閑話 勇者の休日2
※誤字報告、いつもありがとうございます!
† † †
拍手と歓声が、遠くに聞こえる。やがてなにやら派手な爆発音とBGM、どうやらライブが始まったらしい――ジークは頬杖をつきながら、他人事のように思った。
「お待たせしました、こちらアイスコーヒーとオレンジジュースとなります」
迷宮の一層に即席で設けられたオープンカフェ。そこでなにが悲しくて男ふたり、ジークとクロトスが仏頂面で向かい合って座っていた。
「……わざわざ本当に奢ってくれなくても良くないか?」
「そういう勘が働く連中でな。既成事実は作っておかんと面倒なんだ」
すまないが、と言い捨てるクロトスに、ジークは無言でオレンジジュースを手に取った。ライブの光景は、オープンカフェの大型モニターでも確認できる――これ、会場で観る意味あるのか? とジークには不思議でならない。
「そんなに嫌なら、来なければ良かったろうに」
「……ネー、あれに借りがあってな」
モニターでライブのオープニングに歌うディアナ・フォーチュンの姿がある。そのマイク代わりの短杖に顔をしかめ、クロトスは続けた。
「俺のせいであいつが怪我をしてな。とりあえず、動けるようになったからライブを観たいなどと言われて……そのお守りを押し付けられたんだ」
「そいつはご愁傷さま」
「……二度と、不覚は取らん」
ディアナが歌い終わり、ステージにMCが姿を見せる。それに、ジークが顔をしかめた。
『今日はみんな集まってもらって感謝する。MCの司会進行担当は私、壬生黒百合と――』
『みくずめじゃぞー!』
『それとあたし、えすでぇモナルダだ!』
遺跡の歌劇場、そのステージを映すモニター。そこに現れたニ体のSDを頭に載せた見知ってしまった顔に変化したジークの表情に、クロトスが小さく呟いた。
「そんなに嫌いか? アレが」
「……好きじゃないね」
遠回しに肯定するジークに、クロトスは「そうか」と短く答えるだけだ。見るでなく見る、流し見しながらジークは吐き捨てる。
「できすぎなんだよ。ゲームも上手くて、歌も歌えて。その上、トークもできてみんなに好かれて……なんの苦労もなく、主人公でございって面で我が物顔で歩かれりゃあ目障りにもなるさ」
あのバーチャルアイドルを見ていると惨めになるのだ。どうしてあいつはああで、自分はそうなれないのか? それこそ物語の英雄譚のように、どんな苦境だろうと強敵だろうと涼しい顔で勝利して乗り越えていくのだ――。
「なんの苦労もなく、か」
「はん、苦労してるとでも言うのかよ」
「当然だろう」
アイスコーヒーのグラスを傾け、クロトスはそう呟く。それにジークはあからさまに顔をしかめる――だから、このゲームのNPCは嫌いなのだ。人の言うことに頷いてだけいりゃあいいのに、気分の悪い。
「簡単な話だ、英雄譚では『苦労した』という一言さえも使われて表現されない。それだけの話だ」
「……はいはい。あいつはすごい努力をして、オレの努力が足りないって話な」
「まさか。お前も努力しているのだろうさ、きっとあいつよりもな」
は? とジークは顔をしかめる。なに言ってんだ? こいつ――表情がそう語っていた。
「あいつのアレは、大部分が才能と周囲の環境の産物だ。間違いなく、お前よりも恵まれている」
「……ずるい話だな、それ」
「そうだな」
クロトスはジークの物言いに、モニターで見る。白い狼耳の少女が歌う姿に目を細めながら、言葉を続けた。
「だが、それが人類の知恵だ。蛇口を開けば、水が出る。誰もがその恩恵を得ているが、その理屈を知る者がどれだけいる? 努力しなくても得られる恩恵など、この世には山程あるんだ」
「…………あ?」
「そもそもが蛇口の構造を一から発明するのに一〇年かかったなら、別の誰かが〇から発明するのにはやはり一〇年かかるだろう。そんなことを繰り返してみろ、人類の文明は蛇口で停滞して先になど進めるものかよ」
だが、そうはなっていない。それは人類がその蛇口の構造を発明した誰かの一〇年を受け継ぎ、利用して恩恵を受けているからだ。誰かの努力と時間を踏み台にして、人類の文明は先へ先へと続いていく――それを悪と断じてしまえば、人類の文明とは悪行の上に建てられた万魔殿だ。
