140話 積層魔界領域パンデモニウム16
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満月だけが見下ろす塔の上、ジークはひとりの少女と向き合っていた。
「えー……あー……」
なんと言えば良いのだろう? 自分を潤んだ瞳でじっと見上げてくる一〇代前半の年上の少女にジークは戸惑っていた。
《ほれ、なにか言ってやらんかい》
《沈黙してると攻略できませんよー》
(あ、いや、その――)
十六夜鬼姫とサイネリアのシステムメッセージからのアドバイスに、ジークは固まる。完全に空気に飲まれている――仕方がないだろう、外見は二十歳前後でも中身は小学生なのだ。VR美少女攻略シミュレーションとはいえ、こういう状況にまったく慣れていないのだ。
『今夜は、どうして来てくださったんですか?』
「あ? いや、そりゃあ、呼び出されたからで――」
『ええ、ええ。まさか恋文四八枚もかかると思いませんでした……』
見上げてくる瞳が、確かに輝きを失って淀んだ気がした。ひい、とジークは悲鳴を飲み込む。笑顔が怖い、マジで怖い。人間とは正気でここまで狂って良いのだろうか? ドブ川の底のような瞳で少女が微笑む。
『どうしてですか? どうしてそんなに時間がかかったのでしょう? 不思議です。毎日毎日、毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日、丹精を込めて書いては送るを繰り返したのに――』
(いやぁ! だって読めないんだもん! 書き込み量多すぎて解読に時間かかるっておかしくね!?)
『――でも、いいんですよ? こうして来てくださった。それだけでミリア幸せですっ』
「あ、うん……そりゃあ、よか……った……ね?」
少女が不意に華やかに笑った。コロコロと表情が変わる――こっちは感情の振り幅についていけない。それよりもさっきから総毛立つ生命の危険の方が、怖いのですが!?
《……なにか気の利いたこと言わんと、ループにはいるぞ?》
《悪役令嬢一ニ魔将のひとり、ミリアちゃんは自分の世界にどっぷり浸かるヤンデレさんなので。間が空けば空くほどドツボに嵌っちゃいますよー?》
(気の利いた、こ、と……?)
■あ、これ駄目だ
■だから主人公八部衆エリーちゃんからにしろと……あの子、初心者向けだから
■ミリアちゃんからはちょっと厳しいよ、初心者には……
「え? ちょっと、怖いんだけど。どうなってんの――」
■あっ
■それ、ミリアの地雷ワード――
《あー……ご愁傷様です》
《骨は拾ってやるぞ、うん》
コメントとシステムメッセージの不吉なお通夜モードに、ジークが言葉を失ったその時だ。
「……え?」
ガクリ、と膝からジークが崩れ落ちる。そこには、深淵の泥のような瞳をしたミリアが血に塗れた包丁を持って立っていた。
『――あなたも、ミリアを怖がるの? そんなことしない人って思ったのに』
「え? 持って、なかった、じゃん……うそん……」
『ねぇ、ミリアのどこが怖いの? 怖いの、怖いの、怖い? 怖い? 怖い怖い怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖怖がらないで……』
† † †
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!」
† † †
バガっと起き上がったジークは、脂汗を流しながら起き上がった。ガチガチガチ、と歯の根が合わない。今まで遊んできたゲームは勝負の結果が、生死の駆け引きだった。しかし、ここまで純粋に無力な状況で一方的に殺される経験は初めてだったのだ。
そりゃあ怖い。ロールプレイもクソもなく半泣きで体育座りしてしまったジークを見て、鬼姫は哀れみの視線を向けた。
「……だから、止めておけとあれほど……」
「いえ、そう言ったら反発しちゃうってわかってやってませんでした?」
■……これ、ジークん。マジで中身が小学生説あるな、スイートモードだったし
■スイートモード?
VR美少女攻略ゲーム『リーンカーネーションのその先で~攻略対象に転生したオレが主人公や悪役令嬢を口説き落とせないと世界が滅ぶって本当ですか?~』――略してリン先は、四つのモードが存在する。
■一番表現が優しいスイートモードから始まって、マイルドモード、ビターモード、最悪のブラックモードがあってな。あれ、スイートモードだったわ……
■アレで……アレで!?
