113話 遠距離弓射一〇〇〇〇 3
† † †
ガシャン、という物音がした瞬間、すでにネビロスは眼前に鏃が迫っていたことに気づいた。だから、出現と同時にネビロスは右手を準備していた――ガキン! と額を撃ち抜かんとした矢を受け止めていた。
『おっかないなぁ、レライエ』
『――なにをしに来た? 駄犬』
積層遺跡の第三層、その天井に張り巡らされた梁に腰を下ろした背中は振り返らない。背の高い、細身の男だ。緑色を基調とした簡素な狩人の服を着たレライエは、面白くもなさそうに答えた。
『いやいや、頭を射抜こうとしたヤツの言い草かい? それ』
『どうせ空っぽの頭だ。射抜かれてもなにも困らないだろうに』
『ひどい言い草だなぁ』
レライエの言い様に、ネビロスは否定もせずに本題に入った。
『どうだい? 少しは楽しんでるかい?』
『つまらんよ、ただの作業の毎日だ』
『そっか。なら、まだ来てないんだね』
ネビロスの含みを持った言い回しに、ようやくレライエが振り返った。精気のなかった双眸に、わずかにチラリと意志の光が宿る。
『……どういう意味だ?』
『んー、教えてあげよっかなぁ。でもなぁ、どうしよっか――』
な、と言った瞬間、レライエの矢がネビロスの胸部装甲に浅く刺さった。いつ矢を放ったのか、ネビロスには一応見えていたが――さすがに足場が悪すぎて対応が遅れたのだ。
『あっぶ、あっぶな!? 届くところだったよ、レライエ!?』
『そうか。残念だ。で?』
『うっわー、一ミクロンも冗談の通じないセメント対お――わかったわかった、言うよ言うよ』
生真面目な魔神レライエの堪忍袋の尾は短い、それをわかった上でからかったのだからネビロスの自業自得だったが。改めて、これ以上射られては敵わないとネビロスが口を開いた。
『キミに弓で挑む英雄が出るよ。しかも可愛いバーチャルアイドルの女の子! どうだい? 嬉しい?』
『――ああ、もちろん。最高だとも』
ネビロスの言葉に、レライエが真顔で答える。『あ、これ後半聞いてないヤツだ』とネビロスは思ったけれど、指摘はしなかった。
『誰でもいい。老若男女、誰でも。この俺に? 弓で挑む? ついに出たか、良しだ。ここでクソくだらない的を射続けた甲斐があるというものだ』
レライエの呟きは、もはやネビロスへ向けられていない。自分自身に言い聞かせるように熱く――そして、不意に吹き抜けの下の方で破壊音が反響した。今のネビロスとのやり取りの間に抜けようとしたPCを視線も送らず射殺したのだ。
『あのー、レライエ? その朗報を届けてくれた私へのお礼は?』
『報告ご苦労』
『うわーい、って違うよね! 超上から目線だよね、それ!?』
『いつまでいる? とっとと失せろ、こっちは忙しい』
『ねぇ、ねぇ、会話のキャッチボールって知ってる!?』
野球のボールを投げたら、ボウリングのボールを叩きつけられている気分だ。それがレライエというデーモンだとわかっていても、ネビロスとは納得いかないものがある。
『これだから、いつもひとりで弓を射続けるボッ――わひゃい!? だからさぁ、この足場だと躱せないんですけどぉ!?』
『やかましい、狩り場で騒ぐな。常識を知らんのか』
『同僚に矢を射掛けるヤツが常識って片腹いた――うひゃい!?』
† † †
積層遺跡都市ラーウムの大広場、その中心にある門の前に有志一同が集まっていた。
「マジで白百合殿、アレに挑むつもりなのでござるか?」
「ゲーマーの意地ってやつだろ? ここにいるヤツで理解してないヤツはいないさ」
サイゾウの疑問に、アーロンは当然のことのように答える。ゲームなど、ともすればそういう身勝手なものである。
いつでも諦めていい、いつでも辞めていい。生命などかかっていない、ただの遊び――だからこそ、挑む価値があるのだ。
「自分の“好き”に本気になれないヤツが、人生のなにに本気になれるってんだよ。なぁ」
「だなぁ」
