111話 遠距離弓射一〇〇〇〇 1
† † †
「――無理だね」
壬生白百合の返答に、サイネリアは小さく息を飲む。
積層遺跡都市ラーウムの喫茶店。そこで第三層での例のSSを見せて、白百合の意見を聞こうとしたサイネリアはあっさりと出た結論に改めて確認する。
「白百合さんレベルでも、無理ですか?」
「んー、この場合弓の腕云々以前かな。立ち位置が悪すぎるんだよ」
サイネリアの勘違いを正すように、白百合は改めてSSを示しながら解説した。
「まず高所を取られてる。この時点で向こうの方が圧倒的に有利なの。エクシード・サーガ・オンライン――というか、大概の遠距離攻撃手段のあるゲームって風の影響は考慮されてないってわかるかな?」
「はい、その説明は受けました」
近距離専門のサイネリアも改めてその話を聞かされた。本来の銃弾による狙撃でさえ風の方向や湿度などに少なからず影響が出るものだが、そんなものを真面目に演算されては遠距離攻撃がまず当たらない――だから、敢えてオミットされている要素だ。
「だから遠距離攻撃同士の戦いは、いかに直線距離の射線に相手を入れるか、に終始するの……この勝負で、本当に厄介なのはこの梁なんだ」
網目状に天井に張られた梁、おそらくイクスプロイット・エネミーレライエはこの梁を足場に移動、高所の好きな位置から射ることができる――この時点で、圧倒的な不利が生じるのだ。
「ようはレライエ? ってデーモンは、下の吹き抜けを利用してどこからでもこっちを射られる環境が整ってる。なのに、こちらは自分のいる場所からしか射られない……ポジション取りの段階でもう負けてるから、敵に先手を譲るしかない時点でもうまともな勝負にならないね」
これで向こうの射手としての腕が悪いなら、まだなんとかなる。それこそ全速力で螺旋階段を下って抜けてしまってもいいはずだ。
「でも、この距離で正確にヘッドショットを決められる相手となるとあたしより腕は上かもしれない……なにか、からくりというかギミックはあると思うけど――」
白百合からすれば、もうこのクラスの相手と圧倒的ポジジョンの不利を承知で長距離戦に応じるなど自殺行為に他ならない。
「いっそ、クロとかに頼んで遠距離戦じゃなくて梁に強襲してもらって下にでも叩き落とす方がよっぽどマシかもだけど……」
「なるほど。貴重なご意見、ありがとうございます」
サイネリアからすれば、射撃戦闘において白百合以上の適任は思いつかない。その白百合が無理だと言うのなら、その手段は諦めるしかないだろう。
「でも、サイネリアさんがあたしに意見を求めてきた理由はわかるよ」
トントン、と白百合はSSを指先で叩く。そのSSは解像度を上げて、弓を構えるシルエットがかろうじて見える――顔も姿もわからないのに、なぜかその弓手の気持ちが手に取るようにわかった。
――つまらない作業だ、と落胆しているのが。
「ここまであからさまに挑発されたら、それは挑戦したくなるよね」
† † †
弓という武器は、エクシード・サーガ・オンラインでは遠距離物理攻撃として親しまれている。剣と魔法のファンタジーであるため、銃という概念はない――かろうじて、バリスタなどがあるくらいだ。
(ようは、アレよね。運営からの弓使いへの挑戦状よね、これ)
状況は圧倒的不利、敵は超絶技巧の弓手――さぁ、どうする?