■リン先が、アルゲバス・ゲームス三大クソゲーに数えられる由縁だからな……
アルゲバス・ゲームスが商業化した初期、いろいろな分野に手を出したことがあった。その試みのひとつが、このリン先である。
主人公は乙女ゲーム『リーンカーネーションのその先で』の攻略対象に転生してしまい、その世界に登場する女性主人公や悪役令嬢たちを口説かなくてはなぜか世界が滅ぶという状況に放り込まれてしまう。そのため、何度も同じ期間を転生――周回を繰り返して、ヒロインたちを攻略するのがゲーム目的だ。
源平退魔伝やスカーレッド・オーシャンがトロフィーコンプが困難で、難易度が高いと言われてもクリアそのものは可能であった。しかし、リン先は違う――まず、クリアできたものが極々一部に留まったのは、攻略難易度がバカ高くなった理由は明白だ。
主人公は乙女ゲームの攻略対象――この一点である。ようはプレイヤーは乙女ゲームのイケメンが言うような、歯が浮くセリフを強要されるゲームであったのである。
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“白狼”『兄貴、今四階に行きたくなったんだけど――』
“黒狼”『冗談じゃねぇ!? もうトロフィーコンプしたから二度とやんないって封印したんだからな、アレ!』
“金兎”『大丈夫? ロールプレイ、完全に忘れてるよ……?』
“銀魔”『……よっぽどトラウマなんでしょうか……?』
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――実は、クソゲーになったのにも確かな理由があった。
リン先そのものは設定や作り込み、VRのビジュアルなどまさに約束された神ゲーになる要素に満ちていた。そっちの評価は異常に高く、アルゲバス・ゲームスを知らない女性層にも伝説のクソゲーとして知られている。
問題はテストプレイ時にあった。このリン先のテストプレイ時、攻略される側の反応を受け持ったのは他でもない安西Pだったのがそもそもの間違いで。
美少女攻略シミュレーションの経験値の薄いプロプレイヤー揃いのテストプレイヤーたちの心を、それはもうバキンバキンにへし折ったのである――必死に考えたクサいセリフに腹を抱えて爆笑され続けたら、当然の話だ。
『……これ以上、このゲームのテストプレイをやるなら自分、もう辞めるっす』
真顔で某テストプレイヤーGが言い出したのを皮切りに、テストプレイヤーチームが一致団結。満場一致でテストプレイが終わってしまい――その結果、いかに安西Pの腹筋を破壊するセリフか、が好感度上昇のカギとなってしまったのである。
かくして、リン先はネタ系ゲーム配信者に愛されるクソゲーとしてゲーム誌にその名を刻まれることとなった。加えて、ソロプレイではトロフィーコンプができず、システムメッセージでの協力プレイが必須であったため、ほんの一年半前に新たなトロフィーコンプ者が生まれるまでの数年間、誰もトロフィーコンプしていなかったという魔女の鍋の底のような有様だったという。
なお、アルゲバス・ゲームスではなにかのイベントごとにゲーム大会が開かれ、罰ゲームとして社員たちの前でリン先プレイを行なうという伝統がある。そのためテストプレイヤーチームは世界大会以上の気合で調整を行ない、その結果として世界一位後藤礼二でさえ、二〇回に一回罰ゲームに放り込まれる魔境と化している。
最新のゲーム大会はエクシード・サーガ・オンライン正式サービス日で、ゲストとして全米一位であるヴィクトリア・マッケンジーが急遽参戦。決勝戦で紙一重で後藤礼二を撃破、安西Pとヴィクトリアが一緒になって爆笑する姿が見られたという……。
† † †
「ぶは! ぶはははははははははははははははははははははははははははは!!」
「……この人、本当に悪魔か」
「VRMMORPGやってたらVR美少女攻略シミュレーションやらされるってなんなんだよ……」
「ここまでやって、パイモンが撤退して終わりって地獄ッスよね……」
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まさに、そこには阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられていた。
■おい! どっかの騎士様がミリアを素でクリアしたぞ!?
■「無抵抗に刺された上で生き延びる」だよな? 確か、あの条件……すっげ
■『キミはなにも悪くないよ、レディ……』とか刺されて言えるか? 普通!?
■どうでもいいけど、モナこのゲーム上手くね?
■切り抜き見ればわかるが、この世に二桁しかいないトロフィーコンプ達成者やで? モナ
「ぐすっ……もうやだ……恋愛ってなにさ……」
「おお、よしよし。怖かったな、もっと簡単なのから慣れような、ん?」
■ちょっと鬼姫様、子供をそっちに誘惑しない!
■熱湯かと思ったらマグマに突き落とすようなもんやぞ……>初心者にリン先
■ああ……もう無茶苦茶だよ……
少なくともリン先ヒロイン全員攻略までの五時間、そこへの英雄たちの足止めに成功したという意味ではパイモンこそ魔神側のMVPであった。
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以前、ボーナストラックで白百合ちゃんが言っていたセリフは、このゲームをプレイした時の九郎君のセリフだった、というものすごくどうでもいい伏線回収回でした。
なお、このクソゲーに関しても城ヶ崎さんとの馴れ初めに関係あったりするので、読み返すといいかもですね……。
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