16話 セント・アンジェリーナのボスウサギ(前)
「ああ、あんたあのウサギの嬢ちゃんの友達かい?」
最近、壬生黒百合はセント・アンジェリーナを歩いていると街の住人にそう言われるようになった。
「……エレイン?」
「いや、実は名前は知らないんだがな。ウチのガキが遊んでもらったって言うからよ」
セント・アンジェリーナの聖女像の広場。その露天商の店主である初老の男は、そういうと両手を頭の上で耳のように動かした。初老の男がやっても可愛くはないが、子供が家でそうやって話しているらしい。
「なんでも、ボスってガキどもに呼ばせてるらしくてな。なんで、この街の大人はあの嬢ちゃんのことをボスウサギって呼んでる」
「……悪意はないと思う」
「わかってるわかってる、ガキ大将みたいなもんだろ」
からからと軽く笑って流してくれる、懐の大きい大人たちで良かったと黒百合は思う。黒百合はこっそりと安堵の息をこぼしながら、店主に一礼してから歩き出す。
そして、歩きながら問題のボスウサギことエレイン・ロセッティに秘匿回線を開いてみた。
“黒狼”:『――申し開き、ある?』
“金兎”:『みんなと遊んでるだけだもん! だけだもん!』
“銀魔”:『エレちゃん、たくさん子供関係のミニシナリオ受けたらしくって……』
“白狼”:『あー、あたしもさっき教会の神官さんに感謝されたよ。ウサギさんにお世話になってるって』
“金兎”:『ワタシが一番年上だからボスなの!』
“黒狼”:『……そっか。危ないことはさせないだろうけど。遅くなる前にはちゃんと帰らせる。いい?』
“金兎”:『はーい!』
“銀魔”:『シロちゃん、シロちゃん。時々、クロちゃんお母さんにならない?』
“白狼”:『……っ、面倒見はいいから』
サクっと更に裏で飛んできたディアナ・フォーチュンの言葉に、白百合こと坂野真百合は吹き出しそうになったのを間一髪で耐えた。本人が聞けば、多分目の光が消えていたことだろう。
“銀魔”:『ちょうど良かったです。クロちゃん、今日はこの後大丈夫ですか?』
“金兎”:『ダンジョン見つかったから行くぞ―!』
“黒狼”:『ん、わかった。シロは?』
“白狼”:『ポーション買い足したら合流するつもり』
“黒狼”:『なら、近くにいる。シロと合流してから向かう』
“銀魔”:『なら、東門で待って――ブツッ』
ん? と黒百合が途中でディアナの秘匿回線が途切れたことに小さく目を見張る。途切れ方が、明らかにおかしかった――試しに、ディアナに秘匿回線を送り直そうとした。
“機能”:『――現在、ミニシナリオを行なっております。秘匿回線は使用できません』
「これ……」
なにかがあったのは、間違いない。走り出した黒百合が白百合とエレインに秘匿回線を送ろうとした、その時だ。
“白狼”:『ディアナさんに繋がらないんだけど!? ミニシナリオやってるって!』
“黒狼”:『こっちも確認した。エレイン、聞こえる?』
“金兎”:『東門に向かってるー!』
“黒狼”:『ん、助かる。ディアナを見つけたら、話しかける前に場所を教えて。話しかけたらエレインもミニシナリオに関わることになるかも』
“金兎”:『わかったー!』
“黒狼”:『シロ』
“白狼”:『あたしも急ぐ?』
“黒狼”:『逆、消耗品をきちんと補充して。秘匿回線が使用できなくなるミニシナリオだと、戦闘になりかねない』
“白狼”:『戦闘!? 街中で!?』
白百合の驚きも理解できる。黒百合が確認した限り、基本的に街中にエネミーは出現しない。更に言い加えるなら、エクシード・サーガ・オンラインにはPVPの要素は、双方が同意した決闘以外に存在しない。
ようはフレンドリーファイヤは存在せず、PKが生まれないようになっているのだ。一時期、「なんでもできる」を「なにやってもいい」と勘違いしたユーザーが続出し、VRMMORPG界隈でPK問題が噴出したことがあった。それだけにエクシード・サーガ・オンラインがシステム側から制限をかけたことを多くのゲーマーからは英断だと称賛の声を持って受け入れられていた。
“黒狼”:『会話の途中だったから、多分決闘はない。街中にエネミーも考えづらいから、きっとエネミーとの戦闘が発生するミニシナリオなんだと思う。こっちは先行するから追いかけて来て』
“白狼”:『わかった、クロも気をつけて』
