閑話 恋の地雷原4.5
† † †
「…………?」
坂野玲奈は自宅のリビングに顔を出すと、その奇妙なものを発見して言葉を失った。
「どうしたの?」
「ん? いやぁ」
珍しく歯切れの悪い息子、坂野九郎に玲奈は改めて見る。それはソファに腰掛けた九郎の膝の上に座ったエステル・ブランソンがコアラかナマケモノよろしくじっと抱きついていたのだ。
「……なぁ、エレイン。そろそろ――」
「むー!」
完全に語彙を失ったエステルが、九郎の胸に顔を埋めたままいやいやと首を左右に振る。玲奈の視線から見ると、随分と珍しい光景だ。普段は甘えるにしても遠慮があり、礼儀正しいエステルがここまで頑なになるとは。
ふと、その時にリビングへやって来た坂野真百合が玲奈の視線を受けて苦笑する。
「兄貴が今日、ゲームの中で女の人とデートしてそれでああなったの」
「ああ、そういう……なら仕方ないか」
「仕方ないんかい」
思わずツッコミを入れつつ、九郎がエステルの背中をポンポンと撫でる。傍から見てると娘にしがみつかれて困っている父親のような光景だが、エステルは娘でもなんでもない訳で――。
「デートを楽しんだ対価だと思えば?」
「……そっかぁ」
「否定しないのがあんたよねぇ」
真百合のまったくフォローしない言い様に、九郎もしみじみと応じる。言い訳が悪手だとわかっているのと同時に、言い訳自体が今日デートしたという相手に失礼になると思っているからだろう。そういうところは無駄に義理堅いのだ。
「……デートしたいなら、ワタシがしてあげたのに」
「ああ、そっか。ありがとな」
胸に顔を埋めたまま恨めしそうに言うエステルに、九郎もくすぐったそうに言い返すだけだ。単純に可愛いらしい焼きもちのようだ。玲奈に視線を向けられると、真百合は肩をすくめた。少なくとも娘はああいう真似はできないらしい。
「あんまり遅くならない内にお家に帰るようにねー」
「……ハイ」
語彙が帰還したエステルに玲奈はそう言い残し、リビングを後にした。
† † †
「あががががががが……!」
紫倉あずさは、自室のベッドの上でのたうち回っていた。若い頃から新体操で鍛えた手足はスラリと細く、止めてからなぜか育った胸は昔の彼女を知る者からはいっそアンバランスに見えたかもしれない。
顔立ちのパーツは、バーチャルアイドルとしてのモナルダに近い。より正確に言えばモナルダの方があずさに似ているのだが。髪だけは黒く、ショートカットであるため印象そのものは大きく違った。
『……まだのたうち回ってるの? 姉さん』
「やかましい、黙れぇ……ちくしょう……」
VR機器のヘッドセット越しに妹の紫倉きずなと顔出し通話しながら、あずさは枕に顔を埋めて足をばたばたさせていた。きずなの方も黒髪である、という以外はサイネリアと同じ造形だ。ふたりともオリンピック強化選手として名が知られていたからこそ、そのネームバリューを活用しようとしたからこそ、似せたのだが。
「なんで説教した側が、あんな質問攻めの羞恥プレイされなきゃいけないのよ……」
『こっちに合流せずに勝手にデートとかしたからじゃない?』
「アタシはぁ、役に立たないんだから、たまにはいいじゃんかぁ」
二〇歳になってまで身体中の穴という穴から血を吹き出し悶死しそうな黒歴史を作るとは思わなかった。興味本位でチラっと録画されていた映像を見てしまったのが悪いのかもしれない。
「誰よぉ、あれぇ」
『姉さんだけど?』
「あがががががががががががが……」
否定したくても、身に覚えのある映像ばかりで。自分のあんな表情、まさかゲームでも見れるとは思わなかった。
『芸の肥やしになるんだから、いいんじゃないの?』
「それはそれ、これはこれって言うでしょうが!?」
『都合よく使い分けできてないのに勢いでやるから、身悶えてるんでしょう?』
「うががががががががががが!」
