66話 境界線とスタートライン
※短くはありますが、世界において重要なお話となっております。
† † †
アルゲバル・ゲームスプロデューサー安西里奈は、大股で歩いていく。豪奢な長い黒髪をアップにして結い、黒いスーツになぜか白衣を着るのがトレードマークの彼女は、ローヒールのパンプスの足音を響かせながら薄暗い廊下を歩いていく。
美人である。インディーズ時代からすればゲーム製作歴は一五年を数えるというのに見た目そのものは二〇代半ばから後半ほど――実際、彼女がアルゲバル・ゲームスの前身であるチームアルゲバスを集めたのは、一三歳の時なのだから現在の彼女は二九歳である訳で――。
「おい、城ヶ崎ぃ!」
目で見なくとも指が覚えているパスワードで電子ロックを外し、安西Pはその部屋へと乗り込んだ。そこは地図にも載せていない、政府の研究施設、その最奥だった。
「……なんだ、騒々しい」
そうユラリと暗闇の中で立ち上がったのは、白髪交じりの痩せた白衣の男だった。一七〇センチある安西Pが見上げる程度に高い、どう見ても健康とは無縁そうな五〇過ぎの男――城ヶ崎克樹は面倒臭そうに歩み寄った。
「もうすぐ正式サービス開始だろう? ゲーム制作部門のトップがこんなところで油を売っていてもいいのか?」
「あ? 正式サービス一週間前に私がアクセク動いてたら間に合うわけねぇだろ。後はただの微調整だっつうの」
「なるほど……俺はゲーム作成の素人だからわからんが、そういうものか」
抑揚のない、感情を削ぎ落とした声は安西Pにとって耳が腐るほど聞いた声だ。それこそ、大学に進んだ一二歳のころからずっと聞いてきた声だからだ。
「お前、あのハティの行動。関わってないだろうな?」
「ああ、そのことで来たのか……」
安西Pの苛立たしい声色に対して、城ヶ崎の声に逆の感情がこもった。それは彼にしては珍しい、喜色というものだった。
「関わるはずがない。エクシード・サーガ・オンラインの“世界時計”は動き出した三〇〇〇年前から一切、俺を必要としていないのだから」
「……必要だったら、手を出すのかよ」
安西Pの吐き捨てるような言葉に、城ヶ崎は目を丸くする。きょとんとした、そう表現する以外ない……もう、彼女しか見ることはないだろう表情だ。
「まさか。滅びるのならば滅びればいい、それもひとつの立派な結果だろう?」
――それは、あまりにも役目に忠実な創造神の物言いだった。
† † †
城ヶ崎は、暗闇を歩く。その足元には膨大で複雑な光の線が走っては消えていく。誰が思うだろう? それの光の線一本一本が現実世界における生物の一生なのだと。
「三〇〇〇年。お前たちが用意した約条を基本に世界を構築、後はただランダムに膨大な可能性をシミュレートし続けた世界――それがエクシード・サーガ・オンラインの世界だ。それは最初に説明したな?」
「おう、聞いた。面白いと思ったさ。世界に生きる存在ひとりひとりが本当に自分の一生を体験している世界。そこにゲーマーたちを叩き込めばどうなるかってな……予想以上にクソ面白かったさ、そいつは認めてやる」
講義をする教授のような物言いの城ヶ崎に、柄の悪い生徒のように安西Pは切り捨てる。実際、先輩後輩であったが――決して一言では言い表せない、そういう関係だ。
「本当に三〇〇〇年を体験して生きた九尾やクドラクが、ああなるとわかってたのか?」
「まさか。ただ、フィクションとは面白いな。実際に永遠を生きた者はフィクションと同じように本当に生を疎むようになるらしい……いや、あるいは人に近しい心こそが原因だったのかもしれんな。事実、序列第一位魔王など世界を滅ぼす気はあっても自分が滅ぶつもりなど一切ない。あれぐらい、役に忠実であった方が――わかった、殴ろうとするな」
それ以上話したら歯ぁへし折んぞ、と拳を振りかぶった安西Pに、城ヶ崎は降参だ、と両手を上げた。
この男にとって、永遠に終わりのない命を嘆き終わりを求めた女たちの想いなど、ただのデータのひとつに過ぎないのだろう。どんなお涙頂戴の物語も、さらりと流してそういうものだと受け取れる、そういう男なのだ。
「実際、時間を加速させたり停滞させたりはしているが、体感時間は変わらない。あの世界の住人がそれを知覚することはないだろう」
不意に、城ヶ崎の足元から八本と五本の光が走った。それはそれぞれの世界へ――メインAIである“八体の獣王”と“五柱の魔王”と繋がっている。
そして、その内色が違う光は二本。イクスプロイット・エネミー“妖獣王・影”とイクスプロイット・エネミー“双獣王・影・陽:スコル”&“双獣王・影・陰:ハティ”のソレだ。
「“影”が討たれ、その“因子”は中央大陸へ――ああ、やはり世界を大きく動かす“英雄存在”はいいな。実に実験が捗ってくれる」
そう思うだろう? と城ヶ崎は振り返る。それはまるでファウストを誘惑するメフィストフェレスのような眼差しだった。
「――聖女アンジェリーナ」
「よし、そこを動くな。やっぱりぶっ飛ばす」
「……待て、冗談だ」
† † †
アンジェリーナ――安西理奈。実のところ、聖女の五〇〇年前の冒険とは他でもない。彼女とテストプレイチームのαテストの結果だ。
英雄が世界にどのような影響を与えるか? そして、英雄とはどこまで行けるものなのか? その可能性を試すためものだった。
(その結果、約条がグチャグチャになって細川が泣く泣く修正で徹夜続きだったわな……)
そもそも百獣王はライオンハートではなかったし、巨獣王フェンリルが生まれる前に三つに分けてしまったり、ひとりだけ称号《大英雄》に到達した後藤礼二がノリノリで大嶽丸と決闘していた間――序列第三位魔王酒呑童子が天魔波旬に敗れ、代替わりしてしまったのも……すべては英雄という自分たちの干渉が原因だった。
(せめて、ハティはいい方向に行くといいんだがなぁ……)
第三位魔王関連は、今でもちょっとしたトラウマだ。自分の体感時間では数年前のことなのだが――五〇〇年、それを引きずった連中がいるのだ。苦い経験に決まっている。
(ったくよう。最高の世界だよ、城ヶ崎……お前が、お前の目的のために作った世界は。でもよぉ、最高すぎたんだよ。笑えねぇくらい、本物してやがる)
メインサーバールームから立ち去りながら、安西Pは拳を握りしめながら呟いた。
「くそ、もっと殴っときゃ良かったか」
エクシード・サーガ・オンラインの創造神を殴り倒した聖女は、天を仰いだ。そして、呟く。
「英雄よ、古き英雄譚を超えていけ……か。連中には、超えてほしいね。私らの英雄譚を――」
祈ってもなにもしない神しかいないあんな世界だ。だからこそ、聖女は祈らずただ願うのみだった。
† † †
実は聖女のからくりに、ひとりだけ登場人物は気づいていました。サイゾウさんですね。
安西Pとしか知られていない彼女、その下の名前を知っていてサイゾウは気づいてしまいました。詳しくは、この話を読んでから「40話 英雄回廊:ホツマ9」を読むと、それとなく納得できるかと思います。
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