64話 妖精の訪問(中)
※誤字報告、ありがとうございます!
† † †
「……坂野九郎と申します」
「あ、ご丁寧にありがとうございます。私は八條綾乃と申します」
九郎とディアナの中の人、綾乃はとても良い姿勢で座礼し合う。それを半眼で眺め、坂野真百合は改めて問いただした。
「で? 兄貴。ディアナさんのなにがヤバいって?」
「も、黙秘権を行使する」
「そう――エレちゃん、ディアナさんをこっちに」
「ラジャー」
「え、ええ!?」
右からエステル・ブランソンに、左から真百合に抱えられ、引きずられて綾乃は部屋の隅に連れ込まれる。左右からの詰問に、綾乃も最初から抵抗するが――。
「いや、その大嶽丸さんの、ところで……」
ポツリポツリと語り始めてしまった、ふんふん、と聞き入るふたり。しばらく経つと、ぐりんとエステルと真百合が九郎を振り返った。
「一緒に、温泉入ったの?」
「しかも、膝枕してもらったんだぁ?」
「あ、待って、待ってくださいっ! あの時のクロちゃん動けなかったし、お面で見えませんでしたし……」
「そ、そうそう!」
綾乃のフォローに、九郎はブンブンを首肯する。しかし、エステルと真百合は追求の手を緩めなかった。
「なら、なにがヤバいの? クロ」
「あー……さすがに、こう女湯に入ったのは男として、ほら、その、罪悪感があったんだって……」
「膝枕ぁ、そんなに気持ちよかったの? 兄貴ぃ」
「膝枕にこだわるなぁ、お前!?」
当たり前である。ちょっと勇気を出して自分がやったことをあっさりとやられたのだから――などと、真百合が正直に言う訳もなく。
「こうなるからいやだったんだっつうの! あーもう!!」
「ご、ごめんなさい。私が、つい……」
「あ、いや、別にディアナさんが悪いんじゃないんで――」
九郎が言いかけた途中で、ふと思い出したように綾乃は唇に人差し指を当てて考え……訊いた。
「あの……確かシロちゃんが一六歳で……」
「ああ、オレは一七歳ですよ」
「じゃあ、私と同じ年ですね」
パン、と手を打ち合わせて、綾乃は笑みをこぼす。その笑顔はエクシード・サーガ・オンラインのディアナのそれと同じだ。
「なら、さんなんていりませんよ。いつも通りでいいです」
「え、あー……」
そういえば壬生黒百合の時は、ディアナと呼び捨ての設定だったか。
「そんじゃあ……ディアナ?」
「はい、クロちゃ……はは、逆にこっちが違和感ありますね」
くすぐったげに笑う綾乃に、あれ? と思い出したように真百合は口を挟む。
「でもディアナさんって大学生だった気が?」
それを覚えていて、年上だと勘違いしていたのだ。綾乃は頷き、答える。
「はい。今年、大学部に。飛び級したので」
「あー、オレも来年は大学部卒業ですわ」
「えー。ふたりとも急ぎ過ぎじゃない?」
そのやり取りに、チョコンと九郎の膝の上に座って得意げに胸を張ったのはエステルだ。
「ふふん、ワタシは去年高等教育終わったから、センパイ? だよっ」
「えぇ!? エレちゃん、今おいくつ?」
「一二歳だよ?」
あっけらかんと答えるエステルに、綾乃は開いた口が閉まらない。さすがにそれは想定の範囲を大きく超えていた。当然のように自分の膝の上に座られ、苦笑しながら九郎は記憶を掘り起こす。
「……エステル、英国育ちだよな?」
「うん、そうだよっ」
「一一歳で高等教育を終えて、ブランソンって――」
そこで九郎は言葉を切る。それだけで充分だった、エステルはコクンと頷いた。
「――正解」
「なになに? どうしたの?」
ふたりのやり取りに、真百合がキョトンとする。それに九郎がエステルの顔を覗き込む。その自分を気遣ってくれる瞳にエステルは微笑み、ぎゅっと九郎の手を握って頷いた。それを了承と受け取り、九郎は慎重に語りだした。
「エステルのお爺様が、有名人でな。知ってるか? サー・ロジャーって」
「ああ、VR黎明期で一番有名な伝説のeスポーツ選手、だっけ? 本当の騎士の称号を持ってるっていう」
真百合の答えに、エステルは頷く。そこで思い至ったのが、音楽関係に詳しい綾乃だった。声にならない息をこぼし、綾野の唇が震えるのを見て九郎は小さく頷く。
「……エレちゃんのママって、もしかして……“妖精歌姫”エマ・ブランソン……?」
そこに至れば、気づいてしまう。かつて、エレイン・ロセッティが元狩人のハーンに言った言葉の意味を。
† † †
『ワタシと、同じ想いを! メリーにさせるもんかああああああああああああああああ!!』
† † †
「……っ……」
綾乃が、口元を覆う。ボロボロとこぼれてしまう涙が止められない。それに驚いたのは、真百合だ。
「え? どうしたの、ディアナさんっ」
「……お爺様が騎士の称号を授かったのはね、シロ。パパとママが巻き込まれたテロの犯人を捕まえたからなの」
「……あ」
エステルの力ない笑みに、九郎と綾乃の反応に、そこでようやく真百合も気づく。いや、ふたりは真百合の知らない情報があったからこそ先に答えに行き着いただけ。ただそれだけの話だ。
「うん、ワタシがエステル・ブランソンだって、リアルで会って名乗るなら知られちゃうのはわかってたから……気にしないで」
真百合は息を飲む。まさか、そこまでの覚悟が彼女にあったと思わなかったからだ。
「そっか……それでも、区切りをつけたかったんだね」
「うん。ちゃんと全部、知ってもらいたかったから」