止めて、その正論は今のアタシに効く。バタンバタン、とあずさは部屋着のショートパンツから伸びたスラリとした足がしばらく暴れさせ、やがてパタリと落ちた。
「くそぉ……殺せぇ……いっそ殺せぇ……」
『そんなこと言ってると黒百合さんも困っちゃうでしょう? 帰ってきなさい』
「ぐっ、う~」
顔を埋めていた枕を抱きしめ、あずさは上半身を起こす。こうやってしがみつくものがあると妙に落ち着く……こほん、と改めて咳払いしてあずさは口を開いた。
「そう言えば、積層遺跡の第三層でイクスプロイット・エネミーが発見されたんだって?」
『あ、大丈夫? きちんと話せる?』
「話を引き戻すな! 色々と強引に忘れようとしてるんだから!」
からかってくるきずなに、あずさは必死に話を引き戻す。強がりを言う気力も今は切れているらしい、なら、ときずなは改めて一枚のSSをあずさへ送った。
「……なにこれ?」
そこに映っていたのは、随分と荒い画像だった。第三階層は中心に大きな吹き抜けがあるらしい。その吹き抜けの天井には、網目状の梁が張られている。SSのアングルは、下からその梁を見上げるように撮られていた。
『ここはとにかく中心の吹き抜けから、螺旋階段を下っていくって仕様なんだけど誰も最下層までたどり着けてないの』
「なに? 階段の途中でイクスプロイット・エネミーが待ち構えてるの?」
『……それだったら、まだマシだったんだけどねぇ』
よく見て、ここ――ときずなは送ったSSに丸がついたものを画面に展開する。天井の梁の部分に丸が描かれているが、ただでさえ画像が荒いのだ。あずさは目を凝らしてつけられた丸部分を見てみるが、そこにあるモノは上手く判別つかない。
「んー、ちょっと判別できないわね」
『静さんに頼んで、画像を処理してもらったのがこっちね』
「……なんで、最初にそっちを出さないの?」
『静さんがこの順番で見せろって言うから』
なんでそんな面倒なことを、とあずさは思ったが――その意図は、処理した画像を見て理解できた。
限界まで処理してようやく見えたのが、シルエットだからだ。かろうじて、弓を構えているのが見えた。
『ちなみに、このSSを撮った人は次の瞬間に矢で射殺されてるんだけどね』
「……この距離で?」
『うん、ヘッドショット一発だって』
なぜ吾妻静が最初に処理した画像ではなく、荒い方の画像を掲示したのかよくわかる。この荒い画像の方こそゲームプレイ中にプレイヤーが見る視界だということだ。
ようはこの第三層で正確無比な射撃で射殺してくるイクスプロイット・エネミーは、荒い画像のようにほとんど見えないほどの距離から攻撃してくる、ということだ。
(ぞっとしないわね、さすがにこの距離は……)
実際、FPSが得意なクラン《百花繚乱》のメンバーはこの距離は目算すると一キロメートルはあったらしい……それはもう弓と呼んでいいのだろうか? その射程距離はもはや“近代兵器”のソレに等しい。
『この階層、このイクスプロイット・エネミーに加えて飛行状態のデーモンまで襲ってくるらしいの。完全に封殺に来てる配置だよね』
「……でも、それを抜けないと第三層は抜けない訳か」
実際、イクスプロイット・エネミーを討伐しようと梁まで飛んで行こうとしたPCは、デーモンに集られて射殺されて失敗している。この布陣のせいで、積層遺跡の探索が完全に行き詰まっているのが現状だ。
「で? この凄腕のスナイパー悪魔さんの名前は?」
あずさの問いかけに、きずなは手元の資料を見て答えた。
『イクスプロイット・エネミーレライエ。ソロモン七二柱の魔神に名を連ねる一柱、だって――』
† † †
某ゲームでは、達人なアレな筋力だと計算上この射程距離が再現できのですが、好きでよくやってました。
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