堤又左衛門こと又左が笑う。そういう意味では、バーチャルアイドルであの壬生黒百合以外に、ここまで気骨がある子がいるとは又左も思っていなかった。
「――うん、お待たせ」
そこへ天之波士弓を背負った壬生白百合が姿を現した。弓以外にも普段とは装備が一部違う、その右手は巨大な武者鎧風の手甲に覆われている。
その指を開いたり閉じたりと動作を馴染ませながら、白百合と黒百合は向かい合った。
「後はよろしく」
「任された」
あまりにも短いやり取り。だが、それで充分だった。
門の前に立って、深呼吸する白百合。それに振り返らず、黒百合は有志一同――ディアナ・フォーチュン、サイゾウ、アーロン、又左、カラドック、モナルダ、サイネリアの第二陣へ告げる。
「転移のタイムラグを計算して、シロが転移して五七秒後に私たちは追いかける。相手はイクスプロイット・エネミー、シロの挑戦が成功してもどうやっても倒せはしない。だから、それを繋ぐのが私たちの役目だから――」
その瞬間、白百合の強い決意の声が響いた。
「――行きます!」
† † †
イクスプロイット・エネミーレライエのその射撃能力の源泉は、その鋭い感覚にある。
遠くまで見通す視力。
獲物の音を聞き逃さない聴力。
わずかな振動や風の動きを察知する触覚。
そして、二〇〇〇年を優に超える経験が生み出す第六感。
(――来たか)
もしも事前に知らず、作業に徹していれば察知に遅れていただろう。だが、レライエはネビロスから自分に挑戦しようとする英雄がいると聞いて、あらゆる感覚を研ぎすませていた。
(姿を消して、音も殺したな)
いい工夫だ、とレライエは評価する。弓とは、決してただ射るだけではない。射るために適した場所、適した好機、それをどれだけ素早く確実に得られるか? 最初のポジションが圧倒的不利なのだ、そのぐらいの工夫は当然だ。
(振動だけがする。姿は見えないが、確かに螺旋階段を下っている“誰か”がいる。走り方が特徴的過ぎる、すでに弓を左手に持っているな。背は一四〇程度、重さは装備を込みで五〇をいくらか超えた――右手だけバランスが悪い、弓の飛距離を確保するための補助具かなにかと見るべきか)
ただ、梁にまで伝わる微細な振動でそれをレライエは読み取る。それは人外、悪魔だから可能な特殊な補足方法であり、一〇〇〇メートルの距離を当てられる要因のひとつだ。
『――言っておきますけど、これは気休めですわ。レライエの精密射撃は、視力によるものだけではありませんから』
アーツ《インビジブル》とアーツ《サイレス》を事前に用いて、白百合は螺旋階段を下っていく。姿を消し、音を殺す――通常であれば、これで充分対策になるはずだ。
だが、足りないとエリザは断言した。ならば、いくつかクリアしなければ問題がある。
(さぁ、思う存分やろうか)
(ああ、来い。狩人よ)
白百合とレライエは、認めているからこそ敵対する。白百合はレライエの技量を、レライエはこちらを知ってなお挑む気概を、それぞれ評価していた。だからこそ、獲物だと思っていない。同じ狩り場に出くわした狩る側同士の邂逅、そう認識していた。
――同じ狩り場に、狩人はふたりもいらない。ならば、排除すべきなのだ。相手を認めるからこそ、それは絶対の帰結であった。
白百合からすれば、この戦いそのものに意味などない。徹頭徹尾。これは彼女のただの意地であり、ただの我儘だ――それでも、それを無くしてしまえば遊ぶ理由さえ喪失してしまう。
(……それだけは、嫌だ)
そうしたら、あの背中を見失ってしまう。一緒にいれる理由が、消えてしまう。その理由だけは、『妹』としてではない繋がりだから――絶対に、手放したくない。
だから、本気で遊ぶそのために白百合は今、レライエへと挑むのだ――。
† † †
本気で遊ぶ、『彼』の背中を見失わないように――そこだけは、譲れない。
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