九郎の大きな手を名残惜しそうに離し、エステルは立ち上がる。そして、改めて九郎と綾乃に向き合うようにその場に正座した。
「あのね、実は今日シロに頼んでふたりに会いたかったのはずっと、謝りたかったからなの」
「……え?」
エステルが言っている意味がわからず、綾乃は目を見張る。そして、エステルは九郎を見上げて言った。
「特にクロには、謝らないとって――ごめんなさい」
そう言って、エステルは頭を下げて土下座した。
† † †
エステルの土下座に、まず口を開いたのは九郎だった。
「頭を上げてくれよ、エレイン。それで、なんで謝らないといけないのか、きちんと言ってくれ」
「……うん」
そう促され、エステルは思う。すごいな、と――きっと、その理由に心当たりがあるのだろう、言葉の選び方でそれがわかってしまった。
「クロは憶えてる? 最初、クロが急にバーチャルアイドルに選ばれた理由」
「予定していたひとりが諸事情で急遽辞退した、んだったよな?」
「……うん」
エステルは一回、深く息を吸う。そして、しっかりと九郎の目を見て言った。
「それね、ワタシなの」
「えっ! そうだったんですか!?」
「うん、実はそうなの」
初耳だと驚く綾乃に、それをフォローしたのは真百合だった。同時にデビューするはずだったからこそこのことを知っていたのは他でもない、この場では真百合だけだったからだ。
「……もしかして、サー・ロジャーが体調を崩してたって――あの噂か?」
「うん。本当にお爺様は生死の境を彷徨ったの」
九郎の想像通り、とエレインは肯定する。パパとママを失い、自分を大切に守ってくれた祖父が危篤状態になったのだ。とてもまともにプレイできるような精神状態ではなかった。
『ごめん……ごめんね、ユカリ……ワタシ、ワタシ……!』
『――大丈夫、任せて。絶対に悪いようにしないし、あなたのお爺様だって大丈夫だから』
峠はまさにエクスード・サーガ・オンラインのオープンβ初日――運命の日のはずだった。
「あれ? でも、エレちゃん……私と一緒にクロちゃんとシロちゃんの配信、観てました……よね」
「うん、それが、その……お爺様、あの四時間前に快復したの……」
医者が言うには、『孫娘の夢を潰すような死に方できるか!』と叫んで飛び起きたという……本当に常識外れの騎士である。
「でも、あのままの精神状態じゃ多分、ワタシはクロほど上手くできなかったと思うの……ううん、正直、今でもあんなプレイは無理だった。だから、すごいなって……憧れた、んだと思う」
そう、その無意識の憧れこそがエステル――エレインの気づかなかった想い。先に負けん気を発揮してしまい、ライバルだと強く言い聞かせ、一度は蓋をしてしまい……とても大きく育ててしまったもの。それは、今は胸の一番奥にまで根を張っていた。
「クロが頑張ってくれたから、運営にも認められて。そこからワタシの……ワタシたちの夢は繋がったの。だからね」
エステルは九郎を見上げ、一番伝えたかった想いをようやく口にできた。
「――ありがとう、クロ」
「……どういたしまして」
その想いを真っ直ぐに受け止め、九郎は見上げるエステルの頭を撫でた。
† † †
「エヘヘ、やっと言えたぁ……!」
九郎の大きな手に頭を撫でられ、もっとと強請るように頭を預けながらエステルは笑う。その笑顔を見て真百合は密かに苦笑し、綾乃は安堵の息をこぼした。
「……? あれ? でも、今のってあくまでクロちゃんが巻き込まれて頑張ってくれたってだけで……私は関係ない、ですよね?」
「あー、それは……」
言いにくそうに、九郎は視線を泳がせる。すでにエステルはすっかりと甘えるモードに入ってしまった……こうなると、説明はオレがすべきか、と九郎は覚悟を決めた。
「あのさ、ディアナ。オレ、実はこれ前からそうじゃないかって気づいてたんだ」
「……はい?」
「だってさ、考えてみてくれよ。代わりが必要なら、オレじゃなくてエレインで良かっただろ?」
あ、と綾乃はそこで九郎が気づいたという違和感の意味を知った。確かにそうだ、突然外部の、それこそバーチャルアイドル志望でない九郎に頼むくらいなら、エレインを繰り上げる方がまだ選択肢としてあり得る話だ。
「ってことはだ。エレインが謝りたかったことは――」
「もしかして、私が代理だったかも、しれなかった……?」
ようやく綾乃が行き着いたエステルの謝罪の意味に、九郎はコクリと頷く。手が止まってる、と言わんばかりにグリグリと頭を押し付けてくるエステルを撫でながら、九郎は言った。
「社長、言ったんだ。後発でデビューする子を繰り上げて、とも考えたって――」
でも、ゲームの腕前の問題で、約束が違うと言われたら言い返せないかもしれない――そんな理由で藁にもすがる想いで九郎を頼ったのだ。
「――――」
「……ん? ディアナ?」
「ディアナさん?」
急に押し黙った綾乃に、九郎と真百合が怪訝な表情になる。綾乃はもしかしたら、自分の夢を含めてみんなの夢を背負わされていたかもしれない事実に、目の前が真っ暗になってその場に倒れ込んだ。
† † †
第一話のこの設定を憶えている方がいるのかどうなのか……?
温め続けた爆弾は、大変楽しゅうございました。
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