「おそらく、お前がやっていることがそれだ。他人の道をなぞろうとしている。それでは、先に始めた方が有利で当然だ。時間と経験という貯蓄があるのだから」
「――――」
「他人の努力を踏み台にしろ。コツを掴むために一〇年かかった? 知ったことか。なら、そのコツを奪って一瞬で終えて、こう言ってしまえばいい」
クロトスはジークを見る。その視線に感情はなく、ただ戸惑うジークの姿だけが映っていた。
「『オレのための一〇年の努力、ご苦労』――とな。それでいいんだ、努力などというものは。お前は少し、真面目がすぎる」
† † †
ジーク――絹川勝利のゲーマーとしての原風景は、現VR格闘ゲーム世界一の後藤礼二だ。
たまたまTVで見た特番、VR格闘ゲーム世界大会決勝。後藤礼二VSヴィクトリア・マッケンジーの伝説の試合だ。なにをやっているかなど、理解さえできない攻防――今でさえ、その半分も理解できるかわからない。曰く、『1フレーム単位の大接戦』を後藤礼二が制したのを見た瞬間、わけもわからず胸が熱くなった。
それこそ、まるで大作映画のエンディングを見るようなサクセスストーリー。降り注ぐ拍手喝采、それを照れくさそうな笑顔で受け取った世界一の姿に思ったのだ――ああ、この人は主人公なのだ、と。
勝利の世界において、彼はまごうことなき主人公だった。運動でも勉強でも、クラスどころか学年でもいつも一番だった。今は亡き祖父がつけてくれた「勝てる男になれ」という勝利という名に恥じない、万能の主人公――それが自分だった。
だが、勝利は知ってしまった。憧れてしまった。自分よりも広い世界の物語に。主人公に――それが、間違いだった。
急激に広がってしまった世界に、彼はついていけなくなってしまった。本来なら徐々に広がって知るはずだった世界の広さを、勝利は急いで広げすぎたのだ。ああなりたい、あまりにも眩しい憧れがあったから――追いかけてしまったから。
『勝利、お前は勝てる男になれ』
物心つくかつかないかの頃、まだ生きていた祖父は勝利にそう笑っていった。その手は枯れ木のように細くて硬かったけれど、撫でてくれる手はすごく優しくて勝利はそれが好きだった。
『なにがあろうと、最後に笑っている――それが本当の勝者ってもんだ。だから、笑え! 笑って、笑って、笑い尽くせ! お前は、そんな男になれ』
幼い勝利には、その意味がわからなかった。それを表情で察したのだろう祖父は、楽しげに言ったものだった。
『意味なんざ、今はわからなくたっていい。それでも覚えておけ。生きて、生き抜いて、いつかわかりゃあ上等よ』
そう言った祖父は、どこまでも笑顔だった。
† † †
「――はっ」
ジークが笑う。息を吐く形で、引きつった口角を持ち上げる。みっともない笑顔だ――今は、まだ。
「ずりぃな、それ。追いつける訳ないじゃん」
「だろう? だから、お前もそうすればいい」
相手がズルをしてるのに、自分だけまともに努力するなんて馬鹿らしい――ああ、まったくだ。その通り過ぎて、欠伸が出る正論だった。
英雄とは、眩しい姿というのはそういうものなのだ。彼らは正しい、そう思ってしまう。より詳しくは、せめて英雄ぐらいは正しい存在であってほしい――そんな切なる願いを見上げる者は抱いてしまう。
だが、そうでないのなら――英雄の高みが、その他大勢を踏み台にした上にあるのなら、凡人がどれだけ努力を積み重ねようとそれだけで届くはずがないのだ。
「だって、そうだろう? それがお前たち英雄の力だ」
「……英雄の力?」
「ああ、過去の英雄を踏み台にしてさらなる先へ。だから、言うのだろう? “越えていく英雄譚”と」
……なんだこのNPC、とジークは思う。
これが物語なら、タイトルに繋がるセリフなど後半――佳境に言わないと盛り上がらないではないか。それとも――。
「……ああ、そうか」
盛り上げに使うのなら、最序盤。物語の始まりである、第一話に使うのだ。
「なんだ、始まってさえいなかったのか。オレの英雄譚は……」
ぼんやりとした、間の抜けた呟き。その顔に仏頂面のクロトスが、本当に一瞬だけ薄く微笑んだ。
† † †
どんな領域、どんな世界、どんな分野だってずるさで成り立っているのです、まる。
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