という概念も失われて久しい……そんなプロゲーマーの中でも、そうそうこんな綺麗事を真顔で吐くヤツはいなかった。
モナルダはぷるぷると震える腕で身体を起こすと、叫んだ。
「よーし、休憩終わりぃ! エレー! もう一回勝負じゃー!」
「いーよー!」
「ほら、クロあんたもよ!」
「はいはい」
勝つまでやる、モナルダはなんとなくそれを前よりも真っ直ぐに言えそうな、そんな気がした。
† † †
ヴォン! と剣呑な風切り音が響いた。それにディアナ・フォーチュンが目を見張った。
「うっわ……」
それはモナルダとサイネリアが、愛用の武器を振っている音だった。それぞれがTシャツのマークである、全長二メートルの戦斧と戦鎚を振るう音だった。
クルクルと戦斧と戦鎚が、豪快に回転する。順手、逆手、順手、それを片手で軽々と振るう姿は、現実離れの光景だった。
「おおー! すっごいじゃん、モナちゃんもサイネも!」
まるで完成されたひとつの舞踏だ。それを拍手して褒めるエレインに、モナルダはズン! と斧部分を砂浜に落とし胸を張る。
「ふふん! 本当ならこれを二本両手でやるんだけどねー」
「エクシード・サーガ・オンラインは片手武器と両手武器がしっかりと区分として存在していますから。さすがに二本扱うのは無理そうですね」
エクシード・サーガ・オンラインの環境に合わせるための経験者への相談タイムで、ふたりが得意武器を披露してくれたのだ。
元々、エクシード・サーガ・オンラインにステータス割り振りが存在しない。なので、RPGにありがちな武器重量という制限はない。そのため片手武器と両手武器など、装備箇所が厳密に決められているのだ。
壬生白百合はんー、と記憶をたどりながら黒百合を振り返っった。
「なにか、両手武器を片手武器として装備するアビリティなかったっけ?」
「ん、確か巨人系の素材にあったはず」
「おー、なら最初は巨人狩りを狙うことになりそうね」
エクシード・サーガ・オンラインは、特にデータ面でオープンβから大きな変更はないはずだ。だからこそ、四人から得られるゲーム情報のアドバイスはそのまま正式サービスの指針となるからとても助かる。
「モナちゃん、モナちゃん。ワタシも振ってみていい?」
「ははん、エレに振れるかしらねー」
立て掛けてあるもう一本の戦斧を、エレインは持ち上げる。お、とエレインは一回振ってみるが――なるほど、これは扱いがかなり難しい。
「バランス悪くない? これ」
「ふふーん、ちょーっとコツがあるのよ。一朝一夕で扱える訳――」
「クロ、パース!」
「って、投げるなぁ!?」
ブン! とエレインは高く放り投げて、黒百合へと戦斧を言葉の通りにパスした。それに黒百合は、白百合とディアナを手のジェスチャーで下がらせて――前に出る。
「――っと」
高く振り上げた右足、それで不規則な軌道で落ちてくる戦斧の柄を受け止める。その瞬間、足首を起点にグルングルンと戦斧が高速で二回転した。
「……は?」
モナルダが呆気に取られている間、トンっと足首で戦斧をわずかに蹴り上げると右腕を掲げる。右手首で今度は受け止めて、一回転。右の二の腕で受け止め一回転。ブン、と大きく戦斧が宙に上がると首で柄を受け止め一回転。肩で柄を跳ね上げて、左の二の腕、左の手首と来て、腰で一回転させ両肘と腰でピタリと戦斧を止めた。
「こんな感じ?」
「ちょ、ちょ……!?」
「うわー、すごいすごいです!」
小首を傾げて尋ねる黒百合に、モナルダは驚きで二の句を告げられず、サイネリアはパチパチと称賛の拍手をした。
「よくできてる。戦斧もそっちの戦鎚も力で振るうんじゃなくて、武器の重量とバランスで振れるようになってる」
そう、二メートルという長さと普通に持つには悪いバランス。それがこの戦斧と戦鎚を舞踊のように振るうキーなのだ。
「ようは、この長い柄のどこを回転の起点にするか? の話。確かにこれはコツがいる」
「簡単にやってたでしょうに!?」
「だって、ふたりがちゃんとやって見せてくれたから」
いや、ちょっと見ただけでおかしいでしょ!? とツッコミを入れてくるモナルダだが、もちろんカラクリはある。白百合は、黒百合が『ゾーン』の集中力で真剣に観察していたからだ、とそれとなく察していた。
(胸か、胸だな、兄貴……)
この場合の胸は、胸を見ていた、ではない。胸を見ないようにしていた、の意味での胸だな、だ。それで手の動きを集中して、なるべく胸に視線がいかないようにしようとしていた、と言うことで――。
「よし、よし、そこはまだよしとしよう。でも、実際に持ってないのに重量のバランスを最初から見抜いてたのは、なんで!?」
「そこはエレインの功績」
「エレ!?」
話している間に戦鎚の方で手首での回転に成功していたエレインは、振り返るモナルダに呼ばれて戦鎚を受け止めて答えた。
「たかーく投げたでしょ? 重量バランス通りに回転するように投げたんだよ?」
「だから、こっちに落ちてくる時にはだいたい――」
「んな訳あるかーい!」
それで黒百合が把握できると信じていたエレインも、やってのけた黒百合もどちらもおかしい――まさか自分が常識を説く側になるとは、モナルダ自身喜んでいいのか嘆いていいのかわからなかった。
† † †
現実の坂野家、そこにエステル・ブランソンが襲撃してきた。
「あら、エステルちゃん。今日はどうしたの?」
「お邪魔いたします。クロとシロに、アイドル関係で」
「ははは、なら『姉』の部屋にいるはずよ?」
既に顔パスのエステルは、坂野玲奈に見送られて坂野九郎の部屋へと向かう。
「クロー、おはよー」
コンコン、というノック。それに「……おう、入っていいぞ」と言われてエステルは深呼吸をひとつ。きちんと自分の身だしなみを再確認してから、入った。
「おはよう、クロ、シロ。届いてる?」
「うん、あたしが確認中」
虚空に浮かぶ膨大な切り抜きSSを確認する坂野真百合とベッドの上で轟沈している九郎の姿がそこにはあった。
「クロ、どうしたの?」
「さすがにクロのスク水姿はダメージが大きかったみたい」
「ぐ、おおお、お……」
言われて思い出し、九郎が悶絶する。その姿によしよしとエステルは九郎の頭を撫でて慰めてから、真百合の方へ歩み寄った。
「モナちゃんとサイネと何度かやり取りして決めるんだっけ?」
「うん。あたしたちだけのは社長からOK出たら終わりだけど、コラボ相手がいるとね」
「早目早目に出した方がいいもんねー」
精神的ショックで九郎は使い物にはならない。
「クロの分は、こっちで選別しとくけどいい?」
「おー、頼む……」
こういう時くらいは、こちらが手を貸してあげるのは筋だろう――真百合とエステルは黒百合の分も含めて一緒に選別作業を開始した。
† † †
※冒頭で黒百合がモナルダの方を向いていないのも、胸から視線を逸らすためだったのは内緒である。
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