41話 三〇〇〇年の歳月に問いかける
† † †
――どうしてこうなったのか?
妖獣王白面金毛九尾の狐は考える。三〇〇〇年、総戦闘時間において二〇〇年を下らない妖獣王がこの状況に戸惑っていた。
(この歳になっても、初めてなことってあるんじゃなぁ……)
どこか頭の奥底、冷静な部分がそんな感動をする。未知とは歳月に関係ない、体験したことがあるか否かに三〇〇〇年の大妖怪も生まれたばかりの赤子も関係ないのである。
「――――」
大嶽丸の城、その一室。修復を終えた畳張りの部屋で、妖獣王は正座していた。それを前に、壬生黒百合はじっとこちらを見て、口を開こうとしては閉じるを繰り返している。
(気遣われておる、のじゃな……)
妖獣王は、呆然とそれを見る。自我を自覚したその瞬間から、強大な存在であった自分。憎まれたことはあった。怒りを抱かれたことも。殺意も、侮蔑も、嫌悪も……崇拝されたことも、あった。
「……っ……」
黒百合は、必死に言葉を探している。こんな自分を傷つけずに問おうとしてくれていた。
妖獣王にそんな経験があれば、ここでなにか助け舟を出してあげられたかもしれない。だが、黒と白、陰と陽しかなかった三〇〇〇年にそんな経験はない。敵を気遣うなど、敵に気遣われるなど、灰色の混沌は彼女の生にはなかったから……ただ、待つことしかできなかった。
「……時々、夢を見るんだ」
どれだけ時間が経っただろう、ようやく黒百合が切り出した。この状況と、まったく関係のない話を。
「夢の中で、朝起きると。父さんと母さんが、見慣れたリビングにいて……」
それは他愛のない日常の夢で。だから、妖獣王は戸惑う。そんなありふれた日常を語る黒百合の瞳が、ひどく揺れるから。
「おはようって、父さんに挨拶されて……母さんが、朝食を作ってくれて……片付かないから、早く食べなさいって……小言を、笑いながら言われて……」
幸福な日常、それを語る黒百合が声を震わせる。だから、気づいてしまう。妖獣王は、黒百合がなぜ幸福な夢を語ったのか。
「その夢を、もっと見たい……そう思うんだ。でも、いつもそこで目を覚ます。こんなことありえない、夢なんだって……すぐに気づいてしまうから」
ああ……と妖獣王の口から、吐息が漏れる。自分を傷つけないように必死で考えた目の前の英雄は、だから選んだのだ――目の前の化け物が、ではなく。自分が傷つくことを。
「お前とだって、そうだ。これが夢みたいなものだって、わかってる……それでも……」
黒百合の脳裏に、蘇る叫びがある。ひとりの少女の本気の叫びが、それを思い出させてくれたのだ。
『ワタシと、同じ想いを! メリーにさせるもんかああああああああああああああああ!!』
ゲームになにを、と笑っても良かったはずだ。ただのゲームにのめり込んで、昔の傷口を開いて、ただ勝手に傷ついて、癒やされたつもりになっただけ。仮想でなにが起きようと、現実になんの変わりがあるというのか?
