65話 妖精の訪問(後)
† † †
パタパタと団扇でエステル・ブランソンは、膝枕した八條綾乃に風を送り続けていた。
「……大丈夫? ディアナん」
「は、はい……だ、大丈夫です……」
綾乃がようやく気を取り直した頃、坂野九郎は坂野真百合がどれだけ用意周到に今回の計画を練っていたか思い知っていた。
「義父さんと義母さん、今日職場に泊まるのか……もしかして――」
「お泊りの用意もしてきたよー!」
九郎の言葉が聞こえたのだろう、エステルが元気よく手を振ってくる。それに頭を抱えそうになるのをなんとか耐えて、九郎は真百合を改めて見た。
「……お前、こういうのだけは本当に手を抜かないな」
「まぁまぁ。少しはエレちゃんの気晴らしになればと思ってさ。兄貴も協力してよ」
最初のきっかけは、レイドバトルのコンサートの後。エレインから壬生白百合が色々と今回の謝罪とお礼の件を相談されたことだ。
「かなり思いつめてたみたいだからさ。エレちゃんの目的を果たしたら、はい解散、もどうかと思って」
だから、せめてその後に気晴らしぐらいしてもらおうと思って着々と準備を裏で進めて来たのだ。確かに九郎に真百合が相談すれば、もっとスムーズだったかもしれない――だが、それはエレインの決意と覚悟に水を差す行為だと思ったのだ。
「自分の口で言いたいってエレちゃんが言うんだもん。それを私が先に話しちゃうのは、違うでしょ?」
「……まぁ、そうかもな」
場合によっては、九郎が正体を明かしたくないと避けてしまうかもしれない。そうなると全部先に話さないと説得できなかったら……真百合はそう考えたのだという。それなら最初からなにも話さず、裏で進めようと思ったのだが――。
「別に友達が家にお泊りするだけで、問題ある?」
「……そりゃあ問題を起こしたい訳じゃないんだけどさ」
「なら、なにが問題なの?」
九郎は口を開き……飲み込んだ。なんとなく、最近九郎は気づいているのだ――真百合の変化にも。
(……いや、正確には戻ったのかな)
九郎と真百合、ふたりが『兄妹』になる前。兄妹のような距離感に。だから、言えなかった。
――ふたりを女性として扱わないのは、失礼だと思うから……。
それを真百合に言うことが、はばかられたのだ。少なくとも、九郎は真百合に「だったら自分はいいの?」などと思わせたくなかった……それが自惚れだとしても、だ。
(笑わば笑えよ、義母さんよ。あんたの息子に甲斐性やっぱねぇぞ?)
脳内でそう自嘲気味にぼやきながら、改めて九郎は真百合に問いかける。
「で? ホスト様。この後はなんのご予定が?」
「それがエレちゃんからのリクエストなんだけどね?」
† † †
二一世紀の現在において、世界中のどこにでも自宅から行けるようになったと言っても過言ではない。過言ではないのだが――。
「……何年ぶりだろうな、サイタマアルティメットアリーナ」
「確か社長の時代、バーチャルアイドルがコンサートする時の聖地のひとつだったらしいですよ?」
移動時間、実に〇秒。日本の首都を飛び越えて、四人で埼玉県に実在する多目的アリーナ・サイタマアルティメットアリーナのVR空間にやって来た訳なのだが。
「ママがね? ここでやったユカリのコンサート、こっそり聴きに来てたんだって。本当ならリアルで見てみたかったけど。うん、予行練習?」
「“妖精歌姫”がお忍びでって……本当にすごかったんですね、社長……」
「謎人脈って意味じゃ安西Pにも負けてないかもな」
エステルの右手を九郎の左手が、エステルの左手を綾乃の右手が繋いでいた。その光景に、真百合がクスっと笑う。
「ヤバい、兄貴若い父親みたいで似合ってる」
「止めろ、止めろ! 老け顔で悪かったな!」
「わ、私もさすがにエレちゃんほど大きな子供がいるように見えます……?」
愕然とした表情の綾乃をエステルが見上げる。その愛らしさに綾乃はフルフルと震えた。母性ゲージが跳ね上がってる綾乃に、真百合は小さく吹き出す。
「でも、いっつもVR空間ってイベントやってるんでしょ? 今日はなんのイベントやってるんだろうね」
「んーと。確か案内図なかったっけ?」
「わざわざリアルに合わせて、ウインドゥでないの不便だよねー」
あったあった、とアリーナ横のVR掲示板を見る。リアルとVR空間、双方でイベントが行われているようだが――。