白百合――『妹』はこちらが黒百合の口調を続けていた理由を察してくれたのだろう。クロと返してくれてよかった、と思いながら秘匿回線を開いたまま本気で走り出した。
† † †
エレインは、今のシロとの会話もクロは自分に聞かせたかったんだろうな、と勘づいていた。こういう時のクロは頼りになるから、自分は後は任せて走るだけでいいのが助かる。
「へへへ……」
最近、そんな時は胸の奥をくすぐられたようなこそばゆい感覚があって不思議な気分になる。それはエレインの中の人が知らない感覚だ。どことなく、お爺様へのそれと似てるけど、ちょっとだけ違う。不快じゃないけど、ソワソワしてしまうそんな曖昧な感触――。
「よっと、ごめんな!」
建物の角を壁を蹴って加速、エレインは人混みを飛び越えてショートカットする。きちんと頭を下げて謝ってから、エレインは先を急いだ。
(見えた、東門)
目的地が見えた、エレインがそう周囲を捜そうとしたその時だ。
「ぼすー!」
聞き覚えのある女の子の声がした。確か、メリーだ。ぶんぶんと手を振っているメリーの後ろに立って両手を振っているディアナを見つけて、エレインは急いで秘匿回線に叫んだ。
“金兎”:『東門にいたよ!』
“黒狼”:『――わかった、もうすぐ着く。シロ』
“白狼”:『こっちも買い終えて向かってる、先に行って!』
“黒狼”:『ん――見えた』
「ふえ?」
商店街にいたならもっとかかるはずじゃ、とエレインが思ったその時だ。近くの建物、その屋根から長い黒髪をなびかせて黒百合がエレインの横へ着地した。
「お待たせ」
「……屋根の上、走ってきたの? ずっこくない?」
「街の屋根を走り回るのは、レッオーでは海賊の嗜み」
アルゲバル・ゲームスのインディーズ時代の代表作のひとつ、スカーレッドオーシャンでは街や砦で略奪を行なう時は壁を昇り屋根を駆けるパルクール技能は必須だったのだ。さすがアルゲバル・ゲームス、パルクール要素はきちんと残してあった。
「急ごう、エレイン」
「むっ、かけっこなら負けないぞ!」
ぽん、と背中を軽く叩いて抜いていく黒百合に、エレインはその背中を追いかけた。
† † †
「ぼ~す~! パパが、パパが~!」
エレインに抱きついて泣きじゃくるメリーの言葉は要領を得ない。エレインはそれをギュっと抱きとめて、黒百合とディアナを見た。
「私が東門についたら、この子が泣いてて……私がエレちゃんの友達って気づいたみたいで――」
「ん、こっちもミニシナリオに入った。ちょっと門の衛兵に話を聞いてくる」
こっちはお願い、と黒百合はエレインとディアナに告げて人通りの多い門へと駆けていく。メリーを落ち着かせようとエレインはその背中を撫でる。そうしていると、すぐに秘匿回線が繋がった。
“黒狼”:『ん、同じミニシナリオ同士だと繋がる。衛兵から話が聞けた。その子がお父さんと乗っていた馬車が犬型エネミーの群れに襲われたみたい。それで、その子と一部の乗客がなんとか街まで逃げ込めたんだって』
“銀魔”:『え、それって……この子のお父さんが危ないってこと!?』
“黒狼”:『そうなる。場所は聞いたから、急いで向かう。多分、このミニシナリオは時間勝負』
時間勝負、その意味をディアナは――エレインは正確に理解した。だから、一秒の迷いもなくエレインは言う。
「……メリー、お父さんは助けてやる」
「ぼす、ほんと!?」
「うん、本当で、絶対だ」
エレインが立ち上がる。ディアナが口を開くよりも先に、黒百合からの秘匿回線が届いた。
“黒狼”:『エレインは任せて。わたしが一緒に行く。ディアナはここでシロを待って、合流して』
“銀魔”:『で、でも……』
“黒狼”:『待っている間にも、ディアナにはやってみてほしいことがある』
エレインは既に、ツインテールを揺らして走り出していた。その横に並んだ黒百合は、一瞬だけディアナを見る。
いつも通りの無表情だ、でもその瞳に初めて見る光があった。その光の意味までは、ディアナにはなにかわからない。
ただ、真剣に秘匿回線で黒百合はディアナに『やってほしいこと』を伝えた。
パルクール要素はオープンワールドととっても相性が良いのです。
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