50話 慈悲深い“■”の名は――
※セント・アンジェリーナに用意されたすべてのミニシナリオのクリアが確認されています。
短くはありますが、これを「50」話にできたのはありがたい限り。
† † †
セント・アンジェリーナの教会、そこに戦う術を持たない者たちが集められていた。小さな子供や老人、戦う技術を持たない者など。万が一に備え、一番護りの厚い教会に避難したのだ。
「ミレーヌちゃん、危ないよ。教会の中にお入んなよ」
「……あ」
食事処“銀色の牡鹿亭”の女将にそう声をかけられ、その女は呆然と振り返った。その表情は心ここにあらずと言った風で、女将さんも小さく苦笑する。
「あんたも運が無いねぇ。最近だろ? この街に来たの」
「いえ、そんな……」
ミレーヌは小さく首を左右に振った。大きい街であり、酒場と食事処という違いはあるが、同じ飲食に関わるふたりである。だからこそ、顔見知りになる機会は少なくなかったが――。
「なに、《英雄》の人たちに任せてりゃあ心配ないさ。なぁ」
そう女将さんは、自分の後ろに隠れていた息子に笑いかけた。どこか戸惑ったように女将の背後に隠れた男の子に、ミレーヌは怪訝な表情を見せる。
その表情に、女将さんはからからと笑って言った。
「こいつ、うちの店の常連の女の子に一目惚れしたんだよ。年頃だろ~?」
「っ、か、母さん!?」
「ほら、あのウサギの嬢ちゃんの友達の。狼耳の黒い方の子――」
「母さん!」
耳まで赤くなった男の子が、ぐいぐいと女将さんの服を引っ張って抗議する。年頃の男の子がぶつかってしまった年上の『お姉さん』に優しく気遣われた、ただそれだけの関係。それでもその年頃の男の子にとって、初めての恋をしてしまうのには充分で……母親からしたら、からかい甲斐もあると言うものだ。
そんな男の子を見て、ミレーヌはようやく口元を綻ばせた。その笑みを見て、ようやく女将さんも安堵の息をこぼす。
「ほら、馬鹿なのは男連中だけで充分さ。あたしらは大人しく終わるのを待ってようじゃないか」
「それは……」
ミレーヌは、改めて教会から街を見る。今も戦っている、大事な者たち――それをもう、“彼女”は見過ごすことはできなかったから――。
「すみません、“牡鹿亭”の女将さん。私、少し用事が――」
「それは今じゃないといけないのかい?」
女将さんの真剣な問いかけに、ミレーヌは小さく頷く。その瞳の真剣さに女将さんは呆れのため息をこぼし、首を左右に振って告げた。
「なら、仕方ないね」
「はい、仕方ないと思います」
だから、とミレーヌは――“酒場の看板娘”は街へと走り出した。
† † †
――最初はただ、“観察”したいだけだった。いつか訪れる今、その時のために《英雄》を見ておきたかったのだ。
(――なんて弱くて、脆い――)
酒場を選んだのは、酒というのが人の本性を表に出すものだという情報があったからだ。英雄、などと言っても、彼らは一皮むけばただの人間だった。弱くて、脆くて、ただ普通の人よりも戦う力が少しあるだけの……本当に普通の人間で。
『飲み過ぎは、身体に毒ですよ? 今日はこれで最後にしてください』
いつも夜に酒場に来ては、愚痴をこぼす男がいた。仕事がどうの、上司がどうのと愚痴をこぼしてくだを巻いていたが、意味はほとんどわからなかった。
その酔い方があまりにもひどいので、思わず言ってしまったミレーヌの指摘。みっともなく酔っていた英雄は、その言葉に目を丸くするとどこか照れくさそうに笑った。
『……そうするよ』
その表情や言葉が、どんな感情から出たのかミレーヌにはわからない。わからないけれど……その男は、今日見たら英雄の顔をしていた。
負けられないと、勝たなくてはいけないと覚悟を……戦う決意をした顔――それはとても“彼女”にとって恐ろしいものだった。
(本当なら、内側から終わらせるつもりでしたが――)
もう、ミレーヌに――ミレーヌと名乗る“彼女”にそれは、できなかった。だからせめて……せめて、元の自分に戻ろうと思う。
† † †
“日母”『なにをやっている!? 打ち合わせと違――』
“月母”『黙りなさい、“私”!』
† † †
秘匿回線でぶつけられる文句に、悲鳴のように“彼女”は返す。無慈悲に輝く月を見上げ、“彼女”は叫ぶ。
「いいでしょう、いいでしょう! これにてすべては終わり! “私”は戻ります、ただ月を追うだけの私に――!」
ミレーヌであった“彼女”の叫びは、遠く遠く響き渡る――それこそ、逃げる月に届けというように。
† † †
Mylène――ミレーヌ。フランス語圏の女性の名前だ。月の女神マーニからあえて頭文字を取った、“彼女”の偽名である。
それが「慈悲深い」という意味を含む名であったことは、“彼女”も知らなかった皮肉だ。人に紛れ、内側から喰い破る。それこそ教会に身を寄せていた弱者を殺し、その混乱に乗じてリスポーンポイントの破壊や封印された力の奪取など、戦いの趨勢を大きく決める一手を打つことだってできただろう。
だが、その可能性はもうない――事前に潜伏していた彼女のミニシナリオも密かにクリアされたからこそ、慈悲深い“彼女”にそんな真似はもうできなかった。
† † †
慈悲深い“母”の名は――ハティ。
淡い月光を身に纏ったような白銀色の毛並みを持つ女性の人狼、イクスプロイット・エネミー“双獣王・影・陰:ハティ”は、本来あるべきバーラム大森林の東側、その定位置に着く。
レイドバトルのギミックであるからこそ、システムメッセージにも語られぬ密やかな参戦であった。
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23話あたりをきちんと確認しておると、味わいもまた格別かと思われます。
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