「クロクロ! VR空間の方、VR格闘ゲームのイベントやってるみたい!」
エステルの声に、九郎はVR掲示板を覗き込む。覗き込み……心の中で、刃の心を持つ男に合掌した。
† † †
「……暇だわぁ」
VR空間の控室で、加藤段蔵はしみじみと呟いた。ちなみに同名の有名な忍者がいるが、恐るべきことに本名である。母方が祖父の代から忍者マニアで母親が加藤という姓の男性と結婚した時、生まれた子供に有無も言わせず段蔵と名付けたのである。
「母も霧隠って名字の人と結婚すればよかったもんを……」
段蔵は加藤段蔵より断然霧隠才蔵の方が好きだったからだ……無茶を言う三十路である。
eスポーツのVR格闘ゲームのプロプレイヤーである段蔵は、今回雇われて「プロに挑戦! あなたが勝ったら操作したキャラの実物大ぬいぐるみをデータと実物両方プレゼント!」という企画に参加していた。言っておくがプロと素人である、四人もプロがいて一日三桁戦って、ひとりも負けずにイベントが終わる……というのもザラなのである。
「……暇だわぁ」
結果、VR空間の控室で暇な忍者が爆誕していたのである。はは! いっそゴッさんでも現れないでござるかねー、などと思っていると控室にエマージェンシーコールが鳴り響いた。
「え!? なにごとでござる!?」
『加藤さぁん、助けてぇ!』
世にも情けない声で若手のプロゲーマーが助けを求めてきた。それに思わず声を張り上げる。
「なに言ってるでござるか! 俺は最後って――」
『だからぁ、もう二人抜かれたんすよぉ!』
「はぁ!? なに言ってんでござるか!? どこかのプロでも紛れて――」
『早くぅ、三人目もやられるぅ、キングペペンにぃ!!』
キングペペン。その名前に、段蔵は本気でゴッさん降臨を疑った。
† † †
オフラインVR対戦格闘ゲーム妖精大戦ティル・ナ・ノーグR。
アルゲバル・ゲームスの初期のオフラインVR対戦ゲームの最新VR対応型にリメイクされたゲームである。さまざまな世界各国の妖精たちが集い、最強の妖精王を決めるというストーリーのある対戦格闘ゲームなのだが――。
『おーっと! ここでキングペペン! 百烈ヘッドシェイキング炸裂だぁ! すごいぞ、このキングペペン! プロ三人をあっと言う間に突破だぁ!』
ガンガンガン! と北極帝国シロクマ型妖精シロクマンの後頭部を短いヒレで掴んだ王冠を被った体長一メートルほどのペンギン型妖精キングペペンが凍った地面に叩きつけて、沈黙させた。
カンカンカーン! という軽く安っぽいプロレスゴング風の音と共に、ラウンド終了。キングペペンは乱暴に画面の外にシロクマンを投げ捨てた――ちなみに、これはキングペペンの勝利ポーズである――。
『え、えっと……次が四人目ですが……まだ、続けますか?』
『(コクコク)』
恐る恐る尋ねる司会者に、キングペペンは無言で頷く。プロ三人を圧倒して余裕を見せる乱入者キングペペンに、会場の観客たちもヒートアップしていた。
なにせ、あのキングペペンでプロを無敗三タテである。盛り上がらないはずがなかった。
「こ、これデータです……どうぞ……」
「あはは、ありがとうございます」
そういって全長一メートルの王冠を被った三白眼の目つきの悪いキングペペンの等身大ぬいぐるみ(データ)を受け取ったのは、真百合である。既にエステルと綾乃も同じものを手にしていた。
『まだ、まだだ! 今年の全アベスト8でまた世界一に負けたあの男の登場だぁ!』
『やぁかましいでござるよぉ、ニンニン!』
そう叫んでステージに降り立ったのは、一本下駄に山伏姿の赤鼻天狗――大天狗だ。その大天狗は、自分の脛ほどの大きさしかないキングペペンを見下ろして言った。
『まさか、キングペペンでこの大天狗に勝つつもりでござるか?』
キングペペン。全キャラデータ比率で攻撃力二位、体力二位、移動速度二位、ガード性能二位、リーチ二位――ただし下から、という妖精大戦ティル・ナ・ノーグぶっちぎりの最弱マスコットキャラクターである。
各分野最下位が他の分野のトップ、というトリッキーキャラや偏重キャラはいても、全分野でここまで低いキャラは他にはいない。「キングペペンを使うのは舐めプの証、勝ちを譲る接待専用キャラ」とまで言われたのがキングペペンである。
(そのキングペペンでプロ三タテって……マジでゴっさん疑惑あるでござるよ?)