「……あるんだよ……あるんだ、そう感じられるんだ……」
仮想を現実のように感じることも、現実を仮想のように感じることも、まったくの同位なのだ。
その本人がどう受け取るか、すべてはそれだけの話で。仮想だとか、現実だとか、そんなものは生まれた感情の前になんの意味もなく――。
「死にたくない、きっとそう思って死んでしまう者もいるんだよ、妖獣王」
だから、真っ直ぐに黒百合は妖獣王の黄金の瞳を見つめる。右目が金、左目が赤――その仮想の瞳に、現実の感情を乗せて。
「だから、生きているお前が……死にたいとか、言うなよ……」
震える妖獣王の手が、黒百合の頬に触れる。その両手が、そこに確かにいるのだと確かめるように撫でた。
「――すまぬ、すまぬなぁ」
ぼろぼろと、妖獣王の目から涙がこぼれる。彼女の覗き込む黒百合の頬に、熱い雫が落ちた。
「どうして、泣く?」
「……決まっておろう」
黒百合の頬を、妖獣王の涙が伝わる。その涙を親指で拭い、妖獣王は泣き笑いの顔で言った。
「おぬしが泣けぬから……せめて妾が泣きたいのじゃよ」
† † †
「妾を含め、獣王と魔王は寿命では死ねぬ存在じゃ。加えて、同等の存在である妾たちは互いの命を奪うことも約条でできぬ」
黒百合を自分の膝に座らせた妖獣王は、そうぽつりぽつりと語り始めた。約条――エクシード・サーガ・オンラインというVRMMORPG上のルールがあるのだ。
「獣王と魔王を殺せるのは、例外を除いて《英雄》のみ。だから、妾たちは“影”を世に放ち、獣王と魔王を殺すことのできる《英雄》に力を託す」
「……それが、ブラックボックス?」
「うむ」
妖獣王の視線は、自身のブラックボックスの中身である“妖獣王の黒面”に注がれた。
「本来であれば、他の獣王や魔王を討つために託すべきものであったのだが……妾はな、思ってしまったのじゃ」
他の獣王や魔王を討てるなら、自分を殺せるのではないか――などと。
「大嶽丸に聞いておらぬか? 妾は呪術を得意とする、と」
「……ん、酒呑童子も呪術を使うって」
「酒呑のことを……?」
妖獣王は、小さく目を丸くする。その驚きに、黒百合は妖獣王を見上げた。妖獣王はそんな黒百合に、小さく首を左右に振った。
アレのことは、妾に語る資格はない……そう告げるように。
「ま、結果として妾は自身のブラックボックスに情念を注ぎ込み過ぎてしまった訳じゃな。その結果が、呪いとなった……まさか、呪詛と明記したのに呪いを解く前に使い始めるとは、思わなかったのじゃが……」
「緊急処置」
「そうじゃな……あのエレインという友のため、じゃったな」
本当に、と呆れを込めて妖獣王は、黒百合を撫でる。だが、黒百合の半眼は収まらなかった。
「確かにその感情が、呪いを解除するためには殺すというのに繋がるのはわかる。でも、愛するはどこから来た?」
「そっ……それは、じゃなぁ……っ」
びくん! と九本の尾を逆立て、妖獣王は視線を逸らす。しどろもどろ、この世界で最強の一角が言いにくそうに答えた。
「こ、こう、考えるじゃろ? 妾を殺す《英雄》は、どんな者なのじゃろうか……と。どんな瞳で妾を見て、どんな感情を抱いて、どんな言葉を……どんな声でかけてくるのか……そ、そう思ってな? ずっと思っておったら……ほら……の?」
殺されたいという感情に、愛されたいという感情が混じった――その結果が、アレだ。三〇〇〇年という情念が生み出した強制殺人許可証兼強制結婚届(片方はサインと血判済み)と言う訳である。
「――反省」
「う……はい……」
しょぼん、と九本の尾をぺたんとさせながら妖獣王は項垂れる。そんな妖獣王の自分を後ろから抱きしめる手を取って、黒百合は囁いた。
「うん、許す」
その囁きに、妖獣王の身体が強張ったのを黒百合は感じる。妖獣王の膝から立ち上がり、黒百合は改めて彼女と向き合った。
「殺すとか……愛するとか、急に言われても困る。だから、まだ呪いはこのままでもいい」
「…………」
「どっちを選ぶにせよ、第三の選択肢を見つけるにせよ――ん、気にしないで、妖獣王。後は、こっちの問題」
薄っすらと笑みを浮かべ、黒百合は言ってのけた。
「だから、ここから始めよう。妖獣王」
その言葉に、妖獣王は唇を震わせる。ストン、とまるで胸の奥になにかが落ちるかのような感覚……三〇〇〇年生きて、生まれて初めて知った感情。
(あぁ……そうなのじゃな、これが――)
それは《英雄》への焦がれではなく、目の前にいる壬生黒百合という個人への強い感情だった。
「――好きっ」
「反省が足りない」
「ああんっ!?」
思わず素直に言ってしまった妖獣王の顔面を、黒百合はアイアンクローで掴んでお仕置きした。
† † †
胡蝶の夢というものがあります。
蝶の夢を見て自分は蝶だと言い切り。
人の夢を見て自分は人だと言い張れる。
それがきっと、ゲーマーという生き物なのでしょう。
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