キミはこの挑戦を受けてもいいし、受けなくてもいい。だが、受けないというのならばそれは弓使いにとって降参宣言に等しい。
(それも悔しいのよね……)
文字通り、せめて一矢報いたい。そう思うのだ。特に白百合にとって、遠距離攻撃は唯一“彼”と並ぶだけの手段だ、それだけは負けたくない。
だからこそ、白百合は今、セントアンジェリーナへと戻っていた。今のままでは勝てない、だからこそ勝つための手段が必要だから。
「夜刀さーん、いますー?」
夜刀の鍛冶場へと顔を出すと、そこには目的の相手と意外な顔があった。意外な人物――ゴスロリ服の上に白衣を着た高位吸血鬼が、口角を上げる。
「ふふ、やっぱり来ましたわね、シロ」
「エリザ、どうしたの? っていうか、ふたりとも知り合いだったっけ?」
「んにゃ、つい昨日あったばっかだよ」
待ち構えていたエリザに鍛冶場の主である夜刀も気楽に笑う――このふたりを引き合わせる共通の知人など、白百合にはひとりしか思いつかない。
「……クロの仕業?」
「さぁ、どうかしらねぇ?」
「黙ってろって言われたから、言えないねぇ」
人の悪い笑みを浮かべるエリザに、呵々大笑する夜刀。壬生黒百合、彼女の『姉』が関わっているのは火を見るより明らかだった。
「……クロめ」
黒百合に相談すれば、確かにいい方法を思いつくかもしれない――だが、それでは意味がないとこのことは相談せず、白百合はここに来たはずだ。つい昨日というと、レライエの情報を掴んですぐに、自分がここへ訪れることを読んでふたりを引き合わせておいたということになる。
(そんなわかりやすいつもり、なかったんだけどなぁ)
自分の頬を手で触れる。ふにふにと頬を摘んで、緩みそうになる口元をひねっておく。
「で? ご要望は弓の強化だろ?」
夜刀が、金槌を肩に背負うようにして言う。それにエリザはわざとらしく、口元に人差し指を当てて言った。
「なら、ワタクシは暇潰しに手を貸してあげましょうか。なにせ、子犬たちの世話くらいしかすることがないんですもの」
「あー……うん、お願い」
知識という面において、エリザは確かにとても頼もしい存在だ。凄腕の鍛冶屋とアドバイザー、このふたりが妖怪と吸血鬼であることを考えれば、奇妙な気分だ。
(ま、いっか)
せっかくどこかの誰かさんがお膳立てしてくれたのだ、有り難く利用させてもらおう。
「一応、事前に想定しておいた案があるんだけど――」
† † †
白百合の想定を聞いて、エリザは考え込んだ。
「弓同士の戦いでレライエとやり合う時点で、もう無謀ですけれど……」
「どんくらいの腕前なんだい? そのレライエってのは」
エリザは夜刀の質問に、記憶を掘り起こしながら答えた。
「そうですわね、ホツマでわかりやすく言うなら精密射撃が得意な鎮西八郎為朝ですわね」
「――化け物か、そいつ」
「ちなみに、その人? どのくらいすごいの?」
「あ? 弓で軍艦沈める、ホツマでも伝説の強弓だよ。為朝の使った矢が残ってんだが、鏃がでかすぎて槍にされてんだ」
「ま、あくまでホツマでわかりやすく、ですわよ。ただ、弓の精密射撃の精度は折り紙付き、“奥の手”の威力は軍艦を沈めてもおかしくないですわ」
エリザとしては無謀だから止めておけ、の一言ですませたいところだ。だが、不利を承知で挑もうというのなら……英雄相手に止めるのも無粋というものだ。
「やっぱり、あたしの案じゃ足りない?」
「そうですわね……別に一対一で倒したい訳ではないのでしょう?」
「うん、イクスプロイット・エネミー相手にそこまで思い上がるつもりはないよ」
それでも、一矢報いたい。一発でいいのだ、こちらの矢を“届かせ”なくては納得ができないのだ。
「一対一で、この圧倒的不利な状況であのレライエ相手に一発でも矢で当てる……それだって無茶ですけど――ええ、シロでしたら無理とまではいいませんわ」
エリザが微笑む。その笑みはとびっきりの“悪戯”を思いついた時の笑顔だった。
「シロの案に、後もう一枚か二枚、対抗策と“奥の手”を用意すればあるいは、万が一があるかもしれませんわ」
† † †
この世界での為朝さんは、弓でホツマ妖怪軍が乗った幽霊船を沈めた剛勇無双として名前が残っていたりします。
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