なにせ、キングペペンが勝つ手段はひとつしか存在しない――ペペンキングダムと呼ばれる、地面凍結技で地面を凍らせ移動速度をハネ上げさせるのだ。
凍った地面の恩恵を受けるのはキングペペンのみだが、このペペンキングダムにも弱点がある――速くなり過ぎて、コントロールが常人には不可能になるのだ。
『ハハハハハ! 貴殿が常時発動型の『ゾーン』でも使えない限り、キングペペンでボスキャラ大天狗に勝てると思うなでござるうううううううう!!』
あまりと言えばあまりにプロの大人気なさに周囲の観客からブーイングが飛ぶが、大天狗はどこ吹く風である。天狗は風を吹かせる方でござるからな!
カーン! とラウンドが始まった瞬間だ。キングペペンの、渋くダンディな声が響いた。
『――ペペンキングダム(重低音)』
初手、ペペンキングダム。ビキビキビキビキ、とステージが凍りつき――準備は終わった。
『さぁ、処刑の時間だ。ベイベェ(尾てい骨に響く美声)』
『そいつぁ、こっちのセリフでござるよぉ!』
大天狗が大団扇を振り上げた、その瞬間だ。狙いは遠距離からの竜巻攻撃だ。大天狗が起こす竜巻攻撃には吸い込み効果があり、足場の凍ったキングペペンは踏ん張れず飲み込まれる――ようするに、完全なキングペペン対策でキャラを選んで挑んだのだ。
だが、大団扇を振る前にキングペペンの姿が消えた。一気に1フレームで背後へ。キュ! と片足を軸に急停止してその場で体勢を入れ替え――ズバンと跳躍、大天狗の背後に跳んだ。ここまでで2フレーム。
『く、どこでござ――あ』
ガッシ、と後ろから後頭部を大天狗が掴まれると目の前に巨大な氷の柱がそびえ立っていく――それを見て、段蔵は思った。折れそうだわ、鼻……と。
『アバババババババババババババババババババ!?』
『おーっと! 大天狗の鼻っ柱をへし折る勢いで百烈ヘッドシェイキング炸裂ぅ! 段蔵さぁん、フラグ建てすぎぃ!』
ガンガンガンガンガン! と3フレーム――弱パン一発分の速度で極悪コンボの完成である。手を緩める、イコール敗北だ。そのためキングペペンを操る九郎は『ゾーン』を常時発動、高速で死角に回り込み続けて3フレーム百烈ヘッドシェイキングで前作ボスキャラをハメ殺した。
(ごめん、サイゾウさん……オレも欲しいんだわ、キングペペン)
必要なキングペペンの数は四体――だから、必要な犠牲なのだ。九郎に容赦の二文字は、一切なかった。
† † †
「えっと、ご住所の方は……こ、れで……?」
「はい、お願いします」
結果、キングペペンを持ち歩く四人組が誕生した。データは直接持ち帰れるが、実物は輸送で後日届けられる予定だ。
「わーい、キングペペンほしかったんだー。ありがとね」
「そうかい。それは良かった」
最初にキングペペンをおねだりしたエステルの笑顔に、九郎も笑みを返す。プロ四人の心に傷は残ったかもしれないが……そこは乗り越えてもらおう、と思う。キングペペンは使いこなす人間が使いこなすと、途端に強キャラに化けるハメ殺しキャラだと知る者はあまりにも少ないのだ。
「あ、すみません。お客様……」
「はい、なんです?」
VRのスタッフに声をかけられ、真百合が振り返る。その手には先程の実物の宛先が三つ浮かんでいた。
「……同じ住所でこれだけ二六階で部屋番号違うんですけど……書き間違いじゃないです?」
「え?」
思わず確認しようとした、その時だ。エステルが抱きしめたキングペペンの背後から、顔を覗かせて言った。
「あ、間違いじゃないです。私宛は二六階ですから」
「「「――はい?」」」
思わず、九郎と真百合、綾乃の三人の声がハモる。それにエステルはとびきりの悪戯が成功した妖精の笑顔で言ってのけた。
「言ったじゃん、リアルで見る前の予行練習って。これからはワタシも日本で暮らすから、今度はリアルで来ようね? みんなっ」
† † †
ちなみに。キングペペン使用九郎が凶悪なだけで、プロ四人も弱くないです。
四体ほしかったんやもん、生贄四人しゃーないね……。
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